「きれいだったね、花火」
「だな。音もでかくて、まだ耳に残ってる」
「耳どころかわたしはおなかにも残ってるよ」
「ハハッ、言えてる!」
花火大会だった今日は、高校を卒業しても二人で見に来た。また来年も見に来ようねと去年約束したことが叶って、わたしはとても嬉しかった。
たくさんの人でごった返す中、大きな音と、空に煌めく大輪の花を見上げ、時折顔を合わせては『すごいね!』と笑い合った。
楽しかった一日の締めくくり。その帰り道は、高校生の頃のように瑛くんが送ってくれる。
喧騒から離れ、二人で夜道を歩き続けていると、いつの間にか互いの下駄の音と話し声しかしなくなっていた。
最初は花火の話で盛り上がっていたけれど、なぜかどんどん言葉少なになっていく。
下駄の音だけが妙に大きく聞こえ、家に近付くたびにわたしの心臓もドキドキと妙にうるさく高鳴っていく。
――どうしよう。言うなら今のうちなんだよね。
小さく息を吸って隣にいる瑛くんを見上げる。
ちょっと高い位置にある横顔からは、今彼が何を考えているのかうかがい知ることができない。だからわたしはどんどん緊張していく。
瑛くんにずっと、ちゃんといいたかったことがある。
この年の春に一度だけその気持ちを伝えたけれど、それでも言い足りないこと――。
「……あ、あのね」
わたしは思い切って足を止める。
どうしよう、今声が上ずった。
瑛くんは不思議そうにわたしを見てるよ。
「あの……。その……」
ちゃんと言おうと思っていた言葉なのに、頭の中が真っ白だ。
見られてる。わたしが何をいうか瑛くん、見てる。
そう思うだけで一生懸命考えていた台詞が頭の中から全部飛んでいってしまう。
「どうした? ――あ。夜店でなにか買い忘れたなんて言ってももう戻んないからな」
からかうような口調でニヤッと瑛くんは笑ってる。
違うよ。違うってば。
「ち、ちがうよ!」
「じゃあなんだよ。ほら、もう十分遅いんだから帰るぞ。お父さんに怒られても知らないからなー」
いつもお父さんみたいな口調で人を馬鹿にしているのはどこの誰。人の気持ち、全然分かってないんだから。
こういうシチュエーションでどうして茶化してばかりいるんだろう!
「おーい、ゆき。どうした?」
いたずらっぽい笑みが次第に不思議そうな表情へと変わっていく。
多分、今だ。今がその時。
わたしは見えない誰かに背中でも押されたように、一、二歩前に踏み出す。
「……何だよ?」
「う、うん。……あの、ね。こういうことするの、キャラが違うかもしれないんだけど……」
「は? キャラ? なんだそりゃ」
一瞬目を丸くして、それから「わけわかんない奴」と可笑しそうに笑う。
確かにそう。
確かにそうなんだけど、もう反発する余裕がないんだ。
さらに前に足を踏み出して瑛くんに近付くと下駄の音が頼りなく響く。
「あ、あの……あのね」
わたしはもう一度下駄を鳴らしたあと、うんと背伸びをして両腕を伸ばす。
「わっ……ちょっ――」
そして、思い切って高い位置にある瑛くんの首に両腕を回すと、二人の距離がとても近くなる。
浴衣の袖から大きく腕が覗くけれど、誰も見ていないからいいよね。暗いからわからないだろうし。っていうかそんなこともうどうだっていいのになんで気にしてるんだろう。
――うわ……。頭の中、ごちゃごちゃしてる。恥ずかしくてメーター振り切れちゃってるからホント変。
「お、おい!?」
瑛くんの声が、すぐ耳元で聞こえる。多分、ううん、まちがいなくとても驚いてるんだろうな。
わたしだってホントは自分自身に驚いてるよ。
どうしてこんなことできるんだろう、って。たったひとことを言うためにどうしてこんなことしてるんだろう、って。
でも――でも、言おうと思っていたことは、ちゃんと言わなくちゃ。
今、言いたいことがあるんだ。
用意してきた言葉の大半は飛んでしまったけれど、でも、伝えたい。
「す、少しだけ、このまま。……わ、わたしね、言いたかったことがあるんだ」
