ときメモGSシリーズ

高校三年デイ【瑛主】



 掲示板に人だかりが出来るのは年に三度ある期末テストの結果発表時と、桜の季節の頃――まさしく今そのときで、辺りは妙にざわついている。
 入学試験の合格発表、新入生のクラス割りと引き続きやってきたのは、進級時のクラス替え発表で、今日から三年生に進級した夏川ゆきはこの日が来るのを心うちではそわそわと待ちわびていたのだった。
 ――みんなと離れちゃったかな。仲の良い友達が一緒だといいな。
 クラス割り運というのがあるならば、おそらく自分はないほうの部類なのではないかとゆきは思う。
 その証拠に、一年生のときから知り合った友人達とは一度も同じクラスになったことがない。小野田千代美をはじめ、西本はるひ、藤堂竜子、水島密など、他のクラスにも関わらず親交が深い女子は勿論のこと、針谷や志波といった男子の面々とも別のクラスだ。何より佐伯とは一度も同じクラスになったことがない。
 高校生活最後の年ぐらい、誰か仲の良い友人と同じクラスになれたら、それだけでも新しい一年のスタートを切るにもってこいなのだが今年はどうなのだろう。
 なかなか掲示板の近くに寄ることが出来ないままだが、丁度今、目の前にいた数人の集団がこの場を離れたことにより、なんとか踏み入る場所が出来た。
 すかさず前へと足を進めて掲示板を見つめる。苗字の昇順で数えると『夏川』はリストの中ごろのはずだ。中央辺りの欄を最初のクラスから探していくと、思いのほかそれはすぐに見つかった。二列目に掲載されてあったのだ。
 今年は三年B組。まるでドラマのタイトルみたいだと思いつつも、B組の欄を再度上にと見ると、そこには嬉しい名前があった。
「あっ!」
 ゆきの名前よりも上に見つけたのは、よく知る男子の名前。というよりも、一番あって欲しかった人物の名だ。
 ――佐伯……瑛。わっ、佐伯くんも同じクラス!? やったー、三年目にしてやっとだよ!
 誰かと一緒に見に来ていたのであれば、「キャー!」と歓声を上げて飛びつき、喜びをあらわにしたいところだが、今朝は一人で校門をくぐったため、ざわめく掲示板の前、一人でぐっと奥歯をかみしめてそれを堪える。そうでないと表情が崩れ、ニヤニヤが止まらなくなるからだ。
 けれども、こみ上がる嬉しさはどうにも抑えきれず、思わずその場で小さくではあるが、何度も足踏みをしてしまった。
 下の女子の欄に親しい友人の名前は少なかったが、それでも今年は佐伯と同じ教室で過ごすことができる。
 彼のファンの手前もあり、接触できるタイミングや回数などは今までと大して変わらないだろうが、同じクラスであることに意味があるのだ。そこに訳などなく、けれど、ただそれがとても重要であり、心の潤いになるのだ。
 ――帰り道にでも一緒に帰れたら、そのとき話そう! 今日は珊瑚礁でバイトの日だし。
 弾んだ気持ちのまま、次は親しい友人の名前を再度見つけようとし始めた時、すぐ隣から聞き覚えのある声がする。
「小学生か、お前は。トイレはあっちだぞ」
 ボリュームは絞られてるが、無愛想なそれは彼の素顔。それにしても、いつの間に隣に立っていたのだろう。
「あっ、佐伯くん!」
「バカ。声でかいって」
 顔の向きを変えず、目だけでじろりとこちらを見る佐伯に、ゆきは「ごめん」と肩を竦めるが、ひっかかる言葉を言われたことをすぐに思い出す。
「ねぇ、ちょっと。小学生とか、トイレってなによ」
「そわそわしてただろ、足踏みして。後ろから見たとき、ちょっと笑いそうになった」
 ――わかってるけど、佐伯くんはひと言余計なんだってば。かわいくない!
