まるで台風のようにやってきた悟郎たちが帰ったあと、翼は寝室へと戻り、未だすやすやと心地良さそうに寝息を立てている恋人のすぐそばに腰を下ろす。
「……ハァ」
ため息を一つ吐いて思うことは、やはりこれしかない――悠里が眠っていることを悟郎にばれてしまったということだ。
どの道ばれることだし、また、黙っているつもりもないけれど、まさか想いを打ち明けあって間もない今日にばれるとは思いもしなかった。
ちらっと悠里へと視線を流せば、ゆるいウェーブがかかった髪がそのなだらかなカーブを描いた頬にかかっている。
それを指の背で払い、素肌の肩先にキスを落とす。
「……悠里」
そっと名前を呼ぶと、「ん……」と声が漏れる。
「Rise and shine. 遅刻をするぞ」
遅刻のあたりからからかうような声色で囁いたのだが、この言葉は思いのほか効果覿面で、数秒間を置いた後、「ばちっ」と音でもしそうなくらい彼女は大きく目を開いて跳ね起きる。
「うそっ……!」
そして慌てて辺りを見回すが、その瞳が翼の姿を捉えたとき、彼女の表情には安堵の色がはっきりと浮かび、すぐにため息が漏れる。
「よ……かったぁ〜……。そうよ、私、今日から夏季休暇の申請をしてたんだっけ……。もう、翼くん〜……だましたわね……」
まだ眠そうな声でのろのろと呟いて、翼の背中を軽く握りしめた小さな手で叩く。どこか甘えたような、ちょっぴり子供じみた仕草が愛らしい。『教師』と『生徒』のままであれば知らなかった彼女の一面だ。
そんな悠里の細い肩を引き寄せ、額にキスして笑顔を見せる。何もかもが愛おしくて、全てを包み込みたくなる気持ちが不思議なくらい。
「お前が一人で気持ち良さそうに寝ているからだ。熟睡などしているから、悟郎に見られたんじゃないか」
肩を抱いたままベッドにゆっくり押し倒すと、悠里は軽く目を擦りながら「悟郎君?」と、怪訝な顔をして翼を見つめる。
「さっきまで一と悟郎が来ていた。そして、お前は眠っている所を悟郎に見られたらしいぞ。悟郎のヤツ、おそらく何かを感じ取って部屋を覗きに来たんだろう」
「う、ううううそ! 私、服着てな……っ、えええっ!?」
頬を高潮させ、シーツを慌てて胸元へと寄せるが、本人が心配しているほど全部を見られたわけではなく、さっきまでの寝相からすると見られたのは顔と肩先ぐらいだろう。
「安心しろ。多分、顔だけだろ」
「そうかな……。本当にそうかな……。っていうか、そうであってほしいわ。……でも、寝顔を見られるなんて……っ!」
う〜、と唸り顔を顰める悠里の額にくちびるを寄せる。
「……可愛かったから、いいんじゃないのか」
それは寝顔だけでなく、すべての表情がだ。
昨夜、明かりを落としたベッドの上でその細くしなやかな身体を抱きしめたとき思ったことだ。だが、彼女は単に可愛らしいだけではなかった。
時折切なそうに眉を寄せる表情、耐え切れずに漏らす吐息。深くくちづけを交わすときなどはひどく扇情的で、抗うことなどできないくらい彼女のすべてにのめり込んだ。
年の割りに幼げな顔立ちであっても、薄明かりの中で見せるその表情すべてがぞくっとするほど艶やかだったことは、今でも簡単に思い出せる。
愛らしい幼げな表情と、情欲を掻き立てる女性としての表情。
そのどちらも彼女の持つものなのだが、今の彼女は間違いなく前者。
翼の言葉に悠里は少しだけくちびるを尖らせ、なぜか俯くようにしてその額を翼の鎖骨の辺りにぶつけてくる。
拗ねているような、困っているような複雑な顔がちらっと見えた。
「なんだ?」
「……寝顔は……それを見られるのは翼君だからいいことであって、例え悟郎君でも、他の人じゃ、やっぱりちょっと……わけが違うわよ」
恥ずかしげに、ちょっとだけ頼りなく呟く彼女を、また強く抱きしめたいと思うのはきっと仕方のないこと。
――可愛すぎるのがいけないんだ、ばか。
「……ったく」
彼女の身体をぎゅっと抱きしめ、その上に覆いかぶさるようにして悠里を上から見つめる。
「えっ……?」
目を丸くして驚くその首筋や鎖骨にくちびるを寄せ、柔らかなふくらみへと移していく。
「ちょっ、ちょっと!? こらっ、翼く――」
だめっ、とじたばたと往生際悪く暴れる片手をシーツに縫い止めては、彼女の耳元で笑みを含んだ声で囁く。
「俺ならいいと自分で言ったくせに?」
「そ、れとこれとは、ちが……っ」
「違わない」
軽く耳朶を噛めば、んっ、と擽ったそうに甘くくぐもった声を漏らす。
彼女が肩を竦めても、だめだと言ってもその身体に火をつける小さな行為を止めることはない。
「……悠里。もっと全部を見せろ。表情も、声も、仕草も全部。……俺にだけ」
深く長いキスの後、悠里は荒く息を吐きながら、僅かに潤んだ瞳で自分を睨む。
「翼君だけに、決まってるでしょ」
怒ったような表情が少しずつほぐれていき、やがては照れくさそうな笑みを浮かべて自分の首筋へとその細い両腕を絡ませる。
「他に、いないもの。こんなに好きな人」
軽く音を立てて耳元近くにキスを受ければ、それは夜も昼も関係なくまた互いの熱を分け合う愛しい行為が始まるサイン。
だが、理性を軽く吹き飛ばされる前に、彼女にそっと尋ねてみる。
「悠里」
「ん?」
「短いSummer vacation、どこか行きたい所は? 連れて行ってやる、どこにでも」
その問いに、悠里は少し考える間を置くが、やはり照れた笑みを浮かべて自分を見上げる。
「……どこでもいい。翼君と一緒なら、どこでも」
彼女の言葉と笑顔に一瞬不意を突かれる。愛しいという気持ちは、一体どこから溢れてくるのか。どんなに口付けを交わしても、身体を重ねても足りないくらいの想いが溢れ、やはり理性を少しずつ奪っていく。
「じゃあ、ずっとベッドの上でこうしているか?」
わざと意地悪に笑って彼女の首筋に舌を這わせると、「……えっち。やらしい。ばかっ」という罵倒三段階の拗ねた声が届く。
「冗談だ」
「うそ」
「……まんざらウソでもない」
――というか本心だ。
けれど、心の声は冗談にしたまま胸のうちにしまっておくとする。
「ええっ!」
「ウソだ」
「もうっ!」
頬を膨らます悠里は、背中に回しているその手をずらし、襟足を軽く引っ張る。けど不貞腐れている暇もないくらいにキスをすれば、じきにその機嫌とやらも戻るはず。……というか戻してみせる、と翼は思う。
――そしたら、考えるか。
キスして抱きしめあって、朝食を二人で摂って……それから二人で考えよう。
本当にこのままベッドでくつろぐのも悪くはないし、青空の下で健全に手を繋いで彼女用の服を二人で買いに出かけるのもいい。
けれど、まずはKiss。
そして――。
「悠里……」
「……ん」
「――I love you」
End.
2008.02.01UP