ときめきレストラン☆☆☆

雪の降る日に【音羽×主人公】


 ――明日は一日雪らしい。
 昨日の夜、霧島君が言っていたとおり、早朝に寮を出るときから雪が降っていて、路面はシャーベット状になっていた。
 空気がキン、と冷たさで張りつめる中、寮の裏口で僕の隣に立つカイトがコートのポケットに両手を入れたまま首を竦め、表情をこわばらせている。
「あー寒い。マジで辛い」
 うん、確かに寒い。僕も基本的に寒いのは苦手。でも今日のこの寒さは案外嫌いじゃない。だって雪が降っているんだ、ワクワクする。
 そんな気持ちで「積もるかな」と空を見上げて呟くと、大粒の雪が目の中に入り、ちょっとだけビクッとした。そんな僕の隣で霧島君が軽く空を仰ぐ。
「これは積もるだろうな。午後から夜にかけて強く降ると言っていたからな。……それにしても、今日は幸い近いスタジオ撮影ばかりでよかったな」
「うーん……」
 確かに近場は楽でいいけれど、幸いかどうかは少し別かもしれない。
「どうした?」
「積もる様子が見られないのって、つまらないなぁと思って」
 スタジオはどこもかしこもセットばかりで窓がない。それは当然なんだけど、辺りが徐々に白くなっていく過程が楽しめないのはやはり惜しい気がする。
「見ていたくなる気持ちもわかるかもだけど、寒いのはマジで勘弁。……って、やった、車来たぞ!」
 それまで大して言葉を発しなかったカイトが、歯をカチカチさせながら事務所前に滑り込んできたワンボックスカーに急いで乗り込む。霧島君もマフラーやコートにかかった雪を払いながらその後に続く。
「来ちゃったか」
 移動の時間しか見られない雪を名残惜しく見つめていると、「シン君早く!」とカイトが早くドアを閉めたそうにして僕を見ている。
「あー、ごめん。今行く」
 ふう、と息を吐いて開いた手のひらの上に大粒の雪が落ちる。
 じわりとすぐに解けて、小さな水滴になったそれを見つめ、僕は一つだけ願って車に乗り込んだ。
 ほんの少しだけでもいいんだ。少しだけ、積もりますように。
 寒いのは苦手だけど、見てみたい気がするんだ。
 ――辺りを白く変える、降り積もった雪を。

 トーク番組の収録とゲスト出演が二件、間に打ち合わせが入ってさらにもう一件打ち合わせ。
 そこからそう離れていないスタジオへと移動して雑誌の撮影が二件、さらに局へと戻って歌番組の収録と、そのままレッスン室を借りてライブ用のダンスレッスン。その後にスタッフを交えてライブに向けての打ち合わせ。
 外で雪が降っていようがなんだろうが、この窓のない世界ではまるで関係がないくらい慌ただしい。
 ほっと一息つける時間は移動の時間ぐらいだったのだけど、早朝からの仕事が立て続けに入っていたことと忙しさもあって、短い移動の時間は雪景色に心を奪われる時間もなく睡眠に費やしてしまった。
 けれど、仕事が終わった今からは別だ。
 現在、歩道の積雪は十五センチ。いやそれ以上かもしれない。
 朝のシャーベット状態など比べ物にならないほど積もっていて、少しだけと願ったはずがとんでもないことになっている。
 マネージャーが「足元が危ないから、みんなと一緒に寮まで車で送る」と言ってくれたけれど、僕はそれを断って歩いて出た。
 局から目指す場所まで歩いても一駅分ぐらいだし、途中長靴を買って履き替えたから快適。見た目なんて気にしない。というか、ふくらはぎまわりのあの適度な緩さが結構気に入ってるので気分は上々。
