金色のコルダ2

fluffy heart,fluffy hair【志水×香穂子】



「え……? 寝グセついてますか?」
 慌てて駆けてきた志水くんの髪はところどころぴょこん、と跳ねている。
 それがなんだかちょっと可愛くて思わず小さく笑ってしまった。
「うん。あともうちょっと上の方がふわっと盛り上がってるよ」
 私が自分の頭でその位置を教えてあげると、同じように志水くんは手を動かし、自分の髪がどうなっているのかを確認する。
 そして目を細めながら「ああ、本当ですね」と手ぐしで直そうとするんだけど、それがなかなかうまくいかない。
 どうやってもふわっと盛り上がってしまう。
「……直らない。昼寝したら直るかな」
 冗談なのか、本心なのか。おそらく本心なんだろうけど、だからこそ余計に驚いてしまう。
「えっ、寝て直すの!?」
「はい。こっち側を下にすれば、きっと髪も平らになるはずです」
「でも寝返りをうったら、今よりもっとひどくなっちゃうかもしれないよ?」
 私がそう言うと、少し考えるようにして志水くんは黙って歩く。それは怒っているとかふて腐れているというのではなくて、彼なりに答えを出そうと真剣に考えているからこその沈黙だ。
 ――あ、考えてる、考えてる。
 最初はこの間に慣れなくて私はどうやって話を繋げばいいのかあれこれ考えていたんだけど、この間を乗り越えると志水くんは答えを導き出し、それを言葉にしてくれる。
 それはごくごく普通の答えのようにも思えるけれど、でもふと考えると「えっ、それでいいの!?」とちょっと驚いてしまうようなことばかり。大きく外れた答えではないんだけど、どことなくずれている感じがする。
 でも合理的というか大雑把というかなんというか。ある意味正論なんだけど、とにかくその答えはちょっと面白い。
 いつものように黙って彼の言葉を待っていると、志水くんは少し残念そうに息を吐いて呟く。
「寝返り……。そうだった。僕、前も屋上で寝てたら、いつの間にかドアまで転がっていたから。あの時は屋上へとやってきた柚木先輩を驚かせてしまったみたいです。そうだな……じゃあ、一生懸命寝返りをうたないようにすればいいのかもしれない」
「え、えっと〜、一生懸命眠らなくても、すぐに寝癖が直る方法あるから」
 そう言うと志水くんはまじまじと私を見る。
「ちょこっと水をつけて直そうよ。ムースとかあれば本当はいいんだろうけど、さすがにそれは無理だから水でぱぱっとね。学校に着いてからでもまだ時間あるから、私も一緒に見てあげるよ?」
「水……。そうします。ありがとうございます、香穂先輩」
 盲点、とばかりにとても嬉しそうに笑う志水くんにつられて、私も思わず笑ってしまう。
「いいえ、どういたしまして」
 私の家から学校まではそれほど離れていないから、一緒に登校するといっても短い時間なんだけど、志水くんと一緒に登校するようになってからはあと少しこの距離が長ければいいかも、なんて思ったりする。
 だって、歩くたびに彼の髪がぴょこぴょこ跳ねるのがもうちょっと長く見れるから。
 寒いですね、と白い息を吐きながらそれでもまだ眠そうに歩くのを隣で見ることができるから。
 これって、結構楽しくて、そして幸せなんだよ。
 ふわふわの髪と彼の笑顔は、朝から私の気持ちを明るくしてくれる。


 学校について一番に私たちは手洗い場へと向かった。
 朝一番、それも冬場の水道水はとても冷たいけれど、髪のクセを直す程度のものだったら指先が赤くならずにすむ。
 はじめは志水くんが自分でやろうとしていたんだけど、寝グセがついていないところへと何度も指が向かうものだから、私はその役目を買ってでた。
「寝グセ直しっていうか、これじゃ髪が全部濡れちゃうよ?」
 堪え切れずに笑って言う私と一緒に志水くんも少し笑う。
「見えないところに触るのって、難しいですね」
「確かにね」
 適度に濡らしたあとハンカチで軽く水分をふき取る。頭の形に沿うようにして新たなクセ付けをすると、変に浮いていた志水くんの髪はいつものようにごくごく自然な流れを描くようになる。
「うん、これなら大丈夫。今はまだちょっと湿ってるけど、きっとすぐに乾くと思うよ」
「つき合わせてしまってすみません。でも、助かりました」
 はにかみながらそっと跳ねていた場所を撫でる志水くんに、私は念を押す。
「ちゃんと直ったから、昼寝して直さなくても大丈夫だからね?」
「はい。もし眠くなったときは……」
 すうっと嬉しそうに目を細めた志水くんは軽く首を傾げて私を見る。
「どうしても我慢できないときは、うつ伏せになって寝ます」
「うつ伏……」
 ――そう来るの!
 思わず言葉に詰まってしまった私の耳に届いたのは始業前十分のチャイム。
 いけない、ここは音楽科の手洗い場だから急いで戻らなくちゃ。
 腕時計と志水くんと、そして白いジャケット姿ばかりのあたりをせわしなく見渡している私に、志水くんはごもっともな言葉をくれる。
「先輩、遅刻しちゃいます。急いでください」
「う、うん! じゃあ、私行くね。でも……」
「はい?」
「……ううん、なんでもない。またね志水くん」
「ありがとうございました、先輩」
 小さく手を振って送り出してくれる彼に、私も同じように手を振り返し、急いで足を進める。
 さっき言いかけたのは「うつ伏せで寝たら、今度は前髪が立っちゃうよ」という言葉だったんだけど、それを言ったら今度は立ったまま寝そうだから言わないことにした。
 ――急に倒れてこられたらびっくりするし、危ないもの。
 まさかね、と誰もが笑って流してしまうようなことだけど、志水くんの場合それがあり得るからちょっと怖い。
 あ、でも、あり得ないことが起こりそうなら、なおさら伝えておかなくちゃまずいのかな。
 まさかね。
 でも、そのまさかが起こらないとも限らない……んだよね。
「…………やっぱり、立ったまま寝ちゃだめだって言っておこうかな」
 廊下を小走りに急ぎながら、私はひとりごちた。

