ときメモGSシリーズ

【お題名:君の隣に腰掛けて】
きらきらと光るもの【瑛主】



 放課後の音楽室。店の手伝いがない日はそこで針谷にギターを教えてもらう予定になっているはずなのに、いくら待っても指導者の針谷は現れない。
 なんなんだよ、と不機嫌なオーラ全開でスチール椅子に腰掛けていると、不意に携帯電話からは着信を知らせる振動が伝わってくる。
 二つ折りの携帯電話を開いてみると、ディスプレイには『メール一件あり』の表示がされており、その送り主はおそらく針谷だろうと佐伯は思った。
 メールを開いてみると案の定針谷からで、『ワリ、今日用事あったんだ。練習はまたっていうことで。あ、でも自主レン忘れんなよ!』とある。
「遅いっつーの。もっと早く連絡よこせよ。……ったく」
 メールにあるように、一人で練習することも考えたが、窓の外のオレンジ色の空を見たら急にその気が失せた。
 今日は店の手伝いはないけれど、この時間に海岸沿いを歩けば夕日に染まる空と海が見れるかもしれない。特にどこかに立ち寄ろうとも思わないし、のんびりと帰るのもたまにはいいだろう。
 カタン、と椅子を鳴らして立ち上がり、やけに足音が響く廊下を歩く。がらんとしていてまるで人気がない。
 少し前までは喧騒にあふれていたであろう廊下や教室だが、一時間も経つとそれが嘘のようにしんと静まり返っている。
 窓の外では風に吹かれ葉を揺らす音とともに、遠くでは部活動――おそらく運動部だろう、張りのある掛け声や、ボールをノックする音が聞こえる。
 置きっぱなしになっている荷物を取りに教室へと向かう途中、通り過ぎた別の教室の中によく知る人物が机に向かっていた。開け放たれたままのドアから見えるのは間違いなく夏川ゆきだ。
 このまま知らん顔して教室まで戻ってもよかったのだが、それはしなかった。
 何歩か後戻りをして引き戸を軽くノックする。
 ペンを走らせていた手を止め、ゆきが顔を上げる。
「……よう」
「よう、瑛くん」
 きょろきょろと廊下を見て、誰も来ないことを確かめてから教室へと入る。ゆきは軽く手を上げ、笑顔で佐伯を見ている。
「ここ、隣いい?」
 教室にはゆきしかおらず、返事は聞くまでもないのだが一応尋ねてみると、どうぞどうぞと返される。
 どっかりと椅子に座り込み、ハァとため息を吐くと、ゆきは小さく笑う。
「何かあった? 不機嫌モードだね」
 ずばり言い当てられてしまい、心うちでは『何でわかるんだ』と驚くが、勤めてポーカーフェイスを装う。
「なんで。そんなことない」
「そう? 声がちょっとつまらなそうだよ」
 首をかしげると同時に、さらりと髪が揺れる。その笑顔がいつもより穏やかに見えるのは、差し込む夕日に照らされているからだろうか。何より柔らかいその声に強く反発する気が削がれ、机に頬杖をついてぼそっと呟く。いつもより少しだけ素直になれたのは彼女の表情が声が妙に優しく思えるから。
「針谷にギター教えてもらう予定だったんだけど、あいつ『用事があったんだ』なんてメールよこしてきてさ。一時間近く人を待たせた挙句にこれだぜ? 信じらんないよ。スゲームカつく。貴重な時間を返せ」
「……なるほど」
 困ったように笑い返す彼女に、さらに言葉を続ける。
「頭きたから、今日は自主レンもパス。そんな気分じゃなくなった」
「はいはい。拗ねない拗ねない」
「なんだよそれ……。つーか別に拗ねてない」
「そう? ……じゃあ、瑛くんはもう帰るだけ?」
 不満を口にすることでさらに気持ちが尖ったのだが、それをやんわりとなだめるようなゆきの声に「一応」とそっけなく答える。
「わたし、あと少しで日誌書き終わるから、一緒に帰ろうよ」
 佐伯に視線を向けたあと、すぐに手元にある日誌へと視線を落としペン先を動かす。
「週番? あれ、おまえさ、少し前に週番やったんじゃなかったっけ?」
 思い起こせば、数週間前に一緒に帰る帰らないでもめたことがあった。すぐにでも店に行こうとする佐伯に対し、週番の日誌がなかなか書きおわらないゆきは「待ってて! すぐに終わるから!」と頬をふくらませていた。
 となると、随分短い週番のサイクルだ。
「今週担当の子、今日ちょっと学校休んでるんだ。わたしの前の席の子だから、今日は代理で書いてあげてるんだ」
 こういうときはお互い様だしね、とにっこり口角を上げる。
「ふーん。なるほど、ね……」
 生返事をしてぼんやりとゆきの手元を見つめる。
 小さな文字が次々に並べられていくのがなんとなく新鮮。
 思えばこうして隣の席でゆきがすることを見るのは初めてではないだろうか。一年のときも、そしてこの二年も彼女とは一緒のクラスになれなかった。
 残念だね――始業式があった日、珊瑚礁に向かう帰り道で彼女はしんみりと呟いていた。
 頬杖をつくのも億劫でとうとう机に体を伏せてしまったけれど、視線は真剣に日誌を書いている彼女の横顔と動くペン先の交互に向けられる。