 ぎゅっ、ぎゅっと雪を踏みしめながらあまり人が歩いていない裏道を通ると、表通りの荒れた雪道と賑やか過ぎるイルミネーションが嘘のように白の世界が広がる。等間隔にある街灯がいい風情を出していて、その中、僕は雪を踏みしめる音を聞きながら無心になって歩いていく。
 目指すのは彼女のお店。この景色を彼女と一緒に見たいがために会いに行く。
 でもこの調子だと閉店までにギリギリ間に合うか、少し過ぎてしまうかもしれない。
 前もって電話をすればきっと彼女は待っていてくれるかもしれないけれど、僕は敢えてそれをしなかった。
 この雪の中「やあ。来ちゃった」って驚かせたい気持ちが足を進める原動力になる。
「それにしても……ハァ」
 結構いい運動になるな。
 思いのほか雪に足を取られて息が上がり、何度も繰り返す息だけが静かな裏道でとてもよく聞こえる。
 長靴の隙間から時折雪が入り込んで冷たいけれど、それでもバサバサと音を立てながら踏むように、半ば埋もれるようにしながら懸命に進むと、ようやく彼女の店が見えた。
 随分歩いた気がする、とスマホの画面で時間を確認すると結構な時間が過ぎていた。
「あ、マズいかな……。閉店時間過ぎてる」
 表の明かりが落ちているし、イーゼルも仕舞われている。
 それでも店の前まで行くと、店内から僅かに明かりが漏れて、白い雪の上を優しく金色に染めている。
「……やった!」
 店に入ろう。入って彼女の顔を見られたら嬉しい。
 そう思っているのに、どうしてか店の前で立ち止まったまま動けなかった。
 僕が見ているこの店も優しい明かりも本当は夢の中の出来事で、ドアノブを掴んでも僕の手では開けられないんじゃないかと馬鹿なことを一瞬思ったからだ。
 優しくて明るい場所に、あったかい彼女。でも、こんなに近くにいるのに全てが夢だとしたらどうなんだろう。
 こんな真っ白で冷たい場所に僕一人だけがリアルで、あとは全てニセモノだったらどうしたらいい?
 歩いてきた足跡は確かにあるけれど急に不安になり、一人で歩いてきた道が急に怖くなる。
 けれど長靴の中でどんどん冷えていく足だけは確かで、足元を見つめて立ち止まったままでいると、不意に金色の光の幅が大きくなり、僕の足元を眩しく照らす。
「ちょっ、慎之介さんっ!?」
 見ると、驚いた顔をした彼女がドアを開けたままそこに立っていた。
「あ……」
「ど、どうしたの!? 雪がこんなに降ってるのに、まさか歩いてきたの!? うちに来てくれたんだよね?」
「えっと……うん」
 店に入るようにドアを押さえたままでいる彼女が、僕の方へと手を伸ばす。
「とにかく中に入って。傘、預かるよ。それにコートに雪がいっぱいじゃない。もうっ、風邪引いちゃうよ?」
 肩や腕についた雪や、溶けてきらきら光る滴を優しく手で払ってくれる。
 ――大丈夫、本物。夢じゃない。
 そこで僕はようやくホッとして傘を閉じる。
「ありがとう。……そして、ごめん。つい、自分の足で歩いてみたくなって。白の景色も、雪の音もいいなって思ってさ」
 店の中に入ると、暖かな空気が僕を包む。店にしみこんでいる独特の空気も馴染みのもので、それを軽く吸い込み、ああ、いいなと僕は心から安堵する。
「雪の音?」
「踏みしめる音、掻き分ける音、枝や電線から積もった雪が落ちてくる音。コートの上に小さく落ちる音。色々あるんだ」
「ああ、なるほど! わたし、転びやすいから音にまで気が回らなかったけど、言われてみれば確かにそうだね」
「だから今日は局から歩いてきたんだ。見て、長靴まで買ったよ?」
 彼女は僕の足元を見て、普通のブーツかと思った、と一瞬驚き、それからちょっと目を細める。
