Starry☆Sky

月のしずく【宮地×月子】



「うーん、やっぱり今日は星がきれい。まるで勝利を祝うかのような星空だね!」
 両手を広げ、満点の星々を見上げる月子の後ろでは、宮地が心配そうな声で「おい、足元に気をつけろよ」と言うので、「だーいじょーぶ!」と手を振って月子は答えた。
 幾分肌寒くなってきたものの、どうしても星空を見たくて寮を出たら、丁度同じくして男子寮を出てきた宮地と遭遇した。聞けば屋上庭園で星を眺めようと思った、と言う。月子も同じ気持ちだったので宮地とともによるの屋上底辺へと足を運び、今に至る。
 軽く疲労感を覚える足で階段を上るのは些か辛かったが、それよりも瞬く星々を見上げたい気持ちのほうが勝ったので屋上まで懸命に足を進めた。
 今日は新人戦が行われた日で、月子と宮地はそれぞれ個人で出場していた。
 『弓に光がない』
 突然道場に現れた中学生らしき男の子にそう言われたあの日。
 焦る気持ちをなだめ、心を無にして閉じた瞼の奥で真っ直ぐな光を追い求めた瞬間、見事に矢が当たるようになった。
 あの瞬間から、長いこと靄がかかっていた月子の迷いが晴れ、的中率も確実に上がっていったのだが、才能よりも努力を重ね、地道に駆け上がってきた月子には些か時間が足りなかった。
 いい線まで追い上げたものの、あと一歩及ばず上位入賞を逃してしまった。あと少しで手が届きそうだっただけに、切なさと悔しさで胸が締め付けられたが、幸いなことに、共に練習を励んできた仲間の宮地が個人戦優勝という成績を収めた。
 彼も月子と同じく努力型で……いや、努力で言うなら彼のほうが圧倒的に上回っていた分、月子も心から純粋に彼の勝利を喜んだし、また、こうして努力が実を結んだことはこれからの自分にとって良い目標にも繋がる。
 けれど、部屋に戻ってもどうしても気持ちが落ち着かない。思い出すのは最後に外した一矢で、あのとき少しでも平静を保てたなら結果が違っていたのかもしれないと思えば思うほど、あれもそう、これもそう、と反省すべき点ばかりが浮かんでくる。
 こうした負の連鎖は始まるとどうしようもなく、これ以上自分に辛く当たっても仕方がないことはよくわかっている。
 だから星を見れば少しでも気が落ち着くかと思い、この場所を選んだ。幼い頃から見上げてきた空は自分の心を解きほぐしてくれるのではないかと思ったからだ。
 ――でも、宮地君に会っちゃった。
 誰かに……それも、心を許せる人物に会えたのは救いだけど、宮地には悪いが一人きりではない分、もう少しだけ強がりを続けなくちゃいけない切なさも半分だった。
 等間隔で足元を淡く照らす照明を頼りにベンチへと向かい、そこに二人で腰を下ろす。こんなにきれいな星空の夜なのに、自分達以外に人影はない。
「昼間も言ったけど、優勝おめでとう、宮地君」
 ベンチの縁に両手をかけて宮地の顔を少し覗き込むと、嬉しそうに、でも少し照れくさそうな微笑で返される。
「ありがとう。なんとか賞を取ることができて良かったと思ってる」
「うん。宮地君、いつも頑張ってたもんね。努力は人を裏切らないって本当だなぁって思ったよ。それにね、『なんとか入賞』じゃなくて優勝なんだよ? 凄いじゃない」
「そう言うお前だって頑張ってただろう。努力をしていたのは俺だけじゃない。いつも遅くまで道場に残っていたことを部員の皆が良く知ってる」
「宮地君……」
 不意にいつもより優しい声で言われてしまうと、気が緩みそうになる。
 大会が終わった後、「惜しかったな」と、まるで自分の事のように悔しそうな顔をして月子の肩を叩いてくれた部員の顔が浮かぶ。皆誰もが優しくて、肩を叩いてくれる手が暖かくて、涙が出るのを必死になって堪えたのだった。
 ――なのに、また涙が出そうになるよ……。泣いたら駄目なのに。宮地君に気を使わせちゃう。
 ぐっと奥歯をかみ締めて夜空を見上げると、瞬く星が「もうちょっと堪えなさい」と合図をしているように見えた。
