ときメモGSシリーズ

小さな恋のメロディー【瑛主】



 授業が終わり、放課後となれば店の準備をするためにまっすぐに珊瑚礁へと向かうはずだった佐伯が、日を見ては少しばかり学校に残るようになった。
 でもそれは、決して自分を取り巻く女子たちとのんびり談笑するための時間ではなく、とある一つの目的のため。今日も足繁く音楽室へと足を運ぶ。
 「継続は力なりだぞ、佐伯。努力を怠らない奴が、勝利を勝ち取るんだ。いいな!」――と勝ち誇ったような針谷の笑顔に、内心「よくいうよ」と毒づきながらも素直にその針谷にギターを教えてもらっている。
 べつに針谷のように道を究める気はないが、ある程度さまになるくらいまでは上達したいというのが本音。
 たどたどしい手つきと、リズム感の悪さから奏でられるギターの音色に針谷は顔を顰めるが、それでも懸命に基礎的なコードを復唱しながら弦を弾く。
「C、……D、G……。Em……あっ、くそ!」
 難しいコードではないのだが、頭で理解しているテンポと、耳から聞こえる針谷の伴奏音、そして指先とがうまくかみ合わず音を外してしまう。
 小さく舌打ちして、もう一度最初のコードを押さえるべく強ばった手を開いたり閉じたりを繰り返す。
 どうしてこうもうまくいかないのかと、焦燥さえ感じるが、リズム感の悪さは今に始まったことではない。
 根気よく。そう、根気よくやるのが一番だ、と佐伯は自分に言い聞かせる。
 そんな佐伯に対し、すぐそばのスチール椅子に座っている針谷は深いため息を落とす。
「あのさぁ……」
「言わなくてもわかってる。言うな、針谷」
 顔はギターのネックの部分へと向いているが、視線だけじろりと流す。
 何回同じところで間違えているんだとでも言いたいのだろうけど、そんなの誰に言われるまでもなく自分がよくわかっている。わかっているけれど、指が動かないのだから仕方がない。
「佐伯ってよぉ、頭よくて何でもそつなくこなすくせに、リズム感最っ悪な。つーか、どこにおいてきたんだリズム感は。ミュージシャンの命だろうが!」
 針谷はミュージシャンを目指しているからまだしも、佐伯にとってリズム感とやらはそれほど重要じゃない。
「うるさい。それに、俺はミュージシャンじゃないからリズム感なんて普通にあればいい」
「普通にあればいいけどよ……。オマエ、今の状態じゃ……」
 呆れたように目を細め横目で見る針谷に、佐伯は失言だったと渋面を作る。
「うっ……。ああもう気が散る! おまえ、先生なんじゃなかったのかよ。邪魔すんな」
「なんだ、その言い方! 可愛くねえな。オレ様直々にギターを教えてもらってるんだぞ、ちったあ感謝しろ!」
「ヤダ」
「あー!?……っと、いけね。また乗せられるとこだったぜ。あぶねえあぶねえ。……つーかよ、そもそもはオマエ何でギターなんて習おうと思ったんだ? バイトで忙しいとかって前に言ってなかったっけ?」
 簡単に人に乗せられる針谷が珍しく冷静さを取り戻した。それだけでも十分驚くことだが、ギターを始めた動機を改めて問われどきりとする。
「ま、まあ……。いろいろとな」
 言葉を濁してはぐらかすが、今回針谷は妙に食らいついてくる。
「いろいろと? っていうかよ、オマエの性格上、絶対にめんどくせーことはしなさそうだよな。苦手なものなんて克服しなくたって構わない、ってタイプだろ」
「苦手なもの? 針谷くん、きみ、なにか勘違いしてないかな? 僕は苦手なものなんてないよ」
「なーにが針谷くん、だ。気味悪いっての。やめ、それやめ」
 今更ながらの優等生な口調に思い切り顔を顰める針谷だが、一呼吸おいたあと、にやりと笑みを浮かべる。
「…………ははん、オレはわかったぞ」
「なんだ」
 自信たっぷりなその様子。
 見当違いの言葉を言われるであろうとわかっていても、何故か妙にイラつく。
「さては、スキルアップしてさらに女にもてようって魂胆か?」
 案の定の言葉に、佐伯はため息をつく。
