ときメモGSシリーズ

ナツイロ【新主】



 今年の夏は力いっぱい海で遊んだ。七月までは白かった肌も今じゃ水着の跡がしっかりとついてるくらいで、皮がぽろぽろと剥ける程じゃないけれど、程良く焼けた肌は自分で言うのもなんだけどとても健康的だと思う。
 それこそ最初は日焼け対策をしていたけれど、眩しい太陽の前ではなんだか無駄な抵抗のような気がして、途中でやめてしまった。
 いつも海で遊ぶのに付き合ってくれた新名くんにはとても感謝で、思いつきで急に「海に行きたいな」と連絡をいれても快くOKの返事をくれたのがとても嬉しかった。そんな彼も私に負けないくらい日焼けをしていて、二人で顔を見合わせては「焼きましたね〜」と笑い合うほど。
 去年は靴ずれをした足で無理に砂浜を歩き回って迷惑をかけちゃったけど、今年は大丈夫。そのことを思い出した新名くんには「もうあんな無理はすんなよ」って釘を刺されたけど、もしまた同じことを繰り返しても、呆れながらも面倒を見てくれるであろうその姿を想像したら、なんだか胸の奥がくすぐったくなった。
 それにしても今年の夏休みは本当に楽しかったな。海だけじゃなくて遊園地でナイトパレードも見たし、花火大会も見に行ったっけ。そうそう、買い物にもよく行ったな。デジタルカメラで撮った写真には、よく日に焼けた二人の笑顔でいっぱいだ。
 思い出せば全部新名くんと一緒だったような気がする。一緒にいるのが当たり前になってるのがなんだか不思議。去年はこんなに仲良くなかったはずなのに、気がつけばいつでも隣に彼がいてくれる。
 そういえば、ずっとわたしと出かけてくれてたけど、迷惑じゃなかったのかな、なんて今更ながらに思ってしまう。だって、他の友達との付き合いもあるはずだよね。友達が多い新名くんのことだから、きっと夏は忙しかったんじゃないかな。
 そんな風にぼんやりと考え事をしていたら、突然目の前が真っ暗になって驚いた。
 そう、今は九月。
 楽しかった夏休みはすでに終わり、時は放課後、部活の真っ最中だ。
「わわっ!」
 思わず後ずさりをしたら壁に後頭部を打ちつけてしまいプレハブ小屋の道場内にはボオオン、と鈍い音が響く。
「ちょっ、アンタ何やってんの? 派手な落としたけど大丈夫?」
 視界が暗くなったのは新名くんが目の前で手をかざしたからで、後頭部をさすりながら顔を顰めるわたしのすぐ目の前には、目を丸くした顔があった。
「へ、平気……。うー、でも痛い」
「まさかそんなに驚かれるとは思わなかったけど、なーに考え事してんの。頼むよマネージャー」
「ご、ごめん!」
「オレ、基礎メニュー終わったんだけど、次どうすんだっけ?」
「えっ、もう終わっちゃったの?」
 驚いて新名くんを見上げれば、その額にはびっしりと汗が浮かんでいて、こめかみを伝って落ちる汗を腕で拭っていた。
「そう、終わっちゃったの。っていうことで、はいはい勝手に見るよ次のメニュー」
 私が抱えているバインダーを指先でくいと引いて、彼は練習メニューが書かれてあるメモを覗き込む。
「なになに……左右の打ち込み、と。なあ、数はこれでいいの?」
「うん。とりあえずはという感じなんだけど、大丈夫?」
 慣れたらもう少し増やしていけばいいと不二山くんがアドバイスをくれたけれど、それでも何百回も同じことの繰り返しをするのって大変なんじゃないかな、と心配せずにはいられない。そんなわたしの心配をよそに新名くんは少し眉を寄せて呟く。
「嵐さんは何本やってんの?」
「え? ……あ、えっと、毎日それぞれその倍はやってるよ」
「ふーん。じゃあ俺も同じで」
「えっ?」
「嵐さんと同じでいいよ」
 確かに不二山くんは「新名は身体能力が高い」って言ってたけど、長く柔道を続けている不二山くんと、始めてから一年ちょっとの新名くんが同じ回数をこなすなんて大変なんじゃないかな。
「でも――」
 やめたほうが、と言おうとしたわたしの口の前で、新名くんの揃った指先がそれをぴしゃりと止めた。
「やるよ。負けてらんないからさ。甘えてちゃダメなんだ、勝つためには」
 ――負けてられない? 一体何に? それに勝つってどういうこと……?
