ときメモGSシリーズ

君が好きだから【瑛主】



 休み時間にあいつのクラスの前を通ると、いつも友達と楽しそうに話している姿が視界の端に写るんだけど、今日はその姿がない。持ち主がいないままぽつんと席があいている。
 ――移動教室、とか?
 でも教室には結構人が残ってるし、慌ただしさもないようだから移動ではなさそう。
 ――あー、じゃあ、トイレとか。あとは……あいつ、友達多いから別のクラスでも行ってたりして。
 あいつのことだから、他のクラスにもにこにこと笑顔を振りまいてるんだろうな。それに、お菓子とかパクパク食べてそうだ。
 お菓子を頬張りながら嬉しそうな顔をしているのが浮かび、思わず俺は思い出し笑いをしてしまうんだけど、ちらちら俺のほうを見る何人かの視線に気がつき、コホンと慌てて息を吐く。
 ――ヤバイ。自ら墓穴を掘りそうだった。
 もう一度ゆきの席を見てから、なんでもないように装い、再び歩き出す。
 ――ま、別にどっちでもいいか。……うん。どっちでも、構わないよな。
 学校ではあまり声かけるなって言ってるし、特に用がある訳じゃない。珊瑚礁に行けば、顔を見ることだってできる。今日は金曜日だから、あいつも店に出てくる日だしな。
 だから、別に学校で会えなくても構わないんだ。
 昼だって別々に食べてるし、帰りだって一緒に帰るのはたまにだしさ。
 ただ、あの明るい声がちょっと聞けないだけ。それだけのことだ。 
 ほんの少し気にしてるけど、『すごく』は気にしてなんてないから、別に。
 まるで言い訳じみた言葉だけど、でも俺は内心そう呟いた。


 そのあとの時間はというと、授業のことやら、出された課題のこと、そして店の開店ことなどを考えていたから、ゆきの姿が見えなかったことなんてすっかり忘れてしまっていたんだ。
 だけど、いつものように学校から帰って店に入り、さあ今から準備だと気合いを入れたとき、じいちゃんから言われた言葉に思わず驚いた。
「お嬢さん、風邪で熱が引かないから、今日は休ませてくださいと連絡があったよ。随分と辛そうな声をしていたな」
「えっ……。風邪?」
「なんだ、知らなかったのか。同じ学校なのに、冷たいもんだな」
 呆れたようなじいちゃんの声に、言葉が詰まる。
 全然知らなかった。
 じゃあ、姿が見えなかったのって、風邪で休んでいたからなのか。昼間のあの休み時間しかあいつの教室の前を通らなかったから、ずっと席が空いていたままだったなんて知りもしなかった。
 っていうか、昨日ちらっと見かけたけど、あいつ、いつも通り元気そうだったぞ。……俺には元気そうに、見えたんだ。
「同じ学校でも、クラスが違うと話す機会なんてあまりないんだ。それに、いつもあいつから声かけてくるから、別にこっちから声かけなくてもって思って。大体、しょっちゅう話してるといろいろと面倒なことになりかねないから、俺、学校ではあまり声かけないようにしてるんだ」
「なんてことを言うんだお前は。……まったく、寂しいことを言うんじゃない」
 じいちゃんは渋い表情を浮かべて息を吐いた。
「仕方ないじゃん。いろんな事ばれちゃったら、俺が困るんだし」
「瑛!」
 『俺が困るんだし』――これってさ、言葉にするとやっぱり冷たいよな。それはよくわかってるんだ。人として、どうなのかって。自分のことだけしか考えていないっていうのが、はっきりとわかるもんな。
 もっと気遣いのある言葉だっていくらでもあるはずなのにな。
 でも……わかっていても、ついついこういう口調になってしまう。自分のことで精一杯で、心に余裕がないからそうなってしまうのかもしれない。
 でもさ、それでもやっぱり俺は珊瑚礁で手伝いをしていること、人に知られたくないんだ。
 大切で守りたい場所だし、ほっとできる数少ない居場所だから、できる限り学校のヤツらに知られたくない。
 ごくごく限られた人だけでもいいんだ。俺の大切なものや、本当のことを知ってるのは。
 その限られた人の中に、あいつも自然と入っているから、俺はついつい甘えてしまうんだろけど。キツイこと言っておきながら、『甘えてしまう』なんてひと言で片付けるなんて、随分勝手なもんだけどさ。
 軽くくちびるを噛みしめて黙り込む俺の耳に、じいちゃんの吐く深いため息が届く。
