VitaminX

夏がくれたMiracle【翼×悠里】



 いつもならすぐにでも中に通してくれるのに、今日に限って「Wait! ちょ、ちょっと待て!」と言われた。
 その時点で何か臭うものがあると思ったけれどそれは気のせいじゃなかった。
「何が待てだよ、翼。オラ、入るぞ〜」
 一はちょっとした異変に気づく様子もなく、ずかずかとスペアのカードキーを使って翼の家の中に入っていくが、悟郎は違った。
 ちらりとあたりを見回して用心深く家の中に入る。
 いつもハウスキーパーが入っている翼の家は、どの部屋もとても綺麗に掃除が行き届いているし、何より翼自身がそれほど物を散らかすタイプではないので整然としている。
 なのに、玄関に備え付けられている特大のシューズボックスの扉は微妙に開いているし、リビングに入れば入ったで、広いテーブルの上にはビールの空き缶がいくつも散乱していた。この荒れよう、今まで見たことがないし、缶ビールと言うのが非常に引っかかる。何より、翼の格好ときたら上半身裸の上にかろうじてシャツを引っ掛け、下は黒の……それも妙にかっちりとしたスラックスなどを履いているという、なんとも違和感のある格好。
 ――ツバサが缶ビール? ワインとかシャンパンならわかるけど。それにそのカッコ。普通パジャマとか着てるもんじゃん。ムム……なんかアヤシイ。
 第一、翼の秘書である永田の姿がないこと自体が不自然だ。
 ――ますます怪しい。ぜーったいになにかある。
 悟郎は眉を顰める。
「なあ、翼」
 慌てて片づけをしている翼の背中がびくっと震える。というか、部屋の片づけをしている翼なんて見たことがないから違和感はどうしても拭えない。
「な、なんだ一?」
「お前さ……このビール、一人で飲んだのか?」
「う……Yes of course. そっ、それが、どうした?」
 ごくり、と翼の喉が動くのがわかったが悟郎はあえて何も言わない。
 ――挙動不審……。なんでびくびくしてんのさ、ツバサ。
「んだよ、飲むなら俺にも声かけろって! 一人でなに寂しく缶ビールなんて飲んでんだよ〜、水臭いぜ!」
「あ、ああ。……そ、そうか! ハハハそうだったな! 悪いな、次は必ず誘う。缶とは言わず大樽を用意して待っている」
「よっしゃ、そうこなくちゃ! 全部飲み干してやるぜ」
 ――ハジメ、そこなの!? このツバサが缶ビールなんて飲むこと自体、不思議だと思わないの? っていうか翼と違ってゴロちゃんたちはまだ未成年じゃん!
 悟郎は内心呆れながら能天気に笑う一の横顔を見上げる。どうやら本当に何の異変にも気づいていないようだ。
 そんな鈍感一のお陰もあり、翼はほっとしたような顔をしているが、訝しげな表情を浮かべる悟郎と目があった瞬間、その眉がピクリと動いたのを悟郎は見逃さなかった。
「Good morning, 悟郎」
「オハヨー、ツバサ。……なーんか朝から様子が変だけど、どうかしたぁ?」
 努めて明るく尋ねると、これまた整った顔が硬直する。
 ――あ〜あ、ツバサってば絶対にウソがつけない性格だよね。全部顔に出てる。なにかあったんだね、本当に。……それもヤマしいことが。
「何も? ……何もないぞ。いつもどおりだ」
「って、髪がパラッペぐしゃぐしゃだけどぉ?」
 首を傾げてじいっと見つめると「今まで寝ていたからな」と慌てて手ぐしで整えようとし、「どうして上半身だけ裸なの?」と尋ねれば、これまた慌てて答える。
「昨夜は暑かったから、は、裸で寝ていた」
「全室エアコン完備なのに〜?」
「ぐっ……。昨夜はエアコンの調子が悪くてな。だが不思議なことに今朝は直っていたんだ!」
 Miracleだろう? と翼は笑うがどんなミラクルだ、と悟郎は心うちで突っ込む。
「ところで、お前たちこんな朝早くに何の用だ?」
 どっかりとソファーに腰掛け翼は尋ねる。
 すでにソファーに座っている一の隣に悟郎も腰を下ろし、ここに来た用件を伝える。
 一は現在所属しているサッカーチームの来期の試合からメンバーとして参加させてもらえるかもしれないこと、そして自分は今年の十二月に小さいながらも個展を開かせてもらえることになったこと。その二つだ。
