ときメモGSシリーズ

そこにはいつも海があるように【瑛主】



《7月17日》

 七月十九日の佐伯くんの誕生日は木曜日。
 次のわたしのアルバイトは明日。そう、十八日の水曜日。
 となると誕生日プレゼントを買いに行けるのは今日しかない。

 そう、今日がラストチャンスだ。

 欲しいなと思ったCDも我慢し、放課後に友達と一緒にお茶して帰るのも少し回数を減らした甲斐があってか、今のわたしのお財布は結構潤っている。
 これは本当に珍しいことで、自分でもちょっと驚いている。いろいろ欲しいものは我慢したけれど、やっぱり倹約っていう言葉は大事なのかも。
 そんなふうにしてわたしをしみじみとさせる原因は、佐伯くんの誕生日にある。
 倹約は佐伯くんへのプレゼントを買うためだ。佐伯くんには珊瑚礁で随分とお世話になっていることもあり、間近に控えている彼の誕生日には、少し奮発してプレゼントをあげようと思い立ったんだ。
 この健気な心遣い、きっと佐伯くんだって感激して、少しは優しくしてくれるかも。さわやかな王子様スマイルをわたしにも見せてくれるかもしれないし、チョップ根絶とまではいかなくても、その回数だって減るかもしれない。
「――なあんて、あるわけないけど! ないない。絶ーっ対にない。もう、間違いない!」
 わたしは仏頂面の佐伯くんを思い出しては小さく肩を揺らし、こっそりと一人ごちてショッピングモールを歩いた。
 何を買うかは大体目安がついているので、あとは彼が好きそうな形や色のものがあるかだけだ。
 佐伯くんの好きな色はブルー。そして好きなものはガラス細工。あとはやっぱりコーヒーと海だよね。もちろん『珊瑚礁』とマスターも。
 海とコーヒーはさすがにプレゼントするのは難しいから――あと珊瑚礁とマスターも――消去法でいくと残るはガラス細工しかないかな、とわたしは単純に考えた。
 他にもギターのCDにしようか、それとも世界のサーファー写真集か、はたまた意表をついて大怪獣大図鑑にしようかと、これでもうんうん悩んだんだけど、どうせなら去年あげたプレゼントよりもステップアップしたものにしたいなって思ったんだ。
 ちなみに去年は貝細工の写真立てをプレゼントしたんだけど、佐伯くん随分と喜んでくれたっけ。「俺の好みよくわかってる」って笑ってくれたのがとても嬉しかったんだ。
 はね学に入学してからこの一年と少しの間で、彼のことが随分わかった気がする。
 学校ではそれほど多く話す機会はないけれど、帰り道や珊瑚礁で休憩をしているとき、そして二人で出かけているときにいろんな話をしている。
 たとえば好きな色、好きな曲、好きなもの、好きな場所、好みの映画のタイプ。それを話している途中、わたしの質問がまずかったのかは知らないけれど、へそを曲げられ、何度もチョップされたり怒られたりしたけれど、それでもたくさん話をしてきたから、わたしはいろんな佐伯くんを知っている。
 学校では『はね学の王子様』。だけど、わたしやマスターの前では『わがままで怒りっぽいチョップの王子様』。
 でも、何か困ったことがあると「仕方ない」と口ではいいながらも助けてくれる面倒見のいい、普通の――それこそ王子様なんかじゃなくて、どこにでもいる普通の優しい男の子だ。
 あと――そうだな、ガラスが好きっていうから実はちょっと繊細なところもあるのかなって思う。
 光を受けるときらきら輝き、透き通った光を放つのガラス細工はとても綺麗だし、わたしも佐伯くんと一緒にガラス工芸展を見に行ったときには、数ある美しさに心底感動したけれど、でもその輝きはちょっとしたことで壊れてしまうかもしれないというもろさも抱えているんだよね。繊細な美しさっていうのかな、そういうの。
 それは珊瑚礁でアルバイトをするようになってからわたしは身をもって体験したよ。……その、コップを割るという予測不可能な出来事に多々直面しているということで、しみじみと。……まあ、『ガラスの質』は違えど、そういうもろさがあるということに違いはない。
 ショーウィンドウ越しに飾られてあるシンプルな一輪挿しの数々を見つめ、わたしはそんなことをぼんやりと考えていた。
 ――まあ、とりあえずはお店に入って考えよう!