「お前がそれでいいというなら、何も言わない。けれど、お前を気遣ってくれている者がいるということを、もっとよく理解すべきだ。いつも彼女から言葉をかけてもらっているからといって、それが当たり前だと思わないように。人の思いを大事にできない者は、何事においてもたいした結果を生み出せやしない。それを頭に置いておきなさい」
「じいちゃ――」
 カウンターの中へと向かうその背中に声をかけようとしたけれど、来客を知らせるドアベルが柔らかく響き、声をかけるタイミングを失ってしまう。
 わかってるよ、じいちゃん。それ、痛いくらいよくわかってる。
 あいつが明るい声で俺に話しかけてくれるのが当たり前だなんて思ってないよ。
 だって、あいつがいなくなってしまったらどうなるんだろう、なんて、ここ最近よく考えるようになったから。
 いなくなったら、困るよ。店のことがどうこうじゃなくて、もっとこう、根っこのところの意味で。
 学校で会えなくたって別にいいかって思うのは、そのあと必ず珊瑚礁で会えるとわかっているから。
 だからだよ。本当に会えなくなったら困るよ。
 あいつがいなくなったとしても、世の中の何かが変わるわけじゃないけれど、少なくとも、俺の中では絶対に何かが変わる。
 何がどう変わるのかなんて言われても分からない。けれど、とにかく俺、あいつがいなくなったら困るんだ、。
 浅く息を吐いて、何とか心を落ち着かせる。
 嫌なことを考え出すと、きりがなくなる。
 あいつのことでこんな風に考える日が増えたことは自分自身でも驚きだけど、でも仕方ないんだ。
 考えないようにしても、あいつのことを考えてしまうから。
 学校の休み時間、あいつのクラスの前を通るとき。
 放課後の帰り道。
 店が終わり、片付けも終わって一人の時間になったとき。
 明け方の真珠色の海を見たとき。
 ふと、ゆきの顔が浮かぶんだ。
 ――考えちゃうんだよ、どうしても。
「いらっしゃいませ。二名様ですか? どうぞ、お席の方へとご案内いたします」
 ここに来れば会えると思っていた笑顔がない。
 そんな、なんとも妙な虚しさを心に抱えつつも気を取り直し、いつもの笑顔でお客を迎える。
 そして、じいちゃんに言われた言葉も、妙にからっぽな胸の奥にいつまでもじりじりと残った。


 あいつがいない土曜日。
 そして電話がかかってこない退屈な日曜日。
 何日か過ぎても、ゆきは学校にも、勿論、珊瑚礁にも姿を見せなかった。
 ゆきが日ごろ仲良くしている小野田に思い切って声をかけ、今彼女がどういう状況なのかを聞いてみたところ、「熱がなかなか下がらなくて、大変だったみたいですよ。昨日は病院に行って注射をしてもらったと、彼女のご両親から若王子先生のところに連絡があったそうです」と返ってきた。
 まだ少し安静にしていなくてはいけないことと、おそらく今週末か来週には登校できるかも、ということも付け加えられた。
 結構な状態だったことを知り、余計に気持ちが沈んだ。
 ――俺、本当に何も知らなかったんだな。
 今更過ぎて電話するのも躊躇ってたから、その分後悔が大きく圧し掛かってくる。
 ――やっぱ、メールぐらい打てばよかったかな。風邪のときに話しするのってキツいだろうから、それは遠慮するにしても、「どうした?」ってメールぐらいは打てたかも。
 何にしても今更だ――そう小さく息を吐く。
 自分の教室へと戻るこの廊下からは、あいつの席が見える。
 そこにゆきの姿はないのについつい目が追ってしまうし、放課後になれば「瑛くん、いっしょに帰らない?」って声が聞こえてきそうな気がして、何度も振り返ってしまう。
 一人の帰り道も、早足で行けばあいつの背中があるような気がして、ついつい早足になる。
 けれど、どんなに早足になっても、どこにもあいつの姿はない。
 一人の時間が増えて、声をかけられる心配もなくて、人目を気にすることなくてほっとするはずなのに、どうしてこんなに「何か」が足りないんだろう。
 つまらなくて、空しくて、退屈。
 何もない方がよかったはずなのに。煩わしいことは一切ごめんだと思ったのに。
 足元にある小石が目につき、それをつま先で軽く蹴り飛ばすと、思いのほか真っ直ぐ遠くへと飛んでいく。
 のんびり歩いて蹴った石に追いついてはまた蹴ってを何度か繰り返す。
 そんな風にして夕日に照らされきらきらと光る海のそばを、一人歩いて珊瑚礁へと向かう。
「つまんないよな、やっぱ……」
