息咳切って階段を駆け上がっていくのには訳があった。
もたもたしていたらお昼時間が短くなってしまうというのもあるが、手に提げているビニール袋を早く依頼主――佐伯に渡したいというのが一番だ。
昼休みに入ったばかりの時に、一階へと続く階段の前で佐伯の姿を見かけた。
一人、それも珍しくボンヤリとして見える彼の後ろ姿に、ちょっとだけ悪戯心が湧いた。いつも容赦なくチョップを下ろしてくる佐伯に対し、ここぞという絶好のチャンスに少しでも反撃したいと思うのは仕方がないことだと思う。
「佐伯クン、ひど~い! 今日はわたしとお昼食べる順番!」
声色を変えてぼんやりな背中に声をかけると、その肩がびくりと上がったのをゆきは見逃さなかった。
――あ、絶対に今、「ヤベッ」と思ったよね、佐伯くん。
彼の本当の姿を知るゆきは、思わず吹きだしそうになったのだがそれを懸命にこらえ、どういった反応をするのか伺う。振り返ったとき、どういう顔をしているんだろう。それが知りたい。
「あ、ゴメン! ホント、今、行こうと――」
しまったと言わんばかりに肩が上がったことなどまるでなかったかのような爽やかな笑顔。その表情は、ゆきの前では絶対に見せない笑顔だ。
ほんの一、二秒の間によく気持ちの切り替えができるな、とゆきは心内で「さすが……」と感心するが、そう感心してばかりもいられない。
ゆきの姿を確認したとたん、爽やかな笑顔は総崩れで、あっというまに憮然とした表情へと変わる。どうしたらここまで変身できるのか聞いてみたいところだが、今は保身が最優先だ。
「えっと……え、エヘ!」
「なにがエヘ! だ」
――うわ、怖い……。佐伯くんてば、睨んでるよ。
「覚悟はできてるんだろうな。とりあえず、弁解だけは聞いてやろう」
低い声が届き、ゆきは思わず一歩退いてしまったのだが、その分佐伯が一歩近づく。
「た、ただの冗談です。ううっ、暴力反対。おゆるしください」
チョップが降ってくるものと思い、肩を竦めては体を固くしたのだが、佐伯の手はゆきの頭上に下ろされることはなく、代わりに爽やかな笑顔を向けられる。そう、嫌なくらいの笑顔だ。
「夏川さん。超熟カレーパンと牛乳、購買で買ってきてくれるかな」
「へっ?」
訳がわからず佐伯をきょとんと見つめると、彼は爽やかな笑顔のまま、わざとらしいばかりの優しい声色で「だって、お昼一緒に食べるんだろ? 順番だよね?」と言う。
チョップが降ってこなかったのはありがたいが、本当に一緒にお昼をとることになるとは思いもしなかった。
いつもクラスの友人とお昼を共にしているが、必ず一緒にと言うわけではない。
佐伯と一緒に過ごすというのは何の問題もないのだが、冗談のつもりで声をかけたのがきっかけで、まさかこんなことになろうとは。
なにより、購買のパン争奪戦に混じらなくてはいけなくなったのがなんといっても辛いところだ。
全校生徒ではないにしろ、学園の生徒が我先にとばかりに購買に集うので、目的のパンはおろか、少しでも遅れて行こうものなら、何も残っていないことだってある。そうなったら最後、人目を盗んで校外のコンビニまで走らなくてはいけない。
佐伯に頼まれた超熟カレーパンは、新メニューの一つで生徒の間だけでなく、教師にも人気がある。真っ先に売り切れてしまう可能性が高いので、もたもたしていると手に入らなくなってしまう。……となると、間違いなくチョップが飛んでくるだろう。
――もうチョップはお腹いっぱい! とっ、とにかく、急がないと買えなくなっちゃうよ!
