薄桜鬼

黒髪の決意【藤堂×千鶴】



「千鶴、いるー?」
 明るく弾んだ声の主は顔を見ずとも分かるが、外からの明るい光が彼の姿を障子に映し、間違いなく平助だと千鶴は認識する。
「平助君? うん、大丈夫。……あ」
 結ってある髪がどうもしっくりせず、こめかみの辺りが一筋ばかり後ろに引っ張られるような感覚が気に入らない。一度髪を解き、まさに今、もう一度結い直そうと髪を束ねていたのだが、戸が開いた瞬間そちらに気を取られてしまったためか、手元からさらさらと髪が落ちる。
 仕方がない、もう一度やり直し――そう思い、戸口に立ったままの平助を見上げる。
「こ、こんな格好でごめんね。髪をちょっと結い直していたんだけど、ちょっと失敗しちゃった」
 唇で軽く銜えていた紐を手に持ち替え、いくら平助が相手でもおろしたままでは失礼かと、簡単に肩の上で髪を束ねる。とはいっても、それほど長くもないのでどこか不恰好なのが気になるところだ。いつもであれば高い位置で結っているので大して気にも留めなかったが、こういうときに男装で過ごさざるを得ない自分が、『ごくごく普通の女の子』じゃないのだということを思い知らされる。
 そんなことを思いながら小さく苦笑するのだが、平助はといえば大きな目を何か珍しいものでも見るかのようにじっとこちらを見ている。
「平助君?」
 もう一度声を声をかけると、彼ははっと我に返り、今度はぱちぱちと何度も目を瞬かせている。
 首を傾げ、目だけでどうしたの? と問いかけると、平助はせわしく瞬きをしたあと、鼻の頭を指先でこすって目を逸らす。
「あの、さ」
「うん」
「千鶴さ……髪おろすと、雰囲気が変わるな。ちゃんと女の子っていうか……」
「へ、平助君!?」
 胸がどきっとするような言葉に千鶴が目を丸くしていると、平助は困ったような顔で少しだけ笑う。
「いや、女の子だっていうのは髪を結っててもちゃんとわかってるけど、そういう風におろしているの見るのって、なかなかないじゃん? だから肩で結ってるのを見ると、なんかすっごく新鮮。……うん、女の子。っていうか、女の人って言ったほうがいいのかな、こういうのって」
 改めて女の子扱いされると妙に照れてしまう。嬉しいのは勿論だが、正面切って真っ直ぐに言われると、胸の奥がやけにこそばゆい。
「え……えっと、その、ありがとう。なんか照れちゃうけど、そう言ってもらえると、とても嬉しいよ」
 はにかみながらそう言うと、平助は鼻の頭を指先で擦りながら照れくさそうに笑う。そんな平助に千鶴はふと思ったことを口にする。
「そういえば、平助君の髪も長いよね。私よりも長いから毎日大変なんじゃない?」
 髪結を商いとしている店で平助もそうしてもらっているのだろうかと思うのだが、平助はこともなさげに答える。
「ん? オレ? オレはもう慣れてるからべつにどうってことないけど。それに、いちいち店に頼むのも面倒だから自分で適当にやってるよ」
 結わえてある箇所に触れ、そこから指で作った輪にその長い髪を通していく。
その仕草を千鶴はまじまじと見つめる。くせがなく真っ直ぐな黒髪は彼の人差し指と親指の輪をするりとしなやかに通っていく。それを素直に綺麗だと思っていると、平助が可笑しそうに吹き出す。
「千鶴、おっかしいの。男の髪がそんなに珍しいのかよ。これぐらいの長さの奴なんてざらにいるじゃん」
「ち、違うよ! ただ、平助君の髪って綺麗だなあって思ったんだよ。真っ直ぐでさらさらしてて、触ったら気持ち良さそうだなって」
 思わず本音を漏らすと、平助は何度か瞬きをした後、その大きな目で千鶴を見る。
「んー……じゃさ、触ってみる?」
「えっ。……えっ!?」
 いくら仲良くさせてもらっているとはいえ、彼は新選組の幹部で、何より新選組とえいば藩命を受けてこの京を守るという重要な役割を担っている集団だ。本来ならこんな風に気安くくだけた口調で話をすることなど出来ないはずであり、又、男性の髪に触れるなどとんでもないことだ――と以前の千鶴なら思ったに違いないが、あっけらかんと言われてしまっては好奇心が先行する。
「で、でも」
 とりあえず躊躇いがちな返事をすると、案の定平助は明るく笑って返す。
「このぐらい別にいいし。ってか、別に千鶴なら構わないって。遠慮はなし! 髪触られて死ぬわけじゃないしさー」
 より近い場所――つまりは目の前に腰を落とし、千鶴の手を取ったらそのまま掌の上に長い髪を乗せる。
 平助の性格上、決して丁寧な手入れなどしてはいないのだろうけど、掌に感じるさらさらとした感覚は見たままのものだ。