 でも指先がその疑問さえも言葉にさせない。
 まじまじと見つめるわたしに、新名くんが不意に懐っこい笑顔を向ける。
「ごめん。聞かねーでよ、今は。そんときが来たらちゃんと教えっからさ。……ってことで、とりあえず練習しますかね。唯ちゃん、数ヨロシク! メニュー直しといてな」
 そう言ってウインク一つ。両手で髪を掻きあげ、新名くんは次の練習の準備をする。わたしはその背中をただ見つめていた……というか、目が離せなかった。なんとなくだけど彼の背中が大きく見えたからだ。
 前は練習が嫌で逃げ回っていたのに、いつからこんな風に真面目に取り組むようになったんだろう。
 周りでは投げ技が決まり派手に畳が鳴っている。
 その音を聞きながら、わたしはなぜか目が離せないまま新名くんの姿を追い続けたのだった。


「って〜……。ヤッバ、これ下手に力入れたら薄皮裂けて血がでそうかも〜」
 掌をぐるぐるとテーピングしてある手を、ひらひらと振りながら新名くんは顔を顰める。
「そりゃそうだよ。むきになってやるから手の皮が剥けるんです! ……まったくもうっ、言うこときかないから!」
 その手の甲を軽く叩くと「いっ! ひっで! ひっで!」と新名くんは声を裏返しながら喚く。
 部活のあと、バイトにそのまま直行するという新名くんと一緒に今は海沿いの道を歩いている。あと少しで夕陽が沈みそうな景色を横に、わたしたちは並んで歩いているわけなんだけど、練習中の勇ましい姿はどこへやら。一変して「カラダ痛ぇ! 疲れた! だっるい!」と新名くんは愚痴三昧。あーあ、練習のときちょっとカッコイイって思ったのになぁ……。
 わたしはその本音をしっかりと言葉にする。彼にはこうしてはっきり気持ちを伝えるのが一番だというのを不二山くんから教わったからだ。
なんでも「相原が言うのが一番効果的だ。叱るのもおだてるのも成長させるのに必要なんだ」だって。……部には女子が一人だから、例えわたしの言葉でも効果あるのかな? どうなんだろ。
「……かっこよかったのに」
「んあ〜?」
「今日、いつもと違って見えたから、ちょっとかっこいいなって思ったのに、あれは幻だったのかな?」
 すると、目には見えないはず……なによりないはずの動物系のかわいい耳が彼の頭からぴょこんと出るのが見えたような気がした。
「えっ、かっこいいってオレのこと!? ねえ、マジでオレのこと?」
「さあ、どうでしょう? 少なくともカラダ痛ぇ、疲れた、だっるい! って言ってる新名くんのことではありませんよねー」
「うわアンタ言うこと時々鋭っ! まあ……でも、ソウデスネ〜……」
 声のトーンをしょんぼり落とし、新名くんは痛む手をひらひらと振って歩くのをやめた。
 横を向いて海を見つめる顔がほんのちょっと悔しそうに見えたのはわたしの気のせい? 何より潮騒と重なるようにして聞こえた声に少しだけドキッとした。
「はあ……。今よりもうちょっとカッコ良くなりてぇ。せめてアンタに笑われない程度にはさ」
「ど……どうしてわたしなの?」
 心がざわつくのをできるだけ抑えながら尋ねると、新名くんは目の端でわたしをとらえて悪戯っぽそうに笑う。
「オレを年下扱いするから。オレ、アンタにだけはそういう扱いされたくないんだよ。って言ってもわかんねーだろうなぁ、この気持ち」
 だからどうしてわたしなの? とは言えずに、ただ頬を膨らませた。
「わかんないよ」
「いいんですー、わかんなくてー」
「むっ。新名くん……生意気である! 成敗!」
 これ以上はどうあっても教えてくれなさそうだから、わたしは新名くんの背後へと回り、悔し紛れにそのウエストをくすぐってやった。あんまり効き目がないことは今まで仕掛けた時の反応で大体わかっているんだけど、何もしないままなのはちょっと悔しい。
「ははっ、ざんねーん、アンタのくすぐりはたいして効きませーん。っていうか、返り討ちにしてくれるわ!」
「わあっ!」
 くすぐっていた両手を掴まれた上にそのまま前に引っ張られたものだから、新名くんの背中に顔面ごと突進するような形になった。勿論、したたかに額や鼻や唇をその背中にぶつけてしまった。
「いったーい! もうっ、ひどいよ〜。おでこぶったし、鼻もぶった!」
 鼻をさすりたくても両手首を掴まれたままだから、わたしは新名くんのベストに顔をうずめるようにしてもごもごと恨み事を呟いた。