「うぅ……。佐伯くん、とりあえず急いで買ってくるけど……あのぉ、お代は?」
購買がある方向へと向かう者が皆カレーパンを狙っているような気がして落ち着かず、そわそわしながらゆきが尋ねると、佐伯は眉をぴくりと上げて言う。その表情からは余所いきの笑顔は消えており、明らかに不服を訴えている。
「おまえのおごりに決まってるだろ。いいから買ってきて。ホラすぐ! 食いっぱぐれたらおまえの弁当分けてもらうからな」
「なんでわたしがそこまで……」
「なんか、言ったかな?」
軽く振り上げた手はすでにチョップの準備ができているらしく、ぴんと指先が伸びている。どうやらゆきに拒否権はないらしい。
「うっ……。わ、わかりましたよっ! 買ってきますってば。買ってきます!」
あー、もう! と軽く地団駄を踏んでゆきは走り出す。背後では「アハハ、屋上で待ってるからね」と佐伯の妙に朗らかな声が聞こえる。
――もうっ、声かけなきゃよかったよ! 佐伯くんのオニ!
小さな後悔をしつつ、上履きをキュッと鳴らして廊下を駆ける。
つい最近アルバイト料が入ったので資金的にはなんの問題もないのだが、ほんの少し悔しさが残るのは、おごらなくてはいけないというほかに、その超熟パンとやらをゆきはまだ食べたことががなかったからでもある。いつもタイミングが悪く、買い逃してばかりだ。人から聞いた話ではカレーの味が絶品らしく、購買のパンにしてはレベルが高いとのこと。
自分で食べることができない物を買いに行くのは、やはりちょっと悔しい。何が何でも手に入れなくてはいけないというのがもっと悔しい。
「あとで絶対に一口もらってやるんだから……!」
周りに聞こえないように呟き、軽く数段階段を飛び越した。
人、人、人でひしめき合う購買で、初の超熟カレーパンを手にしたあとは自分の教室へと急ぐ。
少し出遅れた感があったのにもかかわらず、カレーパンを手にすることができたのは奇跡みたいなものだ。
人を掻き分けるのには多少時間はかかったが、会計が済んだらあとはスムーズだった。急いで教室に戻ると、友人たちはすでに椅子の向きをずらしてグループを作っており、ゆきの姿を見ては「おかえりー、遅かったね」と声をかける。
「購買行って、パン買って来たんだ」
「えっ購買? ゆき、確かお弁当持ってきてたんじゃないの?」
肩で荒く息をしながら弁当箱を取り出すゆきを見て、友人は目を丸くする。
「う、うん。わたしはお弁当あるんだけど、ちょ、ちょっと……ね。……ご、めん、わたし今日は約束あるから、行って来るね!」
ぜいぜいと息を切らして言うと、皆驚いたような顔をして、「い、いってらっしゃい」と軽く手を振って返してくれた。
時計を見ると、チャイムが鳴ってからもう十五分も経過している。残りあと三十分だ。
――うわっ、急がないと! 本当に時間がなくなっちゃう。
教室を出てから深呼吸し、今度は一気に階段を駆け上がる。手にあるお弁当箱とビニール袋とが揺れ、がさがさと音を鳴らす。さっきから走ってばかりなので、やっと屋上にたどり着いたときには、額にうっすらと汗をかいていた。
それなりに人の姿がある屋上だが、佐伯の姿を探すのはそれほど難しいことではない。入り口から一番遠いベンチに彼の後姿はあった。大半の生徒は入り口付近、または屋上中央のあたりでたむろっていて、奥まで行くものの数はそれほど多くない。たまに屋上で佐伯の姿を見かけることがあるが、それはこの奥の場所でがほとんどだったのだ。
――よかった、ちゃんと居てくれた。
買いに走るだけ走って、その当人が居なかったら切ないものがある。遅いというのを理由にして帰られてしまうという考えもちらついたが、ズボンのポケットに両手を入れてベンチにたたずむその後姿は間違いなく佐伯のものだ。
