ときメモGSシリーズ

一番目のプレゼント【瑛主】



 店が定休日の今日は、夕食のあとにじいちゃんと二人でのんびりとリビングでくつろいでいた。
 じいちゃんはコーヒーを飲みながらテレビを見ていて、俺はというと、よく購入しているサーフィンの雑誌を熱心に見るでもなく、何の気なしにぺらぺらとページをめくっていた。
 時間ももう夜の十一時を過ぎているし、明日は早朝から波乗りする予定だから早く寝るか、なんて思っていたんだけど、ふと視線を上げたテレビの画面に面白い動物を見つけた。
「……あ」
 見ると字幕にはカピバラと書かれてある。
 名前は聞いたことがあったけど、どんな姿形をしているのかまでは知らなかった。
 苦労なんていうのをまるで知らなさそうなのほほんとした顔。もっちりとしたボディ。そして、とりあえずつけておいたとでもいうような短い手足。
「変なの」
 愛らしいといえば愛らしい。でもやっぱりしっくりくる言葉は『変』だと俺は思う。もたもたと動く姿がこれまた可笑しくて、思わずプッと笑ってしまった。
「うん? ああ、テレビのことか?」
 じいちゃんが目を細めて俺を見る。
「なんかコイツ可笑しいんだ。あんま可愛くないんだけど、どっか愛嬌あるっていうか。それにさ、妙に平和そうな顔してるんだよな」
「ハハ、本当だ。随分とかわいらしい生き物がいるんだな。確かに平和そうだ」
 じいちゃんも笑ってカピバラを見ていたんだけど、そのうち画面はぱっと違う動物へと切り替わってしまう。
「きっとあの大きさだから可笑しいんだろうな。あれでデカかったらかなり怖いかも。猛獣っていうか、珍獣だろうな、うん」
 雑誌を閉じて呟くと、じいちゃんはまた楽しげに笑う。
「おまえは幾つになってもそういう類が好きだな。昔からちっとも変わらない。案外子供っぽいのね、なんて彼女に笑われるぞ」
 ちらりと俺を見る目が妙に楽しそうだ。……っていうか、彼女ってなんだよ。
「彼女なんていないから、笑われる必要なんてない」
 ぶすっと言い放つと、じいちゃんはさらに笑う。
「いるじゃないか、ほら、いつもお前の相手をしてくれている彼女が。我が珊瑚礁における、紅一点の可愛らしいお嬢さんのことさ」
「あいつのことは俺が構ってやってんの。構ってもらってるんじゃないから」
「それだ。そういう態度が子供っぽいっていうんだ。もっと素直になればいいものをなぁ……」
「……別に」
 ふい、と視線を変えてしまう俺に、じいちゃんは仕方のない、とためいきを吐くけれど、その素直になる、っていうのが最近では一番難しい。どうすりゃいいんだよ、そんなの。
「夏休みに入ってからというもの、彼女はいつも一生懸命店を手伝ってくれているじゃないか。きっとどこかに出かけたりしたいだろうに、毎日のように出てもらっていることをありがたいと思ったらどうだ?」
 確かに夏休みに入ってからあいつ、ずっと店を手伝ってくれている。
 さすがに俺も本当に予定とか大丈夫なのかなと心配になったんだけど、それを尋ねるとあいつは笑ってこう言ったんだ。「平気平気。どうせ何もしないでだらっとしてるだけだから」って。
 多分それは本音なんだろうけど、でも半分は気遣いなんだっていうのが、なんとなくだけどわかる。
 じめじめと長い梅雨が嘘のように、海開きしてから一気に夏らしい暑さになったんだけど、その時の店の混みようというのが半端じゃなく、俺はあいつが休みの日にちょっとだけ騙して店を手伝わせたことがあった。
 水着で店の手伝いをさせたこともあり、あいつは最初は納得いかないという顔をしていたんだけど、それでも客足が引く夕方まで手伝ってくれたんだ。
 多分それからだ、あいつが夏休みだけの特別シフト、なんて言って店に出てくるようになったのは。。
 水着はなしだからね、と俺を軽く睨みながらも店が休みの日以外は殆ど出てくれている。お人よしっていうんだろうか、こういうの。猫の手でも借りたい、なんていったから、あいつ本当に出てきてるのかも。ほんと、呆れるくらいのお人よしだよ。
 真夏の日差しが照りつける中、あいつは時折額を手の甲で拭いながらオーダーをとったり、出来上がったものをテーブルに運んだり、レジを打ったりと笑顔を見せながら張り切っている。
 俺とじいちゃんだけだったらきっとてんてこ舞いで手に負えないくらいだったろうけど、あいつがいてくれて、ほんとは凄く助かってるんだ。
 浮かんだ汗に前髪が少しだけ張り付いているのと、今日も暑いね! なんて言いながらも、暑さなんてまるで気にしてないすっきりした笑顔を見ていると、なんかこう、気持ちが軽くなるっていうか、くすぐったくなるっていうか。 
 そんな笑顔のあいつと、海と太陽と空、手を伸ばしたら掴めそうなくらいの入道雲が全部セットになって、妙に目に焼き付いている。
 うまくいえないけど、不思議な気持ちになる。