 聖帝学園高等部を卒業してから、B6のメンバーはそれぞれの夢、それぞれの道を歩き始めたが、皆少しずつ自分達が望む方向へと芽を出し始めている。今すぐどうこうなるわけではないが、小さな一歩でもそれは自信につながり、未来に繋がる。
 どんなに仲が良くても卒業後は皆それぞれ多忙でなかなか連絡が取れなかったが、いつも心のどこかで気にかけていることは確かで、だからこそこうして朝も早くから朗報を届けたくて翼の家までやってきたのだ。
 けれど、やはり早朝ではなく午後からにすればよかっただろうか、と悟郎は思う。
 良かったな、と翼は嬉しそうに笑みを見せているが、どことなく疲れているよう……というより、だるそうな感じだ。
 不機嫌でないのが奇跡的なくらいだが、おそらく『不機嫌にならないくらい良いこと』があったのに違いない。
 去年までの翼といったら横柄、我儘、不遜という言葉がぴったりだったが、元担任であった南悠里の熱意あふれる指導あってか人が変わったようにまっとうになった。
 以前のように我儘を言うことはなくなったし、人当たりも大分良くなった。もちろん知識や常識、日本語も不自由なく使いこなせるようになった。だが、基本的な性格というのはすぐには直らないもの。特に寝起きとなれば別のはず。
 ――なのに、ツバサったらちーっとも不機嫌じゃないんだよねぇ。アヤシイ……。
 嬉々としてサッカーのことを語っている一と、それを興味深げに聞き入っている翼をよそに、悟郎は立ち上がる。
「ゴロちゃんトーイレっとぉ」
 勝って知ったるなんとやら。だだっ広い翼の家だが、長い付き合いだ、トイレやバスがどこにあるのかもしっかり把握済み。そして寝室もだ。
「ふんふ〜ん。名探偵ゴロちゃん、極秘捜査開始〜っとぉ」
 一は気づいていなかったが、翼が玄関にて慌てて足で何かを押しのけたのを悟郎は知っている。それが女性物のパンプスだということも確認済みだ。
 おそらく自分達が家に入る前にシューズボックスへと片付けようとしていたのだろうがそれが間に合わなかったのだろう。
 ――だからシューズボックスがビミョーに開いてたんだよね〜。ツバサ、甘〜い。
 しかし想像すると笑えてくる。いつも堂々としているあの翼が、こそこそと隠し物をするなんて。
 それにしてもいつの間に彼女を作ったのか。
 あれほど悠里に懐いていたので、ひょっとしたら卒業式の日に告白の一つでもするのかと思ったのだが、卒業後も元生徒としてさらに懐いているだけのよう。
 となると同じ大学の子か。
 はたまたモデル仲間か。
 それとも仕事を通して知り合ったのか。
 何にしても仲間として確認しておく義務がある。
 抜き足差し足、忍び足というが、光沢のあるすべりのいい廊下をそおっと歩き、一番疑わしい寝室のドアノブへと触れる。
 この家にはいくつも寝室があるが、翼が良く使っている部屋はB6の仲間なら皆知っている。
「失礼しまぁ〜すぅ……」
 まるでとあるテレビ番組の怪しげな突撃レポーターのように声を潜めてゆっくりとドアを開けると、キングサイズのベッドが広い部屋に置かれてあり、自動式のカーテンから僅かに光が漏れて、部屋半分を明るく照らしている。
 ベッドは見えるが、あまりにも大きすぎて人がいるのかどうか確認できない。
 もうちょっと近づいてみよう、とこっそり身を乗り出してみると、大きなベッドの真ん中に人型のうっすらとしたふくらみが見える。
 それを見た瞬間、悟郎は「ポッ、ポペラビンゴ!」と声を漏らしそうになるが、両手で自分の口元を慌てて押さえて事なきを得る。
「……っ!」
 ――ツ〜バ〜サ〜! なにやってんのさ〜!! やらしいっ! ……っていうか、お部屋拝見してるゴロちゃんのほうか、それ。
 ふう、と声を出さないようにして深呼吸し、注意深く人型のふくらみを見つめる。が、こちらに背中を向けているようで、シーツから覗くのは自然なブラウン色の髪とむき出しになっている肩が少しだけ。その髪は長さにして肩より気持ち下ぐらいだろうか。
 ――あれっ、どこかで見たことのあるような……?
 そう思えど肝心の顔が確認できない。ベッドサイドに落ちている黒い衣装の塊はドレス……だろうか。
 いまだ寝息を立てている者の顔を確かめようと背伸びをした時、背中を向けていた人物が「うーん……」という吐息混じりの声と共に寝返りを打つ。
 ――ヒャッ! どどどうしよう!
