Starry☆Sky

夏休みは終わらない【宮地×月子】



 午前中の授業も三時間目まで終わった。
 あと一時間我慢すれば待ちに待ったお昼だ。
 ……とはいっても、今の時点でとてもおなかが減っていて、うっかり気を抜いたら授業中に小さく鳴ってしまうんじゃないかと私はハラハラしている。
 いくら隣の席が錫也だからといって、お腹が鳴る音を聞かれたらさすがに私だって恥ずかしい。
「はあ……。あと一時間かぁ……」
 そんな風にして溜息を吐いたとき、不意に錫也から声をかけられる。
「なあ月子、ドアのところに立ってるのって、宮地君じゃないのか。ひょっとしなくてもお前のこと探してると思うんだけど」
 錫也の言葉にはっとして前の方のドアを見ると、ドアを行き来する人にまぎれて宮地君の顔がチラッと見えた。
「……あっ!」
 それまで『お腹が空いた』一色だった私の頭の中が、一気に吹き飛ばされていく。食い気より今は色気! ……あ、でも、それも違うかな。私、きっと色気とかって無縁なんだろうし。……って、自分で言ってて切なくなってきたから、もうやめよう!
 私は急いでドアのほうへと近づく。これで私に用事じゃなくて別の人だったら肩透かしでちょっと残念だけれど、科が違う宮地君が天文科に来るっていうことは、やっぱり私に用事でいいん……だよね?
 ドアのほうへと向かう私を見て、宮地君が小さく笑う。
「み、宮地君、どうしたの?」
 部活に行けば会えるのに、教室で会うとなんかドキドキする。……うん、なんかこういう緊張感っていいよね。恋しています、っていう感じがする。
 でも変だよね。一年生の頃からほとんど毎日顔を合わせていたのに、一人の男の人だって意識をし始めて、こうして付き合うようになってからのほうが苦しいくらいに胸が騒ぐなんて。
 それまでだって、弓道に関係しているとはいえ一緒に買い物に行ったり、一年生の時なんて二人でよく先輩の分の買出しなんかもしていたのに。
 こうして教室で会うだけでも、ドキドキが体中の温度を上げていく。
「休み時間中に悪いな。今月の練習日程表を考えてみたんだが、放課後にミーティングする前に夜久の意見を聞いておこうと思って」
 そう言って宮地君が差し出した紙にはぎっしりと練習メニューが書かれてあって、インターハイで優勝したからといっても手抜きはなし! といった感じがはっきり表れている。
 朝練、昼練共にきつ過ぎず、けれど緩過ぎずに予定が組まれていて、放課後の練習メニューもざっと見た感じでは皆が付いていけないような内容にはなっていない。
 うん、ちょっとだけ大変かもしれないけど、これなら頑張って乗り越えられるかも。
 ざっと予定表を見つめていた私だけど、ふとあることに気がついた。
「あ……今週の日曜日って、練習はお休みなんだね。っていうか、今月はちょこちょことお休みがある!」
 夏はインターハイもあったから毎日練習、練習であっという間だったから、『休』という文字が所々にあると妙に驚いてしまう。
 私は弓道場に通うのも、弓を引くのも好きだから練習があっても平気だけど、たまにこうしてお休みがあると皆喜ぶだろうな。特に犬飼君、白鳥君、小熊君なんて大はしゃぎしそうで目に浮かぶ。
 明るい三人の笑顔を思い出し、思わず口元を緩めると宮地君が苦笑する。
「なんだ、やっぱりお前も休みたかったのか。なら、丁度いいかもしれないな。夏休みは頑張って練習してたし、たまには休みも必要だ」