「おーい佐伯くん、買ってきたよ。おまたせ!」
ぱたぱたと足音を鳴らして駆け寄り、頼まれたものが入っているビニールを差し出すと、佐伯は驚いたように目を丸くする。
「わ、すげっ。これ、マジで買えたの? 勝ったのか、争奪戦」
中身をまじまじと見る彼に、ゆきは荒い息をつきながらうん、と頷く。
「勝利を手にしました。今まで一度だって買えたことがなかったのに、今日は運よく買えたの。それ、最後から二つ目の超熟カレーだったんだから。感謝してよね」
「うん……。サンキューな」
「いえいえ。それじゃ早速食べようか」
息を整えながら佐伯の隣に腰を下ろし、スカートの膝上に弁当箱を置く。手早く包みを開き、「いただきます!」と言うと、またも彼は驚いたような顔をしている。
「早っ。そんなに腹減ってたのかよ」
「確かにお腹空いてるけど、のんびりしてたら時間なくなっちゃうもの。だからお先にいただきまーす」
まずは卵焼きを口に運ぶゆきを見て、佐伯も「いただきます」とぼそりと呟く。
最近では母に弁当を作ってもらうのではなく、自分で作るようにしている。最初は朝起きれるかどうかが一番の不安だったのだが、携帯のアラームの他に強力な目覚まし時計をセットしていることもあり、なんとか時間通りに起きている。
とはいっても冷凍食品を解凍して詰め込むのが大半だが、それでも最低二種くらいは手作りのものを入れようと毎日工夫を凝らしている。
そんな毎日の積み重ねもあり、この卵焼はなかなかの出来ではないかと自分でも思う。程よく甘く、いい具合に焼き目がついている。砂糖が入ると焦げやすいのだが、今では返すタイミングも間違えないようになった。
――うん、今日もいい感じ。
そう自画自賛し、つい口元をほころばせていると、がさがさとビニール袋を鳴らす佐伯がちらっとゆきへと視線を流す。
「なあ、ひとつ聞いていい?」
「なあに?」
もぐもぐと口を動かしながら佐伯を見ると、彼の手には超熟カレーパンのほかにもうひとつ、別の惣菜パンがあり、それを少し困惑気味ともとれる感じで軽く掲げる。
「俺、これ頼んでないけど、おまえの?」
「ううん。それも佐伯くんの。だって、パンひとつじゃお腹すいちゃうでしょ? それはサービス」
「え……」
「最近バイト代も入ったことだし、パンの一つや二つ、全然問題ないよ。それに、ちゃんと食べないとパワー足りなくなっちゃうし」
「パワーって……」
「美味しいもの食べれば、元気になるでしょ? わたし、そのパン大好きなんだ。コロッケパンの何が美味しいって、コロッケはもちろんだけどパンにちょっとソースがしみてるのが最高なの」
購買で買うときの定番メニューなんだ、とゆきが笑うと、佐伯もそれいえてるかも、と頷く。
「じゃ、遠慮なくいただきます。おごってもらってばかりじゃなんだから、あとでなんか返すよ」
「ホント?」
「うん。今度購買でパン買うときとか言ってくれればおごってやるよ」
「やった! ……っていうか、今じゃだめかな」
「今!? おまえな、そんなに食べると太るぞ」
超熟カレーパンの袋を開けひとくち食べようとした佐伯は、ゆきの言葉に呆れたような顔をする。
「もうっ、失礼な。今って言ってもパン丸々一つじゃなくて、その超熟カレーパンを一口食べさせて、って言う意味だよ」
「ああ、これ?」
「うん、それ」
「なんだ。――って、待て!」
なぜか妙にうろたえる佐伯に、ゆきは真剣な表情で呟く。
「だって、それ今まで一度も食べたことないんだもん。買えたのだって、今日が初めてなんだよ。今度いつ買えるかわかんない。だから、ねっ? それでチャラでいいから」
ゆきの言葉に考えるような間を見せたあと、視線を逸らしながら「いいよ、別に」と言う。
