「それでは今から番号の入った箱を回すので、一人一枚引いてください」
クラス委員長がはっきりと言うと、右端の席から副委員長が若王子先生の似顔絵つきの白い箱を持って各席を回り始める。今日は、二ヶ月に一度の席替えの日だ。
一人、また一人とくじを引いていくたび、徐々に教室が騒がしくなっていく。
箱の似顔絵にある当人の若王子先生は、目を細めて一喜一憂するみんなを楽しげに見つめている。
あまりうるさいようだと、また教頭先生にお小言を言われてしううんじゃないかとわたしはちょっとだけ心配してしまうけれど、それはくじが入った箱が近づくにつれ、徐々に自分のくじ運の心配へと変わっていく。
三年生になってから初めての席替えで、それも今日から夏休み明けまでお隣さんになるのだから、わたしも自分がどの席になるのか、誰が隣になるのかとても気になっている。
ふと佐伯くんの方を見てみたのだたけど、見えるのは背中ばかり。表情はさっぱりだ。もうくじを引いているはずなんだけど、どこの席になったんだろう……。
ちらちらと紙の端は見えれど、書かれている数字までは見えない。うーん、気になるなぁ。
そうこうしているうちに、あっという間に三つ前の席の子がくじを引き、二つ前の子もためらいながらくじを引いている。
――あぁ! 次はわたしの番。すごくドキドキする!
そわそわと落ち着かない気持ちを懸命に押し隠して、隣に立った副委員長を見上げる。
「はい、夏川さんの番」
「う、うん!」
にっこりと笑う若王子先生のイラスト付きの箱が傾けられる。 わたしは小さく息を呑んで、箱の中へと右手を入れた。
中が見えない箱の中を探ると、紙切れがいくつも指先に当たる。こういうのはあれこれ選んだって仕方がないし、はっきり言ってしまえば運次第だ。
――よし、今度指に当たったのを思い切って取ってみよう!
軽くふれた紙の端を指先ではさんで引き抜くと、そこには二十三番とマジックで書かれてあった。
真正面にある黒板には机の配置図にあわせて、ランダムに番号が振られてある。
二十三、と心の中で何度も繰り返しながら番号を探すと、窓際から一列目、後ろから二番目の位置に見つけることができた。
――やった、窓際! それも後ろの方!
今まであまり窓際の席になったことがなかったので喜びはひとしおだ。あとは前後と右側の席が誰になるかがとても気になるところ。
全員にくじがいきわたったところで一斉に配置換えになるのだが、副委員長は残り一列の辺りに立っている。
「ねえ、夏川さん。今度どこになった?」
ふと前の席の子が「ちなみに私は五番だってさ」と付け足して話しかけてきた。みんな落ち着かない気持ちは一緒のようで、どこでも同じような会話が聞こえてくる。
「私は二十三番。窓際ゲットだよ!」
「ホント? 窓際いいなぁ〜。あ、でも居眠り気をつけてね?」
日がさすと暖かいんだよね、とわたしたちは笑いあう。
「あ……そうだ、夏川さんの周り、誰か仲良い子って近くにいる?」
彼女の問いにわたしは「ううん」と首を振る。
「全然わかんない。誰が近くの席なのか気になるんだけどそういうの聞こえてこないし、移動してからのお楽しみみたい」
「そっか。……あ、ねぇねぇ、何気に佐伯くんは十七番みたいだよ?」
急に声を潜めて彼女は頭を近づける。
「えっ!?」
いきなり佐伯くんの話を振られてわたしはびっくりした。……ひょっとして、彼女も実は佐伯くんファンの一人なのかな。変に佐伯くんに近づいたら、彼女にも詰め寄られちゃったりして……。
ドキドキというよりハラハラに近い気持ちで彼女の顔をまじまじと見つめると、「あの周辺、多分、水面下で争奪戦が起きるかもね」と苦笑して席図が書かれている黒板を指差している。
――あぁ、なんだ、そういうことか。
わたしはほっとしつつも、ちょっぴり残念な気持ちも混ぜて頷く。
佐伯くんが引いた番号はわたしの席から大分離れていて、教室の端と端といった方が早いくらい。軽く声をかけられる範囲ではないからがっかりだ。
――そっか……やっぱり離れてるんだ。もっとも、そう都合よくなんでもうまく運ぶはずがないよね。
小さくため息を吐くと、みんなの様子を見ていた若王子先生が立ち上がり、黒板とわたしたちを交互に見て微笑む。
「さて、みなさんくじは全員引きましたか? 自分が引いた番号と、黒板にある番号を良く確かめたらお待ちかね。今から移動開始だ!」
若王子先生の言葉を合図に、皆は一斉に立ち上がり、ガタガタと机や椅子を鳴らしては移動を始める。