 そんな私のことを笑いながら、でもすぐに両手を離してくれることを予測していたんだけど、新名くんは足を止めたままでわたしの両腕も離してくれない。
「……新名くん?」
 このままじゃまるでわたしが後ろから抱きついているみたい――そう思ったらどんどん恥ずかしくなってきて、早く両手を離してくれないかなとそわそわしていると、新名くんはぽつりと小さく呟いた。
「あの、さ。えっと……、アンタの腕、結構焼けた……よな?」
「えっ? う、うん? だって二人でよく海に行ったから……」
「そう、だよな。うん、そ、そうだよな! ……なんかさ、夏休みはアンタとよく外で会ってた気がするし」
 微かな笑みを含んだ声。その言葉はわたしがちょっと前に考えていたことと同じで、なんだかちょっとだけ可笑しくなった。
「それ、わたしも今日考えてたんだ。夏休みは新名くんと思いっきり遊んだなーって。一緒にいるのが当たり前みたいになっちゃってたけど、新名くんはわたしでよかったの?」
 不意に新名くんが私の手を掴んだまま振り返った。思ってもいなかったことを言われた、とでもいうような驚いた顔をしているのにはわたしのほうが驚いた。何かまずいことでも言ったのかなという気持ちになったくらい。
「あ、えっと、その、新名くんのこと一人占めしてたような気がして、他の友達に申し訳がないというか……なんと言いますか。……え、ええと、とにかくそんな感じ?」
 言葉にしたらなんだか凄く恥ずかしかった。思わずベストにぎゅっと顔を押しつけてしまったくらいだけど、考えたらこのベストって新名くんの背中だったんだっけ。
 ――うわ! 顔を上げるに上げられないかも……!
「それを言うならオレもかもな。なにせアンタの時間、結構一人占めしてたわけだし? 高校生活最後の貴重な夏の思い出全部貰っちゃいましたってカンジじゃね?」
「そ、それはそうだけど」
「でも……。オレ、さ……余裕なく誘いすぎた?」
 声のトーンを申し訳なさそうに下げて尋ねる新名くんにわたしは首を横に振って答えた。
「ううん、全然。むしろ嬉しかったよ。それに、わたしからも連絡してたからおあいこでしょ」
「そりゃ、そうだけどさ」
「ふふっ、高校生活最後の夏、思いっきり満喫させていただきました!」
「あ……。オ、押忍」
「いつもありがとう、新名くん」
 額をとん、と背中に押しあてたら、新名くんの頭が照れくさそうに下を向いた。わたしもちょっと照れくさかったんだけど、お互いに顔が見えていないからいいよね。
 そう思っていると、掴まれていた手が急に自由になった。
 見ると、新名くんは顔を両手で覆うようにしていて、さらにはそのまま髪を掻き上げてはぶるぶると頭を振っている。
 もしかしなくても、相当照れてる……?
「チクショー……。今のマジで可愛すぎだっつの……」
「えっ!? 今って、今?」
 手が自由になったことでわたしは新名くんの隣へと立ち位置を変える。そして、その表情を確かめるべく、首を傾げて顔を覗き込んだ。
「……っ! バッ、顔近いし!」
 ぎょっと目を見開く新名くんと視線が合う。
「あ、言われてみれば」
「ハァ……。あーもう、アンタなんでそうかな〜……。前も言ったけどさ、パーソナルスペース狭いっての。これ反則。ぜってー反則。つかどんだけ技持ってんだってカンジ。てかさ、わかっててやってるだろ、絶対」
「ち、違うよ!」
「違くない〜。このコほんとにも〜、ヤダ」
 本当にヤダヤダといった感じに新名くんは首を振る。こういうところ、実は結構可愛かったりするんだけど、本人には内緒にしておいた方がいいよね。だって、きっと拗ねちゃうだろうし。だからわたしは敢えて知らんふりをして突っ込みを入れる。声音は低めに。そう、我が柔道部主将を真似してみた。
「新名、ヤダって言うな。男だろ」
「ヤダよ、ヤダ! つか嵐さんみたいなマネして言っても無理!」
「……なら写真あげない」
「えっ?」
 ぴたりと動きを止めた新名くんの前でわたしは自分のカバンを開けて、封筒を一つ取りだす。この中には夏休みに撮りまくった思い出の写真がぎっしりつまってる。遊園地の景色も、二人で食べたかき氷も、カメラを持つ腕を伸ばして取った新名くんと私のツーショットも、全部。
「夏休み中に撮った写真全部持って来たんだ、新名くんにあげようと思って。でも、いらないんだったら……」
 取りだした封筒をもう一度しまおうとすると、新名くんが慌てて阻止しようとする。
「あーっ、ちょっ! 待って唯ちゃん! センパイ、ごめんなさい! 写真ほし〜」