「でも、俺の食べ分が減る。……ということで、その玉子焼き一個と交換」
佐伯はゆきの手にある弁当を指す。さっきまではパン一つでも平気そうだったのに、とちょっと疑問に思いつつもウン、と頷いて返事をする。
「それぐらいお安い御用!」
「調子いい奴」
そう笑いながら、手に持っているパンをゆきのほうへと差し出す。見た目普通のカレーパンとなんら変わりはないのだが、やっとありつける噂のパンに、ゆきはぱっと明るい笑顔を見せる。
「わー、初めて! いただきまーす」
言ってひとくち齧るのだが、まだカレーの部分には届かず、白くふわふわしたパンの生地しか味わえない。
「……う。カレーに届かないよ……」
恨めしげにゆきが呟くと、佐伯は肩を揺らして派手に笑う。
「遠慮しないでもう一口食べていいって。つーか、その顔情けなさ過ぎて笑えるからやめなさい」
「じゃあ、唐揚げも追加してあげるね」
「え、マジ? やった」
喜ぶ佐伯の手にあるパンをもう一度食べると、やっとカレー部分に届く。甘すぎず、かといってとりわけ辛いわけでもないのだが、いかにもじっくり煮込んだという味は、皆に絶賛されるに値するものだと納得する。
「……おいしい! これ、駅前のパン屋のより好きかも」
「ホントかよ」
疑わしげな目でゆきを見ていた佐伯だったが、パンを食べてからは感慨深げにぼそっと呟く。
「これ、うまい……。なかなかやるな超熟……」
「でしょ? おいしいよね! あぁ、こんなんだったらもう一つ買っておくべきだったなぁ」
ふぅ、と息を吐くが、佐伯に交換条件で卵焼きと唐揚げを上げることを思い出した。
「あ、そうだ。佐伯くんにこれあげるんだったっけ。はい、あーん」
「……ハイ?」
すでに半分までパンを食べていた佐伯は、片方の眉をぴくりと跳ね上げてゆきと、箸にある玉子焼きとを交互に見る。
「だから、玉子焼き。はい、どうぞ」
首を傾げてにっこりと笑うゆきに対し、パックの牛乳をごくごくと飲み、手の甲で口元を拭ってはもう一度「はい!?」と目を丸くする。
「もう、佐伯くん早く。落ちちゃうってば」
手を添えて佐伯に差し出すとが、彼は頑なにそれを拒む。
「い、いいって。箸貸してもらえれば自分で食べるから」
「誰も見てないよ。そんなに恥ずかしがることないのに。わたしだってさっきパン食べさせてもらったでしょ」
「恥ずかしがってなんかない。っていうかおまえの神経は極太過ぎ」
「ムッ。とにかく五、四、三、二――」
カウントを始めたゆきに対し、眉間に皺を寄せて見せたがそれは一瞬で、一を数えようとした瞬間、「わかったわかった!」とふて腐れたようにして佐伯は顔を近づけた。
端整な顔が近づくと、睫毛や鼻筋など普段気にしていないところがなぜか妙に目に留まる。
――わ……。ちょっと、これって……。
ドキドキする。
この距離に一瞬大きく鼓動が跳ねたが、佐伯の声にふと我に返る。
「これ、おまえが作ったの?」
口をもごもごと動かしてゆきを見る。
「う、うん。毎朝玉子焼きは特訓を重ねてきたから、なかなかの出来だと思うんだけど」
少し熱くなった頬を指先で抑えたい気持ちだが、それを堪えてちらっと佐伯を仰ぐと、「何気にうまい」と目を瞬かせている。意外そうな顔で呟く彼に、ゆきは少しだけ頬を膨らませる。
「何気に、は余計だよ」
日ごろ気にならない言葉なのに、どうでもいい揚げ足とりをするのは妙に照れているからだ。
――なんでこんなに恥ずかしいんだろ。うわ……なんか変。
なぜかどんどん顔に熱が集まってくるのを感じ、ゆきはそれを誤魔化すべく唐揚げを摘んで口に運ぼうとするが、その手を不意に掴まれる。
驚く間も、そして言葉を返す隙もなく、箸にあったおかずはそのまま佐伯の口へと持っていかれてしまう。
――ちょ、ちょっと佐伯くん!?