 先に歩いている小さい後姿もなければ、懸命に俺の歩幅に合わせて歩く笑顔が隣にいない。かといって後ろから俺を追いかけてくることもない。
 毎日一緒に帰っているわけでもないし、大半一人の帰り道なのに『会えない』と意識するだけでこうも気持ちが変わるなんて思いもしなかった。
「勝手に、休むなよな……まったく」
 友達じゃない。恋人でもない。――けれど、やっぱり、どうしても大事なんだ。
 ゆるい坂道を上り、珊瑚礁のこのドアを開けた向こうで、勝ち誇ったように「瑛くん、やっと着た。遅いよ! 今日はわたしの勝ち!」って笑う顔、やっぱり見たいんだよ。
 店の準備をするのが更なる楽しみとなったのは、ゆきが大切なあの場所にいるからだ。
 バカ言ったり、笑ったり、俺が作ったデザートをにこにこしながら食べるのを見てると、こっちまで楽しくなるんだ。
 それは毎日の中の小さな出来事だけど、たとえ小さなことでも日常から欠けてしまうと、こんなにもつまらなくなるものなんだっていうこと、俺、初めて知ったかも。
「あーあ。なんて顔してるんだか……」
 店に着き、鏡の向こうに映るちょっと情けない自分の顔を見つめ、少し笑う。
 髪も整え、タイもきっちり締めてある。シャツだって糊が効いているぱりっとした肌触りが心地よい。
 見た目にはきちんとした格好。
 なのに表情だけがついてこない。それが妙にちぐはぐすぎて、鏡の中の顔がさらに哀しく歪む。
「ははっ……変なの」
 情けない自分が嫌なのに、なんで笑えるんだろう。っていうか、心底情けないから笑えるのかな。
 ――変だよ、ホント。バカみたいだな、俺。『会えないだけ』なのに、『だけ』どころじゃないじゃん。
 一人ごちて瞼を閉じる。
「やっぱり…………行ってみよう、かな……」
 ――会いに。彼女の近くに。
 メールでもない。電話でもない。
 少しだけ、ほんの少しでもいいからそばに行きたい。
 ――会えるかどうかわからなくても、じっとしているより、マシだよな。こんなもやもやとした気持ちのままで待ってるだけなんて、なんか嫌だ。
 こういうふうにぐだぐだしている自分は好きじゃない。
「行動あるのみ、かな」
 小さな決意を胸に、俺はコーヒーの薫り立つ下の階へと足を進めた。
「じいちゃん」
 背中にそっと声をかけ、カウンター正面に回る。
「ん? ああ、お帰り。いつの間に帰ってきたんだ」
「少し前。――あの、さ。出てきた早々悪いんだけど、その……今からちょっと外に出てきてもいい?」
 カウンターで一つ一つ丁寧にカップを拭いているじいちゃんの手元を見つめながら尋ねる。
「外? 別に構わんよ。でも、どうした?」
「ちょっと、大事な用を思い出して。……あっ――と、もちろん買い出しにも行って来るよ。だからその、なんていうかな……。用っていっても、俺のはたいして時間かからないから、少しだけでも時間が貰えればいいんだけど、さ……」
 この言葉だけで、俺が何を言いたいのかじいちゃんはわかったらしく、眼鏡の奥の目元をやんわりと緩めて微笑んだ。
「ハハ。少しとは言わず、しっかり大事な用を済ませてくるといい。なあに、店のことは大丈夫さ」
「…………ありがとう。……ごめん」
 小さく笑って返すと、なんの、といったように肩を竦めて返される。 
「あ、そうそう。昨夜お前が作ったシャーベット、ちゃんとできていたぞ」
「……えっ」
 昨夜、閉店後にこっそりと作っておいたシャーベットは、別にあいつに持っていこうと思って特別に用意したわけじゃない。
 ただ……なんとなく。そう、なんとなく、作っただけだ。
 ――なんて、見苦しい言い訳か、やっぱ。
 そんなことを心うちで言い訳しながらも目を瞠る俺に、じいちゃんは笑顔を見せる。片目まで瞑ってるよ……まったく。
 年を取ってもこういうところが手におえないよな。
「確かオレンジは彼女がとても好きなフルーツだったような気がするが」
 ぼんやりとした口調で言うが、明らかに俺のことをからかってる。
「じっ、じいちゃんっ!」
「おや。店ではマスターと呼ぶんだろう?」 
 その言葉に慌てて店へと目を向けるが、幸いこちらを気にするお客はいないようだった。
「うっ……」
「……と、ほら、いつまでもここにいないで、お前は早く行きなさい」
「あ、りがとう。……ございます。マスター」
「ハハハ。どういたしまして」
 まったく、敵わないな。
 諦め混じりのため息を吐いて、俺は手早くシャーベットの用意をする。勿論、買出し用のメモをチェックすることも忘れない。