「ねえ瑛くん」
「ん……?」
「じっと見つめられると緊張するんだけどな」
 佐伯を見ずにゆきは言う。ぼんやりしてるように見えるが、こうまじまじと見ていてはさすがに気付いたのだろう。
「気にしない。つーかおまえのこと見てないから」
「じゃあどこ見てるの」
「動くシャープペンと窓の外」
 フン、と勝ち誇ったように鼻で笑うとゆきは小さく口を尖らせたが「あっそうですか」とたいして取り合おうともしない。
 そんな彼女に、佐伯はさらに言葉を続ける。
「……なあ」
「うん?」
「同じクラスになるのって、こんな感じなのかな」
「え?」
「おまえが真剣になってノート取ってるとことかって、こういう感じなんだろうなって思ったんだ」
 例えば朝遅刻しそうになって慌てて教室に入ってくるところとか。
 例えば授業中にいきなり指名されてオロオロしながら答えたりするところとか。
 毎日のなんでもない場面を、きっとすぐそばで見られるのだろう。
 そういうのがまるで気にならない人もいれば、自分のようにとても気になる者がいる。好きだからこそ気になるというものだ。
 彼女が始業式のときにとても残念そうにしていたが、その気持ちが今頃になってやっと理解できた。
 クラスなんて別に関係ないと思っていた。
 同じクラスになっても皆の手前気を使って話をするようだし、彼女曰く『いい子』の仮面をかぶっているあまり褒めたものじゃない自分を見られるのもいい気がしなかったのだ。
 でも、今は惜しいと思う。
 こうして堂々と隣にいてもいい口実が『クラスメイト』にはある。
 ――やっぱ、悪くないよな……こういうの。
 金色に輝いて見える髪とか、少し長めの睫毛とか、時折考えるように止める手とかどうでもいいことばかりが目に焼きつき、そしてそれは妙に胸の奥をくすぐる。
「あの、さ」
「はいはい」
「来年……せめて最後の年ぐらい同じクラスだったらいいな」
 この言葉にゆきはペンを止め、顔を上げる。そして、幾度かまばたきを繰り返して自分を見るが、やがてその大きな目は眩しそうに細められる。
「……うん。同じクラスだといいな。何年か分のくじ運を使い果たしてもいいから、瑛くんと同じクラスがいいな」
「同じクラスになったら、おまえの変な顔するとこ、たくさん見られそうだ」
 彼女の言葉が妙に嬉しかった。
 思わず顔が笑ってしまうくらい嬉しかったのだが、素直にそれを見せるのはちょっとばかり悔しい。
 いつものように軽く悪態をつくと、ゆきは呆れたような顔をする。
「瑛くん、消しゴムとかちぎって投げないでよね」
「するかよ、んな小学生みたいなこと」
「さあどうだか」
 やりそう〜、と肩を竦めるゆきの机の上から消しゴムを奪い取り、指先でぴんと弾くとそれは見事に彼女のシャープペンに当る。
「あっ!」
「生意気」
「 し、信じられない……! ちょっと、邪魔しないでよ瑛くん!」
 当たった拍子にペン先が飛んだのだろう、ゆきは佐伯をじろりと睨みながら消しゴムをかける。
「遅いとおいて帰るからな」
「ええっ!?」
「じゃあ、あと五分で終わらなかったら、駅前の新しい喫茶店のコーヒーはおまえのおごり」
「そ、そんなぁ〜! ――っていうか、ちょっとまって。そ、それっていつの話なの?」
 眉尻を下げたかと思うと、大きく目を開き、あっという間に驚いた表情へと変わる。
 いつもくるくると楽しいくらい幾つもの顔を見せる彼女に、佐伯はニヤッと意地悪げに笑みを作る。
「今日の話。俺、今日は暇なんだよ。元はといえば全部針谷のせいなんだけどさ。ま、どうでもいいや。おまえどうせ真っ直ぐ帰るだけだろ? 俺の暇つぶしに付き合いなさい。つーか敵情視察。任務だ任務」
「なにそれ! なんなのそのオレサマ態度!」
 うわー……とじと目で見るゆきに「ホラ早く。こうしている間におまえのおごりは確かなものになっていくぞ」と笑うと、彼女はなんともいえない情けない顔で自分を見つめ返してくる。
「そんな変な顔してもだめ」
 あまりの可笑しさに肩を揺らすと、ちぇっ、と口を尖らせては再び急いでペンを走らせる横顔。
 同じ店で働いている彼女の姿を知るものは自分以外にはいなけれど、こうして口を尖らせつつも必死になって日誌を書いている姿もきっと誰も知らないはず。
 毎日の中で小さくも特別な出来事が増えていく。
 くだらないやり取りなのに、なぜか楽しい。
 なんでもないことなのだろうけど、大事なことのような気がする。どうしてかうまく説明ができないけれど、そんな気がする。

 それは、彼女の隣の席に座って思ったこと。
 きらきらと光る横顔を見て気がついたこと。

 窓の外の遠くでは、相変わらず張りのある掛け声や、ボールをノックする音が聞こえていた。



End.
2007.05.24UP
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