 わたしはガラス製の扉の取っ手を掴んだ。
「いらっしゃいませ」
 お店に入ると、窓越しに見ていたよりもたくさんの雑貨が並べてある店内には、いつもわたしが足を運ぶ雑貨屋とは違い、かわいいというよりもシンプルで形も無駄のない格好がいいものばかり。なんだかとても洗練されている感じ。見ているとなんだかちょっとだけセンスがよくなるような気がするな。
 でも、そのどれもがちょっとお値段が張るものだから、あちこち見るときにはうっかり商品に触れて落としたりしないかと、変にどきどきする。
 わたしはカバンを持つ手に少しだけ力を込めた。うっかり振り回したりしないようにしなくちゃ。
「……えっと、ガラスの一輪挿し、一輪挿し……と」
 なんとなく独り言を呟いてしまうのは、わたしのような学生がほいほいと簡単に足を運ぶような感じのお店ではないからだ。
 店員もラフな普段着を着ている店員さんではなくて、黒のベストとパンツで上下をあわせ、白のシャツにはきちんと糊がかかっているという、気持ちが引き締まる格好をしている店員さんばかりだ。
 わたしのことをやんわりと優しい目で見ているというのも、ちょっとした緊張感を煽る一つになっている。
 店内は置いてある商品と違わずいたってシンプル。雑多な感じはせずすっきりとしているし、客層も大学生や仕事帰りなのだろうか、スーツをきりっと着こなしたOLの姿がちらほら見える。要するに人や物でひしめき合っていない分妙に静かなんだ。
 天井や壁は真っ白。床は木材を使っているから靴音が妙に響いて聞こえる。
 何かやましいことをするつもりなんてこれっぽっちもないけれど、静かな店内ってなんか緊張するなあ……。
「あの、なにかお探しですか?」
「えっ!? あっ、は、はい!」
 不意に声をかけられたわたしは、思わずびくっと肩をあげてしまった。
 振り返ると少し離れたところで店員の女性がにっこりとわたしを見ている。営業用のスマイルなんだろうけど、優しそうなその女性の雰囲気に少しだけ安心し、わたしはそろそろと言葉を紡ぐ。
「あの……ガラスの一輪挿しを探してるんです。外から見たときに、こちらに素敵なのがいくつも飾ってあったので……」
 言葉にして自分以外の誰かに告げると、いよいよ『買うぞ!』っていう気持ちになる。――ああ、なんかわたし、誰かのために買い物するんだなあ、なんて。
 ちょっと誇らしいって思うのは大げさだろうか。
「ガラスの一輪挿しでしたら、ウィンドウから見えるものと同じものがあちらにもありますよ。他にもいくつか種類もありますので、よろしければこちらへどうぞ」
「は、はい!」
 笑顔の店員さんの後ろをついて行き、インテリアコーナーのほうへと足を進めると、店員さんの言うとおり、そこには外から見たものだけでなく何種類もの一輪挿しがあった。無色透明でベーシックなものは勿論、白や黒、グレーといったワントーンものが形違いで幾つも並んでいる。
「わ……。迷っちゃうな」
 うろうろとそのコーナーを見て歩いていたんだけど、どれもシンプルで素敵なものばかりで、わたしは思わずぽろっと呟いてしまった。だって本当に迷うんだ。
 それを聞いた店員さんが柔らかい笑顔のままでわたしを見る。
「ふふっ。数があると迷っちゃいますよね。あの、もしよかったら、ご予算とどういった感じのものをお探しかを教えてもらえますか?」
「……あ、そうですね。一緒に見てもらえると助かります」
 みんな素敵だからどれにしていいかわからないし、とわたしが肩を竦めると、店員さんも「ありがとうございます」と微笑み返してくれた。
「あと、今はまだお店に並べていないけれど、今日新しく入荷したものもあるから、よかったらそちらもお出ししましょうか? 今日入ったものは本格的な夏に向けて、涼しげなブルーやグリーンといったうちでは珍しくカラフルな色を入れてるんです」
 ブルーにグリーンという言葉を聞いて思わず店員さんの顔をじっと見つめてしまった。すごい、なんか佐伯くんの好みの色っぽそうだよ。
「あ、あの! それ、見せてもらってもいいですか?」
「ええ、勿論。それでは今からお持ちしますので、店内を見ながら少しだけお待ちください」
「はいっ!」
 嬉しくなってつい元気よく返事をしてしまったんだけど、その声が妙に響いてしまい、店員さんだけでなく周りのお客にもくすくす笑われてしまった。
 ――うう……。すごく恥ずかしい……っ!
 顔にかあっと熱が集まるのを感じながら、わたしは意味もなく目の前にある大きな砂時計を何度も逆さまにして穴に入りたい気持ちをぐっと堪えた。ほんと、すごく恥ずかしい。制服姿の女子高校生なんてただでさえ場違いなのに、注目まで集めちゃった……。
 そんなふうにしてそわそわ待つわたしの前に、やがて店の奥より現われたさっきの店員さんが三種類の商品を見せてくれる。
 緩やかなグラデーションを描くブルーのものと、ブルーでもグリーンでもなく、テレビや写真で見る南の海のようなブルーグリーン見たいな色味のもの、そしてこの一点だけ透明度がないビビッドなブルーの三点が棚の上に置かれる。
 店員さんは「どれも素敵だけど、あとはやっぱり好みの問題になってしまいますね」と小さく笑う。
 佐伯くんの好み……か。
 ブルーが好きで。海も好き。そしてガラス細工も好き。そう考えると、きらきらと透き通っている感じのが好きなんだろうなあ。
「……透き通っていて、でも海のような青が好きで……」
 気がついたらわたしは思っていたことを言葉にしていたみたい。
 そばにいた店員さんが、じゃあこれはどうですか? と指先揃えて示したものは、三つあるうちの真ん中に置かれているブルーグリーンの透明な一輪挿し。
「こうすると……ほら、ブルーがとても綺麗」
