ときメモGSシリーズ

キミイチ!【瑛主】



 窓をボンヤリと見つめている彼女――夏川ゆきの姿が何となく気になりはしたのだが、彼女のボンヤリは今に始まったことではないし、客がすっかり引いたこともあり、別に問題ないだろうとそのまま放って置いた。
 けれど、視界の端にちらちらと映る彼女は、突然ふと我に返ったようで、ゼンマイ仕掛けのおもちゃがいきなり動き出したかのように体の向きをぐるんと変える。
「佐伯くん、佐伯くん!」
 窓の外に何か面白いものがあったとは思えない。いつもなら空には星が瞬いているのだが、あいにく今日は夜も曇り空だ。月も星も見えない真っ暗な空が広がっているだけだ。
 なのに彼女の声は妙に弾んでいる。
 ――げ。やな予感。
「なんだよ」
 妙な胸騒ぎがし、顔は向けずに返事だけそっけなくしたのだが、それでもしつこく彼女は自分を呼ぶ。
「ねえったら。おーい、聞いてますかー?」
 斜めに体を傾けてこちらを見ている。そのうちぶんぶんと両手を振りそうな雰囲気だ。
「ウルサイ。聞こえてるって」
 ちょっと不機嫌そうに答えて視線を向けると、彼女はちょいちょい、と手招きをしている。自分に来いと言っているらしい。
 面倒くさいからシカトをしようかとも思ったのだが、しつこく呼ばれるのも面白くない。
 ――仕方ない……。 
 佐伯は一瞬眉間に皺を寄せたものの、素直に近付いていく。
「で、なに?」
 威嚇を込めた低い声でぶっきらぼうに言い捨てても、ゆきは一向に気にする気配はないのだが、少しだけ神妙そうな顔をして佐伯を見る。
「わたし、ふと思ったんだけどね」
「話は手短に」
「まだ何も話してないじゃない」
「うるさい。ホラ、早く言いなさい」
「お父さんめ……」
「なんだって?」
「なんでもないです。ねぇ、いいから聞いて。――あのね」
 言ってゆきは一歩二歩と後ずさりし、それからぴしっと直立する。まるで直立のお手本のように両手の先はきちんと腿の側面に当てられていて、背筋もぴんと伸びている。
 けれどいきなり何をし始めるのか。行動いや、その思考までも予測不可能の彼女に、佐伯は眉をぴくりと跳ね上げる。
「何やってんだ、おまえ……」
「うん。まあまあ。あのね、思うんだけどさ、珊瑚礁の制服って、やっぱりかわいいよね」
「は?」
「このタイといい、ブルーグリーンのスカート、それにあわせた黒のエプロンといい、選んだマスターって、センスいいなあって思って。今日バイトに入る前に、はるひちゃんたちと新しいカフェに寄ったんだけどね、そこの制服が可愛いとかどこどこの店のは微妙だとかっていう話になったんだ」
「へえ」
「けどね、それからわたし、いろいろ考えてて。でね、着る人――つまりわたしのことね。人云々置いとくとしても、珊瑚礁の制服ってかわいいなぁって改めて思ったんだ」
 言って、くるっとちいさく一回りして、「ね? そう思わない?」と同意を求めるように首を傾げる。
 確かに、特に凝ったデザインというわけではない。いたってシンプルな制服だ。けれど、言葉にして言わずとしても、この制服についてはいいと思っていた。
 着ているのがゆきだから余計にそう感じるのかもしれないが、彼女が笑顔で接客している姿を見る度に、なかなかいいじゃん、と内心では思っていたことだ。ゆきは着る人云々じゃないと言っていたが、大いにある。それを本人に言うとどこまで調子に乗り出すかわからないので黙っておくけれど。
 それよりも、くるっと回って見せた今の彼女の仕草はちょっと可愛かった。
 いや、ちょっとどころか正直な話、ぐっときた。
 けれど、それとこれとは話が別だ。
「……バカか、おまえ。今更なに言ってんだ」
 わざと大きくため息をついて背中を向けると、背後では「ちぇっ、本当にそう思ったのに」とつまらなそうな声が聞こえる。
 彼女はおそらく頬を膨らませているに違いない。
 そう思ってちらっと振り返ると、やはりぷくっと頬を膨らませて、不満をあらわにしている。
 ――あ、フグだ。
 ふと、丸い形をした魚を思い出したが、それは口にせず、別の言葉を彼女に告げる。
「確かにいい。あー可愛いです。最高最高。チョーイケてる。よっ、宇宙一。あ、それは褒めすぎだ。訂正、珊瑚礁一っていう感じ?」
 平にだらっと言葉を並べ立てて、にやっと笑みを浮かべる。きっとさっきよりうんと頬を膨らませるにちがいない。そう思ったのだ。
 なのにゆきの反応は違った。
「えっ、ほんとう?」
 怒ると思いきや、目を丸くして信じられない、とでもいうような顔で佐伯を見上げている。
 この反応はなんだろう。こいつといるとやっぱり調子が狂うと思いながらも、「なんだよ」と返すと、彼女は頬に指先を軽く当てて、ちょっと照れたように笑う。どうして照れ笑いを浮かべているのか見当つかない佐伯は眉間にうっすらと縦皺を刻む。
「珊瑚礁一だから、嬉しい」
「……ハイ?」
 おまえ、アタマ大丈夫? と今度こそ言いたくなった佐伯に、ゆきは言葉を続ける。
「宇宙一じゃなくていいや。だって、珊瑚礁一っていうことは、少なくとも佐伯くんは悪くないって思ってくれてるんでしょ? だから、それで十分でーす」
 満面の笑みに面食らったのは佐伯のほうで、言葉に詰まってしまう。
「あ、褒められたからおかえしするわけじゃないけど、佐伯くんもチョーかっこいいよ? 珊瑚礁一、ね? そこんとこ、よろしくどうぞ」
「なっ……」
「以上!」
 ぴょん、と跳ねて歩きそうなくらい喜んでいるゆきは、背中に浮かれてます、とでも書いてありそうな様子でバックヤードへと消えていった。
 残された佐伯は、照れた赤い頬、眉間には深い縦皺、そして口元に浮かぶのは小さな笑みといった、なんともちぐはぐな表情で立ち尽くすばかり。
「何が以上、だ」
 わけわかんないし、言いたいことだけ並べて、勝手に消えんな、バカ。――それを本人に言えないのが悔しい。チョップすらできなかった。
「でも……珊瑚礁一か。まあ、確かに悪くないかもな。……うん」
 ぼそぼそと一人ごちて頷く。
 彼女がそう思ってくれるのなら、一番だと言うのなら、それでいいかもしれない。
 そんなことを思う自分は、結構単純で、そして案外お手軽に出来ているのかもしれない。
 ――単純……か。それはちょっとだけ癪だけど、でも……まあいいか。
 そう思いながら「かっこいいのは当たり前」と今更ながらに呟き、照れ隠しにちょっとだけ肩を竦めてみる。
 『強気じゃない強気な言葉』が宙に浮いたままで、少しだけ恥ずかしくなったのだが、気持ちを引き締めるべくタイを指先で締めなおす。
 そして、バックへと消えていった彼女の背中をいつもの自分らしい表情で追いかける。手には彼女の忘れ物でもある台ふきんを持って。
「つか、おまえ、テーブル拭きっぱのまま消えんな! 職務放棄! 次からジャージでやらせるぞ!」



End.
2007.02.14(初出)
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