 ニヤッと笑みを浮かべている佐伯に対し、ゆきは頬を膨らませる。
「違いますー。そわそわなんてしてないもん。嬉しくて足踏みしてたんだってば。知ってる? 同じクラスになったんだよ、わたしたち」
 掲示板を指差すと、佐伯は一瞬目を丸くしてゆきを見つめ、それから視線を逸らして「知ってる。見たから」とぼそっと呟く。
 目を細め、くちびるをへの字にしているので一見不貞腐れているかのようにも見えるその顔だが、目が僅かに泳いでいたのをゆきは見逃さなかった。
 ――あ、佐伯くん照れてる。
 それを突っ込むと、完全にへそを曲げられてしまうので自分の中だけに留めておき、居心地悪そうに視線をそらしたままの佐伯に、ゆきは笑顔を向ける。
「ふふっ、最後に同じクラスになれてよかったね。体育祭とか文化祭も一緒だよ。楽しみだなぁ。……あ、それと佐伯くん、課題が出た時とかテストが近い時なんかはお互いに――」
「励ましあわない。ノートなんて見せてやらないからな」
 最後まで言う前に拒否されてしまった。
 ゆきも二年生の中ごろから成績が伸び始めたので決して悪いほうではなく、むしろ上から数えた方が早いくらいなのだが、店の手伝いをしながらも、いつも上位の成績を保っている佐伯と一緒に勉強ができたらどれだけはかどるかと思ったのだ。……というのは表向きで、あわよくば助けてもらおうと思ったのに、それはあっけなく却下に終わった。
「……ケチ」
「なんとでも言え。っていうか、ああいうのは自分でやらないと頭に入らないんだ」
 確かにもっともな言葉だ。
「ちぇっ。……でも、まぁいっか」
 却下されても、それでも嬉しい気持ちが絶えない。いつもと同じようなやり取りをしていても、嬉しさがすべてにおいて勝る。自然と笑顔になってしまう。
 きっと佐伯からは「なにニヤニヤしてんだ。気味悪い」と言われること間違いないだろうが、そんな言葉さえも今なら笑ってやり過ごせるくらいだ。案の定、佐伯は目を瞬かせてこちらをまじまじと見ている。
「なあ」
「うん?」
「あの、さ……そんなに、嬉しい?」
「……え?」
 躊躇うようなその口ぶり。
 首を傾げて佐伯を見上げると、その顔は心なしか紅潮しているように見える。
「あ……いや! つまりは、その……俺と、同じクラスにな――」
「あっ、佐伯クン発見!」
「うっ!?」
 言葉を遮るのは明るく弾んだ声。
 それが聞こえた瞬間、佐伯は言葉を詰まらせる。表情もあっという間に強張らせ、ちょっと突付いたらバタン、と倒れてしまうのではないかと思えるほど硬直している。
 ――あらら。石化しちゃった。言葉の続きが気になるけど、佐伯くんはそれどころじゃないみたい……。
 硬直している佐伯のことなど知る由も無いファンの面々は、明るい声で佐伯を呼び続け、周りの注目を集めている。この光景は三年生になっても相変わらずのようだ。 
「佐伯ク〜ン!」
 段々と近づく声。
 ゆきは心うちで「……お気の毒に。がんばって」と佐伯を労わりつつも、じりじりと彼のそばから遠ざかる準備をする。ただでさえ、この佐伯ファンの皆からは「我らが佐伯クンに近づく不遜な輩!」の如くマークをされているのだから、少しでもこの場から離れるに越したことは無い。現に今だってちくちくと視線が突き刺さっている。
 逃げる気満々のゆきを見て、佐伯は「おまっ! 逃げるな、卑怯者!」と目を吊り上げ、さらには口を動かして無音声で訴えかけるのだが、ゆきが「ファンが近づいてます、近づいてます!」と目をきょろきょろさせて示すと、彼は慌てていつもの『はね学のプリンス』の笑顔を作る。
「よかったぁ〜、探してたんだよ佐伯クン。ねぇねぇ、どのクラスになったの?」
 人ごみなど何のそので、あっという間に佐伯を取り囲む女子にたじろぎつつも佐伯はその笑顔を彼女達に向ける。
「や、やあ。僕はB組みたいだ。君たちはどうなの?」
 いつものことだが、佐伯の口から「君」とか「僕」といった言葉が出ると、思わず笑ってしまいそうになる。普段の佐伯は、ゆきのことを時折「おまえ」と呼び、ひどい時には「バカッ」と怒鳴ったりチョップしたりするのに。
 ――あ。佐伯くん今、こっち睨んだ。……いけない、いけない。そろそろこの場から退却した方がよさそう。
 プッと吹きだしてしまいそうな緩む口元を指先で押さえる。
「エ〜ッ、私はE組なのにぃ……。残念〜」
 「ワタシも〜」、「一体ダレ、クラス割りした奴ー!」とがっかりした声はいくつも重なっていく。どうやらこの輪の中には佐伯と――というよりゆきもだが、同じクラスの者はいないようだ。