 ブルーグリーンでも、どちらかといえば僅かに青味が強いそれは、天井から吊るされているライトにかざすと、海の中から水面を覗いているような透明なブルーの光を放つ。
 それはとても綺麗で、思わず目を奪われてしまったくらい。
「わ……綺麗……。きらきら光ってる……」
 わたしは羽ヶ崎の海で泳いだことってそれほど多くないけれど、佐伯くんはたくさん泳いでいるはずだよね。岸寄りだと砂が混じってこんなに綺麗じゃないかもしれないけど、沖の方ってきっと綺麗なんだろうな。
 海外の海と比べると、日本の海はそれほど綺麗じゃないというイメージがあるけれど、前に佐伯くんが言ってたっけ。皆が思っているほど悪くない、って。綺麗なところ、割りとあるんだぜ、って真面目な顔で言ってたな。
 それをふと思い出し、わたしは密かに決心をした。
 ――うん、これにしよう。
 佐伯くんの誕生日プレゼント、今年はこれにしよう! って。
 にこにこと微笑む店員さんへと顔を向け、わたしも同じように笑顔を見せた。
「あの、わたし、これにします。きらきら光ってとても綺麗だから、これに決めます」
 そうわたしが差し出すと、店員さんは目を細めて言った。
「……実のところ、私も心の中ではこれをお薦めしてました」
「えっ?」
「選ぶのはお客様ご自身ですから、私はこういった商品がありますよ、こういうのも素敵ですよ、としかアドバイスしかできませんけれど、でもこれは素敵だなって。……私の好みも入っていますけどね?」
 ふふ、と照れくさそうに笑っている。
「やっぱり……そう思います?」
「ええ! ……あ! でもどれもお薦めですけどね?」
 店員さんとわたしは顔を見合わせ、そのあと軽く肩を竦めて笑い合った。
 佐伯くん、気に入ってくれるといいな。
 なんだか最近ちょっと疲れているみたいだから、この綺麗な色を見て、少しでも疲れが取れるといいな。気休めかもしれないけど、綺麗なものを見ると心が洗われるような気持ちになるもの。

 ――そして、また去年と同じように笑って受け取ってくれるといいな。

 あの笑顔、わたし、好きなんだ。作った笑顔じゃなくて、自然な笑顔。ああいう瞬間が幾つもあればいいな。
 そう思い、改めて小さく頷くわたしに、店員さんは笑顔のまま尋ねる。ご自宅用じゃなくて、プレゼント用にラッピングでよろしいですよね、と。
 尋ねられてちょっとだけ気恥ずかしくなったけれど、深く頷いて言葉を返した。
「はい! プレゼント用にお願いします」



《7月18日》

 今日は朝から小雨が降ったり止んだりとあまりぱっとしないお天気だ。
 あと数日で夏休みに突入するんだけど、まだ梅雨は明けずにじめじめとした空気が続いている。
「早く梅雨明けないかな……」
 客足がひいたひととき、佐伯くんはテーブルを拭く手を止め、窓の外を見つめてフゥ、と息を吐いた。
 窓の外に広がるのはいつもよりちょっと暗い海の色。おまけに空がグレイだから、窓の外を見てもいつものようにぱっと心が晴れるような感じにはならない。どちらかといったらブルーなため息のほうが似合いそうな色をしている。
 わたしは佐伯くんが立っている向かい側の窓から海を見た。
「ほんと、すっきりしないお天気だもんね。わたしも髪がもわっとして嫌なんだ」
 朝一生懸命ブローしても、いったん外に出てしまうともうだめ。ふわっと髪が膨れてしまうような感じが余計に気持ちを憂鬱にする。
「湿気多いしな。じりじりする暑さはいいんだけど、こう、べたべたするの? これは俺も苦手」
 やっぱ夏ならカッと暑くなんないとさ、と佐伯くんはちょっとだけ顔を顰めた。
「あ、でも台風なら歓迎だな。この前の台風のときも割といい波が来たし」
「えっ!? この前? テレビであんなに大騒ぎしてたのに」
 大型の台風が来る、と数日前まではテレビでは何度も警戒を促していたけれど、はばたき市――羽ヶ崎ではそれほど雨や風の被害はなかった。
 ただ、海は大荒れだと天気予報では言ってたのに、佐伯くんはそれでもサーフィンやったんだ。ホントすごい。
「でもこっちはそれほどでもなかったろ? 俺だって危ないと思った時ははさすがに海に出ないよ。いい波やうねりが来るっていっても、自分のレベルっていうのがあるしさ。……まあ、それでもいるけどな、わかんないで無茶する奴」
 たまに台風のとき救助隊とか来るだろ? と海を見たまま言う。そう言われればそうかもしれない。あれって、サーファーの人を救助しに行ってたんだ。ちっとも知らなかった。海の状況を見ているのかとばかり思っていた。
「それに、夏より秋のほうが台風の勢力大きいから、俺はそっちに期待する」
「うん……。って、ええっ!? 大きいほうに期待して大丈夫なの? おぼれちゃうよ! 命は一つなんだよ!?」
 信じられない。
 思わず身を乗り出して佐伯くんをまじまじと見つめてしまう。なんでそういう無茶をするのかな、この人は!
 心配するわたしの気持ちなんてこれっぽっちも知らない佐伯くんは、フン、と息を吐いてわたしの額を指で弾いた。
「いたっ!」
「おまえさ、俺のこと丘サーファーとか何かと勘違いしてないか?」
「……違うの?」
 額をさすりながらそういうと、佐伯くんは片方の眉をピクリと上げて怖い顔をした。そしてやっぱり降ってきたよ、チョップ。……ああもう、痛いってば。
「おーまーえーなー。よし、そんなに疑うんなら今度見せてやる。夏休みは絶対にどこか予定空けとけよ。つーか海の状況によっておまえのこと速攻呼び出すから、呼び出しには応じなさい」
 腰に手を当てて佐伯くんは偉そうに言う。
「なんで強制的なの」
「呼ぶのは俺じゃなくて海。相手は自然なんだよ。海に出てれば簡単にいい波が来ると思ったら間違い。いいか、スパルタ特訓するからな」
 ――なに、この急展開! 何をスパルタ? ひょっとしなくてもわたしを? というかサーフィンの特訓!?