 朝一緒に登校する毎日の中で少しずつだけどいろんなことに気付く。
 叔母さんと一緒にテレビのサスペンスドラマを見たりすることや、自分の手があったかければいいな、と突然言い出したりするのをそばで見るのって凄く面白いし、新しい発見の連続。
 手があったかければいいな、って志水くんが言い出した原因は、元はといえば私の手が冷たかったからなんだけど、それにしても「あったかければ人間カイロになって手を温められるのに」と穏やかな微笑みを浮かべられてしまってはたまらない。胸の奥がきゅっと締め付けられるくらいに可愛いし、その可愛さが不意打ちの分、妙にときめいてしまう。
 そのときめきやドキドキの回数っていうのは、ここ最近とても多くなってきているような気がする。
『音楽の才能が突出しているけれど、ちょっと不思議でかわいい後輩』にどうやら私は本気で恋をしてしまっているみたいだ。
 それを自覚し始めたから、わたしの気持ちはさらに落ち着かなくなる。
 間近に控えているコンサートのことも確かに気がかりだけど、もう一つ気がかりなのはやっぱり志水くんのこと。
 恋と音楽の悩みは切り離されずに一緒になって私の中にやってきた。
「おはよう、日野さん。ギリギリセーフ。危なかったね」
「加地くん、おはよう。はぁ……。よかった、間に合って〜」
 担任が前のドアから入っていく姿が見えたから、私は後ろのドアから教室に滑り込み、なんとか遅刻を免れた。
 寝坊? と小声で尋ねてくる加地くんに「ちがうよ」と首を横に振りかけたんだけど、二度ほど縦に頷いて返す。
「寝グセが取れなくて、ちょっとね」
 ――といっても、それは私じゃないんだけどね。
 と心うちで呟きつつも、肩を竦めてみせる。
「女の人は大変だよね。僕はどうしても寝グセが取れないときは、面倒くさいから簡単にシャワー浴びることにしてる。時間がないときはちょっと多めにムースつけたりとかさ」
 ちょっと長めの前髪を斜めに流しているけれど、加地くんの髪はさらさらしていてどちらかといったらくせのない直毛タイプ。きっと一度くせがついたらなかなかとれないんだろうな。ある意味志水くんより大変そう。
「やっぱりムースかぁ……」
「うん。あ、でも寝グセを取るミストみたいなのもあるから、たまにそれも使ってるかな」
 前にコマーシャルでやってたよ、と有名俳優の名前を挙げられ、その商品とやらを思い出す。言われてみれば確かにそういうのやってたっけ。
「いい情報聞いちゃった。じゃあ、クセがひどいときはそれを薦めてみようかな」
「うん。……って、えっ、誰に?」
 にっこりと笑って目を細めていた加地くんだったけど、急に目を丸くして私を見る。
 いけない。ついうっかり言っちゃった。
「え、えっと〜……兄に?」
「あれっ、寝グセついてたのって、日野さんじゃないの?」
 ぱちぱちと不思議そうに瞬きを繰り返している。
 どう返したらいいんだろう、と困っていると、その時不意に先生の声が届く。
「加地くん。――加地葵くんは欠席?」
「えっ? あ……はい、います!」
 出席確認がいいタイミングで入り、加地くんは慌ててそれに答える。
 それからまた何か言いたそうに私のことをちらちら見ていたけれど、ごめんね加地くん、これ以上は秘密ということで。

 一時間目の授業で使う教科書やノートを取り出し、それらで顔を半分覆い隠しながら私は小さく笑った。
 不思議そうにしている加地くんの表情はもちろんだけど、整髪料できっちりと髪型を整えた志水くんの姿を想像したら、どうしても可笑しくなってしまったんだ。
「日野さん。……日野香穂子さん?」
 一度目は苗字。二度目はフルネームで呼ぶ先生の声に、私は口元にあるノートを下げて短く返事をした。
「……はい!」
 ふわふわじゃない志水くんも見てみたい気がするけど、でも――ねえ?
 だって、寝グセがあったら、また直してあげることができるもの。
 そういうの、悪くないよね。



End.
2007/06/24UP
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