「うん……そうだね。たまにお休みがあるといい息抜きになるからいいよね。でも、私が笑ったのはそうじゃなくて、犬飼君たち三人が大喜びする姿を想像したら、なんかすごく可笑しくなっちゃって」
 大はしゃぎしそうでしょ? と肩を竦めると、宮地君も「ああ……確かに言えるな」と小さく笑う。
「でも、お休みっていっても、宮地君は練習しちゃうんでしょ?」
 不言実行型の宮地君はいつだって努力を惜しまないし、それをひけらかすことだってしない。それに、たとえ一人だって手を抜かずに練習をする人だ。
 多分、夏の間頑張っていた皆のために、今月はちょっとだけお休みを多く入れてくれたんだろうけど、宮地君はいつもどおりに胴着に袖を通し、いつもどおりに一人でも真剣に弓を引くんだろうな。
 なら、私も一緒に練習しようかな。どうせこれっていう予定もないし、一緒にいられるならそれだけで私は楽しいし、嬉しいから。
 そんな風に思っていた私に、宮地君は少し考えるように間を置いて、それから唇をきゅっと結んで私を見る。
「俺も……その、たまには休みが必要かと思うから今度の日曜は休もうと思うんだが、お前は練習するのか?」
 どことなく困ったような顔をしているのが気になるけど、逆に尋ねられてしまって私も返事に困ってしまった。
「え、えっと。私は……どうしようかな、って」
 本当は宮地君が練習するなら私も一緒に練習する、って言いたかったんだけど、ただ一緒にいたいから練習がしたいなんてそんなの宮地君からしたら迷惑だろうし、不真面目だって思われそう。
「そうか……」
「う、うん! あ、でも……せっかくだから休もうかな、私も」
 なんだかいい加減だな、私。
 どうしたいのか、はっきりしないよ。
 ただ、宮地君と一緒にいられたらいいなって思うだけなんだけど、どうして素直に言えないんだろう。
 そんな気持ちを表すように曖昧な笑みで返すと、宮地君は前髪を軽くかき上げて視線を逸らす。何か言いたげに口を開くものの、急に表情を引き締めたり、悩んでいるような顔をしたりと忙しい。
「夜久」
「は、はい」
 怒ったような顔で名前を呼ばれ、私は何故か背筋を伸ばして返事をする。
「練習をしないなら……そして、予定が一日空いているのなら、俺と……俺と出かけないか」
 そう言っている間にも、宮地君の顔がどんどん赤くなっていた。そして、どんどん怖い顔になっていったんだけど、それは怒っているからじゃなくて、照れているからなんだと私は気がついた。
 ――あれっ? でもなんで照れるんだろう。
 そう思ったけれど、今は休日に一緒にいられる嬉しさのほうが大きい。
「私と一緒でいいの? お邪魔じゃないかな……?」
「そんなわけ……」
 宮地君は赤い顔をして私から視線を逸らす。やっぱり邪魔じゃないんだよね? 一緒にいてもいいんだよね……?
「本当? それでもいいんだったら行くよ。ううん、一緒に行きたい!」
 前みたいに買い物の邪魔にならなければいいんだけど、今回は特に何かが欲しいわけでも見たいわけでもないから、宮地君の用事にしっかり付き合おう! 前に付き合ってもらった分、今度はそのお返しがしたい。
 そんな私を宮地君はまじまじと見つめたあと、大きく溜息をついた。
「言っておくが、邪魔だったら最初から誘わない。そもそも、お前、なんで俺が誘っているかわかってないだろう」
「え? 用事っていうから、買い物があるとかじゃないの?」
 どんな用事でも一緒なら嬉しいな。だって、付き合い始めてから二人で出かけるのって、まるでデートみたいでなんだかすごく嬉し――って……あれっ?