「ええっ! 特訓なんて、そんなの誰も頼んでないよ!」
「なんだその態度。つーかありがたいと思いなさい」
 ちっともありがたくないよ。わたしは普通に適度に海で泳ぎたい。なんでサーフィンしなくちゃいけないの。
「横暴。強引。オニ、悪魔。……あ! 佐伯くん」
「な、ん、だ、よ!」
 一文字ずつ区切って発音し、怖い顔をした佐伯くんが顎を上げてわたしを見る。……というか見下ろす。けどわたしだってそんな威嚇には負けない。なんとかしてこの計画を阻止しなくちゃ。
「えっとぉ〜、夏休みはぁ〜、きっと親子連れで海岸はいっぱいのはずでぇーす。サーフィンどころじゃないで〜す。あぁ、残念!」
 残念とは勿論口ばかりで、笑顔のままでびしっと人差し指を突きつけて言ったら、なんと指の上に台ふきんを乗せられてしまった。おまけにわたしにはめったに見せないプリンススマイルまで浮かべている。
 こういうときは大体嫌なことが起こるんだ。
「ははは、おまえざんねーん。知る人ぞ知る穴場があるんでーす。ごみごみした場所で波乗りなんてしませんできませーん。――わかったか、バカ」
 わかったか、バカ、のところで口調を無愛想なものに変え、最後にチョップ。
 本人は知らん顔してカウンターへと戻っていく。
「いったーい!」
「こら、瑛。いい加減にしなさい」
 見かねたマスターが呆れたように佐伯くんに注意をするけれど、彼はまったく聞いていない様子。しれっとしてる。
「俺のせいじゃない。あいつが悪いんだ。それに、わけわかんないこと言ってサボってるから、あいつだけデザートなし」
 ちらりと振り返った佐伯くんは、本当にチョップし返したくなるくらい可愛くない笑顔を浮かべていた。
 ねえちょっと、明日が自分の誕生日だっていうこと忘れてない!? せっかくプレゼント用意したのにこの仕打ちはないよ。
 昨日のわたしの殊勝な気持ちを返してよ、もうっ。
 そもそもデザートなしとはひどい。オニだ、悪魔だよ。
「ずるい、デザートなしなんて。それはないよ! 大体サボってたなら佐伯くんも一緒じゃない!」
 台ふきん掴んで真っ直ぐに差し出すけれど、まるで目にも留めずにふい、と明後日の方向を向かれてしまう。
 ――くっそー……。
 差し出したこの手をどうしてくれようか。
「……覚えてろ〜」
「ハイ? なにか、言ったかな? ああ、今日のデザートかい? 今日は特製バニラアイスにあつあつのキャラメルソースをかける予定なんだ。でも残念だなぁ、きみは食べたくないんだ? あはは、残念残念」
 ――バニラアイス! それもキャラメルソース! うそ……っ。
「ううぅ。……佐伯さま、お許しを」
「ヤダ」
「そんな子供みたいなこと言わないで!」
 頬を膨らませるわたしに、佐伯くんは振り返ってにやりと意地悪な笑みを見せる。
「じゃあ、夏休みはサーフィンの特訓決定な。サボんなよ。テイクオフできるまでみっちり訓練だ。大丈夫、ボードの上に立つくらい犬でもできる」
 そのむちゃくちゃな交換条件にわたしは言葉につまったけれど、プライドよりも今はアイスクリーム。犬と一緒にされたって我慢。だって佐伯くんが作るアイス、バニラビーンズが入っていて本格的で、本当においしいんだよ。……とはいってもやっぱりちょっと情けない。思い切り食べ物に振り回されている。
「はいはい、わかりました、了解ですよ、だ。……はぁ」
 夏休みはサーフィン講座で予定が埋まりそうな予感。いつになく健康的な夏休みが過ごせそうだ。
 でも、わたしはサーフィンばかりで夏を終わらせるつもりはない。佐伯くんの言うこと聞いてあげるんだから、わたしのお願いだって聞いてもらわなきゃ。
 八月には花火大会だってあるし、遊園地のナイトパレードだってある。あと、新作映画が目白押しなんだ。つまりはこれ、全部一緒に消化してもらうからね。
 っと、それよりもまず先に明日に迫った佐伯くんの誕生日があるんだった。
 昨日しっかりプレゼントも買ってきたし、準備万端。素敵なガラスの一輪挿しだったから、佐伯くんも気に入ってくれるといいな。
 こんな意地悪なことばかり言う人だけど、いつもお世話になっているお礼ぐらい気持ちを込めてしなくちゃね。
 アイスと引き換えにサーフィン講座無理やり開くような人だけど、いいところだってあるんだし。……っていうか、どうしてわざわざ時間を割いてサーフィン教えてくれるんだろ。それが不思議だ。
 何かにつけていつも『時間がないんだ』っていろんな誘いを断っているくせに。なんの気まぐれなのかな。っていうか、相当ヒマなのかな……。
「ねえ、佐伯くん」
「うん?」
「……ひょっとして、夏休みヒマなの?」
 この言葉に佐伯くんは目を丸くし、マスターに至っては派手に笑い出す始末。
「あ、あれ……?」
 もうちっとも痛くないけれど、チョップを落とされた場所を撫でて佐伯くんとマスターを交互に見ていると、佐伯くんは見る見るうちに頬を染めていく。それも、仏頂面をしてだ。