 ――うん。もうちょっと堪えてみせる。私、きっと大丈夫。
「え、えっと! 今日は私のことはよくて……そのっ、そ、そうそう! 折角こうして一緒にいるんだから、宮地君に優勝おめでとうの何かをしてあげたいんだけど、何がいい?」
 無理にはしゃいでるのがわかってしまうかと思いつつも尋ねてみると、淡い苦笑で返されてしまう。
「別に、何もしてもらわなくてもいい。こうして一緒に星空を眺めているだけで十分だ」
「若いのに欲が薄いね、宮地君」
「お前な……」
「って言っても、今はなんにも持ってないから特にこれっていう何かができるわけじゃ……んっ? 待って、一つあるかも」
 何故か宮地は嫌な顔をして月子を見たが、そんなことはお構いなしに続ける。
 きちんと背を正してベンチに座り、膝をぽんぽん、と軽く叩く。準備はこれだけで十分。
「む……。夜久、な、何の真似だ」
「今日は疲れてるでしょ?」
「まあ……そこそこに、だが」
「それに、ここに来ようって思ったのは、本当はゆっくりしたかったからなんじゃないの?」
「それはお前もだろう」
「もうっ、さっきも言ったけど今日は私のことはいいの。……ということで、膝枕どうぞー」
 もう一度腿のあたりを軽く叩くと、宮地は目をむいてこちらを見つめる。
「なっ!? なっ、何を言い出すんだお前は!」
 暗くて顔色などわかるはずもないのだが、間違いなく宮地は真っ赤になっていると月子は確信する。
 最近になってようやくわかってきたのだが、彼は一見ちょっとした威圧感があって怖いと思われがちだが、ふとしたときに思いもしないリアクションを返したり、照れたときなどは面白いくらいに頬を染め、慌てたりする一面がある。
 それらはそう多く見せない表情なのだが、共に毎日遅くまで練習を励んでいる者同士で気持ちが通じ合ってきたのか、少しずつ月子の前で見せてくれるようになってきた。それこそ、入部したばかりの頃には思いもしないほどに親しくなっている。
「照れない、照れない。月子さんの膝枕は滅多にないぞ〜? っていうことで膝枕しないとくすぐるぞー。えいっ!」
 宮地の両わき腹へと手を回して指先をいたずらに動かすと、彼はぎょっとした顔をしながら身をよじる。
「ばっ……! や、やめろっ。やめないか! こら、夜久っ!」
「じゃあ、おとなしくしてください」
 ぴたりと指を止めると、宮地は息を整えながら、月子をたしなめるように軽く睨む。
「む……」
 まだ渋い顔をしている宮地に向けてくすぐりのポーズを構えてみせると「わかった! わかったからやめろ!」と諦めたような声で返される。そして、不貞腐れてるのか、怒ってるのか。はたまた困っているのか、照れているのか……そのどれもだろうけれど、複雑な顔をして鈍い動作で月子の膝の上に頭をおろす。
 宮地の顔を見下ろしながら、月子は目を細める。横になっている彼はいつも見ているのとは少し違って見えて、なんだかくすぐったい気持ちになる。
 ――ちょっと幼く見えるのかな? なんか、可愛いかも。
「お前な……何を笑ってるんだ」
 髪をかき上げる仕草をして、少し照れたような顔で月子を見る。
「ごめんごめん。こうして見下ろすとなんかいつもと雰囲気が違って見えたの」
 手を伸ばして宮地の髪を何気なく撫でると、驚いたように目を丸くしている。その様子から何か言われるのかと思いきや、おとなしく黙ったままでいるので、そのままそっと彼の髪を撫で続ける。
 柔らかい髪に触れていると、少し前まで忘れていた気持ちが思い出される。指先だけでなく膝にも宮地のぬくもりを感じているせいだろうか。何故かふと心がほどけていく。
 曇りがかった気持ちが自然と表情に表れていたのか月子にはわからないが、宮地が少し切なげにこちらを見上げて呟く。
「なにかあったのか」
 真っ直ぐなその瞳に見つめられてどきりとしつつも、慌てて首を振る。
「な、なにも! なにもないよ」
「なにもないどころか、その反応じゃ大ありだろうが」