「バカ。んなわけあるか。っていうか、針谷。スキルアップなんて言葉、よく知ってたな。驚いたぞ」
「ったりめーよ!……じゃなくて! これぐらい俺だって知ってるってーの。バカにすんな、ったく」
 煽ると予想通りの反応を返してくれる針谷が楽しくて仕方がない。ついついからかいたくなってしまう。
「そうか、知ってたのか。すごいぞ」
「おうよ! ああもう、そうじゃねえって。……で? 本当の理由は?」
 つまらないことに最後までひっかかってくれない。今日の針谷は一筋縄ではいかないようだ。
 佐伯は残念、と内心思いつつも、小さく息をついて軽く目元にかかっている髪をかきあげる。
「別に。店に――バイト先にいいギターが置いてあって、単純にそれを弾いてみたいって思ったからだよ。他に理由なんてない」
「それだけかあ?」
 全く信じていないような針谷は不服そうな声をあげる。
「それだけ」
「オレはてっきり、好きな女に『佐伯クン、わたし、佐伯クンがギターを弾いているところが見たいわ〜ん』なんてせがまれてやり始めたのかと思ったぜ」
 高い声を上げて大げさにしなを作る。再度確認するようにコードを抑え始めた佐伯が、針谷のその姿と言葉とで派手に手元を狂わせる。
 ――薄気味悪い物まねはさておき、だ。……針谷、それアタリだ。まさしくその通り。おまえ、今日はホントに冴てるぞ。
「おおっ、まさか今のアタリか?」
 にやっと笑う針谷に対し、佐伯は軽く眉をひそめ、もう一度気を取り直そうとするが、横から肘でぐいぐいと突かれ、コードを押さえるどころではない。
「ああもう、うっとおしい! 針谷、邪魔!」
 突く針谷の腕をぐいっと押し返し、改めてギターを持ち直すが、調子に乗った針谷は突っ込むことをやめない。
「顔赤いぞ佐伯。マジか? なあ、マジで言われたのか? それでおまえ、健気にギター習ってんの?」
 にやっと笑うその顔が腹立たしく、なるべく見ないようにと眉間に皺を寄せたまま目を閉じる。
「ウルサイ」
「なーんだ、かわいいじゃん。つーか、まさかいつものあのうるさい奴らのためじゃないよな?」
 針谷が指しているのは、もちろん佐伯を取り巻く女子たちのことだろう。
 できることなら自分には構わずそっとしておいて欲しいくらいなのに、どうして彼女たちのためにギターを習わなくてはならないのか。そんなことをした日には、どんな勘違いをされるかわかったものではない。
 想像しただけでもぶるっと首を振りたくなるくらい。恐ろしいったらありゃしない。
「当たり前だ。そんなにヒマじゃない」
「じゃあ、誰のためだ? オレが知ってる奴か? はね学の奴だよな? 待ってろ、オマエと適度につきあいがあるって言ったら……」
「待たない。考えなくていい。っていうか真実はそこにはないから」
 視線を天井へと向け、真剣な表情を浮かべる針谷に、すばやく返す。
 本当だったら勝手にどんどん話を進めるのはやめろと強く言ってやりたいところだが、全く持って耳を傾けそうにないのでそれすら無駄なことだろう。かといってこのまま時間を与え続けてもろくなことにならない。――そんな気がしてならい。
「まぁ、そう言うなって。こう見えても、結構洞察力あるんだぜ? 音感、洞察力、流行感ばっちりのハリー様に任せろ!」
 ――なんだそれ。
「任せたくない。それよりも、まじめにギター教えろって」
「るせぇ。今はそれどころじゃねえっての。あとでしっかり教えるからちょっと黙ってろ。えーと……、えーとだな……アイツじゃなくて……、アイツでもない……。アイツは……ちがうよな。つーことはだ……うーん」
 一体誰を思い浮かべているのやら。
 テレビドラマの名探偵のように額に指を押し当てながらたっぷり間をとって考えた後、あっ、と一際大きな声を上げて針谷はその指を突きつけてくる。
「ハッ!……もしかすると、アイツか!? ゆき! 夏川ゆきだろ。ぜってーそうだ。間違いねえ! 佐伯さあ、アイツにだけは屈折した本性見せてるもんな。な、な? そうだろ。そうだよな? よく一緒にいるしよぉ」