 変に強気のくせにのんびりで、それでもってお人よしで。妙に真っ直ぐな目をしてて、いつも目一杯頑張ってて……。ホント、なんなんだろうなあいつ。
 ――気になって、目が離せなくなるんだ。
「たまに、ドジするけど……」
「うん?」
 俺だって、少しは感謝してるよ。
 そう早口でボソッと呟くと、じいちゃんは目を細めてそうか、と言ったきり何も言わなかった。その表情がなんだかとても満足そうで、俺もそれ以上何も言えず、意味もなくまた雑誌をぱらぱらとめくった。
 開けっ放しの窓からは、僅かに湿気を含んだ風がふわりとレースのカーテンを揺らしたけれど、妙に熱いこの頬を冷ましてはくれなかった。


 今日も朝から暑かった。部屋の窓を開けたままで寝ていても、日が昇り始めるとどんどん室温が高くなり、ついにはその暑さで寝ていられなくなる。
 午後になったら外に出ることさえもうんざりするくらいの温度になることは明らかで、俺は早めに買出しに行くことに決めたのだった。
 夏場だけは店でもアルコールを扱っているけれど、その発注は昨日のうちに済ませているし、食材だってよしみとしている所に頼んである。残るは細々とした雑貨品だけだったんだけど、それも商店街に行きつけの店があるので、幾つか店を巡ると大体の買い物は済んでしまった。
 走り書きの買い物リストと手にある購入した商品の数々を思い出しては照合させ、「大丈夫、だよな」と小さく呟く。
 本当に大丈夫かなと心配になり、もう一度そっと袋を覗いて見て、一つ頷く。
 よし大丈夫、ちゃんと必要なものは全部買った。
「……さて、と。帰るか」
 腹も減ったし、第一暑い。肌に触れる空気はまるで刺すようだ。
 ふう、とため息を吐いて商店街を歩くと、とある雑貨店から俺とそう年も変わらないだろう女子のはしゃぐ声が聞こえる。見ると買い物を終えて店から出てくるところらしいんだけど、その女子達の顔を見て、俺は一瞬ぎょっとした。
 まずいことにはね学の生徒で、それも同級生。何度かお昼を一緒に食べたことがあるから、顔ぐらいは覚えている。
 ――やべっ。見つかったら何だかんだとツッコまれるぞ!
 俺は慌てて隣のスポーツショップへと逃げ込む。店のちょっと奥でじっとしていれば、きっと彼女達も通り過ぎていくだろう。
 暫くそのはしゃぐ声に耳をそばだてていると、「これチョー可愛い」「バッグにつけようかな」「あ、それいい!」などと嬉しそうに話しながらも、重なる声は店の前を通過していく。どうやら俺の存在には気付いていないみたいだ。
 ――よかった……。
 そうほっとしつつも、恐る恐る店を出て、声が通り過ぎていった方を見ると、女子達の背中は結構離れたところにある。
 これならもう大丈夫だろう。――と安堵の息を吐いたところで俺は首を傾げる。
 なんで買い物一つでこんなにハラハラしなくちゃならないんだ? 大体、気がつけば今日は私服だし、店のカッコしてないじゃないか。もし何か言われても、買い物を頼まれた、で済ませればよかったんだ。
 そう思うとなんだか妙におかしくて笑えてくる。
「バカだ……」
 いつもの癖がどうしても抜けないなんて滑稽だ。
 俺は小さく笑って、ふと女子達が出てきた店へと視線を流す。そのとき、どこかで見たことのあるような面構えをしたものが目に入る。
 はっきり言ってこの店は女子が好んで立ち寄る雑貨店、いわゆるキャラクターものやら、さっきの彼女達が「かわいいー」と言っていたようなグッズが所狭しと並ぶ店。一瞬、店に入ることを躊躇ったが、目に留まったあるものをどうしても手にとって見てみたくなった。
 幸いさっきの女子が店を出た後、店には店員しかいない。
 ――さっきのやつら、戻ってくるなんていうことはないよな。
 俺はきょろきょろあたりを注意深く見渡したあと、躊躇いがちに店内へと足を運ぶ。
「いらっしゃいませぇ」
 妙にダラッとした店員の声。
 流行のロックシンガーの曲が狭い店にうるさいくらいに響いている。それはとても音質が悪い。思わず顔を顰めそうになるが、そんな中でも、目に留まった『とあるもの』が置かれている場所へと真っ直ぐに足を進める。
 色も形も同じものが山のようにぎっしりと商品が詰まれているそれは、何日か前にテレビで見た『苦労なんていうのをまるで知らなさそうな』動物を模したもの。
 札にはカピバラと書かれている。随分と可愛らしくデフォルメされているけれど、やはりそれは間違いなく動物番組で見たアレだ。
 触るとふわふわと柔らかく、くるんとした目はサイドの随分と離れたところについている分、のんびりとした印象を与える。
 のんびり。――それはふととある誰かを感嘆に連想させ、脳裏にその誰かの顔が浮かんだときに思わず小さく噴き出してしまった。
「……ブッ」
 言ってから慌てて口元を押さえたけれど、うるさい店内では俺の笑い声なんてまるで耳に届かないんだろう、そっと振り返ってもこちらを見向きもしない。