「お前は……本当に鈍いな。こういうことになると、特にだ」
 俺も人の事を言えないかもしれないが、と宮地君はぶつぶつと呟いている。
「え? えええっ? じ、じゃあ……」
 まさか本当に? こっれって、デートのお誘いなのかな、やっぱり。
 どんどん顔が熱くなっていくのが恥ずかしいけれど、宮地君を見上げて私は尋ねてみた。
「もしかして、今のお誘いって、デ――」
 デートっていうこと? って言おうとしたんだけど、宮地君がそれを遮るようにして「そうだ、それ以外になにがあるんだ!」と真っ赤な顔で一気に言う。
「特に買い物があるわけじゃないし、どこかに行きたいっていうわけでもない。ただ、お前と一緒に出かけたいだけだ!」
 宮地君は精一杯声を殺しながら力説しているけれど、私はじわじわと喜びがこみ上げてくるのを抑えきれないでいた。
 だって、同じこと思っていたから。ただ、一緒にいられたらいいなって、本当に思ってたんだよ。
 自然と手が伸び、気がついたら私は宮地君の半そでのシャツの袖を掴んでいた。
「なっ! お、おい……」
「嬉しい」
「え……?」
「一緒にいられるだけでも嬉しいけど、ちゃんと誘ってもらえるのって、すごく嬉しい」
 いつもこうして校舎の中でも、道場でも会えるけれど、二人で出かけるのって特別。
 付き合ってから一番最初のデートだから、すごく特別だよ。
「とっても嬉しいから、私、日曜日は気合入れていくね」
 クロゼットの中から一生懸命服を選ぼう。
 髪だってちゃんとしてみよう。毎日暑いから、結ってみるのもいいかな。
 マニキュアだって塗っちゃうんだから。
 気がついたら私、こういうのって初めてだ。好きな人と何気なくデートするのって、宮地君が初めてなんだよ。
「……そこまで喜んで貰えると、こっちまで嬉しくなるな」
 穏やかな声が耳に届く。それさえも私の胸をくすぐる一つで、ますます気分は上昇していく。
「ふふっ。だって、初デートだもん。楽しみだな!」
 心からの笑顔で言うと、宮地君はふい、と横を向いてしまうけれど、瞼を閉じて一つ息をしてから私を見て笑う。
「俺も、楽しみにしてる」
 宮地君とは一年生の時から弓道部でずっと一緒だった。毎日顔を合わせて、毎日同じ時間を過ごしてきた。だけど、宮地君を特別と思い始めてから気がついたことがある。
 こういう風に笑う顔って、私と一緒のときだけなんだ……って。
 部活のどの場面でも決して見たことのないその笑顔が私の胸をいつも以上にドキドキさせる。あまりにドキドキしすぎて次の言葉が見つけられないけれど、せめて気持ちが届けばいいなと私は宮地君のシャツの袖を掴んだまま呟く。
「……ちゃ、ちゃんと可愛くしてくるから、ちょっとだけ期待しててね?」
 そう言った瞬間、宮地君は目を丸くして言葉を詰まらせていたけれど、口元を押さえた指の隙間から「期待って……」とかすれた声が聞こえた。
 ――うん。期待していて。私、可愛くしてくるからね。
 だから、さっきみたいにまた笑ってほしいな。二人でいる時にしか見せないような表情を、これからもたくさん見せてほしい。
 その度に私は沢山ドキドキしていくんだろうけど、そういうドキドキなら大歓迎だよ。
 心内でそう思っていると、廊下の窓から熱気を帯びた風が入り込んでくる。
 小さな窓を見上げれば、その四角い枠の中にはくっきりとした空の青と入道雲が見える。夏の終わりが近づきつつあるけれど空はまだまだ夏色で、眩しい日差しは私たちを照らし続けている。
 まるで「まだまだこれから!」と夏が二人の背中を押してくれているようで、私は嬉しい気持ちになった。
 大切な気持ちに気づいた夏。
 それは新たな一歩を踏み出した大切な季節。星の位置がゆっくりと変わっていくように季節も廻っていくけれど、流れる季節の中、これからも宮地君と一緒に歩いて行けたらいいなと思う。
 ――でも、とりあえず今は、目の前にある日曜日!
 そう、私たちの夏は始まったばかりなんだから。



End.
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