ときメモGSシリーズ

君に会いに行く【瑛主前提】



 この学校、こんなにデカかったっけ、と思うくらい廊下は長いし、教室の数も妙にある。
 卒業式が終わったんだからみんなとっとと帰ればいいのに、あちこちに妙にたむろしてるし、急いでいるのがわかっているだろうに、わざわざ俺に声までかけてくる。
 『佐伯クン! 学校やめちゃったんじゃないの!?』とか、『ヤダ、本当に佐伯クン!?』と、黄色い声にあっという間に取り囲まれ、俺は身動きが取れなくなる。
 話しているヒマなんてないのに。
 時間がない。
 時間がないんだって。
「悪い! 急いでんだ、あとにしてくれ」
「……えっ」
 いつもの『俺』でない反応に驚きはするが、腕をつかんでいる手を離さない彼女たち。俺は心うちで舌打ちをしつつも、なかなか見つけることのできないあいつの行方を知っているかどうか聞いてみた。
「ああもう、いいから手離して。……っていうか、なあ、夏川見なかったか」
「え、な、夏川…………さん?」
「見てないならいい!」
 遅い反応からすると、多分、いや間違いなくあいつの行方なんて知らない。
 俺はまた走り出す。もちろん、彼女たちが望む『佐伯クン』でにっこり微笑んでサヨナラなんて言わない。
 ――もう、そんな必要ない。
 『いい子』も全部一緒に卒業だ。
 全部置いて――終わりにして、前に歩き出す。
 新しい一歩を踏み出すのには、今しかない。
 全部が終わってしまうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。俺一人じゃ答えが出せないものだから、今はなんとも言いようがない。
 あいつが必要なんだ。新しい一歩を踏み出すには、あいつが必要なんだ。
「夏川どこ行ったか知らない?」
「どこかで夏川見かけなかった!?」
 俺は何度この言葉を言ったんだろう。息せき切って校内駆けずり回って、汗もかくし、髪だって多分ひどいんだろうな。
 でも、そんなのどうでもいい。だれがどんな目で見ていようと、気にしてなんていられるか。
「佐伯君!?」
 どこかで見た子が声をかけてくるけど、名前すら思い出せない。誰だっけ。

 ダメだ思い出せない。
 多分、メシとか一緒に食ったことあるんだろうな。幾つか言葉も交わしているはず――に違いない。
 でも覚えていないという事実に、俺は多少なりとも申し訳ない気持ちになる。
 ごめん。 相手できるほど、今は余裕がない。短く言葉を返すので精一杯だ。
「――悪い、あと!」
 心臓の音が、耳元で聞こえる。汗だってびっしりかいてる。
 長い廊下を走って、校庭まで出て。とにかく、この三年間でこんなに走ったのは初めてなんじゃないかっていうくらい、学校の中をたくさん走った。
 ――くそ、広すぎる、この学校。イライラする!
 額にかかる髪を払い、肩で荒く息をつきながら見知った顔にあいつのことを聞く。
 必死な様子の俺のことは勿論だけど、俺が夏川を探しているということに、皆目を丸くして驚く。
「え、夏川さん? だれか見かけた?」
「知らない」
「わたしもー」
「あれ……、でも結構前に昇降口の前であったような気がするよ?」
 皆が首を横に振る中、一人が思い出したように呟く。
「いつ!?」
「え……っと、多分30分ぐらい前、かな」
「サンキュ!」
 踵を返すとワックスの効いた床が、キュッと小気味いい音を立てる。
 汗が、こめかみを伝い、顎先に流れ落ちる。
 3月って、こんなに暑かっただろうか。
 俺は、流れる汗を拭うことなく、昇降口へと真っ直ぐに向かう。
 何段も飛ばし、階段の踊り場へとダン、と大きな音を立てて着地したとき、ふとあいつの悲しそうな顔が浮かんだ。

『学校の俺が、本当の俺だったら……?』

 最後に会ったあの時、俺、あいつにひどいこと言った。
 あいつはいつだって俺のこときちんと見ていてくれたのに。
 情けなくても、かっこ悪くても、ガキでどうしようもない俺のことを見ていてくれたのに。
 なのに、『忘れてくれ』なんて。ひどいよな。
 今までさんざんケンカして、笑い合って、いろんなものを一緒に見てきて、感動したり喜びあったりしたのに。
 どれがほんとうの自分なんて、本当はどうでもよかったんだよな。
 あいつが見ていた俺が、そのままの俺なのに。いつでも俺と向き合ってくれたあいつが、誰よりも俺を見ていてくれたのに。
 それに気付くのが、遅すぎた。
 バカ、だよな。俺さ、本当にバカだ。プライドだけ一丁前で、何もわかってない。ぼんやりしてる、なんてあいつのことをからかっていたけど、あいつのほうがよっぽど大人だよ。
 ごめん。
 ごめんな。
 俺、きちんと謝りたい。おまえに会って、直接それを伝えたい。何を考えていたかとか、おまえのことどれほど大事か、とか。思ってること、全部伝えたいんだ。
 会えなくなって、たくさん考えた。たくさん考えたよ、おまえのこと。会えなくなってから、大事な人の存在に気付くなんて。
 自らその手を離して、今更そのことに気付くなんて。
 ――俺、相当バカだ。
 大バカだよ。
 間に合わないかも知れないけど。何をどんなに伝えても、もう間に合わないかもしれないけど。
 ――それでも。それでも、おまえに会わなくちゃいけない。
 会いたい。会いたいんだ。

「佐伯君! 君、廊下は走ってはいけないとあれほど……っ! ……っというか、君は確か先月に……っ」
 見ると、少し先の正面には驚いた顔でこちらを見ている背の高い男の姿が。尚且つ高らかな声。その口調、そしてその眼鏡。
 間違いなく氷上だ。
 ――また、厄介な。
 どっちに避けていいのか分からないまま微妙に上半身を揺らしている氷上のすぐそばを、ぶつかりそうになりながらも止まることなく通り抜ける。
「さっ、佐伯君っ! 待ちたまえっ」
 卒業したんだぞ。廊下を走るぐらいなんだってんだ。
 待ちたまえもくそもあるかよ。
「待ってられない! 俺、緊急事態」
「そ、そのようだが……、だ、だが……っ!」
 ひっくり返る声が背後で聞こえるが、俺は立ち止まることなく駆け抜け、昇降口へと向かう。
 向かう先にはまばらな人影。そして、その人影の間から光が指している。

 光の向こう。その先には、きっと新しい何かが待っているはず。
 闇を光で照らし、導いてくれる場所。俺は、その場所へと向かう。

 『海へ出た若者が戻ることはありませんでした』

 人魚の話はここで終わってしまったけれど、あの話は悲しい話なんかじゃない――――絶対に。
 それを確かめに行くんだ。
 謝罪の言葉と、思いの丈を伝えるために。君に会う、そのために。


 物語は、まだ終わっていない。

 終わらせてなんてやれないよ。



End.
初出:2006.08.28『Blogにて』
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