 さっきよりも力を込めてぐいぐいと肘を押し付けてくるのを避けつつも、佐伯は少しばかり驚いていた。
 音感、洞察力、流行感とどれもばらばらなものを引き合いに出した割には、それはまんざらはずれでもなさそうだ。
 けれど、真実を言い当てられたからと言ってそれを素直に認めるわけにはいかない。
「違うって言ってんだろ。っていうかなんだ、その屈折した本性って。人聞きの悪い」
「本当のことだろうが。なあ、それよりも、マジでアイツ? そういや今日も廊下で会ったとき、「ゲッ」なんて言ってヘンな態度してたよな」
 新しいコードを教えてもらうため、廊下で立ち話をしていたときのことだ。
 偶然廊下を通りかかったゆきに、針谷からギターを教わっているということがばれてしまった。
 あとで満足に弾けるようになったときにでもさりげなく切り出そうと思っていたのに、まさかこんなに早くにばれるとは思いもしなかった分、佐伯はひどく驚いた。
 表向きは冷静を装ったが、針谷がいつ余計なことを言い出すか気が気でなく、できることならゆきの前から立ち去りたかったのが本音だ。
 ――まさか言えるわけないだろ。以前ゆきに「ギター聞かせてよ」って言われたのがきっかけだなんて。
 針谷に頼み込んでまでギターを習おうと思ったのは、何気ない会話がきっかけだった。趣味の話から始まり、店にある装飾用のギターをたまに弾いていると言ったことから、「聞かせてよ」とゆきにねだられたのだ。
 人に聞かせるどころか満足にコードを押さえられない腕前は、とても誰かに披露できるほどのものではなく、ケチと言われようが拗ねられようがとことん断った。
 最後には自身の口から「ヘタなんだ」とまで本音を漏らしたのだが、そのひとことで申し訳なさそうに諦めた彼女を見て、「やっぱり弾けるようになりたい」と佐伯は思い直したのだった。
 ただそれだけ。本当にそれだけだった。きっかけなんてこんなものだ。誰かのひとことにより、気持ちなんていともたやすく変わるもの。
 何より可笑しいくらいに彼女の言葉に振り回される自分が滑稽でたまらない。
 くすぐったくて、もどかしくて、うまく言葉に出来ない何かに衝き動かされているが、こういう気持ちは悪くない。
 格好悪いくらいなのに、何故か楽しい。
「違う。ヘンな態度なんてしてない。ホラ、もういいだろ」
「よくねえよ! 折角わかったんだ、もっと詳しく話を聞かせろよ」
「ヤダ。絶対にヤダ」
「おっ、ヤダっていうことは、やっぱアイツでビンゴか! そうかそうか。ふーん、そうかぁー! ゆきかぁ〜。へえ〜っ、ホォ〜?」
 妙に嬉しそうに笑う針谷を、佐伯は舌打ちしながら思いきり睨みつける。なにがそんなに嬉しいのかさっぱりわからない。
 それよりも、下手なアクションを起こしかねないこの態度に、いやな予感がする。
 ――もう何も言わない。シカト。シカトが一番。
 気を取り直し素知らぬ振りで再度ギターを鳴らしていくが、ぽんと肩に手を置かれ、さらには耳打ちされる。
「オレの曲貸してやるぞ、佐伯。イイ曲あるんだ、マジで。タイトルは『Only You』。自信作の中の自信作だ。どうだ、タイトルからしてラブソングにもってこいだろ? しっかりギター弾けるようになったら、オレの歌を歌え! もちろん、作詞作曲ハリーってクレジット入れるんだぞ」
 ――どこにそんなもん入れるんだ、バカ。
「結構だ。っていうか、歌なんか絶っ対に歌わない。それよりも、『Only You』って……。針谷、随分ベタなタイトルだな」
 挑発するべくニヤリと笑みを浮かべるのだが、開き直った針谷は「時にはベタも必要なんだよ」と鼻であしらうのみ。たいして悔しそうではない様子に、仕掛けた佐伯のほうが悔しくなる。
「ま、まあ、別に、タイトルなんて何でもいいけど……。どうせ俺には関係ないし」
 フン、と息をついて適当に何本か弦を弾いていると、それまで一人で暴走気味に話をしていた針谷が、深いため息をついて佐伯を見る。