「やだなー、もう」とがっくりと肩をおろしている人もいれば、とても嬉しそうに「やった!」と笑っている人もいる。こっそりと席の交換をしている人もいるけれど、やっぱり皆が皆満足するような席になるのは本当に難しいようだ。わたしも嬉しさ半分、佐伯くんと席が離れていてなんとなくがっくりの気持ち半分といったところ。
――たかが席替えって言ったらそれまでなんだけど、どうしても欲張っちゃうんだよねぇ……。
「……うん、諦めが肝心かな。っていうか、なんでこんなにがっくりしてるんだろ?」
誰にも聞こえないほどにそう小さく呟き、移動のために机と椅子のセットを持ち上げたのだけど、同じような格好をして振り返っているいる佐伯くんと、その時ふと目が合った。
佐伯くんはちょっと驚いたように目を丸くしてわたしを見てる。勿論、わたしだってまさかこんなタイミングで目が合うとは思わなかったからびっくりした。
ここで周りに誰もいなかったら「お前どこになったんだよ」「窓際。ふふっ、うらやましいでしょ?」「別に? つか、俺と交換して」なんていう感じで気さくな感じでやり取りができるんだろうけど、みんながいる手前、そういうわけにはいかない。
「あ……えっと、佐伯くんはどこの席になったの?」
「僕は、十七番。廊下側みたいだ。そういう夏川さんは?」
「わたしは窓際だよ。二十三番。……残念。佐伯くんとは離れちゃった」
喧騒にまぎれて、わたしはちょっとだけ声のトーンを落として本心を小さく言葉にした。
「……うん、俺――僕もそう思うよ」
「えっ?」
「いや、なんでも?」
同じ教室の中、よそよそしい口調でお互いに言葉を交わすのが、まだちょっと慣れない。三年目にして初めて同じクラスになったんだけど、まだそれほどクラスの中で話をしたことがないから、わたしはちょっとだけ構えてしまう。
なにもわたしまでちゃんとしたいい子を演じなくてもいいんだけど、佐伯くんがそうしていると、合わせなくちゃいけないのかなって自然と背中がしゃきっとしてしまう。それはまるで背中に定規を入れられたみたいにぎくしゃくして不慣れで、ちょっとだけのことなのに妙に気疲れてしまう。
――佐伯くん、学校にいる間ずっとこんなだったら疲れちゃうだろうな……。いつも不機嫌そうな顔をしていたけど、やっぱり疲れてたからなんだよね……。わかってたけど、同じクラスになって改めて気づかされたよ。
そんな風にわたしが思っていることを悟られないよう、取りあえず小さく笑って見せると、佐伯くんは不意に目をそらし、背中の向こうにある黒板を見つめて、何かを考えているような顔をしている。……なんだろう?
「二十三番、か……」
「うん? どうしたの、佐伯く――」
わたしが声をかけた時だった。もう一人の別の声が「あ、あの、佐伯くん」と佐伯くんの名前を呼んだ。佐伯くんは一瞬、わたしに返事をするべきか、もう一人の声に返事をすべきか戸惑っていたようだけど、わたしじゃない方の呼びかけに応え、声の主へと顔の向きを変える。
「えっと、なに?」
「う、うん……」
躊躇いがちに声をかけてきたのは二人組みの女子で、二人とも困ったような顔をして、もじもじと互いを肘で突付き合っている。
「その、えっと……佐伯くんって、十七番って聞いたんだけど……本当?」
「あ、うん。十七番だけど……どうかした?」
穏やかに言って佐伯くんはその二人を交互に見る。
「あの、その、実はちょっとお願いがあるんだけど……」
言いよどみ、一人の子が佐伯くんからわたしのほうへと視線を移す。
「……あ。ごめん、じゃあわたし、席を移動するから」
肩を竦めて笑い、持ち上げた机をガタゴトと鳴らして窓際へと向かう。
自分の位置に机を置き、椅子をおろしながらもなんとなく気になって佐伯くんの方を見ると、佐伯くんは二人の子とまだ何か話をしていて、ちょっとだけ驚いたように女子と黒板とを交互に見ている。
――多分、席の交換かなにかかな。佐伯くんは女子にモテモテだから、きっといろいろあるんだろうな。
そう考えると、なぜか胸の奥がちりちりとして、わたしは嫌な気持ちになった。きっとこれから先もこういうことがたくさんあるんだ。今までは違うクラスだったから、佐伯くんが女子に囲まれたり騒がれたりしているのってほんの一部のとこしか見ていなかったけど、同じクラスになった分、身近なところでこういうのをたくさん見かけては「人気のある男子」っていうのを思い知らされるんだろうな。
でも、佐伯くんが女子にもてるのはいつものことなのに、どうして今更こんな風に思うんだろう。それに……面白くないって思ってるのは、どうして……?