 そして、「彼女に宜しく」というじいちゃんに軽く頷いて見せて、あいつの家へと繋がる道を歩いた。そう、あいつのことを考えながら。
 今度は、俺が会いに行く。いつも愛想悪い俺に声をかけてくれる分、それを返すんだ。
 学校ではあまり声をかけるな、なんて冷たいこと言ってしまったけど、本当にイヤだからじゃないんだ。
 それ、分かってくれてるよな。おまえなら分かってくれるんじゃないかと思ったから、俺、あんなこと言ったんだ。
 勝手だけど、そういうの、分かっていてほしい。
 だって、数日会えないだけでこんなにつまらないんだから、イヤなもんか。
 あいつが――ゆきがいてもいなくてもどっちでもいいなんて、もう言えない。いないとつまらない。
 顔が見たい。声が聞きたい、って思う。
 くだらないことでケンカするのだって、全然構わない。
 ぼけたこと言うのも、もう慣れたから。それが、ゆきらしくていいんだから。
 だから、顔見せて欲しい。おまえがいないと、俺、つまらないよ。おまえと会うまで、一人の時間をどう過ごしていたのかっていうのがわからなくなるくらい。


 何度もゆきのことを送り届けていることもあり、慣れた住宅街を歩く。
 今日はやけに夕焼けがきれいで、家々が強いオレンジ色に染まって見える。
 こんな夕日を前にも一緒に見たけれど、あいつ、「わぁ、きれい!」ってえらく喜んでたっけ。
「……見せてやりたいな、今日の夕日も」
 目を細めて空を見上げると、届く光が少しばかり眩しくて思わず足を止めてしまう。
 じいちゃんは「急がなくていい」って言ってくれたけれど、やっぱり店のことも気になる。そうのんびりもしていられないので俺は再び足を進める。
 途中、学校帰りの小学生や買い物帰りの女性とすれ違いながら、ゆきの家の前まで辿り着く。
 ――寝てるだろうからゆきは出てこないだろうな。
 二階にあるゆきの部屋の窓を見上げ、それから門に備え付けれているインターフォンのボタンを押す。
 柔らかい音がかすかに外まで届き、はあい、という声の後ゆっくりとドアが開く。
 僅かに開かれたドアからは、ゆきと雰囲気が似てる優しそうな母親が、少しばかり驚いたように俺を見ている。
 無理もないよな。だって俺、大事な用を済ませると言って出てきても、店の格好のままだ。
「あの……どちらさま、ですか?」
 首を傾げつつも穏やかな声で問われ、俺は気持ち少し背筋を正す。
「突然すみません。あの、僕はゆきさんと同じ羽ヶ崎学園に通う、佐伯と申します。そして、祖父が経営している喫茶店でもお世話になっています」
「あら、同じ学校の? アルバイトも一緒の……佐伯さん?」
「はい」
 ゆきの母親は何かを思い出そうと少し考えているようだったが、その時間は僅かで、突然はっとしたような表情を見せる。
「ああ! あの佐伯さん?」
 にこやかな笑顔で言われてしまい、少しばかり面食らう。
「は、はい……?」
 「あの佐伯さん」がどういう佐伯さんなのかは分からないけど、緊張している俺は突っ込む余裕など全くなく、小さく息を呑み込み、言葉を続ける。
 もちろん、「おまえ、俺のこと一体どういう風に言ってるんだよ」って絶対あとでゆきに聞いてやるけどさ。
「あ……、あの、こんな格好でいきなり押し掛けてしまい、大変申し訳ありません。ゆきさんが体調を崩していると聞いて、様子が気になったので――」
 ――いてもたってもいられなくて、ここまで来てしまいました。
 ゆきの母親を前にして、さすがにそうとは言えないけれど、でも、心の中でははそう思ってる。
少しでも顔が見たい。声が聞きたい。一緒にいたい。
 でもそれはただの友達に対する感情じゃない。こんな感情をなんて言うのか、それは誰よりも俺が一番よく知っている。
「早くよくなって、学校に来るよう伝えてください」
 ――好きだから、会いたいんだ。
 やっぱり、これ、だよな。
 その想いが、ここまで足を動かしたんだ。
「元気な姿見えないと、やっぱりつまらないんで」
 思わず心の声がぽろっと漏れたけど、まぁ、いいか。
 ゆきの母親にっこりと笑ってるし、何より本音だからさ。
 うん。たまにはいいか。



End.
2006.10.29UP
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