ときメモGSシリーズ

いつかね。【瑛主】



 甘いお菓子が美味しい季節といったら「一年中!」と答えたいところだが、ここ最近は西本や水島と一緒に美味しいスィーツ店めぐりなどをしていることもあり、特に美味しく感じられる。
 毎日お店に立ち寄っているわけではないにしても、それぞれにいろんな情報を仕入れてくることもあり、スイーツ巡りは三人の間では熱をおび、ちょっとしたブームとなっている。
 大好きな友達と、他愛もないおしゃべりをしながら食べる極上のスイーツ。甘くとろけるようなそれに舌鼓を打つのがなんともいえない至福のとき。
 暖かいお茶と共に甘さと幸せをじんわりかみ締めるたびに、「生きててよかった〜」と皆で笑い合うが、それは冗談抜きに心から思うこと。カップのお茶一杯、フォークひとさしの甘さ。そこに小さな幸せを写し、口に含んでは笑顔をほころばせる。
 こんなささやかなことで生きている悦びを感じるのを単純と笑う者も多くいると思うが、幸せや悦びを何で感じるかは人それぞれ。甘いもの一つでそれを感じることができるのをであれば、単純でも十分すぎるほど幸せなことだとゆきは思う。
 ――が、だ。甘い話には必ず裏がつくもの。
 それは、何に対しても同じのようで、笑顔のあとに襲ってきたのは軽い後悔だった。

「……あかん」
 太陽が高く輝く昼時に、その天気に似合わず深刻な表情を浮かべていたのは西本はるひと、ゆきの二人。そして、二人とは別の意味で困惑の色をうかべているのは水島密。至福のときを分かち合った三人だ。
「あかんねん……」
「うん、そうだね、はるひちゃん……」
「ああん、ホンマ、どないしよ〜! まさか二キロも太ってたなんて〜っ! ありえーん!!」
 中庭にあるベンチに座り、西本が悔しげに手足をばたつかせる。
「わたしも、一キロぐらい増えちゃったよ。やっぱり、ケーキ食べすぎてたよね……。失敗……」
 背を丸め、お腹の辺りをじっと見つめながら、ゆきは眉間を寄せる。臍を噛むという言葉があるが、二人揃ってまさにそんな感じと言えよう。甘い話の代償は視線の先のお腹に集中している
「一キロなんて太ったうちに入らへんて〜。……はぁ〜。 ハッ、そうだひそかっちは!? っていうかひそかっちはなんでそんな細いままなん? あたしらと同じ量食べてて、どうしてこんな差がでるんやろ〜っ」
 神様ずるい! とまたも渋面を浮かべる西本に、水島は困ったように微笑む。
「わたしは、甘いもの食べたらその分夕食を減らしてるから、多分それで釣り合いが取れてるんじゃないのかな。西本さんやゆきさんは、ごはんを減らさないでそのまま?」
 この言葉に、西本はうっ、と言葉に詰まる。
「……出されたもの、全部」
「あらー……、もしかして、全部食べちゃってるの?」
「う……。だって、もったいないし……」
 どんどんしゅんとしていく西本が気の毒なくらいだが、ゆきも他人事ではないので上手く慰める言葉が見つからない。
「ゆきさんは?」
「わたしはケーキで満腹感があるときは、ごはんは食べないで軽くおかずだけとかにしてる……かな」
「うん、軽くだったら、それほど問題ないかもね」
 水島がにっこりと笑う。……が、それと対照的なのはやはり西本。どんよりとした彼女を見て、さすがに水島も気の毒に思ったらしく、申し訳なさそうに首を傾げる。
「うーん、カロリーを上手に計算しながら食べれば、甘いものも、ごはんも程よく食べることができるかもしれないよ。……ね? 西本さん、大丈夫。ダイエットだってその気になればなんのそのよ」
 そっと西本の肩に手を置き、柔らかく微笑む水島に対し、西本は眉をハの字にして力なく呟く。
「そうやろか……」
「うん。はるひちゃん、わたしも一緒にがんばるから、元気だそうよ!」
「ゆき〜、ひそかっち〜! あんたらイイ子やなぁ。やっぱ、持つべき物は友達やわ」