目を丸くしてその横顔を見ていると、彼はゆきの視線にはまるで気がついていないらしく、「あ、これもいける」と口を動かしている。
「おまえ、俺にくれる約束忘れてたろ。危なく食べられるとこだった」
「ご、ゴメン。――えっと、あの……、佐伯くん」
「ん?」
「その、手……。お、お弁当食べれないよ」
掴まれたままの手に視線を向けると、ゆきの視線を追ってそれに気がついた佐伯が、短く声を上げては慌てて離す。
「うわっ! わ、悪い!」
「う、うん。ちょっとびっくりした……」
互いにぎこちなく視線をそらし、無言のままそわそわとパンだったりお弁当を口にするが、なんだか妙に気持ちが落ち着かない。
考えてみれば佐伯とお昼を共にするのは本当に珍しいことだった。いつもたくさんの女子に囲まれ、そして毎回彼女達とお昼の約束をしていた佐伯は、ゆきが声をかける隙など殆どといっていい程なく、廊下ですれ違うときもちらっとと視線を交わすだけだった。
珊瑚礁では客が引いたときに一緒に軽く休憩をとったりしているが、こうして改めて二人きりで、それも外ではなく学校で一緒の時間を過ごすのはなんだかちょっと特別な気がしてくすぐったい感じがする。
――だからかな。だからちょっと照れるんだよね。絶対手を掴まれたからじゃないよね。
一人言い訳をするが掴まれたときの手の暖かさを思い出してしまい、さらに気持ちは落ち着かなくなる。
頬に髪がかかるのを払うふりをして小さく頭を振る。えい、と心の中で呟いてごはんを口に運ぶと、隣では佐伯が大きく息を吐く。
「なんか……変な感じ」
「え?」
「おまえと一緒にいる時間、結構多いはずなのに、こうして一緒にお昼食べるのってなんか不思議な感じがするよな」
軽く顎を上げて空を見ている。
そんな横顔にゆきはぱっと表情を明るくし、何度も大きく頷く。佐伯も同じことを考えていたのが、妙に嬉しかったのだ。
「うんっ。――うん、そうなの! そうなんだよね。学校で一緒にいるのって珍しいもんね。変なの、外ではいつも二人なのに。場所が違うと妙に緊張しちゃうね」
肩を竦めてゆきが笑うと、佐伯は妙に驚いたような顔をしている。
「おまえさ、相手が俺なのに緊張したの?」
「あ、うん。……なんで?」
「なんでって……。い、いや、別に? ――マジで俺、意識されてないのかと思った。……よかった。うん、よかった」
「えっ?」
途中からぼそぼそとした声で呟いていたのでうまく聞き取ることが出来なかったが、聞き返しても佐伯は教えてくれなかった。
「なに? なんなの?」
「なーんでもない。っていうか昼休みあと十五分で終わりだぞ」
携帯を取り出して時間を確認され、ゆきはウソ!? と声を上げる。
慌てて箸を動かすのを、隣で佐伯が楽しそうに笑って見ているのがちょっと恥ずかしいが、もたもたしていたら午後の授業が始まってしまう。
――うぅ、急がなくちゃ。
途中、のどに詰まりそうになり「バカ、これ飲め!」と牛乳を貰ったのだったが、ふと考えればそれは佐伯の飲みかけだった。
それに気づいたとき、思わず小さくむせてしまった。
「けほっ」
「まだちょっと時間あるから、もう少しゆっくりでも大丈夫だって」
「う~」
佐伯くんのせいだ、と涙目で訴えるものの、それが心の声ではどうしたって届くはずもない。
そんなゆきの気持ちなど露ほども知らない佐伯は楽しげに笑ってばかりいる。
「おまえさ、ほんっと面白いよな。キョドってたり、テンパったり。カピバラに似てると思ったけど、もうひとつあった」
――なんだろう?
おかずがまだ口に残っていたので無言で首を傾げると、佐伯は声を上げて笑う。
「アハハッ、それだ、今の顔! すっごく似てるよ、ハムスター!」
――さっきドキドキして損した! わたし、この人には絶対恋なんてしないんだから! オニ、悪魔! これから佐伯くんの彼女になる人、ご愁傷様! 気をつけてね、この人ちょっと意地悪です。
心うちで思い切り悪態をついた。
そして口にあるものを飲み込んだあと、ゆきは思い切り頬を膨らまして佐伯を睨んだ。
さて、お腹を抱えて笑う彼の足を、どのタイミングで踏もう?
End.
2007.05.20UP