 年下とは言っても一つしか違わないし、なによりわたしより背も高い。
 ちゃんとした男の子なんだけど、案外素直なところが可愛かったりする。前にカレンさんが新名くんを動物に例えたらレッサーパンダって言ってたけど、なんかそんな感じかな。
「じゃあ、お手」
「も〜、ハイハイ。お手ぐらいいくらでもしますよー」
 お手と言っても「写真ちょうだい」とでも言うように手のひらを上に向けている。テーピングがしっかりとされてるその大きな手の上にわたしは封筒を乗せて笑う。
「来年は新名くんの番だね」
「え? なにが?」
「高校生活最後の夏のことだよ。わたしは卒業しちゃうけど、また二人で海に行ったりしようね」
 言葉にしたら胸の奥が少しだけ痛んだ。
 ああそうか、わたし来年はもうこの制服着ていないんだ。
 あの校舎にはいられないんだ。
 こうして一緒に帰ることができなくなっちゃうんだ。
 ――そう思ったから。
 勿論、新名くんに言った言葉は嘘じゃないけれど、あまり気にとめていなかった一つの年の差というのを、こうした形で思い知らされる。
 ――もうちょっと長くいられたらいいのに。
 沈む太陽の光を水面がきらきらと反射する。少しだけ眩しく感じるのと同時に感傷的な気持ちを閉じた瞼に隠すと、小さく笑う新名くんの声が聞こえる。
「花火大会の日、指輪やったろ。あんときも言ったけど、来年も一緒に行くのアリだから。アンタさえ忘れなかったら来年も今年と同じってことで」
 今年の花火大会の日に、新名くんから指輪をもらった。と言っても糸引きくじの景品で、てっぺんを押せば光るようなおもちゃの指輪だけど、それは「来年も一緒に花火大会を見に行く」という約束の指輪でもある。わたしは彼からそれを貰った。ただなんの気なしに貰ったわけじゃなくて、来年も一緒に見たいと心から思ったから受け取ったんだ。
「わたし、忘れないよ?」
「……うん。でも、エッ、なんのこと? なんて来年言われそうで怖いんだよなぁ。アンタならありそ〜」
「な、ないってば!」
「マジで〜? って言ってもしょっちゅう遅刻をしてくっからなぁ?」
「うぅ……ごめんなさい。でも今度の日曜日は絶対に遅刻しないように気をつけるよ」
 そう、今度の日曜日も新名くんと出かける約束になっている。場所は動物園で、目的はふわふわもこもこのアルパカだ。最初に見たとき、その独特の佇まいというか表情に「キショカワイイ〜」と新名くんが大ウケしたのがきっかけで、また見に行こうという話になった。今度の日曜に見にいけば二回目になる。
「じゃあ、人ごみの中にアンタの姿があることを期待してオレは待ち合わせ場所まで走る! これでもしアンタの姿がなかったときにはアルパカさまにお仕置きしてもらうことにしましょ」
「了解! おしおきは嫌だから絶対に遅れない! 新名くんより先に約束の場所に着くよう頑張る!」
「ハハッ、オス! その意気」
 夏休みは終わってしまったけれど、夕暮れ時の空も遠くで鳴く蝉の声もまだまだ夏色で、海からの湿気を帯びた風に半袖のシャツを煽られながら、わたしたちは放課後の道を歩く。
 新名くんの手にある写真を二人で見ては笑ったり、つっこみを入れたり、はたまた吹く風にいたずらされ、飛ばされた写真を追いかけたりと忙しかったけれど、この時間がたまらなく愛しかった。新名くんの笑顔がとてもきらきらしていて眩しかったからかな?
 でも、わたしはふと思い出した。カレンさんやミヨとのお泊り会の時に話した「気になる人」の話。
 回を重ねてもわたしの気になる人は新名くんだったんだけど、それが友情なのか恋なのかよくわからなかった。
 けれど、最後の夏と言われて少しだけ気がついたことがある。
 これから先も新名くんと一緒にこうしていたいということ。そして、今よりも少し近づいてみたいということ。
 彼に触れたらきっと、この気持ちが何なのかわかるような気がしたけれど、なぜかこの指先を伸ばせずにいた。
 いつもなら平気で触れたのに、どうして今日はだめなんだろう。
 海で乱反射する光が眩しいから?
 それとも――隣にある横顔がきらきらして見えるから?
 今はまだわからないままだけど、いつか見つかるのかな。
 この気持ちがどこから来ているのか、って。



End.

2010.8.13(夏コミ無料配布本より)
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