ときメモGSシリーズ

すこし、お休み。【瑛主】



 軽く辺りを見回しながらなんとか「とある人物」たちを撒くことに成功した佐伯は安堵の息を漏らす。
 校舎の間を縫って、そしてさらに奥まで早足で歩いてきて手に入れた自由の身となるひととき。
 お昼ぐらいゆっくりさせてほしいところが本音だが、自分を取り巻く女子たちに冷たく当たることができず、「またね」「今度ね」「順番で」とその場しのぎの昼食の約束を口にしては、そのツケが後々こうして必ず回ってくるという悪循環ぶり。
 結局は彼女たちとともに食事を取らなくてはいけないのだが、遅いか早いかは気持ちの取りようというやつだ。
 今日も今日で、「ごめん、先生に呼ばれているんだ」と適当、且つ見え透いたウソをついて一群からなんとか逃げてきたのだが、何時何処でまた女の子たちに声をかけられるかわかったものではない。
 用心に用心を重ねて、自分の中での穴場とも言える、校内での数少ない安息の場所へとやって来た。
 学年ごとに『ここで昼食をとりなさい』と場所が決まっている訳ではないけれど、大体各学年、さらには男子と女子といった具合に人が集まる場所がうまい具合に自然と決まっているように思える。誰に言われたわけでもないのだけど、そういうものなんだろう。
 三年生も二学期まで過ごしているというのに、学校のことにいまいち疎い佐伯だが、なんとなくの雰囲気でそう感じる。
 そして、佐伯が逃げてきたこの場所――中庭も、人が全くいないわけではないのだけど、遠くにちらほらと見える顔はおそらく一年生だろう。見たことがないし、なによりまだ初々しさが残って見える。
 さすがに三年の自分に声をかけてくる奴はいないだろう、と何度目か分からないため息をついたのち、落ち葉を軽くかぶっている植え込みをよけながら足を進める。
 奥まった場所で人目に付かず、日も強く差さず、さらには芝の柔らかい特等席へと目をやると、まず目に映ったのが、靴。そして足――それも、自分と同じ男子ではなく、素足が覗いているところから間違いなく女子。
「げっ、先客かよ……」
 思わず呟いてしまったことに、しまった、と顔を顰め、そろそろと先客のほうへと視線を移すと「ん……」と身じろぎするのが見える。けれど、起きる気配はないようだ。
 女なのに随分無防備なと思いつつも、いったい誰だ? と先客者を確かめようと身を乗り出すと、仰向けになり、すやすやと気持ちよさそうに眠っているのは、「珊瑚礁」のバイト仲間でもあり、自分の心を軽くかき回す唯一の女性、夏川ゆきだった。
「なんだ……。ったく、ビビらすなって。…………でも、珍しいなこんなとこで……」
 確か、前に一度ここで偶然会ったことがあるが、そのときは今と立場が逆転しており、熟睡していた佐伯のことをゆきが発見したのだった。
 それが一年前の夏。
 その後も我慢できないくらいに疲労が溜まると、一人でこの場所に訪れては仮眠をとったりしているのだが、今日まで一度もゆきとは顔を合わせたことがなかった。
 おそらく……いや、間違いなくゆきが自分に気を遣い、ここにはなるべく来ないようにしているのかもしれないと気づいたのは、いつかの休日――一緒に映画を見に行った時のこと。
 ラブロマンスというただでさえ眠くなるような内容。
 要所、大音量でいかにもといった音楽が山場を盛り上げるが、それすら子守歌のようなもの。佐伯は不覚にも上映の途中から眠ってしまったのだった。
 テスト期間中に遅くまで勉強をしていたこともあり、睡眠不足だということと、それと併せて店の仕入れのチェック、備品の確認などを念入りにしてしまったのがさらなる眠気を誘ったことは明白。ある程度きりのいいところまでやらないと落ち着かないのは性分なので、もはや仕方のないこと。それは今に至る付き合いの中で、ゆきも理解してくれている……はずだと信じている。とはいうものの、さすがにデートの途中で眠っていしまったのはまずかったか、とあとになって反省をした。
 上映が終了し、すでに人が引いてしまった場内でゆきに揺り起こされ、慌てて飛び起きたのだった。内容などもちろん全然分からずじまい。
 場所を変え、眠気ざましのコーヒーを口にしながらゆきには「ごめん」と謝った。