「慎之介さんがロングブーツなんて珍しいなとは思ったんだけど、すごくカッコいいからファッションの一部なのかと思っちゃった。それに、長靴っていうともっとボテッとしたのを想像してたよ」
「僕もそう。でも、それでもいいかなと思ったんだけど、お店の人がやけにこれを勧めるから、これにしちゃった」
「アハハ、確かに。アイドルにあのボテッとした長靴は勧めないかも」
「あれ、悪くないよ?」
「うん、悪くない。でも、今履いてる長靴素敵だよ」
「そう? じゃあ、君が言うならそれでいいかな」
 そうして僕はやっと椅子に腰を下ろす。自分で歩きたくてここまで着たけれど、腰が落ち着くとやっぱり安心する。
 それに、さっきまで夢なんじゃないかと疑っていた場所にいると思うと嬉しくなる。
「体、冷えてるでしょ? あったかいものがいいよね。何がいい?」
「えっと、いいの?」
 古株マスターの姿を探しながら気を使うと、彼女も僕の様子で気づいたのか笑っている。
「勿論。ふふ、マスターならもう上がってるよ」
「そっか。でも君は? もしかして帰るところだったんじゃない?」
「うん、そろそろお店閉めようかなって思ってたところだったの。だから、少しタイミングがずれてたらすれ違ってたね。危なかった〜!」
 帰るところというのを知って申し訳ない気持ちになる。確かに温かいものは欲しいけど、彼女の足を止めてしまって本当にいいんだろうか。
 それを言葉にはせず、けれどどうしたらいいかな、と迷っていると、彼女が屈託ない笑顔を向けて小首を傾げる。
「せっかくここまで辿り着いたんだから、遠慮しないで言って。雪の中のオアシスへようこそ! ……なんてね。ええと、ドリンクなんだけど、迷惑じゃなければわたしが決めちゃってもいいかな?」
「あ、うん。それは全然構わないよ」
 そう言うと、彼女は得意げな表情を浮かべる。
「ホットココアに焼いたマシュマロ。トッピングとして生クリーム乗せでどう?」
 想像しただけで頬の内側が緩みそうな組み合わせに、自然と笑顔になる。
「……おいしそうだ」
「間違いなくおいしいですよ?」
 笑顔の彼女に僕も目を細める。
「じゃあ、お言葉に甘えて、それをお願いします。えぇと――」
「あまり熱くしすぎないように、でしょ?」
「うん、当たり」
 なんだか嬉しい。僕の好みや、細やかなことも全部覚えていてくれるなんて。

 耳にうるさく障らない程のエアコンの動作音を聞きながらぼんやりと窓の外を見つめると、雪化粧された街路樹が夜の闇の中に白く浮かんで見える。降り続く雪は止む様子などこれっぽっちも見せない。
 そんな外とは対照的なこの馴染みある店内。程よい温度の中でしばらく過ごしていたら、冷えて少し痛いくらいだった爪先や指先にだいぶ温もりが戻ったような気がする。
 暖かい場所を見つけた猫ってこんな気持ちなのかな、と思いながらウトウトしそうになるのをぐっと堪えて待っていると、奥から彼女がトレーに二つ分のマグカップを乗せてやってくる。
「はい、お待たせしました」
 差し出されたカップからは甘い香りがする。白いマシュマロはココアの中で半分溶けていて、けれど表面はこんがりと焼き色が付いている。そして、僕用として特別に乗せてくれた生クリームには、ココアパウダーがうっすらとかかっていて、そこにプレッツェルが二本とハート型のチョコレートが飾られている。
「おぉ、特盛り! それに、ハートまで」
「うん、慎之介さんスペシャルだよ」
 彼女はにこにこと笑うけれど、もう一つのマグカップ――彼女用のは焼いたマシュマロが一つ乗っているだけ。えぇと……控えめ?