 本当に泣きそうな顔でゆきと水島にがばっと抱きついてくる。
 抱きつかれたゆきと水島は、互いに顔を合わせて、「しかたないなぁ」といったようにくすりと笑みを浮かべ、西本の背中を優しくぽんぽんと叩く。
「みんなでちょとずつがんばろう!」
「そうね。わたしも油断しないで気をつけなくちゃいけないわね」
 それぞれの言葉に反応し、「もう、あんたら最高〜!」とさらに西本はしがみついてくる。
「アハハッ、危ないよう〜! 密ちゃん、はるひちゃんをなんとかして〜!」
「ええっ、わたしでも無理よ。……きゃっ」
 離さん〜! と次第に笑みを浮かべながらはしゃぐ西本につられ、ゆきや水島も声を弾ませる。
 さっきまで暗い表情を浮かべていたのは何処へやら。あっという間に笑顔に変わってしまう。それが西本のよいところだ。もちろん、それはゆきにも、水島にも当てはまる。
「なあなあ、ホンマにみんなでダイエットしよな。ちゃんと気持ちを固めよ。な?」
「うん、わかったよ」
「ふふ、了解でーす」
「よっしゃ!」


 そして放課後、皆で打ち合わせと称して立ち寄った喫茶店。
 他のテーブルに運ばれていくケーキを恨めしそうに見ながらも、ダイエットを頑張ろう! と結束し、ケーキ無しのお茶だけで話を咲かせた。
 教室ではなく、喫茶店――それも甘いものが素通りしていくのを横目にしてダイエットの話をするというところに、決意の強さが現われている。
 ゆきは『バイトがあるから』と二人よりも一足早く店を出て、いつものように珊瑚礁でバイトに励んだのだが、休憩中に出されたスイーツを「おなかいっぱいなので」と断るときにはさすがに切ない思いが胸を掠めた。
 よりによって、差し出されたスイーツはフルーツが盛りだくさんのタルト。一口大の桃がぎっしりと敷き詰められている上にシロップが艶やかに光り輝く。
 それはとても美味しそうで、程よい酸味と甘さは見ているだけで簡単に想像することができ、頬の内側がじんわりとしてくる。
 ――うぅ……、美味しそう……。でも、我慢しなくちゃ。皆で約束したんだもの。我慢、我慢……!
 乙女の固い結束を思い出し、トレイを抱きしめる手に力が入るが、心うちでは目の前のスイーツを食べれないことに、がっくりと肩を落とす。
「なんだ、おまえ食べないのか? どっか悪いの?」
 佐伯が心配そうに尋ねてくるが、ゆきは笑顔でふるふると首を横に振る。
「う、ううん! 全然元気。ただ、放課後友達とお茶を飲んできちゃったから、お腹いっぱいなだけだよ」
「へえ、そっか。でもおまえならいけると思ったんだけどな。甘いものは別腹! なんていつも言ってるじゃん」
「それはそうなんだけどね……。その、またの機会にでも……」
 ダイエットの事情を知る由もない佐伯は、特に突っ込む様子を見せず、ふーん、とさらりと流していく。
「わかった。しばらくこのタルトを店で出すから、食いたくなったら事前に言えよ? 取っておいてやるからさ」
「うん。……ありがとう」
 優しく笑う佐伯に救われた気持ちになる。日ごろ意地悪なことを口にするが、ときどきこうして優しい言葉もかけてくれる。
 そんな佐伯の優しさに、もうひとふんばり頑張ろう、とゆきは気持ちも新たに訪れた客へと笑顔を向けた。


 いつもは佐伯と共に閉店後も仕入れのチェックや明日の開店のための準備をしているマスターだが、珍しくも今日は用があるといって、佐伯に閉店までの残り時間と片づけを頼んで店をあとにした。
 営業時間も過ぎ、バイトの上がり時間もとっくに過ぎているが、佐伯一人に後片付けを任せるのもなんだか申し訳なく思い、ゆきも佐伯と共に気持ち照明を落とした店内で片付けに勤しむ。
「悪いな、最後まで手伝わせて」
 椅子をきちんと戻しながら、ブラインドを落としていく佐伯が申し訳なさそうに呟く。
「ううん、平気。それに、片づけなら二人で一緒にやったほうが早いし、瑛くんも疲れないでしょ?」