「じいちゃん! 笑いすぎだ」
「あっはっは、これは面白い! お嬢さんの言うとおりだ。もし迷惑じゃなかったら瑛のわがままに付き合ってやってください。きっとお嬢さんにかまって欲しくて仕方がないんですよ」
「そ、そんなことひとことも言ってないだろ!」
 佐伯くんはさらに顔を赤くさせてるし、マスターは本当に楽しそうに笑っている。なんだかどこをどう突っ込めばいいのかわたしはわからなかった。
 けど、あれだよね。どうせ予定なんてないんだし、マスターも付き合ってやってくれって言ってるし、まあいいか。なんか楽しそうだもんね。
 友達は彼氏とすごしたり、家族と旅行に行くって言ってたから、佐伯くんにはわたしに付き合ってもらうことにしよう。
「あっ、と……。じゃあよろしく、佐伯くん」
「あ、ああ。……じゃなくて! バカ、なによろしくしてんだよ!」
「照れなくていいのに」
「照れてない!」
 背中を向けて佐伯くんはバックヤードへと入っていく。きっとデザートの準備をするんだろう。そんな背中に一言。わたしだってやられっぱなしは悔しいもの。
「顔赤いよ」
 この言葉のあと、「うわっ」という佐伯くんの声とともにボウルが落ちる音が派手に聞こえる。きっと幾つか落としたんだろうな。すごい音がする。
 そおっと中を覗いてみると、目が合ったとたんに派手に怒られた。
「あ、赤くない! つーかコレ全部おまえのせいだかんな!」
 おまけに、バカ! だって。
 ――ああ、とばっちりだ……。



《7月19日》

「どうしたの、その荷物」
 この言葉を今日は朝から何度も言われた。
 鞄とお弁当が入っているミニバッグ、そして佐伯くんへのプレゼントが入っている紙袋。わたしは三つの荷物を抱えて教室のドアをくぐった。
 今日は七月十九日。佐伯くんの誕生日だ。
 自分の誕生日よりも妙にそわそわと落ち着かない気持ちになるのは、やはりプレゼントを渡すというちょっとしたアクションを起こすからなのかな。
 ここ数日佐伯くんと話をするたびについ誕生日の話を振りたくなってしまうんだけど、当日のサプライズのために、わたしはひたすら我慢を重ねた。これはちょっと辛かった。誕生日は何が欲しい? っていうのは勿論だけど、プレゼント期待しててね、というのも我慢しなくてはいけなかったから。ホント、どれだけ言いたかったことかわからないよ。
 でも今日は待ちに待った十九日。解禁日だ。
 まずは佐伯くんにプレゼントを渡すチャンスをつくらなくちゃね。今から予約を取り付けておかないと、帰り際にはファンの女子に囲まれて話もできなくなってしまうかもしれない。明日から夏休みだから余計だろうな。
 まずは先手を打っておかないと、ってね。
 弾む気持ちと同じく軽い足取りで佐伯くんのクラスへと向かった。
 一時間目が終わったばかりの休み時間、佐伯くんの姿は窓際の定位置で簡単に見つけることができた。
 でもさすがに入り口から彼の名前を大きく呼ぶことはできないから、なんとか気づいて欲しくて背伸びしたり、横に体を傾けてみたりと試みたんだけど、全然ダメ。全く気がつかないみたい。それでも一生懸命小さなアクションを起こしていたら、やっと彼の視線がわたしが立っている入り口へと動く。よかった、気づいてもらえた。
「佐伯く――……あれっ?」
 音量を上げて名前を呼ぼうとしたわたしは、彼の視線がすでにこっちにはないことに気づく。
 今目が合ったはずなのに。確かに合ったはずなんだけどなぁ。
 こっちを見たと思ったら、佐伯くんは一瞬――本当に一瞬眉を顰めてぷい、と窓の外を見るように顔の向きを変えてしまった。それっきりこっちを見ようともしない。
 ――さ、さては今のシカト、わざとだな……! 佐伯くんめ……。
 あまり学校では呼び出したりすんな、と釘を刺されたけれど、今日は本当に用事があるんだってば。
 わたしは頬を軽く膨らませ、「こっち向いてよ!」とばかりに佐伯くんの後頭部をじいっと見つめてやったんだけど、意地悪な彼の、すぐそばにいた男子のほうがわたしの視線に気づいたらしく、「佐伯」と佐伯くんに声をかけ、『用があるみたいだよ』とわたしのほうを指差している。
 ――ありがとう! ええと……鈴木くんだっけ、いや違うな田中くんかな? ……まあ、とにかく感謝します!
 その優しさに心から感謝せずにはいられない。それに比べて佐伯くんめ。
 鈴木くんだか田中くんには笑顔で応じるくせにわたしにはそれをしてくれない。やっと席を離れてくれたけど、わたしの目の前に立ちふさがるようにして一気にその表情を変えた。もちろん声色まで。
「なにしに来たんだよ」
 小声でもそのイライラしている気持ちは十分に伝わってくる。
「用があったから来たんだよ。それよりも、無視することないでしょ」
「ウルサイ。……いいから、手短に用件」
 ――まったくせっかちなんだから!