 ギターを持ち直し、「しかたねえな」と突然弦を弾き始める。それも、適当なノリのものではなく、曲としてきちんとまとまっているものだ。
 優しくも、ほんの少しの切なさが混じるような曲調。ロックを好みとする針谷からは信じられないほど穏やかでスローなナンバー。柔らかいアコースティックの音色は、二人のみの音楽室に心地よく響き、簡単に佐伯の心を掴む。
 針谷が曲を弾き終わるまで聞きほれていた佐伯は、素直に賞賛の言葉を述べる。
「……すごいな……。今のなんかすごくいい曲だった。俺、ちょっと針谷のこと尊敬した。マジでよかったよ……」
 目を瞬かせながら余韻に浸っている佐伯を見て、サンキューと針谷は小さく笑う。
「この曲さ、ゆきもいい曲だって言ってた曲なんだぜ。勝手にふらふら音楽室まで入ってきて、曲が終わるなり拍手するヤツがいるからなんだと思ったら、それがゆきでさ」
 これがゆきと知り合ったきっかけの曲かな、とちらりと佐伯を見る。
「……へ、へえ。そうなのか」
 思いのほか自分の心の中にも染み渡った音色なので、ゆきも気に入っていたと聞き、妙に嬉しくなる。
「別にさ、オマエの好きなヤツがゆきであろうとなかろうと関係ないけどさ、オレが仕入れた情報、さっきの曲を気に入ってくれた佐伯に、少しだけ教えてやるよ」
 今度は簡単に弦を弾きながら呟く。
 ぽろん、ぽろん、と一音ずつ奏でられえる音に混じって、針谷の声が重なる。
「ゆきのこと狙ってるヤツ、結構いるぜ」
「……え」
 不意の言葉に返答を迷う。そんな佐伯に構わずさらに針谷は話を続ける。柔らかなギターの音が、やけに大きく耳に触れる。
「なんか、オレのクラスのヤローも、今日の帰りにでも誘い出して、告るかどうかって話してるのを聞いたしよ」
 言って、また一つ弦を弾こうとする針谷の腕を思わず掴む。
「……マジかそれ。っていうか、名前誰」
 ゆきの評判を全く聞かないわけでもなかった。
 ちらほら佐伯の耳に届く彼女の評判はなかなかのもので、最近よく一緒にいる佐伯とつきあっているのではないかと勘繰る者さえいる。
 佐伯としては「勘違いしたままで結構。あいつに近付くな」と威嚇をしたい気持ちだが、そうも行かないのが現状。
 当たり障りは少なく、わけ隔てなく誰にも平等に振舞う――それが問題を起こさずに無事高校生活を送るための最低ルールと自ら信じて決め込んでいる佐伯は、真相を問いただそうとする者たちにはやんわりと「友達だから」と返していた。
 堂々と牽制すらできないのだから、誰かがゆきに想いを告げるのを佐伯はただ黙ってみているよりほかない。
 それしかできないのが歯がゆいが、仕方のないこと。
 そう、仕方ないんだ。――そうやって自分に言い聞かせようとするけれど、針谷の言葉で簡単に動揺してしまう。
「誰って聞かれても、オレだってなんでもかんでもほいほい名前を教えるわけいかねえよ。つーかよ、そんなに気になるなら、ゆきに直接聞けばいいじゃん。仲いいだろうが」
 呆れ顔の針谷に、佐伯はふと我に返る。
「仲良くない。っていうか別に、気になんて――」
「血相変えて腰浮かしたヤツがなに今更言ってんだ。見苦しいぞ、オマエ」
「うるさい」
「っていうか、やっぱゆきだったんだな、好きなヤツ」
「違う」
「違わねえじゃん。あんだけ反応しておいてよく言うよ、ったく。――それよりも、このままでいいのか?」
 ギターを弾く手を止めて、佐伯の顔を覗き込む。その表情は特に楽しんでいる様子もなければ、からかっているようでもない。あれだけ騒いで突き止めた真相だから、しばらくはからかい楽しんで過ごすのかと思いきや意外と大人しい。
「……なにが」
「ゆきになにも言わねえつもりなのか?」
 この言葉に特になにも返すことなく無言でいると、針谷はさらに言葉を続ける。
「誰かにとられちゃうぜ?」
 ピクリと眉が跳ね上がるのが自分でも分かる。
 ――そんなこと、誰に言われるまでもなくわかってる。
 想いを伝えていない。つきあって欲しいとも言ってない。その逆もまた同じだ。