「でも、君のはスペシャルじゃないね」
「これでも少しはカロリー気にしてるんですよ?」
 そう言いながら彼女は僕の向かい側に座って肩を竦める。
 なるほど、そう言う意味で控えめなのか。
 どうやら女の子の切実な問題らしい。
「それは失礼しました。……でも勿体無いなぁ、クリーム美味しいのに」
 スプーンで掬って一口含むと、微かな甘みが口に広がり自然と笑顔になる。
「う……」
「一口ならいいんじゃない? ね、これをスプーンひとさじ分のせて、溶かしながら飲む。そうすると、甘くて幸せな気持ちになるよ?」
 僕のカップを彼女の方に差し出すと、少し迷っていた彼女が根負けとばかりにため息を吐き、「……負けました」と自分のスプーンを使ってクリームを掬った。照れくさそうなのがなんとも可愛い。
「誘惑、ずるい。その……お言葉に甘えます」
「うん、どうぞどうぞ」
 そうして自分のカップに乗せて軽くひとまぜ。
 それを見届けた後で僕はカップに口を付けた。温かいココアと溶けたマシュマロの甘さが口の中で広がる。熱すぎず、ぬるすぎずの温度が体を内側からじんわりと温めていく。
「はぁ……」
 カップを両手で包んだまま息を吐くと、彼女が穏やかな笑みを見せる。
「落ち着いた?」
「うん、とても。雪の中を歩いてみたくてここまで一人で来たけど、やっぱり雪の日は寒いや。体が芯まで冷えちゃった。でも、君のココアのおかげで元気を取り戻したよ」
「それまで、元気じゃなかったの?」
 不意の問いかけに僕はちょっと驚いた。
 どうしてそういうところに気づいちゃうんだろう、この子。
 確かに元気云々は僕がポロッと口にした言葉なんだけど、でも、自然と口にした何気ないそれを拾われてしまうなんて。
「うん……。やっとたどり着いた雪の中のオアシスが夢だったらどうしよう、って考えてたんだ、あのドアの前で」
「それで、さっき?」
「そう。でも、中からドアが開いて、そこから君が現れて僕を見つけてくれたから、ああ、夢じゃないんだって安心した」
「それならよかった。……こうしている今も、夢じゃないよ?」
 カップを僕のカップにコツンと寄せて笑う彼女に頷いて返す。
「そうだね。ココアもとても美味しいし、お店も君もあったかいから、現実なんだ」
「ほっぺつねっても醒めないから平気だよ。お望みならココアのお代わりだって出てくるしね?」
「おかわりは魅力的だなぁ。でも、あまり長居してると、僕も君もお城に帰れなくなっちゃうから、今日は我慢するよ」
 ちらっと窓の外へと視線を向けると、彼女も同じように窓の方を見る。
「お互いすぐの距離だけど、今日の雪は本当に凄いもんね。降り出してからお店のドアを何度も雪かきしたんだけど、あっという間に積もっちゃうんだもん。慎之介さん、よくここまで歩いて来られたね」
「そりゃ勿論。王子様は、例え火の中水の中、雪の中だってお姫様に会いに行くと決めたら必ずやり遂げるんだ」
「ふふっ、会いに来てくれてありがとう、王子様」
「お会いできて光栄です、姫」
 手を伸ばして彼女の手を握ると、少しくすぐったそうな顔をする。それだけで、この雪の中やって来た甲斐がある。
「でも、慎之介さん寒いの苦手なんじゃなかったの?」
「苦手。けど、今年の雪は特別だから。……ねぇ、ちょっとだけ外に出てみない? 一緒に雪を見てみようよ」
 すると彼女は驚いた顔をする。
「今から? 結構降ってるよ?」
「あまり長くはいないから。こんなに降るのなんて、そう見られるものじゃないだろう?」
「うーん、確かに言われてみればそうなんだよね。……じゃあ、少しだけだよ? 慎之介さん、長い時間歩いてきたんだからこれ以上外にいたら風邪引いちゃう」
「はーい。じゃあ、ちょっとだけの約束で。……行こう!」
 彼女の手を握ったまま僕は席を立った。そんな僕に引っ張られるような形で彼女もドアの外へと出る。
 暖かい所から一変して雪の世界へ。
 外を歩いているときは体が慣れていたからさほどでもなかったけれど、店から外に出るとその寒さが身に染みる。
「うぅ、寒い!」
 ぶるっと震える彼女に、僕は自分が着ているコートを脱いで肩に掛ける。
「慎之介さん!? う、嬉しいけどダメ! 慎之介さんの体が冷えちゃう!」
 慌ててコートを返そうとする彼女の両肩を押さえてそれを阻止する。