「もう、わかったよ。えっと、今日の帰りに一緒に寄り道する時間あるかな?」
「……なんで」
「なんでって、用があるから」
「おまえ、さっきからそればっかだな」
「それ以上は今は言えないんだよ。……とにかく用があるの」
 誕生日の前から我慢してきたんだから、ここで簡単に教えるわけにはいかない。
 でも彼のこの仏頂面からして何かを強く言い返されることは必至。降ってくるであろう言葉に負けじとくちびるをきゅっと結び、真っ直ぐに佐伯くんを見つめていたんだけど、彼は文句を言うどころか、何かを諦めたように一つ息を吐いて「わかった」と言う。
「別に、いいけど……」
「よかった! ……でも、大丈夫なの?」
「なにが」
「ファンのみなさんとの約束は?」
 絶対に「佐伯クーン!」って誘われていそうな気がするんだけど、大丈夫なのかな。
「おまえ、ファンって……ったく、まあいいや。昨日お昼食べたし気が済んだんだろ。静かなのはいいことだ」
 そういうもんなのかな。普通、誕生日だったら一番盛り上がるはずなのに。それも夏休み前の最後の登校日なのに。っていうか、誕生日のことファンの皆さんには知られていないのかな? でも、まさかねえ……。
「ふーん……。今日みたいな日はもっとこう、凄いのかと――」
「え?」
「あっ! いえ、なんでも?」
 危ない。うっかり口にするところだったよ、誕生日のこと。
「と、とにかく帰りはよろしくね! 校門出たところで待ってるから」
「……あ、ああ」
 いきなり話の腰を折ったものだから佐伯くんは怪訝な顔をしているけど、すべての理由は帰り道に改めて、っていうことで。わたしもファンの皆さんのことをいろいろ突っ込みたい気持ちはあるけれど、ボロが出たら大変。『うっかり』がいつもわたしの中にあるから油断はできない。
「じゃあね!」
 わたしは、来たときと同じく帰りも軽い足取りで自分の教室へと戻った。
 約束も取り付けたことだし、あとはプレゼントを渡すだけ。そう考えたら妙に嬉しくてついつい気持ちが顔に表れてしまった。
「なんかいいことあったの? 妙にニヤニヤしてるね」
 教室に戻るなり友達に言われてしまった。その言い方、まるで佐伯くんみたい、「ニヤニヤ」だなんて。失礼だなあ、もうちょっと可愛く言って欲しいよ。
「もう。せめてニコニコって言ってよ」
「だってニヤけてるもん。誰かに告白でもされたりした? ほら、夏休みに入る前日だしさー」
 そう言う友達のほうがニヤニヤしている。おまけに肘で突いてきたし。確かに夏休み前の告白って結構あるって聞いたけど、わたしと佐伯くんの間にそんな空気は微塵もない。
「そんなんじゃないよ。ただちょっと今日は機嫌がいいんだ」
「こんなお天気でも〜?」
「うん」
 外は相変わらず曇り空。一段と濃いグレーの雲がいくつも浮かんでいるけれど雨は降っていない。
 確か、一日曇り空だけど雨は降らないと朝の天気予報では言っていた。
 折角の佐伯くんの誕生日なんだから晴れればいいのにと思っていたけれど、雨が降らないのならそれでもかまわない。残念だけど太陽はあきらめよう。
 その代わり、きっと近いうちに夏の太陽がその姿を現してくれるはず。
 だから、どうか今日だけはこのまま雨よ降らないで。
「……雨、降らなければいいね」
「うん、そうだね」
 わたしの言葉に友達も頷く。二人で見つめた窓の向こうには、やはり雲が厚く広がっていた。


「うわ〜、お待たせ! ごめんね佐伯くん!」
 ホームルームが思った以上に長引いてしまった。
 荷物を掴み、友達には「また登校日にね!」と簡単に挨拶をして慌てて校門に向かうと、校門からやや離れたところで壁に背を預けて待っている佐伯くんの姿があった。
「遅いよ」
 むすっとした顔で言われてしまったよ。まあ、チョップがないだけましかな。
「ごめん。明日から夏休みだからって若王子先生が張り切って注意事項を読み上げてて……」
 といっても普通の先生が言うような注意事項ではなくて、「思い切り夏を満喫してください」とか「楽しいことがたくさん見つかるといいですね」といった類のものだ。先生の話は楽しかったから、話を聞いていてもちっとも苦じゃなかったんだけどね。
「若王子先生ならありうるな、そういうの」
「でしょ?」
 仕方ない、とため息を吐きつつも、佐伯くんは壁から背中を離す。
「結構待った? 佐伯くんのクラスは早かったの?」
「割と早く終わったから、結構待った。いや、すごく待った」
「ええっ、ごめん」
 わたしが謝ると、「別にいいよ。……で、どっちに向かうんだ?」と早速聞いてくる。
「駅前でいいかな? 駅前の新しいカフェ。あそこまだ行ったことないんだよ。お腹もすいたし、簡単に食べる分には良さそうかなって」
 今日は終業式だから午前中いっぱいで授業は終わり。十二時を過ぎたばかりの今、わたしのお腹は時々切なそうな音を立ててる。ホント、お腹がすいたよ。
「駅前か。わかった。じゃ行くぞ。三分待たされた分、遅れを取り戻す」
 ――三分? なにそれ! すごく待ったんじゃないの!? さっき言ったよね?
「……ちょっと待って。佐伯くんが待ったのって、三分?」
 ぎょっとし、目を丸くしているわたしに佐伯くんは笑って言う。
「実はほとんど待ってないって。ホームルーム終わったのだって、俺んとこも同じくらいだよ」
「なあんだ〜……。びっくりしたよ」
「って言うけど、俺だって腹減ってんだ。三分は貴重。ほら、早く行くぞ」
 意地悪そうに笑みを浮かべ、佐伯くんは前を行く。その背中に小さく一言。
「……せっかち」
「なんだって?」
「なんでもなーい!」
 出遅れたわたしは笑ってその背中を追う。
 二人並んで歩くっていっても、特に熱く何かを語るわけでもなく、あの先生の話は長いんだ、とか数学の課題のこととか、登校日のこととか、ほんとありきたりな話ばかり。
 もっともわたしは話をしている間中、妙にどきどきしっぱなしだった。
 ――変なの。ただプレゼント渡すだけなのに。午前中は楽しみにしてたくらいなのに、なんだろうこの気持ち。
 胸の奥が変に騒ぐ。それがなんかちょっとだけくすぐったい。
 人が多くてにぎやかな車内でも話すのをついためらってしまうバスの中とか、会話が途切れた信号待ちのときとか、なんでもない瞬間に妙に胸が騒ぐ。
 目的のカフェに着き、注文をし終えたあとはもっとだ。
 いよいよプレゼントを渡すときがやってきた。ああ、なんか緊張するなあ……。
「……ふぅ」
 思わず漏らしたため息に、佐伯くんは、ん? という感じでわたしを見る。
「オーダー頼んだばかりだから、すぐにはこないぞ。待て」
 なによ、待て、って。犬じゃないんだからね。
「……そんなにがっついていないってば」
「この世の終わりみたいな顔してるから、待ってられないのかと思った」
 これを言う佐伯くんの表情ったらもう、「ケケケ」と変な笑い声でも出そうなくらいの意地悪な顔。
「佐伯くん、ウルサイ」
「あー、はいはい」
 ま、まったく〜! むかつく! 可愛くない…!