 モップで床がけをしながら、ゆきは佐伯に笑みを見せる。
「おまえ……」
 学校で、時折疲れたような顔を見せるのが心配なのだが、自分ではなにもしてあげることができないのが悔しい。
 いつも忙しそうな彼に対して何かしてあげたいと思っても、その方法がわからないし、大げさな優しさは佐伯にとって負担にしかならないだろうと、歯がゆい思いでいたのが正直なところだ。
 だから、こうした小さなことでも手伝えるのであれば、いくらでもしてあげたいというのがゆきの本音でもあり、願いでもあった。
「あっ、それにね、わたしだっていい運動になるし! スリムアップ、ってね」
 佐伯に気を遣わせまいと、明るく言ってから気が付いたのだが、まさしく今、ダイエット中だったのだ。
 ――あ、忘れてた。わたし、ダイエットしてるんだったっけ。
 このぼんやり具合、もし西本に見られていたらきっとぷんぷんに怒られるに違いない。「あんたもひそかっちと変わらんぐらい痩せとるから、必死やないんや!」と。
 ――あぶない、あぶない。気をつけなくちゃ。
「ハハッ、スリムアップって言うけど、おまえ太ってないだろ。別にそんなこと気にする必要なんて――って。……ひょっとして、まさかとは思うけど、タルト食べなかったのって、それが原因?」
 手を止め、さらには目を細くしてこちらを見ているいる佐伯を見ることができず、思わず視線を逸らす。
「うっ……」
「ったく、図星だな」
「だ、だって〜」
 顎を引き、軽くくちびるをかみ締めるゆきに、佐伯は「これだから、女は……」と呆れたように息を吐く。
「細くなるな。そのままで十分。あんまり痩せると倒れちゃうぞ」
「倒れるほど細くないよ」
「だーかーら、倒れるほど痩せたらほとんど病気なんだって。なんでも適度がいいんだよ。いいか、それ以上痩せようなんて考えるな。ちゃんと食え。じゃないと育たないぞ」
 まるで父親のような台詞を言いながらゆきの額の辺りを手のひらで軽くぽんと触れ、佐伯は隣のテーブルへと移動をする。そのすらっとした姿を見て、ゆきはぽつりと呟く。
「瑛くんはちーっとも太ってないよね。羨ましいよ……」
「でも、細くもないと思うけど。普通だ、普通。第一、ふらふらしてたら仕事になんないよ」
「それは、そうだけど」
「いいから、早く店を片付けるぞ。おまえも帰りが遅くなるだろ」
 ブラインドを下ろすために背を向けたその後ろ姿をぼんやりと見つめ、ゆきは思う。どうして男の人はこんなに体のラインが締まっているのだろう、と。
 女性より脂肪が少ないとはいえ、均整の取れた体つきは羨ましい限りだ。
 いつも一緒にいるからさして気にも留めなかったが、こうして意識をしてみると、佐伯もモデル並にスタイルがいいことに気がつく。
 本人が言うように、太すぎず、かといって細すぎず。サーフィンをしていることもあり、適度に筋肉がついている。身長だってゆきより遙かに高いし、羨ましいのはその腰の位置だ。随分と高いところにある上に、締りがあるから黒のエプロンがすっきりとし、とてもよく映える。
 ――ハァ。……羨ましい。
「……瑛くんってさ、いい腰してるよね」
 ため息混じりに何気に呟いた言葉だが、佐伯を驚かせるには十分だったらしく、動く手は止まり、さらには声が裏返る。
「ハアッ!? お、おまえ、何を突然――」
「お腹出てないし締まってる。ウエストのラインがきれいだよね。ホントに羨ましいよ……」
 羨望の眼差しをウエストの辺りに集中させると、佐伯はこちらに向き直り、照れた様子で腕を組む。
「あのなぁ、その目やめろ。セクハラ」
 それでもなおじっと見つめるゆきの視線に耐え切れなくなったのか、なるべく視線を逸らさせるように数歩前に出てゆきに近づく。
 近付いた分、今度はそのラインがはっきりとわかり、思わず手を伸ばして触れてしまいたくなる。 