「だーめ。連れ出したのは僕なんだから。それに、約束通り少しだけだから、今は言うことを聞いて?」
「でも――あ!」
 納得できないような彼女が、何か思いついたようにハッとした顔をする。
「じゃあ、せめて半分。というか、一緒に被るのはどう?」
 肩に掛かっているコートを持ち上げ、僕の方へと半分寄せる。でも、コックコートだけという薄着の彼女にはそれでも寒いだろう。
 僕は寄こされた半分を手にするけれど、途中でその手を止めた。
 ちょっとだけごめんね、と彼女に誤ってもう一度コートを受け取り、自分の肩へと掛ける。そして、そのまま今度は彼女の背後へと回り、その背中をすっぽりと包むようにして抱きしめる。
「し、慎之介さんっ! ここ、お店の前っ」
 僕に抱きしめられて慌てる彼女の耳元でそっと囁く。
「……しっ。周りに人がいないから大丈夫だよ。こうしていれば二人ともあったかい。あとは、肩に掛かったコートが落ちないように、君がコートの前を引き寄せてくれたら完璧。そうすれば君もちょっとは暖かくならない?」
「暖かいけど……で、でも!」
 それでもじたばたと恥ずかしそうにしていた彼女だったけれど、びゅう、と吹雪のような風が吹いたとき「ひゃあ!」という小さな叫びと共にコートを引き寄せた。
 やっぱり寒さには勝てなかったらしい。今吹いた風に感謝。
「さ、寒いっ! うぅ……こ、これなら落ちないかな」
「完璧。二人羽織カップルバージョン出来上がり」
「も、もう!」
 そうして僕たちは一つのコートの中で降る雪の中、白の景色を見つめる。
 今がピークなのか、僕が店に来たときより粒が大きい気がするし、舞う量も然り。これでは確かに長居は無理だ。
「雪、凄いね……。朝起きたら、雪国みたいになってるのかな」
 僕の腕の中で、空を見上げながら彼女が白い息を夜空に浮かべる。
「今よりは確実に積もるな。お店、オープンできる?」
「オープンできるようにしないと。そのために、朝起きたら雪かき頑張らないと。慎之介さんは? 明日もお仕事だよね?」
「うん。新曲キャンペーンの打ち合わせとか、雑誌の取材もたくさんあるかな」
「そっか、もうすぐCDが発売されるから……」
「そう。お待ちかねの新曲が出るよ」
「ふふっ、待ってました!」
 ――でも、残念なことに、そのCDジャケットのセンターにいるのは僕じゃないけれど。
 とは言わず、胸の内に秘める。センターを取れなくて惜しかったという気持ちもまだ残っているから、なおさら口にできない。
 ――惜しい、か。
 僕は心の中でもう一度その言葉を呟く。
 デビューする前まではそれほどこだわりを持ってこの仕事をしていたわけじゃなかった。
 初めは霧島君と僕とのコンビだったけれど、そこにカイトが加わって今の3Majestyが生まれた。
 笑顔を作ることは今までと同じ。ただ、たくさんの人の前で歌って踊るだけ。そして、たくさんの人に喜んでもらえるようお仕事として頑張るだけ――そう思ってた。
 けれど、その「お仕事」の意味が変わってきたのはいつからだろう。
 応援してくれる人たちのたくさんのキラキラした笑顔を見ていると嬉しくなる。
 どうして嬉しくなるのかはわからないけど、たくさんの笑顔を向けられるたびにもっと頑張らなくちゃって思えてくる。
 そして、ステージの端で頑張るんじゃなくて、一番人の目につく真ん中にいる僕の姿を見て欲しいと思えてくるから不思議だ。
 漠然とじゃなくて心の底からそれを望んでいることに、誰よりも僕が驚いている。
 本当にどうしてなんだろう。
 その理由はまだわからないけれど、真ん中になれないことがこんなにも悔しくてもどかしいなんて思いもしなかった。
 僕は、二回も真ん中になる機会を逃してしまった。結果を知った時はただ微笑むしかなかったけど、ホント、二回は堪える。
 でも三度目はない。絶対に譲りたくない。今度こそ僕の番だ。
 同じグループで、仲間で、本当に「お兄ちゃん」と「弟」みたいな二人だけど、そんな二人にさえも譲りたくないものが僕の中に生まれた。
 こんなに強く何かを望む僕がいるなんて、一年前では想像もつかないことだった。
 何かに執着すること。それが良い事なのか悪いことなのかわからない。
 でも、休みなくへとへとになるまで働いて、寝る時間だってそれほど多くあるわけじゃないのに、それでも毎日に張りがあるのは、やっぱり……良いこと、なのかな。
