苦労して家まで持って帰った『直立不動真壁チョコ』。
電車での移動中、どれだけの人にじろじろと見られたことか。
翼君には、自宅までヘリで送り届けてやるか? と言われたけど、生憎私の住んでいるアパートには当たり前だけどヘリポートはなく、また、辺りにヘリが離発着できるようなスペースもない。当然といったら当然。庶民が住まう場所にそんなスペースがほいほいあってたまるもんですか。
そんなこんなで根性と気合のみで大きな箱を抱えてアパートまで持ち帰ってきたけれど、新たな悩みはこのチョコ、どこから手をつけるかだ。
何せ人型。チョコレートとはいえ、顔のつくりや髪型まで翼君。確かに翼君はモデルもやっていることだし、今までお目にかかったことがないくらいの美形だけど、それがチョコ――ポーズ無しの直立不動型となるとちょっと……複雑。
実物と同じく、184センチもあるGADIA特注のそれを見上げて、私は腕を組んだ。
「こ、これをどこから食べたらいいのかしら……」
派手な装飾が好きな翼君らしく、チョコが入っている外箱はピカピカのゴールド。まるでマジックショーに使われる箱のようだけど、私は教師であってマジシャンではない。
いや、問題はそんなことじゃない。外箱の派手さだけなら多少の恥ずかしさをぐっと堪えれば何とかなるけれど、顔の部分だけ小窓があり、顔が見えるようにそこだけ透明なフィルムが張られてあったのだ。
一君が言っていたようにそれはまるでゴージャスな棺桶のよう。
恐怖よっ、恐怖以外の何ものでもないわっ!
リボンにこそお馴染みのGADIAの文字が入っているけれど、小窓の中が周りの人に見えないよう、私はその箱にぐるぐると自分のマフラーを巻いて持ち帰った。
そして、その人型チョコレートと一晩ともにする勇気もなく(だってやっぱり怖い!)、そしてGADIAとあってはどうしても一口食べずにはいられず、とんかちを片手に『真壁チョコ』と向き合っている私がいる。
結局食欲には勝てない自分が切ない。
St.Valentin's Dayの今日、私もB6やお世話になっている先生方、いわゆるT6の皆の分もあわせてチョコレートを手作りしたのだけど、当日受け取ってくれたのはT6の先生方、ClassAの岡崎君、そして今から渡す予定の翼君だけ。
先生方は喜んで受け取ってくれたし、岡崎君は意外そうな顔をしていたけど、それでも「ありがとうございます」と素直に受け取ってくれた。
問題はB6よ。
そもそも、岡崎君にチョコを渡すことになったのは、B6が受け取ってくれなかったせいでもある。
B6のみんなに作って行ったのに、一君や瞬君は真壁チョコから逃げるという口実を付けて、私のチョコまで受け取らずに早退してしまうし、残りの悟郎君、清春君、瑞希君も「これ以上持ちきれないから無理」とか何とか言って、逃げるようにして帰ってしまった。
私にチョコレートを引き渡す手前、バカサイユに一人残らざるをえなかった翼君は、等身大チョコと引き換えに私のチョコレートを受け取ることになったんだけど、なぜかその頬を引きつらせながらおずおずと手を伸ばしたのだった。
「……なによ、その顔は」
上目遣いで睨むと、翼君は眉と頬を器用にぴくぴくさせながらぎこちなく微笑む。
「い、いや? それにしても先生、本気の本気で手作り……なのか」
「そうよ。本気も本気、頑張ってみんなの分作ったっていうのに、皆どうして受け取ってくれないのかなっ、もう!」
「……ッ。ど、どうして、って……それは、そうだろ」
だから、どうしてそこまでびくびくするんだろう。ただの手作りチョコなのに失礼しちゃう。
以前B6の皆にお弁当を作ってあげた以降、皆は私の手料理にやけに反応する。
確かにちょっと焦がしちゃったけど、昔から味の評判は良かったし、そう悪くないはずだって私も思ってる。だって実際、葛城先生だって『美味しい』って食べてくれたもの。
もしかして、素直に『うれしい』とか『美味しい』って言うのが恥ずかしいのかな。ほら、十代の男の子って反抗期とかいろいろあって気難しいところがあるし。
……って、やっぱりそうなのかな。考えれば考えるほどこの説がぴったり来る。
そうだったら凄く嬉しい。だってこれでも早起きして頑張って作ったんだもの。
チョコの受け取りを拒否していたのも、悪態ついていたのも、ホントは嬉しさの裏返しなの?