「ねえ瑛くん、一つお願いがあるんだけど」
 この言葉に返事はなく、代わりにぴくりと眉が跳ね上がるのが見える。
「ウエスト、さわってもいいかな?」
 真剣な眼差しを向けるゆきに、佐伯は心の底からであろう、深いため息を吐く。
「…………おまえなぁ」
「えっと、…………だめ?」
「可愛く言ったら許す」と言う日ごろの佐伯の言葉を思い出し、このときとばかりに首を傾げて佐伯を見上げる。
 勿論、合わせた両手の先を軽くくちびるに押し当てつつと言うことを忘れない。そうしたほうが効果覿面よ、と水島から教わったのだ。
「う……。ま、まあ……べ、つに……いいけど」
 僅かに赤みが差して見える頬に、胸の奥が擽られたような気持ちになるが、佐伯の気持ちがいつ明後日の方向に変わるかわからないので先へと話を進める。
「やった! ありがとう。それでは、と……」
「って、オイ、マジで!?」
 笑顔で両手を伸ばしてくるゆきにぎょっとし、佐伯は一歩後じさりする。
「いいって言ったじゃない」
「そりゃ……まあ」
「じゃあ、遠慮なく」
「うっわ、ストップ!」
 途中で止めていた腕をさらに伸ばそうとすると、両手ごとがしっと掴まれてしまう。
「もうっ、なに? 往生際わるいよ、瑛くん」
 軽くくちびるを尖らせると、照れているとも不機嫌ともつかない表情で目を細められる。
「ウルサイ。触られるこっちの身にもなれ。それよりも、前はダメ。なんかおまえのそのニヤニヤした顔が目に映るとイラッとくる。――後ろに回れよ」
「え〜、なんで?」
「いいから! とにかく正面だと落ち着かないんだよ、俺が」
 前も後ろもたいして変わらないと思うんだけどなと思いつつも、とりあえず立ち位置を変えるべく佐伯の後ろへと回る。
「まあいいか。えーと、じゃあ失礼」
「ああ! なんっか、イヤになってきた。くそ……できることならチョップしてやりたい」
 唸るように言う佐伯に笑いながら答える。
「我慢、我慢。……では」
 言って触れたウエストは本当に締まっていて、指先をそっと動かしてもゆきのウエストのように指が沈むことがない。 
「わっ。ホントに無駄な肉がない。し、信じられない! ええ〜、わざとおなか引っ込ませてない?」
「バカ。そんなことしてないって」
「いいなあ。ますます羨ましいよ」
「ああそうですか」
「うん。羨ましいのを越して、悔しささえ覚えてくるなぁ。…………って、うわっ!?」
 佐伯のウエストに当てたままの腕に佐伯の手が触れる。驚くのも束の間、両方の手首をぎゅっと掴まれたかと思ったら、それはそのまま前のほうへと引っ張られ、佐伯へと突進するような姿勢になる。
「ああもう、鼻ぶつけた〜」
「痛くない、痛くない。つーかもういいだろ。おまえ、触りすぎ。セクハラ禁止!」
 笑い声を上げる佐伯。ゆきは腕を掴んだまま離さない佐伯の背中に、鼻はおろか額を押し付けたままの体勢で声をくぐもらせる。
「うぅ、捕獲された……。……よぉし! かくなる上は――えいっ」
 両腕を掴まれているとはいえ、力を入れれば簡単に手を動かせる程度のもの。ゆきは腕をつかまれたままぎゅっと佐伯のウエストを締め付けるように両腕に力を込める。
「どうだっ、苦しいでしょ。参ったと言え」
「フン、なんのこれしき。これが限度か……情けない奴め!」
 フハハ、と悪役のような声で笑い返される。
「むっ。小癪な! ええい、もっと締めてやる」
 額をぎゅっと押し付けることで弾みをつけ、まわす腕にさらなる力を込めるが、その効き目はまったくないようで、再度鼻であしらわれてしまう。
「まだまだだな」
「ええっ! じ、じゃあ、これでもかっ」
 力を入れすぎて逆にゆきのほうが苦しいくらいだが、佐伯は相変わらずのまま。
「全然。ちっとも。おまえ、本気で力いれてんの?」
「うっ……」
 ――うそ、ホントに苦しくないの?