 目が覚めて気付かれでもしたらマズイ! と内心ひやひやしながら慌てて物陰に隠れるのだが、しばらく待てども寝息ばかりで衣擦れの音一つない。
 そっと覗いてみると、ベッドにはなだらかな人型が元のままの状態である。やはり起きてはいないようだ。
 ――ダイジョウブなのかな……。どれどれ。
 もう一度そおっと眠り姫とやらの顔を確かめようと踵を上げ――そして、『彼女』の顔を見た瞬間、悟郎は二度目の叫び声を上げそうになり、その口元を両手で押さえた。


「おっ、悟郎遅いな〜。何やってたんだよ」
 部屋に戻ると、やはり能天気な一がこれまた能天気そうな笑顔でこちらを見る。
「メイク直してたのっ。ちゃーんと身だしなみを整えてたんだから。ゴロちゃんはガサツなハジメと違うんだからねッ」
 ぷう、と頬を膨らませて一を軽く睨む。
「ガサツで悪かったな。それより悟郎、聞いてくれ。翼のヤツ、猫にゃんを飼い始めたらしいんだ!」
「こ、こら一ッ!」
「猫にゃん?」
 慌てる翼に、首を傾げて悟郎は尋ねる。が、答えたのは翼ではなく一だ。
「だってよ〜、なんかこいつ背中に小さな引っかき傷とかあるんだぜ? 聞いてみたら猫にゃんにひかっかれたって言うじゃん。なのに見せてくれないんだぜ。俺にひと目会わせろ、翼!」
「断る」
「なんでだよ、別にいいだろ」
「そういう問題じゃない」
「じゃあどういう問題なんだよ」
「どっ、どうでもいいだろう!」
 それを聞いて悟郎は「あぁ……その『猫にゃん』ならすぐには見せられないだろうなぁ」と心うちで納得するが、何も気づかない振りをして翼へと話を振る。
「ツバサ〜、ねえねえ、その猫にゃんはここにいるの? さっきゴロちゃんもちらっとおうちの探検してみたんだけど、どこにも見当たらないんだよねぇ?」
「どこにも……だと? まさか悟郎、お前……っ」
 顔を引きつらせる翼に、悟郎は笑顔で話を続ける。
「フフフ〜、うん、『どこにも』ね? ……あ! ひょっとしてトモちゃんに預けてるの?」
「ナニ! 永田さんのところなのかよ!」
 身を乗り出す一。翼はというと驚いたように、だが半分何がなんだかわからないといったような視線をこちらに投げる。
 そんな翼に対し、悟郎は「ツバサ、ハナシ、合わせて」とくちびるを動かして伝える。
「悟郎? あ、ああ……? ――って、そ、そうだ。……そうなんだ! 昨夜はパーティーに出席するからと永田に預けてあったんだ。残念だな、一。次には必ず見せてやるから今回は我慢しろ」
 上手く話をあわせた翼に、悟郎は上出来、上出来とばかりにウィンクを送る。
「なんだ、そっか。チッ、仕方ねえなあ。次は絶対にあわせろよ、猫にゃん」
「ああ、たんと拝め」
「もちろんだぜ!」
「わーい、そのときはゴロちゃんも〜」
「……っ! も、勿論だ?」
 はっきりとわかるほど顔を引きつらせているのを見ると、バカ! なにやってんの、と怒るよりも助け舟を出してあげたくなる。
 もともとB6のほかのメンバーも『二人』を応援してきたのだ。ここまできたらとことん最後まで見守ってやるのが筋というものだ。
 ――バカツバサ。なんで黙ってんのさ、まったくもう! ……でも、うまくいってよかったね。みんな気にしてたんだよ、二人のこと。ハジメもシュンもキヨもミズキもゴロちゃんも、みんなみ〜んなツバサとセンセの仲がうまくいくといいね、って心から思ってたんだから。卒業してからちょっとだけ時間がかかちゃったけど、初恋が実ってよかったじゃん。ゴロちゃんもみんなも、すっごく応援するからね! ……ただ、大好きなみんなのセンセ独り占めされちゃって、ちょっとだけジェラシーだけどっ。
「っていうことで……ツーバサっ、愛と憎しみがこもったフライングポペラゴロちゃんアターック!」
 憎しみが、という辺りから声色を元に戻して一気にまくし立てる。
「うわっ! ご、悟郎!?」
 翼の座っているソファーの斜め横に立っていた場所から、思い切りジャンプをして飛びつくと、もろにアタックを食らった翼は、悟郎ごと広いソファーに倒れこむ。
 そんな翼の耳元すぐそばで、悟郎は一にわからないようにそっと囁く。