 ひどいよ! と怒ると思いきや、思いもよらず笑顔で返され面食らったことは昨日のことのように思い出される。
「いいって、気にしないで。どうせだったら、今日は映画じゃなくて、森林公園でお弁当食べながらのんびりしていたほうがよかったかもしれないよね。あー……、でも休日で人がたくさんいるから、かえって落ち着いて寝れないか」
 このゆきの言葉で、今までのちいさな出来事が線を繋ぎ、一つの答えとなって佐伯を少なからず驚かせた。
 休み時間は、余程のことがない限り自分を呼び止めなくなった彼女。
 昼食の時間も、佐伯が寄り付きそうな場所には滅多に現れなくなった。
 あれほど自分の周りをちょこまかしていたのに、だ。
 そして、ここ最近の休日の約束は、当日になって場所を変えられることが多くなった。『遊園地』から『森林公園』、『ライブハウス』から『海沿いを散歩』といったように、賑やかで人が多い場所よりも、静かで落ち着ける場所へと変更されること、しばしば。
「なんだよ……。なんなんだよ。……バカだ、おまえ」
 ――人のことばっか心配すんなよ、おまえのくせに、さ。ぼけっとしてるようで、変なとこ妙に鋭かったりするんだからな……まったく。本人、それを意識してないっていうのが、もっとすごいよ。……とか言ってもさ、俺、学校でおまえから声をかけられる回数が減ったから、少し焦ったんだぞ。冷たすぎること言ったかなとか、あんまり声かけるなって言い過ぎたから、もうイヤになったのかな、なんてさ。俺も自分勝手だよな、ホント。……ごめんな。……でも、余計に必死になって日曜日の約束を取り付けようとしていた俺の気持ちも、ちょっとは分かれよな。あ……――じゃなくて、分かってもらえたら、助かる。
「わかってんのかよ、そういうの……」
 またも自分勝手な発言。
 「懲りてないな、俺も……」と苦笑も混じってではあるが、口元に笑みを浮かべる。そして、「ばーか……」と声にならない憎まれ口の言葉をくちびるにのせ、未だすやすや眠っている彼女の隣にそっと移動する。
 まだ青みの残る芝の上に腰を下ろすと、太陽に温められた地面の温度がほのかに伝わってくる。
 大きな木が僅かに視界を遮っているが、色が秋色へと染まりかけてきた葉の隙間からは、高い青空が時折覗く。
 済んだ空気を大きく胸に息を吸い込むと、心まで透き通りそうな気がする。
 今日は本当に心地いい天気だ、と笑みを浮かべたのも束の間、軽く通り抜けた風が、ゆきのスカートの裾を揺らすので、佐伯はぎょっとしながら慌てて裾を押さえた。
 幸い大きくめくれるほどのものではなかったのだが、それでもただ黙って見ているなどできない。
「あ、あぶねー……。セーフ……」
 ――って、なんで俺がこいつのスカートのことまで気にしなくちゃならないんだよ。ったく。
 自分のしていることの滑稽さに照れてしまい、ふい、と顔を背けるものの、風が吹くたびに気になって仕方がない。いちいち押さえなくてはいけないのも困りものだ。
 仕方ないな、と呟きながらも佐伯はジャケットを脱ぎ、ゆきの腰の辺りに大きくジャケットをかける。
 たっぷりと膝のあたりまでかけてあれば大丈夫だろう。
「これでよし、と。あんまり動くなよな」
 安らかな寝顔を軽く睨みつつ、ほっとした今、佐伯は足を投げ出し、上体を起こしたまま両手を後ろにつき、空を仰ぐ。
 見上げる空は、何処までも高く、青く、そして空気と同じくとても澄んでいる。
 ――空、高いな……。雲も少ないし、昼寝するにはばっちりだ。
 実際、隣を見ると、横になりすやすやと寝息を立てているものが一人。口元に薄く笑みが浮かんで見えるところからすると、なにか夢でも見ているのだろうか。
 ――幸せそうな顔して。のんきなやつ。
 笑いながら片手を伸ばし、すっと筋が通った小さい鼻を軽くつまむ。不埒な気持ちは湧かないが、可愛い悪戯心は少しばかり湧いてくる。普段から無防備な彼女に度々チョップをお見舞いしているが、さすがに頬や鼻などは気安く触れたりすることはできない。
 今は『素直に触れることができる』絶好の機会。穏やかな寝顔に、ついついちょっかいを出さずにはいられない。
 突然鼻をつままれたゆきはというと、ん……と短く声を漏らし、無意識なのだろうけど、小さく首を振って佐伯のいたずらから逃れようとする。