 佐伯のことだから無理をしているのではないかと心配になり、懸命にその表情を覗こうとするが、高い位置にある横顔からは上手く感情が読み取れない。
「あ、あの……息、ちゃんと吸えてる?」
 シャツの背中から返る自分の吐息が暖かい。
「ハハッ、全然平気だって」
「苦しくないの?」
「あー……うん。むしろ……その……、いい……かも」
 最後は小さく呟かれる言葉だが、それはゆきの耳にもしっかりと届く。
「えっ、何がいいの?」
「……べ、別に?」
「なに? なんなの」
「だから、なんでもないって」
 妙にうろたえているようにも思える佐伯の反応が気になり、顔を気持ち上げて佐伯の背中に顎をぐいっと押し付ける。――答えるまで引かないからね、という意思表示だ。
「顎やめ! ああもう、わ、わかったよ!……その、さ。なんていうか、改めて思ったんだけど……」
「うん」
「やっぱりさ、痩せなくてもいいんじゃないのか?」
「そう?」
「うん。細くなって、なんていうか……まあ、あれだ。余計なトコ減ったらもったいない」
「余計なとこって……?」
「さ、さあ……」
 さらに口ごもる様子がおかしい。
 おまけに耳が真っ赤になっている。
 おかしい。
 絶対におかしい。
 眉を顰めて少しの間思案すると、ふとあるところに答えが行き着く。
 痩せたら減っていき、佐伯が『もったいない』と言うとなれば、ウエストや足ではない。 
「…………まさか。ちょっ、ちょっと瑛くん!?」
 今までウエストに気をとられていたが、隙間なくしっかり佐伯に抱きついていることにはっと気がつく。
 ――今気がついたわたしもわたしだけど……でも……っ!
「ぎゃっ、ばかっ!」
 慌ててその背中から体を離し、日ごろ受けているチョップをここぞとばかりにぽかっと返す。
「痛ってえ!」
 背後からの不意打ちに、佐伯は頭を抑えながら振り返る。
「セ、セクハラオヤジっ!」
 一気にかあっと頬に熱が集まり熱いくらいだが、それでも懸命に佐伯を睨む。
「な、なんだよ」
「なんだよじゃないよ! もうっ、変だと思った!」
「仕方ないだろ。それに、抱きついてきたのはおまえなんだし、減るもんじゃないだろ」
 佐伯も僅かに頬を染めているが、反省の文字がまるで見えないその態度に、ゆきは頬を膨らませる。
「減るってば!」
「待て。その前に、俺は触ってないぞ」
「触ったようなもんだよ!」
「触ってない! っていうかだな、はっきりとわかるほどのボリュームがあれば話はべつだけど、ものすごくあったわけでもな――」
 最後まで続けられることはなかったが、この佐伯の言葉にゆきが目を剥くと、しまった、といったようにその視線をさまよわせる。
「あはは……。ええと……その、冗談だから、な? あのさ、怒るなよ?」
 そろそろと気遣う声には沈黙で対応。
 ――うう……。どうせ『すごく』はないですよ、だ。
 大きくがっかりはせずとも、心内ではしゅんと肩を落とす。
 確かに佐伯の言うとおり、お世辞にも胸があるとは言い切れないが、かといって全くないわけではない。
 適度にあるつもりでいるし、きっとこれから地道な成長を続けてくれるのではないかとさえ信じている。――というよりも、そう信じたい。
 胸がないと命に問題があるというわけではないし、生活していくのに別段困るわけでもない。だが、やはり出るべきところは程よく出ていたほうが、服を着ていてもしっくりくるし、ある程度見栄えもする。それはけして飾りというわけではないが、たとえ高校生でも、女性としてある程度の見栄や体裁と言うものがあるのだ。
 それに、今よりももっと先の話になるとは思うが、自分以外の誰かに触れられる日が来るのであれば、がっかりされないくらいのボリュームでありたいと思う。
 何にしても、今の段階では全てそうあってほしいという願望でしかないのが切ないところだ。
 ――やっぱり……、ないよりは、あったほうがいいに違いない、よね……。