「……本当にさらさらしてて気持ちいい」
 その心地よさに思わず自然と笑みが浮かび、千鶴は空いている片手の指先で少しばかり髪を梳いてみる。
 瞬間、少し驚いたように平助がわずかに目を見開いたような気がしたが、確かめようと千鶴が彼の顔を見たときにはそんな様子は微塵もなく、幾分耳が赤くなっているくらいだった。
「私もいつかこんな風に綺麗に伸ばせたらいいな。そしたら少しは女の子らしく見えるよね、きっと。……と、いけない。そうじゃないよね」
「は?」
「ごめんね平助君。調子に乗って触らせてもらっちゃったけど、図々しくて本当にごめんなさい」
 掌の髪をそっと離すと、平助の肩や胸元にそれは落ちてゆく。
「あ……い、いや、別に? べ、べ、別にいいよこれぐらい! っていうかさ、オレのなんかより千鶴の方が絶対綺麗だって。後ろから見てていつも思ってるし! 柔らかそうだなーとか、艶々してるなとか、触ったらどんな――」
 はっとした表情で言葉を切った平助は、頬やら耳を赤らめ、慌てながらその掌で額をごしごしと擦るのだが、池田屋事件の傷が完璧には塞がっていないのか、傷口に触れた途端「いでででっ!」と顔を顰めたのだった。
「だ、大丈夫?」
 千鶴が顔を覗き込むと、片目を瞑りながら平気と苦笑するのだが、息を整えたあと、平助は視線を逸らさずに微かに微笑む。
「千鶴」
「なあに?」
「おまえさ、ちゃんと髪が伸ばせる日が必ずくるから。オレ……そういう日がくるよう、精一杯守るから。この京も、おまえの事も。額にこんな傷こさえて格好悪いことこの上ないけど、でもオレ、頑張るから」
 穏やかに、けれど力強くそう言って目を細める平助に千鶴は小さくうん、と答える。
「だから、前にした約束、絶対忘れんなよ?」
 聞き返すよりも早く思い出されるのは、永倉や原田、そして平助達と話していたときに約束をした「いつか振袖を着て皆に見せる」というものだ。あのときは話の流れでなんとなく了承したものの、こうして改めて言われると照れくさくなる。なにより、千鶴が普通の女の子だというのを言葉にせずとも分かってくれているのが嬉しくて、胸の奥に暖かいものが広がっていくのを感じたのだった。
「うん。……必ず約束するね。その時は、私も平助君に負けないくらい綺麗に髪を伸ばすから。今日のお返しは、その時絶対ね」
「え、お返しって、何が? オレ何かしたっけ?」
 きょとんとこちらを見つめる目に、千鶴もじっと見返す。
「あ……お返しっていうのとは違うかな? えっと、綺麗に伸ばせたことを、実際に平助君に触ってもらって確認してもらおうと思ったんだけど……」
 思ったこと、そして本心をそのまま告げただけなのだが、平助は目を丸くするだけではなく、幾分頬を赤らめていきなり立ち上がった。
「ば、馬鹿! そんなの、気安く男に触らせたりすんなって! 女の髪は大事なもんだろうが! 千鶴さ……頼むから男と一緒にすんなよ」
「気安くって……別に平助君だから私は平気だよ? それに平助君だって触らせてくれたじゃない」
 すると平助はうっ、と言葉を詰まらせ、先程と同じように額をごしごしと擦っては「ってぇー!」と小さく叫び、痛みで顔を歪めるのだった。
「へ、平助くん?」
「う……平、気。ってか、そういうこと言うの、オ……オレだけにしとけよな! 左之さんや新八っつぁんにはぜーったいに言うな! もちろん土方さんや総司や一君も駄目駄目、絶対駄目だ!」
 額を押さえたまま言う平助に気圧されながらも「う、うん」と千鶴が答えると、ほっとしたように息を吐き、「よし、約束。オレだけだからな!」と今度は一変して凛々しい表情を懸命に作って部屋を出て行ってしまう。
 足音が遠ざかっていくのを聞いて、ぽつりと呟く。
「行っちゃった……」
 千鶴は再び一人になったのだが、ふと思うことが一つ。
「……ところで平助君、何しに来たんだろう」
 掌にはさらさらとした髪の感触。そして思い出されるのは、力強く約束を交わしてくれた瞳と、額を擦って痛がったり、頬を赤くしながらも慌てるというどこか少年ぽさを感じさせる仕草の数々。
 どれも平助らしくあって、髪を結い直しながら千鶴は一人、小さく思い出し笑いをするのだった。
「まあいいか。なにかあったら、きっとまた呼びにきてくれるよね」
 高い位置で結った髪が、さらりと首筋を撫でた。




2009/05/07UP
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