――やだな。なんでこんなつまらないこと思ってるんだろう。ひねくれてるみたいで、自分が嫌になるよ。
なるべく廊下側を見ないようにと窓の外を見て気持ちを落ち着けようとすると、ガタゴト、と机を動かす音が近くで聞こえる。空いたままだった隣のスペースに、これからの数ヶ月の間、隣人となる人がやってきたようだ。
机に上げてある椅子を下ろしている足元はズボンだ。――ということは男子。
頬杖を外したわたしは、その新しい隣人をゆっくりと見上げて驚いた。
椅子を引きながらにっこりとわたしに笑みを向けてるのは、間違いなく佐伯くんだった。
「これから隣、よろしくね。夏川さん」
「えっ。……ええっ!?」
わたしは言葉に詰まってしまった。だって、どうして佐伯くんが隣にいるの!?
――うそ! だって、さっき十七番って言ってたよね? わたしの隣の席って、黒板では三十一番ってなってるのに、どうして……。
「あの、ここって三十一番だよ?」
信じられなくて何度も瞬きして尋ねると、うんそうだね、と佐伯くんは言う。
「さっき、三十一番を引いた子に席を交換してくれって頼まれて、それで了承したんだ。僕が最初に引いた番号の周り、さっきの子の友達ばかりなんだって。だからよかったら交換してくれないかって言われて」
――それであの子たち、佐伯くんに声をかけてたんだ……。
わたしはやっと事の流れを把握した。
「それで、ここに?」
「うん、それでここに。正直な話、廊下側よりこっちのほうが日が差して暖かいから得したな、って思って即、快諾したよ」
プリンスらしく清々しい笑顔で楽しげに言って、佐伯くんは窓の外へと視線を向ける。ここ数日雨続きだった空模様だが、今日は珍しく雲間から太陽の光が差している。天気予報では束の間の太陽だと言っていたから、明日からまた雨の日が続くんだろうけど、それでも明るい日差しはじめじめとした空気や気分を晴らすかのように明るく、そして目に眩しいくらいだった。
「……コラ、聞いてんのか」
「えっ!? あっ、は、はい!」
「というわけでよろしく?」
「こっ、こちらこそ?」
不意に聞き覚えのあるトーンで言われたので、慌てて返事をして佐伯くんのほうを見ると、タイミングがいいのか悪いのか、ざわめいていた教室を鎮めるべく、若王子先生の「みんな、ちょっと静かに〜」というやんわりとした声が教室いっぱいに届く。
それまで席を離れていた子も元に戻り、それぞれに椅子を引いて先生の言葉に耳を傾ける。
「みんな新しい席に着いたね。……うん、これからこの席でしばらく授業を受けてもらいます。このクラスになって最初の席替えで、まだ打ち解けていない人もたくさんいると思うけど、これを機会に新しい隣人と交流を深めてください。友人が増えるということは、とても素敵なことですから」
と微笑み、もう一度教室をゆっくりと見渡してから「席替えについては以上です」と満足げに先生は締めくくった。
その後、黒板に描かれていた座席表はゆっくりと消され、新しい議題として幾つかの項目が白チョークで書かれていく。職員会議での伝達事項や期末テストについて次々と話されていく中、わたしはどうしても隣の席の佐伯くんのことが気になって仕方なかった。
横目でちらっと覗き見ると、佐伯くんは頬杖をつきつつも若王子先生の話しに耳を傾けていて、こちらのほうなどまるで気にも留めていない様子だ。
でも、ちょっとした経緯があったとしても隣の席になったんだから、きっとなにかしら思ってくれてるはずだとわたしは信じたかった。
佐伯くんの気持ちを聞き出せるチャンスは帰り道しかないけれど、そのときに思い切って話をしてみよう。――隣の席になってびっくりしたよ! って。
「俺も実はびっくりした」って言われたら、わたしも「ホントだよね!」って笑って返せる。逆に「なんでおまえの隣の席なんかに」って不機嫌そうに悪態つかれても、いつものように負けじといいかえしてやるんだ、と早くも応戦の準備を心の中でする。
――でも、今、ちょっと気になるんだ。……ねえ、佐伯くん。今、何を思って、何を考えてる? 隣の席になってちょっとは嬉しいって思ってくれてたら、わたしも嬉しいんだけどな。
なんでそんなこと思うのかわたしにもよく分からないんだけど、なんでだろう……今、とても嬉しくて、妙にドキドキして、真っ直ぐに先生の話を聞いていられないくらい。ついつい窓の外ばかり見ちゃうのは、退屈だからじゃないんだよ。ただ、ちょっと嬉しいだけ。嬉しいから、逆ばかり見ちゃうんだ。
こんなに近いのに前も向けないなんて、なんだか変なの。
手のひらが妙に熱を持ってるし、額がじんわりと汗ばむ。
今日って、こんなに暑かったっけ?
――それともわたし、緊張してる?
正体不明の感情が今、わたしの心の中をあわただしく駆け巡っている。
これは一体、なんなんだろう。
End.
2009.02.01UP