 溜息を一つ吐いて見せる笑みは穏やかで、月子の気持ちなどとっくに見通しているかのように見えた。そんな顔をされてしまっては、これ以上反論などできそうにはない。
「……どうして、わかるの」
 頼りなく呟くと、宮地はふ、と息を零す。
「夜久はわかりやすいからな」
 今までになく柔らかく微笑まれて内心驚きつつも、小さな笑みを浮かべる。
「そんなこと、ないよ」
 秋の風が頬を撫で、髪を揺らす。
 幾分感じる涼しさは夏とは違ってからっとしており、むしろこのまま長い時間ここで過ごしていては体を冷やしてしまうんじゃないかと思うほど。
 その涼しい風を胸に吸い込み、それまで月子が何かを言い出すまで黙っていた宮地に対し、一つ一つ言葉を紡いでいく。本当は自分だけの心に閉じ込めておこうとしたけれど、抱えておくには少し切なすぎた。
「私ね、ここ最近、やっと自分の弓が見えたような気がしていたの。インターハイの予選はぼろぼろで、どんなに弓を引いてもうまくいかなかったのに、ちょっとしたきっかけで何かを掴み始めたところだったんだ。でも……でも、今日の大会に、間に合わなかった……」
 夜が更けても練習を重ね、内にある光を逃さないうちに何度も何度も弓を引いた。そのたびに心に描くのは青白い閃光。自分の中からあふれ出る光が矢になり、それが的に吸い込まれるように流れる軌跡だけを思い描いた。
 心の光。自分だけの光の矢。
 それをやっと掴みかけたのに、大会までに上手く自分のものにすることができなかった。
 もう少し早くちゃんと掴んでおけば練習だって多く重ねることができた。メンタル的にも多少は安定しただろう。
 けれど、入賞に届かなかったのはひとかけらの何かが足りなかったからだ。あと少し。もう少し。手を伸ばせば届く距離にあった分、歯がゆさと悔しさばかりが募っていく。入部してからこんなに悔しく思ったのは初めてかもしれない。
 ――頑張りが足りなかったんだ。もっと頑張れば……もっと早くに私が自分の弓を掴んでいれば、結果が出せていたのに。
 宮地の髪を撫でてやる手が止まる。
 悔しさや不甲斐無さを思い出したらどんどん辛くなり、その思いが目頭を熱くする。
「頑張り、足りなかったのかなぁ……。私、うんと頑張らなくちゃ、全然だめ――」
 全然だめなのかな。
 そう続けることができなかった。胸を締め付けるほどの思いが、喉を苦しくさせる。視界が歪んで、頬に熱いものが伝う。
 一つ、二つと流れる涙へと触れたのは、まるで自分の事のように苦しそうな顔をしている宮地の指で、そっと遠慮がちに涙のしずくに触れてくる。
「ごめ、なさ……」
 迷惑をかけていると考えると、もっと涙があふれてくる。きっと宮地だってどうしていいのかわからないはずだ。
 そう思いながらも涙を止められないでいると、不意に宮地がゆっくりと体を起こす。
 ――宮地君、折角入賞したのに。たくさん頑張り続けていたから、少しでもゆっくりさせてあげたかったのに。なのに、どうして私は泣いて困らせているんだろう。私が結果を出せなかったのは私のせいなのに。誰のせいでもなくて、私自身なのに。宮地君を巻き添えにしちゃってる……。
「ごめ……ね。泣いて、ごめ……」
 ごしごしと手の甲で目元をこすると、その腕を掴まれる。彼を仰ぎ見ようとした瞬間、掴まれた腕を軽く引っ張られて体勢を崩す。
 こめかみが宮地の鎖骨の辺りに触れて止まると、静かな声が降ってくる。
「そんなに謝るな。……それに、お前は全然だめなんかじゃない」
「宮地、く……」
「これ以上頑張らなくていい。そのままでいいんだ。頑張ることと自分を追い詰めることは違う。さっきも言っただろう。お前が遅くまで練習を励んでいるのを良く知ってる、って。確かに今回入賞を逃したのは残念だったけれど、やっと自分の弓を掴めたんだろう?」
 柔らかい声色に首を縦に振ると、反動で睫毛の先から落ちた涙が宮地のシャツを濡らす。
「それが頑張った結果だ。あがいて、歯を食いしばってお前が努力を重ねて見つけた結果が、お前の弓なんだ。始まったばかりなのに、だめだなんて言って自分の気持ちを窮屈にするな」