 ちらりと佐伯を見て、小さくため息を吐く。
 そして、思い切って口を開く。
「…………あの」
「な、なにかな?」
「瑛くんも、やっぱりあったほうがいいって思うの?」
「え?」
 目を丸くする佐伯に、ゆきは言葉を濁す。
「その……」
 ――胸。
 消え入りそうな声でなんとか呟く。
「へっ? あ、ああ……。べ、つに、そんなの人それぞれじゃないのかな……」
「……そう、なの?」
「うん。っていうかだな、俺は別に何とも思ってないからな! つーか、俺はおまえぐらいでちょうどいいん――」
 照れたままで必死になって弁解する姿がかわいいと思いつつも、『おまえぐらいで』という言葉に思わず眉がぴくりと上がってしまう。
「ちょうど、なにかな?」
「……なんでもありません」
 言って、首筋に手を当てながら参ったな、といった表情を浮かべる。そんな佐伯に対し、表向きは不快感をあらわにしつつも、心うちでは小さく微笑んでしまう。
 ――瑛くん、珍しく必死になってる。なかなかこういうのってないから、ちょっとおもしろいかも……。
 佐伯には申し訳ない話だが、そう思えて仕方がないし、実際困ったような顔が可愛く思えてしまう。これを本人に言ったら間違いなく怒るだろうから、絶対口にはしないけど。
「あの、さ。そういうのを気にする男もいるかもしれないけど、俺はホント、別に気にしてないから。……いや、全然とは言い切れないけど、でも、まあ、その……だな」
 眉間を寄せて、憔悴しきりといった佐伯に、ゆきはふっと笑顔を見せる。
「おい……笑うなよ」
「ゴメン、ゴメン。……まぁ、細かいことはもういっか。よけいなとこが減らないように適度に痩せようっと」
「……ああ。適度にがんばれ。やりすぎるなよ? さっきも言ったけど、倒れたりしたらイヤだし」
「へへ、ありがとう。そこらへんはちゃんと気をつけるね。それに……あんまり痩せると瑛くんがっかりしちゃうみたいだし」
 ちらりと見上げると、驚いたように目を見開く佐伯と目が合う。
「なっ!? なんで俺が……っ!」
「じゃあいいんだ?」
「う……」
 僅かに頬を染め、視線を逸らす端正な作りの顔にさらに問いかける。
「いいの?」
 くちびるに笑みを浮かべ、さらには首をちょこんと傾げるゆきを見て、佐伯は深いため息を吐いたあと、観念したように瞼を閉じる。
「……適度にお願いします」
 その言葉にゆきは肩を震わせながらはい、と小さく言葉を返す。
 ――照れた顔に免じて、適度にダイエットします。
 最後にくすっと声に出して笑い、再度床がけをするべく柄の長いモップへと手をかける。
 あれこれ話しているうちに、気がついたら大分時間も経ってしまったようだ。
「さて、と。話はここら辺にして、頑張って後片付けやっちゃおうね!」
 張り切るゆきの声に、佐伯も頷く。
「ん。……でもさ、最後に一つ聞いてもいいか?」
「なあに?」
「えっと……さっきのってさ、つまりは、その――後々、触ってもいいって――」
「あっ! もうこんな時間!」
「……えっ!?」
「まずいっ、早く帰らなくちゃ怒られちゃう。わ〜、急がなきゃ!」
「あ、そうだな。……って、聞けよ!」
「瑛くん、さっさとブラインド下ろしてね。終わったら今度は補充だよ。そしたら戸締りね。それで完了!」
「う……、了解。――っていうか、おまえが仕切んな! なに仕切ってんだ」
「さあ、がんばろう!」
「おまえ〜……」
 背後で不満そうな声を上げる佐伯をさらりとかわしつつも、ゆきは堪え切れずに笑顔を浮かべていた。

 ――うん。後々ね。

 佐伯の問いかけに対する返事はイエス。
 でも、その心の声は言葉にせず、そっと胸の中にしまっておく。
 いつか来るその日に、また改めて。

 ――そのときがきたら、ね。



End.
2006.11.05UP
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