 眉間が思わずぴくぴく動いてしまうけど、彼に乗せられているどころじゃない。
 ――平常心、平常心。
 冷房が程よく効いている店内。わたしはコップの水を一口含み、それから深く吸い込んで言葉を紡ぐ。
「えっと……。あのさ、佐伯くん」
「ん?」
「そのぉ、午前中言っていた用事のことなんだけどね……」
 あぁ……。さっきまで平常心を願っていたのに、今度は一気にドキドキが最高潮。それこそ胸が苦しいくらい。
 まるで告白でもするみたいだよ。
 昨日わいわい言い合ってたのが嘘みたいにドキドキする。
「そういえば、そんなこと言ってたよな。……で?」
 頬杖をついたままの佐伯くんがちらりとわたしを見る。
「き、今日って、十九日だよね?」
「は? ……ああ、明日から夏休みだしな」
「う、うん。……でね……あのね……!」
 どうしたんだよ、と笑う佐伯くんの前に、おととい選んだガラスの一輪挿しが入っているペーパーバッグを思い切って差し出す。
「これ!」
「……え?」
「十九日ということで、はい、これ!」
「だから、なに――」
 驚いたようにそのペーパーバッグとわたしとを交互に見る。
「なにって、誕生日でしょ今日。お誕生日おめでとう、佐伯くん!」
「えっ……」
 言葉に詰まったまま、佐伯くんはまじまじとわたしを見つめる。
 そりゃいきなりプレゼントなんてされたら驚くよね。何も言ってなかったし、絶対に誕生日の話題には触れないようにしていたし。
 でもこの驚く顔が見たかったんだよ、わたし。サプライズ成功。
「えっ、って去年もプレゼントしたでしょう? 忘れちゃった?」
 去年は写真立てで今年は一輪挿し。年を一つ重ねた分、プレゼントだってステップアップしてるんだからね。
「忘れてはないけど……ちょっとびっくりした」
 まだぽかんとしてる佐伯くんがなんだかちょっと可笑しくて、わたしは小さく肩を揺らした。
「へへっ、びっくりさせるために必死になって誕生日の話題を避けてたんだ。よかった、そんなに驚いてもらって。……ねえ、早速だけど、中開けてみてよ」
「……う、うん」
 この瞬間。一番ドキドキするなあ。
 さっきまではすごく緊張していたくせに、今度は佐伯くんがどんな反応するか楽しみで仕方がない。喜んでくれるかな。緊張とは違ったドキドキがあるよ。
 丁寧なラッピングを解いていくと、細身のボックスから表れたのはブルーグリーンのガラスの一輪挿し。おとといお店で見てとても気に入った物だ。
「すげ……。綺麗だな、この色……」
 細くすっきりとしたデザインのそれを手に取り、佐伯くんは目を細める。透明感のあるブルーはやはりこれからの季節にぴったりで涼しげだ。
 ――うん、やっぱりこの色綺麗。佐伯くんも気に入ってくれるといいんだけどな。
「どうかな、それ。色がとても綺麗だなって思ったんだけど」
 首を傾げて言うと、佐伯くんはガラスを見つめたまま嬉しそうに微笑んだ。
「いいよ、これ。すごく気に入った。……俺、ガラス細工とか好きだから、こういうの嬉しい。ほんと、サンキューな」
「気に入ってもらえた?」
「ああ。……でも、こういうのって高かったんじゃないか? 形はシンプルだけど、安くないはずだろ?」
 この佐伯くんの問いに、わたしは小さくポーズをとって答えた。ふふ、お小遣いをしっかりやりくりしましたとも。……倹約しながらね。
「大丈夫。お小遣いの中でうまく節約しながら買えたから。それに、佐伯くんは特別だから大奮発!」
「え……」
 驚く彼に、わたしは軽く頭を下げる。たまには殊勝なところも見せなくちゃ。
「珊瑚礁ではいつもお世話になっております! ふつつかものですが、これからもどうぞよろしく。これは日ごろの感謝の気持ちでえす」
 そう言って顔を上げ、肩を竦めて笑うと、なんだワイロかよ! と佐伯くんは可笑しそうに笑う。
「ワイロでもしておかないと、見捨てられちゃうと思って。……っていうのは冗談だけど、でも、十七年前の今日、佐伯くんは生まれてきたんだよね。そういう大事な日に、せめてお祝いしたかったんだ」
 佐伯くんが十七年前のこの日に生まれていなかったら、わたしたちは出会っていなかったんだ。
 偶然この日に生まれて、偶然わたしたちはこの街で出会ったけれど、それは運命のような気がするんだ。
 佐伯くんにこういうこと言ったら大げさすぎるって笑われるかもしれないけど、でもわたしは思う。
 たくさんの偶然があって、今こうしてるんだって。
 そもそもわたしたちの一番最初の出会いだって、そうそうないと思わない? 入学式の日に海辺の喫茶店で出会った「かっこいいけど無愛想な男の人」が、実は同じ学校にかよう同級生だった、なんて。
 あの出会いから一年と数ヶ月経った今、こうして一緒に誕生日のお祝いして、ランチを食べる仲になっているなんて、あの時は想像もつかなかったなあ。
 たくさんケンカをしたり、言いたいことを言い合ったり、そして一緒にいろんなところに出かけるようになったよね。
 去年も同じことをしていたように思うけど、気がつけば今年もこうして一緒にいるよね。
 上手に伝えることはできないけれど、わたし、佐伯くんのことが大切だよ。
 一緒にいると居心地がいいんだ。安心するっていうのかな、こういうの。
 なんか、前から知っている人のように、とても落ち着くんだ――。
「おまえ、さ……」
「うん?」
「変わってるよ」
「そうかな? ただ誕生日お祝いしてるだけなのに?」
「ああ。……こんな奴、少なくとも今までいなかった。お前ぐらいだよ、こんなに俺に関わってくる変な奴って」
 瞼を閉じて佐伯くんは静かに笑う。
 その笑顔がとても素直なもので、嬉しそうで……でもちょっと困ったようにも見えて、わたしはドキッとした。
 だって、今までそんな顔見たことなかったから。
「じゃあ、これからはこういう子が一人はいるって覚えていてよ。誕生日がとても嬉しくて楽しくて、待ち遠しかった人が一人はいるって覚えていて」
 わたしの言葉に佐伯くんは肩を揺らして笑った。
「……うん、覚えとく。人のことでもピーヒャラ浮かれる奴がいるって覚えておくよ。ま、こんな変わった奴いやでも忘れないけどな」
「ちょっと、ピーヒャラは余計だってば」
「いや、大事だから」
 ――はっきり言われた!