 佐伯とのやり取りを監視するような目がないことにホッと胸をなでおろしながら、ゆきはふと腕時計を確認する。見ると、始業時間が少しずつ迫ってきているようだ。
 まだ友人たちがどのクラスになっているか調べていないが、またあとでゆっくりと確かめに来ればいいだろう。
 少しずつだが教室に向かう人の数が多くなってきているので、始業時間に遅れないようにゆきも踵を返すのだが、ふと動きを止めて立ち止まる。
 このまま黙って離れたほうがファンの皆の注目を浴びずに済むのだが、そうなるとあとで「なんで助けてくれなかったんだよ」と佐伯のご機嫌が斜めになる。それはそれでまた厄介なのだ。
 ――うん、ちょっとだけ助け舟だしてあげよう。
 小さく息を吸い込んで笑顔を作る。
 佐伯のように完璧な笑顔は作れないが、今の気持ちなら、少しは晴れやかな笑顔になっているはず。なにしろ、助け舟を出すのには少しばかり勇気がいる。あとあと、佐伯ファンからの質問攻撃を考えると気鬱になるからだ。
 けれど、黙って立ち去るのもなんだか気が引ける。
「あの、佐伯くん」
 一斉に視線を浴び、できることなら「やっぱりなんでもない!」と笑って誤魔化したくなるくらいだが、それをぐっと堪えて言葉を紡ぐ。
「時間、迫ってるからなるべく急いだ方がいいよ」
 腕時計を指差してジェスチャーをする。
「えっ? ……あ、ああ!」
「さっきも伝えたけど、ハリーが探してたから。始業式の前に、何か用があるみたいだったよ?」
 そんなこと針谷からひと言も言われていないのだが、引き合いに出すにはもってこいの人物が、佐伯とそこそこ親交のある針谷だ。
 ハリーごめん、と心の中で謝りながらも一芝居を打つ。これにちゃんと佐伯が機転を利かせてくれればあとは問題ないだろう。
「うん、ありがとう。僕もすぐ行くよ」
 勘のいい佐伯が乗ってくれたところでやめておけばよかったのかもしれない。
 このまま背中を向けて歩いていけば、あとで佐伯ファンの間で話のエサにならずに済むのだ。
 ――でも、どっちみち佐伯くんと同じクラスだってバレちゃうんだろうなぁ……。だから、まぁ……いっか。言っちゃえ。
 一呼吸置いたあと、笑顔をそのままにして佐伯を見つめる。
「えっと……また教室でね!」
 躊躇いがちに小さく手を振ったとき、佐伯の目が驚いたように丸くなった。どうしたんだ、おまえとでも言うかのように驚いているのがその表情からわかる。自らファンの皆に突っ込まれるようなことを言っているのだから、佐伯が驚くのも無理は無い。
 「えっ、あの子も佐伯クンと同じクラスなの?」「ウソ!?」「ちょっとズルくない?」という怪訝そうなファンの子の声も重なるように聞こえている。
 同じクラスになっても、そうたくさん言葉を交わすことはないと思うが、この場を離れてもまた同じクラスにいられるということが、とても嬉しく思える。その気持ちが「また教室でね」を言わせたのだ。
 ――今まで別々のクラスだったけど、今度は一緒なんだよね。……うん、一緒なんだ。
 弾む気持ちが、一歩を踏み出す自分に妙なパワーを分け与えてくれる。まるでワルツでも踊り出す瞬間のよう。
「じゃあね!」
 声も自然と明るくなる。
「あ……う、うん。そう、だね――また教室で」
 動揺している佐伯の声に混じり、女子の不満げな声がしっかり聞こえてくるし、きっとあとでまた「ねぇ、本当はどうなの? 佐伯クンと付き合ってるの?」などといった相変わらずの質問地獄が待ち構えているのだろう。
 けれど、それは全部あとでのこと。
 ――そのときは、そのとき。ま、なんとかしましょう!
 とにかく、彼らに背を向けた今はふっくらとした蕾を持つ桜並木を抜け、軽やかな足取りで新しいクラスへと向かうのみ。
 青空の下、晴れやかな気持ちで歩き出すと、春特有の柔らかく、暖かい風が髪を撫でていく。
 新しい一年の始まりの日。
 高校生活最後の一年が今日から始まる。
 ――うん、今日も良い一日になりそう!
 下手くそだ、と佐伯が笑うスキップを一度だけ踏んだとき、どこからか早咲きの桜が一片、空を舞う。
 三度目の春の始まりがそこに見えた気がして辺りを見渡してみたのだが、頭上には開花する時期を待つばかりの蕾を持った枝が視界を覆うばかり。
「……気のせいかな?」
 ふふっ、と意味もなく小さな笑い声を漏らし、止めていた足を再び進める。
 暖かな日差しの中、心には明るい花を咲かせて――真っ直ぐ前に。



End.
2009.01.18UP
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