 もう一度そのカピバラのぬいぐるみを見つめてみても、やはりたった一人の顔しか浮かんでこない。
 ――あいつそっくり。
 そう、じいちゃん曰くの、珊瑚礁における紅一点の可愛いお嬢さん、のことだ。
 人のよさそうなところ、のんびりでトロそうなところ、ボケッと平和そうなところ。……なんだ、全部そっくりじゃん。
 こういう風に思っていることがあいつにばれたら、絶対に怒るんだろうな。それも俺に当たりもしないようなトロいチョップとか出そうとしてくるのが目に見えるよ。
「……ばーか。百年早い」
 俺は小さく笑ってカピバラの鼻先を摘んだ。
 そしてふと思ったのだった。そういえばもうすぐあいつの誕生日だったな、って。
 前も店で休憩しているときにぼやいてたっけ。
 誕生日が夏休み期間中だからみんなに忘れられてしまう、なんて情けない顔して言ってたんだ。
 そんな風に言われたらなにかしてやらなくちゃいけないような気にさえなってくる。
 他の奴らは忘れてしまっていたとしても、俺ぐらいは覚えておいてやらなけりゃかわいそうかもしれない、なんて思ったりもしてさ。
 それに、この夏はあいつのおかげで店も――っていうか俺も、じいちゃんも本当に助かったから、ささやかだけど何か特別ボーナスでもやるか、と思っていたんだ。
 それが誕生日と重なるなら丁度いい。プレゼントを渡す良いきっかけになるし、それに、『でも、どうして?』なんていうような顔をされても、店を手伝ってくれたからであって、ヨコシマな意味でじゃないから、と強く言い切ることができる。っていうかヨコシマな意味なんてこれっぽっちもあるわけが無い。
 ……まぁ、あのボンヤリのことだから、そんなに深く考えないだろうけど。
 無邪気に「わあ、うれしい! ありがとう!」なんて喜んでくれるに違いない。
 そんなあいつの笑う顔を思い浮かべたら、今度はさっきとは違う意味で口もとが緩む。
 きっと顔をくしゃっとさせて、心から嬉しそうに笑うんだろうな。
 あの笑顔、結構――いや、かなり可愛いと思うし、俺は割りと好き……。
「って!? 好きってなんだ!? そうじゃない、そんなんじゃないから!」
 なんなんだ、今の好きって! 変な意味じゃない。そう、好――ああ、じゃなくて、さっき思ったことは、ああいう笑顔がいいっていうだけであって、別にあいつのことをどうのこうのというわけじゃない。
 そう心裡で必死になりながら、ふと湧いた思いに対し慌てて弁解をするんだけど、俺は忘れてたことが一つだけある。
 ここが自宅じゃなくて外で、しかも場違いなくらいの店の中だっていうことだ。
 さすがにさっきの独り言は店員の耳にも届いていたらしく、俺のことを心配そうな目で見ている。
 ――やっべ……。絶対今ので怪しい奴だって思われた。つーか、この店に男一人で入ってきた時点でアウトだよな……。
 天を仰ぎたい気持ちでカピバラの人形を掴んでいると、今度はこのカピバラ人形と俺とを見比べている。それはまるで「買うの? 自分の? つーか盗まないでしょうね」とでも言うような視線で、俺は内心ぎょっとした。
「……あ、あのすみません」
「はい?」
 このまま誤解されるのも癪なので、俺は平常心を装って店員に声をかけた。
「このぬいぐるみって、この形のしかないんですか? ほかには……」
 言って、ちらっとこのぬいぐるみの山を見るけれど、やはりそこには同じタイプのものしか置かれていない。
「それ一種だけです。九月になれば新しい種類が入ってくるみたいですけど」
 そっけなく言い返され、俺はそうですか、としか言いようが無い。
 それに、なんとなくこのまま何も買わずに出て行くのも憚られるような気持ちになる。
 本当はもうちょっとちゃんとしたものをあげたかったんだけど……まあ、いいか。
 俺は手にあるカピバラのぬいぐるみを見る。その顔はやっぱりのんきで、思わず苦笑したくなるくらい。
 ――あいつみたいで、ちょうどいいか。カピバラにカピバラを贈るのもちょっと変で面白いし。
 そう心裡で呟き、そして決めた。
「これプレゼント用にお願いします」
 近くにあるあいつの誕生日と、そして俺からの夏のボーナスとでも証してのプレゼントだ。
 ちょっとした成り行きがあっての結果だけど、それでもあいつが少しでも喜んでくれるのならそれでいい。
 十六年前の夏に、あいつが生まれてきた記念日。それは夏の盛りの頃のこと。
 あいつは夏休み期間中だからみんなに忘れられてしまうかもって言ったけど、俺はちゃんと覚えているから大丈夫。
 来る十六年目のあいつの誕生日。まあ、せめてその時ぐらいは素直に言うよ。
 おめでとうと、ありがとうってさ。



End.
2007.08.17発行『そこにはいつも海があるように』より 
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