少し前までの皆の態度はあんまりなもので、私は憮然とせずにはいられなかったんだけど、発想の転換により気持ちは一気に浮上する。
「翼君。あの……あの、ひょっとして凄く嬉しくて、素直に喜べなかったりするの!? 照れてたりする!? だから皆受け取ってくれなかったのかな」
嬉しくて、口元がむずむずするのを止められずに翼君を見上げると、彼はその表情を一変させる。
「……What?」
「だからね、その……手作りのチョコレートがそんなにうれしいのかな、って」
堪えきれずにえへへ、と笑うと、翼君は唸るように呟く。
「寝言は寝てから言えっ、この、バカ担任っ!」
「やだなもう、何も照れなくても……」
指先で頬を掻きながら言うと、翼君は耳元でわっと怒鳴る。
「断じて違うっ!」
「うわっ、ちょっ、怒鳴らないでよ」
肩を竦めて翼君を見ると、その眉間にはなんと三本もの縦皺が刻まれていた。不機嫌なのは明らかで、全身からそのオーラを放っていた。
「怒鳴らずにいられるか」
「じ、じゃあなによ」
頬を膨らませて尋ねると、翼君目を剥いて怒った。
「聞かずとも悟れ、空気を読め、表情で察知しろ! ココロの目はあるのかっ!?」
そんなの知るかっ!
「お前、教師で担任だろ!」
「教師だし担任だけど、エスパーじゃないわよっ」
「なんだと!?」
身を乗り出して反論すると、翼君はもう一本眉間の皺を増やした。綺麗な顔が般若のようになり、私はちょっとだけ怯みそうになるけど負けてなるもんですか。
「ふんっだ」
息荒く言い合い、そしてにらみ合うこと数秒。大人気なくも正直ムカムカしていたけど、ふと気づくことが一つ。
こんなに言っているくせに、どうして翼君は受け取ってくれるんだろう、って。嫌なら一君たちのように逃げてしまえばいいだけじゃない。なのに、口論までしてどうしてどうして私と向き合っているんだろう。
「じゃあ聞くけど、どうして翼君は受け取ってくれるのよ。文句をたくさん言うくせに、どうして受け取ってくれるの」
じいっと睨むと翼君は一瞬言葉につまり、それから徐々に視線を逸らしていき、最後には顔まで背けてしまう。
なんだろう、この反応。
まじまじと横顔を見つめると、彼は少しだけ悔しげに、また、言いづらそうにボソッと呟く。
「そ、れは……なんとなく、悔しいからだ」
悔しい? 悔しいって、何が。
「オッサンたちは担任のチョコを食うというのに、俺だけ……その、食わずにいるのがシャクなだけだっ」
その頬を僅かに赤く染めて翼君は怒鳴るように言う。
「翼、君?」
「不本意だが……本当に不本意だがっ、受け取るほかないだろう!」
そう言って、等身大のチョコの箱を私に押し付け、自分はというと私の手にあるチョコをひったくるようにして奪う。
綺麗にラッピングした小さな箱を眺めては、半ば伏せられた瞳に優しい光を湛え、ため息混じりに言う。
「……それに、頑張って作ったんだろうが」
声もなくただ目を丸くして驚く私に、翼君は少しだけ笑う。
「前に弁当を作ってきた時も、四時起きで作ったと言ってただろう」
「う、うん」
「折角だから、貰ってやる。Thanks――先生」
少し前までの強気な反応はどこへやら。一変して素直にありがとうと言われてしまうとどうしていいのかわからなくなってしまう。それどころか、優しい声と穏やかな笑顔とに目を奪われたまま視線が逸らせない。
「ど、どういたしまして」
「俺もチョコをPresentしたし、先生からのチョコも貰った。これでお互い様というところだな」
妙に晴れやかな笑顔。なんかその笑顔、反対。そういう風に笑顔を見せられるとドキッとする。
皆みたいに全力で猛反対されるのも悔しいけど、そんなに嬉しそうに言われると、私が照れてしまう。――って、待って。
翼君が、嬉しそう……?
それも、私のチョコ一つで?
信じられない思いで彼を見つめる。翼君は「胃薬は準備してある。解熱剤も確かあったな。いざとなったら病院だ!」とぶつぶつ言っているけど、妙に楽しげで、不機嫌な様子は微塵もない。
「翼君」
そっと名前を呼ぶと、彼はこちらに視線を向けずに返事をする。
「なんだ」
「その……ちょっとは、嬉しいって思ってくれてる?」
すると翼君は一瞬だけぽかんとした顔をしたが、そのあと慌てて「いきなり何を言い出す!」と真っ赤になって声を上げた。
こうして怒鳴るのはわかっていて尋ねた私も私だけど、思ったとおりの反応をされてもなぜかとても嬉しい気持ちになった。
「嬉しくなど……嬉しくなど、な……――くそっ。そ、そんなことどうだっていいだろう!」
たとえ勢いでも『嬉しくない』って言わないのが翼君らしい。
人よりちょっと傲慢で我儘で、威張りたがりのところがあるけれど、根はとてもいい子。
今でもたまに言い間違いをすることがあるけど、それでも心に届けるような大事な言葉はけして間違わない。
翼君のそういうところ、私は大好き。
とても好きよ。
「私は嬉しかった。このチョコレート、大事に食べるから。ありがとう、翼君。私、男性からチョコレートを貰うのって初めてなんだ」
特大チョコレート入りの金ピカボックスを抱え、私は笑顔を見せた。
全部食べたらやっぱり太るかな、いくらダイエット仕様だって言ってもきっと太るわよね、と頭の片隅でちょっぴり思ったけど、それでも大事にしよう、全部私が食べようって思うんだ。
「日本では女性からという風習になっているみたいだからな。まあ、心して食え。ただし、食べ過ぎて太ったとしても俺のせいじゃないからな? ダイエット仕様とはいえ、全部を一気に食べたらどうなるかぐらい先生でもわかるだろう? 気をつけろよ。鼻血とか出したら、ハラで笑ってやるからな」
誰が出すもんですか。
二ヤッと意地悪く笑う翼君に、私は思いっきり言ってやった。
「余計なお世話っ。っていうか、ハラで笑うんじゃなくて、鼻よ」
「ハハハッ、どっちだっていい」
「よくない!」
さっきは褒めたけど、前言撤回。
頭からばりばり食べてやるっ!