「言いたかったこと……?」
驚いている声に、わたしは話を続ける。多分うまく話が繋がらないと思うけど、それでもせいいっぱいを口にする。
「……今日、本当にありがとう」
「え……?」
「花火。一緒に花火見ることができて、とてもとても嬉しかったんだ」
「……ああ。俺も嬉しかった」
「去年も、おととしの花火も覚えてるけど、でも……でもね、今年の花火が一番きれいだったって思うよ」
「……うん」
もう一緒に居られないと思った去年の冬。
『忘れて欲しい。珊瑚礁も、俺のことも』――大好きな海でそう言われた。さようなら、と。
二人で笑ったことも、けんかしたことも、全部忘れることなんてできなくて、だけど、大切な人が目の前から居なくなってしまって、わたしはどうしていいのかわからなかった。ううん、いなくなったことで初めて大切だと思っていることに気がついたのかもしれない。ちょっと乱暴で、わたしにだけ口が悪くて、態度だって時々横柄なくらいだけど、でも本当はとても優しくて。いつも近くにいたからわたしは恋をしていることに気がつかなかった。気がつけばいつだってそばにいてくれたのに。
夜眠る前に何度も涙をこぼした。誰にもわからないように、そっと泣いたんだ。
さよならを言われて気持ちに気付くなんて、わたしも本当に鈍感だ。みんなに鈍いって言われていたけれど、それは本当だったよ。
届かないかもしれないチョコレートも作った。
もう、瑛くんがいない珊瑚礁に何度も行ったりもした。そんなことを繰り返すたび、悲しくて、惨めで、そしてまた涙がでた。
でも、こうして温もりがすぐそばにある。
好きな人がちゃんと目の前にいる。
「一緒に見ることができて、わたし、本当に嬉しかったんだよ」
「うん……」
遠く夜空に浮かぶ花火を見られたことで喜べる今がある。
こんなにすぐそばにいる。
手の届く場所。
抱きしめてくれる腕が、ここにちゃんとある。
「……瑛くん、大好きだよ」
簡単なはずの言葉。なのに、いつもはなかなか言えなくて、でも何度も言いたかった言葉をわたしはそっと口にする。
たったひとことを言うためにわたしは随分と遠回りをしたけれど、わたしは思うんだ。遠回りはけして無駄じゃなかった、って。
たくさんけんかもしたよね。
でもたくさん笑ったよね。
すれちがってしまった時間もあったけど、それでもわたし、思うんだ。
こうしてただ一緒に居られることが、本当に幸せなことだ、って。
好きな人に好きだといえることはとても嬉しいことなんだって。
けど、それを口にすることがちょっと恥ずかしくて、わたしは上手に言葉に出来ないままだった。
ずっと言いたかったのに、言えなかったんだ。
「大好き」
もう一度言うと、「わかってる。それ、よく知ってるから」と照れたように低く呟いてそっと抱きしめてくれた。
その腕の温かさに、わたしはとても満ち足りた気持ちになる。
「……よかった」
――ほんと、よかった。
「おまえ、ホント今更すぎる」
ちょっとだけ呆れたようなその声にわたしは思わず謝ってしまう。
「ご、ごめん……」
「そういう意味じゃないって。……その、わかるだろ。つーか、わかんない?」
「えっ?」
「……ハァ。これだ。この鈍感」
「ええっ!?」
「おまけに変な奴」
「ま、またそれを言う」
「ウルサイ。静かにしなさい。……つーか、このシチュエーションで何話してるんだか」
呆れたような瑛くんの言葉が可笑しくて、笑いながら「ホント、そうだね」と答えた。
こういうやりとりは前から全然変わらないよね。今でも平気で人の頭にチョップするし、馬鹿にするし、子供みたいなやり取りは相変わらず。
でも、そういうのが嬉しい。単純だけど、本当に幸せなんだ。
ねえ、こんなわたしだけど、ずっとそばにいてもいいかな。
ちょっと鈍いかもしれないけど、それでも一緒にいたいんだ。
――好きだから。
なかなかいえなかった言葉だけど、でも大好きなんだよ。とても。
End.
2007.05.28UP