「むむ……」
 さっきドキッとしたのはやっぱりナシ。
 いつもどおりわたしをからかう佐伯くんのままだ。
 ガラスの一輪挿しが彼の手の中で綺麗に輝く分、プレゼントしたのがもったいなくなるくらいだよ。……って、そうだ、これ、佐伯くんにも教えてあげなくちゃ。――光にかざすと凄く綺麗だよ、って。
「ねえ佐伯くん、その一輪挿し、少しだけライトにかざすようにして持ち上げてみて」
「……これ?」
 素直に一輪挿しを掲げた佐伯くんに、おととい店員さんに教えてもらったときのように説明する。
「あのね、お店の人に言われたの。こうして明るいところにかざすと、きらきら光ってとても綺麗ですよ、って。――これを見ていたら、なんとなくだけど海の底から太陽を見上げてるみたいな感じがするな、って思うんだ」
 わたしも少しだけ身を乗り出してガラスの底を見上げてみる。
 テーブルにグリーンがかったブルーの光を落とすそれは、やはりおととい見た時と変わらず、透明でとても綺麗な光を放っていた。
「綺麗だな……マジで」
 感心したように呟く佐伯くんに、わたしは小さく頷く。
「この中に水を入れたら、小さな小さな海みたいだよね」
「……ああ。そんな感じかも」
 綺麗なガラスの光と、佐伯くんの優しい目に視線を奪われつつも、そのブルーは夏の海を連想するなとふと思った。そして、そんな青を思わせる夏の海ってやっぱりいいかも、って。
 太陽も明るくて、海も青く輝いてとても綺麗で、ホント、自然が織り成す美しさっていうのはそういうところにあるんだろうな。こっちに引っ越してきて、海の美しさを改めて知ったよ。
 だから、昨日佐伯くんと話していたときみたいに、海の季節が早く来ればいいなって思う。
 眩しいくらいの季節って、やっぱりいいよね。
 それにほら、佐伯くんも妙に生き生きとして見える季節だから。
「昨日も言ったけど、早く梅雨が明けるといいね」
「だな。梅雨が明けたら、サーフィンの特訓があることを忘れずに」
 これを聞いてわたしはため息を吐いた。やっぱり昨日のは冗談じゃなかったんだね。……ハァ。
「はーい、了解です〜……」
「なんだよ、そのやる気のない返事」
「ああ、スッゴク嬉しいです、佐伯せんせえ」
「……超スパルタ決定」
「ウソウソ! ウソですってば!」
 慌てるわたしを見て、佐伯くんはぷっと噴き出した。
「本気でビビッてるよ。アハハ、スッゴク可笑しい!」
 そのうち大きく肩を揺らすまで彼は笑うようになった。
 ――……見てろ。簡単にテイクオフ、だっけ? してやるんだから! あと、カットバックとか。……って全然わかんないけど。あとでネットで調べてやる!
「……今に見てなさい」
「あーはいはい。まあ、俺が教えるんだから大丈夫」
「なにそれ! すごく偉そう!」
「偉いからいいんだよ、俺は」
 わたしたちが笑いながらぶつぶつ言い合っているうちに運ばれてきた暖かいスープ。その湯気と、綺麗なガラスの光がクロスする。
 そして楽しそうな佐伯くんの笑顔。これを見て、わたしはとても満ち足りた気持ちになった。
「改めまして、誕生日おめでとう」
 十七年前のこの日に佐伯くんは生まれたんだ。
 両親や、たくさんの人に誕生を喜ばれたこの日はやっぱり特別で、そんな記念日に一緒に笑っていられるのって、なんだかすごく幸せなことのような気がする。
「……ありがとう」
 こうして笑っていられるのって、凄いことだよね。
 少し前まではお互いに知らない者どうしだったのに、楽しい時間を分け合えるのって、奇跡みたい。
 今までこういうことを深く考えたことなかったけど、佐伯くんと一緒にいるようになって思うんだ。
 会えてよかったな、って。
 そして、こうも思うんだ。
 佐伯くんが笑った顔、やっぱりたくさん見ていたいな、って。心から笑うこういう笑顔、そばで見ていたいって。
 ――ホント不思議。
 だってそれは一年前にはなかった気持ちだから。




End.
2007.07.17-19UP
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