「あとでちゃんと報告すること! いい?」
 これには翼も目を丸くして自分を見つめる。
「センセが起きないうちに、ゴロちゃんたち帰るから」
「悟郎、お前っ……、うぐっ! くるし……っ」
 呆然と口を開く翼の胸やら肩を情け容赦なしにぐいぐいと押して……というより踏み台のようにして悟郎は起き上がる。 そして、すげぇタックルだぜ、と呆れ笑っている一に声をかける。
「さあ、ハジメッ、次はミズキんちを襲撃〜!」
 一のシャツのすそを掴み、そのままぐいぐいと玄関口に繋がるドアの方へと引っ張る。
「わっ、わっ、わー! 待て待て、悟郎! つーか次は南先生んちだろーが! 先生、今日から夏休みだからってお前、自分で言ってただろうが」
「……なっ!?」
 背後で翼が息を呑むのがわかる。
 ――安心しなって、ツバサ。ゴロちゃんにお任せあれだよっ。
「センセーんちはぁ、うーんと……明後日。日曜日にしようよ〜。ゴロちゃん、今日はミズキのとこでトゲーと一緒に遊びたいっていう気分〜」
「マジかよ。……でも、トゲーか。うん、いいなそれ。先生に会いたい気持ちはあるけど、確かにトゲーとも遊びてぇな」
 久しぶりだしな〜と嬉しそうな一の声に、悟郎は内心「しめしめ」と思う。さすが元聖帝のアニマルマスターなだけあって、動物を引き合いに出すと話は簡単だ。
 玄関までぐいぐいと一を引っ張っていくと、隅のほうに押しやられているパンプスが目に入る。
 ――センセ、また明後日ね。
 小さなパンプスにそっと笑みを向けて、悟郎は翼を見上げる。
「ツバサもまたね」
「え、翼も連れて行くっていう話じゃ……」
 きょとんとする一に悟郎はぶるぶると首を振る。
 最初は翼も引き連れて、当初立てた計画通り、次は悠里の家に行くつもりだったのだが、予定は急遽変更。翼は居るべき所に居なくてはいけない。
 そう、大切な人の傍に。
「ツバサはぁ、パーティーでポペランお疲れみたいだから、ゆっくり休みなよ? 明後日にはちゃんとラブリー猫にゃんの話を聞かせてよね〜?」
 翼の顔を覗き込み、にっこりと笑みを浮かべる。
「ら、らぶ? あ、ああ……」
 あっけに取られたままの翼は、ぶんぶんと手を振る悟郎につられて軽く手をあげる。
「そっれじゃーねー!」
「またな、翼!」
 ぱたん、と閉じられるドア。
 そして、ドア一枚向こう側にいるもう一人……そう、眠れる『猫にゃん』にも心の中で小さく手を振り、元気よく靴音を響かせた。
 本当だったらぎゅっと飛びついて「センセ」といつものように甘えたいところだけど、長々と恋人同士の甘い時間を邪魔するほど野暮じゃないつもりだ。
 何より、彼女に甘えるべき人物は自分ではない。
 少し意地っぱりで、そのくせちょっと寂しがりやで、でも不器用ながらにも仲間を大事に思ってくれている翼が、やっと素直になれる場所。
 ――ウン。ツバサ、センセを大事にしてね。
 やっとつかまえた大切な人を、大事にね。


 早朝とはいえ、太陽の位置が高くなるにつれて、日の光も強くなり、空気は徐々に熱を含んできている。
 どこかでセミの鳴く声を聞きながら、悟郎はぴょん、ぴょんと何度か飛び跳ねて自分の影を踏む。
「ねえハジメ、本当に猫にゃんわからなかった?」
 瑞希の家に向かう途中、悟郎は隣を歩く一に尋ねてみる。
「あん? だって、永田さんの所に預けてたんだろ?」
 その表情、その口ぶり。やはり本当に気付いていなかったようだ。
「うーん……正確には違うかなぁ」
「なんだそりゃ」
 訳がわからないといった顔をしている一の前に回りこみ、小首を傾げる。そしてにっこりと笑顔を見せては言葉を紡ぐ。
「ツバサの猫にゃんはぁ、ちゃーんとツバサの家にいたの。気持ちよさそうにベッドの上ですやすや眠っていたのをゴロちゃん見ちゃった」
「え。マジ? なら、なんで教えてくれなかったんだよ」
「教えたら、きっとツバサが怒ると思って」
「ハァ?」
「だってね……」
 ――幸せそうに寝ていたのは、センセだったんだもん。