 ――おもしろい。……それに、かわいいかも。
 笑い声を殺しながら肩を揺らし、もう一度指を伸ばして鼻先をくすぐると、今度は眉間にぎゅっと皺を寄せるのが見える。
 あまりしつこくすると起きてしまいそうなので、悪ふざけはここまでとしておくしかないが、最後に頬にかかっている髪をそっと梳くと、柔らかそうな頬が覗く。
 これで最後。最後にするから、さ。だから……少しだけ、な。――そう心うちで呟き、指の背でそっとなだらかな頬のラインをなぞると、不意にゆきの睫が揺れる。
「げ、やべ……起きる、かな……?」
 起きてしまう前に、とそっと手を離そうとするが、タッチの差でゆきの手が佐伯の手に触れる。――というより、指先を握るかのように手を重ねてくる。
「……っ、お、おい!?」
 無意識なのか、その逆か。どちらにせよ驚かずにはいられない。
「なあ……起きないのか」
 離せと言えないし、言いたくない。
 なにを言葉にしていいかわからず、そして一人胸を高鳴らせながら目を丸くしていると、ゆきの瞼がゆっくりと開かれていく。 
「あっ。お、起きたか?」
 妙に心臓が忙しく騒いでいるが、それを押し隠しながら声をかける。だが、ゆきはこちらをぼんやりと見つめているにもかかわらず、佐伯の言葉に反応を見せない。
「……おい、聞こえてるか?」
 顔を覗き込みながら、改めて声をかけるのだが、やはり返事がない。
「寝ぼけてんのか、オイ」
 言葉で返事をしない代わりに、頬にある佐伯の手を握るゆき。そして、佐伯のその手をくちびるに押し当てるようにして握りしめながら、再度瞼を閉じる。その表情たるや、とても満足そうな笑顔。
 ――な、な、なんだ……!? なんなんだ、コレは。
 状況が全く理解できない佐伯は、ただ、手の甲に感じる暖かさとゆきの幸せそうな寝顔とに困惑するばかり。
「え……ちょっ、マジで寝てんのかよ」
 手の甲には、ゆきの唇の感触とあたたかな吐息。
「ん……、イワシと……タコが……」
 ――おまけに寝言ときた。
「どんな夢見てんだ」
 手を握られたまま苦笑する。大方自分の手を魚か何かと勘違いしているのだろう。魚というのには大いに不満を感じるが、くちびるの感触は悪くない。いや、悪くないどころか文句なし、ということろだ。 
「俺は魚かよ。まあ……いいか。手、食うなよ? でもって、起きたらチョップ」
「……瑛く……ん」
 名前を呼ばれたということは、少なくとも彼女の夢の中で、自分は自分のまま登場しているのだろうか。
「…………と、とりあえず、チョップ取り消し……な?」 
 些細なことではあるが、名前一つで妙に胸を擽ってくれるものだ。
 単純だが、嬉しくて仕方がないのだから笑えてくる。
 ――たかが、夢の中でのことだろうが。名前を呼ばれたくらいで、何なんだ俺は。……バカみたいに喜んで、さ。
「なあ……、どんな夢見てるんだよ、おまえ。知りたくなるだろ、名前なんて呼ばれると」
 言って、ゆっくりと体を横にする。
 ゆきに手を握られたままなので、多少は気を使うが、それでもこの手のぬくもりから、彼女の見ているものが伝わってきそうな気がして、妙に嬉しかった。
 芝生の青臭い匂いがかすかに鼻を掠めるが、それも今のうちだけだろう。
 季節はあっという間に変わっていく。秋が終わったら、冬になり、春になる。
 高校を卒業する春には、自分たちはどう変わっているのだろう。
 変わらずこの手を繋いでいるだろうか。
 そして、自分は一体どこに向かうのだろうか。
 今は見当がつかないが、一つだけ強く願う。
 どうか、この手が離れていきませんように。
 温もりを感じられる場所が、いつも『ここ』にありますように、と。
 それだけを今は強く願いながら、佐伯は瞼を閉じた。
「やばい……。俺も、眠いかも……」
 ――少しだけ。今だけ……少しだけ。
「おまえの手が、あったかすぎるのがまずいんだ……。俺、マジで……寝れる」
 こうして暖かな場所を感じていたい。
 今だけ。
 今だけは。



End.
2006.09.16UP
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