 友達以上、恋人未満の関係の二人には、なんの約束もない。
 だから、誰かに心を奪われてしまうのは仕方のないこと。それは想いを伝え合っている者たちにも言えることで、気持ちはかたちある物でない以上、縛り付けるなんて到底無理な話。想いを確認さえしていない曖昧な二人にとっては不安定この上ないことだ。
 けれど、不思議なことに信じているところがある。
 想いを伝えていない自分と彼女との間に存在するものが、恋という名のものではないかと思っている。言葉にしなくても、二人の間に『それ』は確かに存在するのでは――と。交わす言葉の端はし、向けられる笑顔の中に、ほんのりと淡く色づく想いがあるのではないかと佐伯は思う。
 だから、きっと大丈夫なんじゃないかと思ってしまう。誰の物にもならず、自分の隣で笑っていてくれるはず。そんな風に思い、信じている自分がいる。
 告白することにより先手を打とうとする者に対して感じる焦燥と相反し、『ゆきなら大丈夫だろう』という信用と安堵も同じ場所に存在する。なんとも不思議な感情が入り混じっているものだ。
「そのときは……」
「ん?」
「そのときは、奪還するまで――かな」
 針谷にちらりと視線を流せば瞠目しているのが見える。それを見て、佐伯は少し勝ち誇ったように笑みを浮かべる。
「絶対負けない」
 ――負けるの嫌いだしと続ける佐伯に、針谷は幾度か瞬きを繰り返した後、深く長いため息を吐く。そしておもむろに、ガツッ、とスチール椅子の足を軽く蹴る。勿論佐伯の椅子をだ。
「あーあ! あー、もうやってらんねー! 殊勝な態度を見せるようだったら、応援してやろうかと思ったけどよ!」
「結構です。間に合ってます」
 ふん、と鼻を鳴らして口角を上げる。
「うっわ、感じわりぃ!」
「ウルサイ」
 してやったりと鼻歌さえ歌い出しそうな佐伯の態度に渋面を見せる針谷だが、ややあって今度は急に佐伯の肩に腕を回し、耳元近くでニヤッと笑みを浮かべる。
「つーかオマエ、やっぱり好きだったんだな、ゆきのこと!」
 へっへーん、と子供のような満面の笑みに、思い切り顔を顰めるのは佐伯の番だ。
 ――なんか、すげー腹立つ。……むかつく。
 チョップしたい衝動に駆られつつも、声を潜めて針谷を睨む。
「……好きじゃない」
「ウソつけ!」
「ウソじゃない」
「素直じゃねえなあ。もういい加減認めろって!」
「……幸之進、しつこい子に育てた覚えはないぞ。お父さん、そろそろ本気で怒るぞ」
「バカ! おまえに育ててもらった覚えはねえよ!」
「幸之進」
「呼ぶな!」
 放課後の音楽室にギターの音色ならぬ、わめく男子生徒の声のみがひときわ大きく響いたのは、高校生活の三度目の秋も深まったとある日のこと。
 そして後日、針谷に強引に約束を取り付けられた佐伯が渋々出かけた先に待っていたのは、得意げな笑顔を浮かべている針谷は勿論、その隣にはゆきの親友でもある西本はるひと――なにより現れた佐伯を見て驚くゆきの姿。
 ――……やられた。
 ゆきの姿を見た瞬間、佐伯はそう思った。
 背後ではしゃぐ女子とは反対で、頭を抱えたいくらいの気持ちでいる佐伯の肩に針谷の腕が回される。
「針谷、おまえ……!」
 睨む佐伯の視線などなんのその。得意満面の笑顔がすぐそばにある。
「佐伯、オレに感謝しろよ?」
 西本にも、ゆきにもわからないようにこっそりと耳打ちされて佐伯は目を剥いたものの、ここまで来てしまってはもうどうしようもない。
「……おせっかい。おぼえてろ」
「忘れる。残念でした!」
 絡む針谷の脇腹に軽く拳を当てたあと、うめく彼を尻目に面倒なことになったと心うちでこっそりと呟いた。
 ため息混じりに軽く見上げた空は、悲しいほど青く高く広く広がる。
 秋特有の空気を吸い込んでは苦笑混じりで大きく天を仰いだのだった。



End.
2006.10.22UP
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