「でも、いいのかな……。頑張ってやっと自分の弓を掴んだなら、もっと頑張らないといけないじゃ……」
 すん、と鼻を鳴らしながら涙を零す月子に、宮地は少しだけ呆れたように笑う。
「お前、案外自分に厳しいよな」
「そんなこと――」
「あるんだ」
「う……」
 月子が言葉に詰まっていると、宮地は深い溜息を吐きながら空を見上げる。
「俺も、優勝こそしたがそれがすべてじゃない。まだまだこれからだって幾つも大会はあるし、来年の夏にはインターハイが待ってる。それに大会以外の理由をあげるとするなら……お前もまた、俺が頑張る理由の一つだ」
「私……?」
「ああ。ここ最近のお前の上達振りは凄い。手を抜くつもりなど全くないが、真剣に取り組んでいる姿を見ていると、負けていられないという気持ちになる。俺をそういう気持ちにさせるのは、お前だけだからな。物事に真摯に取り組む姿は、見ていて気持ちが良いし学ぶべき点が多くある。……そんなお前に、これ以上頑張れとは言えない。だから、このままでいいんだ。いつもどおりを重ねていけばいい。俺も、お前と一緒に努力をしていく」
 変に甘く、柔らかくなだめようとしないのが宮地らしい。そして何より――いつもどおりでいい、という言葉に救われる。
 見ていてくれる人がいる。こうして励ましてくれる人が傍にいる。共に一つの目標に向かっていける仲間がいる。そう思うだけで、心はこんなにも温かくなる。
「宮地君……本当にありがとう。みっともないところ見せちゃって、ごめんね」
「気にするな」
 と月子の肩に手を回すもののそれは一瞬で、「す、すまない!」と何かに弾かれたようにぱっと離してしまう。
「ううん、平気。ちょっと、あったかかったし」
「む……そ、そう……か」
 まだどことなく落ち着かないその様子が可笑しくてくすくすと笑いがこみ上げてくるが、笑い声とは反対で、目元にあふれるのは引き始めたはずの涙だった。
 笑えば笑うほど瞼が熱くなり、視界が歪み始める。きれいな星空が、見えなくなる。
「お……おい!? どうして泣くんだ」
「へへっ……。なんで、だろ。私も、わかんないや……」
 笑って答えるものの、明らかに顔がひきつってしまう。
 ――宮地君は優しい。こうして私の弱音を聞いてくれる。励ましてくれる。一緒にいると、どこか安心して心を預けられる。……でもね。あのね。
「……し……った」
「む……なんだ?」
 顔を覗き込む宮地の胸元のシャツをぎゅっと握り締め、肩口にこめかみを押し付ける。
「やっぱり悔しかった……。私、悔しかった……!」
 声にして気持ちを表したら本当に悔しくなり、そして、涙があふれてきた。
 白いシャツが自分の涙のしずくで透明な跡を作っていく。ごめんね、ごめんね――それを何度も繰り返しながらも、ただ肩を震わせた。
「次は絶対に頑張るから。だから……だからね――」
「わかってる。……もう、いいから。しゃべらなくていい」
 『大丈夫だ』
 優しさに少しだけの切なさが混じった声が届く。
 髪を撫でるわけでもない。肩を抱くわけでもない。ただ星空を見上げたまま、月子の涙が引くまでの間、宮地は黙って肩を貸してくれた。
 幼いころにはこうして泣いたような気がするが、制服に袖を通すようになってから、こんなふうに誰かの前で泣いたのは久しぶりのような気がする。
 それも、気心知れた幼なじみの二人の前ではなく、鬼の副部長と呼ばれている宮地の前で。
 こんなに安心して泣ける場所があることを心のどこかで驚きつつも、静かな優しさに瞳を閉じた。
 もう悔し涙を流したくない。次は嬉し涙に変えてみせる。
 そう新たな決意を胸にするものの、今だけは温かい温もりを感じながら、涙を流す。
 小さな涙のしずくが彼のシャツの上に落ちていくのを見送り、今だけは広くて男の人らしい肩に、そっと心を預けた。



End.
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