「……ホント、どうしよう」
頭から食べるにしても、精巧に出来すぎている分いささか気が引けるし、腕や足からにしてもやはり同じ。
胴体からならまだ気が楽かしら、と思いきや、金ピカボックスを目の前にして考えると、胴を割ること自体マジックショーのようなもの。
「ああ、もうっ、せめて胸像にして〜」
問題はそこでないことぐらいわかっているけど、何か言わないと気がすまない。
ボックスから未だ取り出さずにうんうん悩んでいると、すぐそばのテーブルにおいてある携帯がメールの着信を告げる。
誰からだろう?
そう思い、手を伸ばしたまでは良かったんだけど、二つ折りを開く時にうっかり手を滑らせて携帯を落としてしまう。
「きゃっ! うそ、壊れてないよね!? 最近の携帯って高いんだから〜!」
こんなの翼君に聞かれたら「貧乏臭い」って笑われるかもしれないけど、教師はそれほどお給料高くないのよ。お財布情勢はいつだって逼迫してるんだから。
最近買い換えたばかりの携帯を、慌てて拾おうとしゃがみこんだ時のことだ。
私は目の前の金ピカボックスの存在をすっかり忘れてしまっており、真壁チョコの足元辺りに見事にヘッドバット。ゴツッと鈍い音がするほどしたたかに頭を打ちつけた。
「いったぁ〜……って、ああああっ!?」
頭を擦りながらハッと見上げるも、時すでに遅し。
強打により足元をすくわれたチョコならぬ金のボックスは、私の目の前でスローモーションで斜めに傾き、どさっという重そうな音と、ボキボキッといういやな音の二つを立てて部屋の中央に横倒しになったのだ!
「いや〜っ、翼君っ!? ち、違う、真壁チョコっ!?」
携帯ととんかちを握りしめたまま、四つんばいになって箱に近づき小窓を覗くと、そこにはあるはずの翼君……もといチョコレートの頭部はなく、恐る恐る箱を突付いてみると、ゴトゴトと幾つも音を立ててチョコの転がる音がする。
ううっ、これは割れてる。
バラバラ事件よぉ!
「ごめんなさい、ごめんなさい! バラバラにするつもりはなかったのっ。あ、でも食べるためには割ることも仕方がないって思ったわ! GADIAなんだもの、多少悪趣味な作りでも、どうしたって食べたいっ。だけど、こんな風にするつもりじゃ……っ」
と、箱にしがみつき必死に弁解をしていて、ふと気がつく。
「……考えてみたら、私、なんでチョコレートに対してこんなに謝ってるんだろ。……ハッ、それよりメール!」
ぺたんと床に腰を下ろして着信メールを見ると、送信者はなんと翼君。
「うっ。なんていうタイミングなのよ」
どことなく後ろめたい気持ちでメールを開くと、そこにはひと言。――『チョコとはいえ丁重にもてなせよ』。
「す、すでに遅しだわ……」
ごめなさい、翼君。
丁重にするどころか、見るに耐えないほどバラバラになってしまったの。
でも大事に食べるから。責任を持って、全部食べるからっ!
そう、私に出来ることはもう食べるだけ。それしかない。
「ええい、かくなる上は、さらに食べやすくとんかちを入れるまでよっ! ……翼君、覚悟っ」
携帯をテーブルに戻してから、腕まくり。再びとんかちを握りしめては、ぐっと気合を入れなおす。
かくしてチョコと格闘すること三十分。
そして、寒空に星が綺麗に瞬くその夜。
どこか遠くからくしゃみの音が聞こえてきそうな中、粉々になった真壁チョコレートを、コーヒーと共に美味しく食した私だった。
もちろん、ヘッドバットが原因でバラバラになったということは、翼君には秘密。
End.
2008.02.11UP