 この言葉に対し、一の驚く声を期待したのだが、彼はそんな期待をあっさりと裏切り、とぼけたことを言う。
「それって……猫にゃん先生?」
「ハジメのブァカ!」
「あー、なんだよ、それ。つーか、もしかしなくても、伝説のにゃんこ先生のことか? まっじ、大先生じゃん!」
 生き生きと目を輝かせる一を一瞥して悟郎は頬を膨らませる。
「それ、どんな先生……」
「じゃなんだよ」
「えっとぉ〜、銀ちゃん式に言うとね〜、ごほごほっ、んんんっ! ……『マ〜イ・スイート・ハァニィ〜〜〜、南ちゅわああああ〜〜んっ!』がツバサの猫にゃん」
「は?」
「ブゥ〜〜! あーもうわかんないかなツバサの猫にゃんは南センセだってばいい加減気づきなよにぶにぶハジメッ!」
 息もつかず早口で一気にそう言った直後、「ちょっ、マジでかっ!」と叫ぶ一の声が当たり一帯に大きく響く。あまりの大音量に耳を塞がずにはいられない。やっと理解してくれた一は、信じられないとでも言うような顔で「マジかよ、おい、本気で!?」と何度も尋ねてくる。
「うん。だって、考えてもみなよ。ツバサが一人で缶ビールなんて飲むわけないじゃん。それに、背中の引っかき傷。どう考えたって、あんな微妙な位置でねこにゃんが爪とぎするわけないでしょ」
「い、言われて見ればそう、だけどよ……」
 何を想像したのか、少しだけ頬を染めて一は視線を逸らす。
「きっと、お泊りだったんだよ。でもって、ちょーっぴりお疲れで猫にゃんセンセはぐっすりお休み中だったから、ゴロちゃんたちには見せられなかったんだって。わかる?」
「そ、そっか。やっとわかったぜ。……翼と先生、ついに……か。結構ビビッたけど、でも、なんかすげー嬉しいな、やっぱさ。翼と先生、見ていてもどかしかったもんなぁ」
「だっよね〜。収まるべきところに収まったってカンジ?」
「ああ。そうすっとアレだな。これからは翼んとこ行けば先生に会えるってワケだ?」
 一は満面の笑みを浮かべる。少しばかり短絡的ではあるが、そうなる日も遠い話ではないだろう。
「ヒャハッ、センセってば、まるでツバサの奥さんみたーい!」
「遅かれ早かれどうせそうなるだろ? ……つーことはアレか。一足早くなんかパーッと騒いでみるか?」
「ゴロちゃん、ケッコン式がいい! センセとおそろいのウエディングドレス着た〜い」
 飛び跳ねながらくるん、とターンをすると一は苦笑して頭を掻く。
「あー……ハハ、ドレスはさすがにまずいんじゃないか? 翼に全力で止められっぞ? ……でも、結婚式はいいかもしれねえな! 旅行練習っていうのか? おもしろそうだしよ〜」
「旅行じゃなくて、予行! 予行演習だってば〜。…… よぉっし、じゃあ今からポペラダッシュでみんなの所に回って企画しよ〜っ」
 ぴょん、とさらに元気よく悟郎は飛び跳ね、空へと腕を高く突き出す。おーっ! と二人の張りのいい掛け声が辺りに響き、気合十分といったところだ。
 真夏特有のくっきりとした白雲を見上げ、太陽のまぶしさに一瞬ぎゅっと目を閉じるが、それでも悟郎は清々しい笑顔を見せる。
 吹き抜ける風は熱気を帯びていて体にまとわりつくようだが、胸に残るのは妙にさわやかな躍動感。嬉しくて思わず笑顔になってしまうような気持ち。それは仲間の幸せが運んでくれたもの。そして、その嬉しい気持ちはかねてからずっと二人を見守ってきた仲間内の皆もすぐに伝わっていくだろう。
「ハジメー」
「んぁ〜?」
「なんかさぁー、……こういうのって、くすぐったいけど、凄くいいね」
 立ち止まったまま空を見上げる悟郎に、一も同じようにして空を仰ぐ。そして、手でひさしを作りながら、白い歯を覗かせて綺麗に笑う。
「……だな!」
 二人揃って見上げた空には飛行機雲。
 真っ直ぐに伸びる一筋の白は、夏の青に溶けるように消えていくが、胸に残る嬉しい気持ちはまだまだ消えそうにはなく、むしろ心のカンバスに、消えない白い雲をハート型に書き足したい気持ちになったのだった。



End.
2008.02.01UP
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