 忙しくて目が回りそうになるけれど、そういうのも案外悪くないって思えるんだから、やっぱり僕は楽しんでいるのかもしれない。悔しさも、もどかしさも、次こそ頑張らなくちゃ! と思える今のポジションごと、全て。
 ――ホント、不思議。
「……新曲の歌詞の内容はね、雪にも関係してるんだ」
「わあ、そうなの? 楽しみだなぁ。発売日に雪が降ったら凄いね!」
「三月に降る雪か。うん、ない話じゃないかも。そうしたら、お天気も立派なプロモーションの一部だ。でも、あまり降るとCDを買に行けない人が増えちゃうから困るな」
「あっ、そっか。それもそうだね」
「そうそう。だから神様にお願いするんだ。丁度いい具合に雪を降らせてください、ってね」
「うーん、神様聞いてくれるかな?」
「二人で願えば。あと、マシュマロを乗せたあったかいココアを捧げたらきっと聞いてくれる」
「あははっ、ココアか〜!」
 楽しそうに声にして笑う彼女がまた空を見上げている。
 この姿勢、とても暖かいし彼女を強く感じられて良いのだけど……顔が見られないのが惜しい。
「……はぁ」
 思わずため息を吐くと、彼女がやっと僕を振り返る。
「どうしたの、慎之介さん。……あ、やっぱりもう寒い? 中入ろうか?」
「違う」
「うん?」
「雪、ずるい。君の視線と笑顔をひとり占めしてる。僕は君の髪しか見られないのに」
「えっ!? だ、だってこう体勢なんだから仕方ないよ」
 恥ずかしそうに言う彼女がまた前を向いてしまった。
 あぁ、僕はその顔が見たいのに……。
 ――雪、ちょっと許さない。
「……よし」
 名残惜しいけれど、彼女を抱きしめている腕を解くと二人の間に急に冷たい空気が流れ込む。
 彼女に寒い思いをさせないうちに、今度は正面から彼女を抱きしめた。そして、降る雪に邪魔されないように、僕と彼女の頭の上にコートをすっぽりとかぶせる。
「わっ、コートどうしたの!?」
 彼女は目を丸くして僕を見上げる。
「うん、今度はちゃんと顔が見られる。よし、よし」
「よし、よし……じゃなくて〜! 今更だけど、ここお店の前!」
「コート被ってるから、誰だかわからないよ」
「そういう問題じゃありません!」
「だって、君ってば雪ばかり見てるから、面白くなくなっちゃったんだ」
「……雪を見ようって言い出したのは誰でしたっけ?」
 やんわり咎めるような口調の彼女に僕はつ、と目を逸らす。
「……僕です」
「じゃあ、我慢」
 めっ、て頬を丸くされて……ちょっとキュンとした。弱い。こういうの、凄く弱い。
「はぁ……。できません。ごめんなさい」
 僕は頬を傾けて「めっ」する彼女の唇にキスをした。
「し、慎之介さん……っ!」
 驚いて目を丸くさせ、僕を見つめたままじわじわと頬を染めていく彼女に微笑んで、もう一度キス。それからぎゅっと抱きしめた。
「君と見る初めての雪、やっぱりいいな。あったかいココアも飲めたし、こうしてぎゅっと抱きしめることができるから」
「雪じゃなくても、いつでもこういうことしているような気がするよ?」
「あれ、そうだっけ?」
「……もう。コートで何も見えないんじゃ、外にいる意味がないと思う」
「あ。言われてみれば」
 確かに彼女の言うとおりだと思い、僕は頭上にあるコートをずるずると引っ張った。
 暗かった視界からまた白の世界に逆戻りで、しかもとても寒いけれど、こうして抱きしめ合って見る雪はなんだかとてもロマンチックな気分にさせる。
「これなら、どう?」
「うん。ちょっと寒いけど、素敵」
 目を細めて僕と雪とを見る彼女はとても嬉しそう。笑顔がキラキラしている。
 その笑顔をいつまでも僕の腕の中にしまっておきたいけれど、コートを取ってしまったらここに居られるのは残りあとわずか。彼女が風邪を引いてしまったら大変だ。
 だから僕はキスしたい気持ちをぐっと堪えて彼女の笑顔を見つめ続けた。
 穴が開いちゃいそう、と彼女が頬を染めたけれど、その照れた顔も全部目に焼き付けておく。
 だって、これが初めて見る君との雪景色だから。



End.

2014/02/23 初出:ラヴコレクション2014・無料配布ペーパー


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