小栗風葉とは

紅葉門の作家

明治十八年(一八八五)、尾崎紅葉は山田美妙らと日本最初の文学結社硯友社を結成し、機関誌「我楽多文庫」を創刊した。硯友社の中心作家であった紅葉は、江戸文学に学び雅俗折衷体の小説『二人比丘尼色懺悔』をもって文壇に華々しく登場した。その後、井原西鶴の影響の色濃い『伽羅枕』『三人妻』などを発表し、『多情多恨』では「である調」の口語体を用いて心理描写に精彩を放った。そして、晩年に書かれた未完の大作『金色夜叉』はいまもなお有名である。この紅葉には門下生が多かったようであるが、「紅葉門の四天王」と称されたのは、泉鏡花、徳田秋声、柳川春葉、小栗風葉である。

 泉鏡花  明治六―昭和一四(一八七三―一九三九)石川県生まれ。 明治二四年一〇月紅葉をたずね、入門をゆるされて以後三年間同家に寄宿した。二八年四月、「文芸倶楽部」にのった『夜行巡査』、六月同誌収載の『外科室』の二作は、日清戦争後の新文学要望の声にこたえ、世俗の道徳や通念に批判的な主張を提出したものとして、観念小説の名称を得た。(『新潮 日本文学小辞典』より。以下同じ。)

   徳田秋声 明治四年―昭和一八(一八七一―一九四三)石川県生まれ。 二五年学友桐生悠々と上京、尾崎紅葉を訪問したが不在で原稿も返送され、失望して大阪で長兄の許に滞在、二六年復学を期して帰郷。・・・二八年再上京して博文館に勤務中、泉鏡花の勧めで紅葉門にはいり、鏡花、小栗風葉、柳川春葉と並んで、「葉門の四天王」と呼ばれる端緒となった。部落民の父娘を書いた処女作『藪柑子』(明二九)によって世評を得て博文館退職。

     柳川春葉 明治一〇―大正七(一八七七―一九一八)東京生まれ。 育英  校に学び、一八歳の時、尾崎紅葉の玄関番となり、その指導下に文界に出た。  『神の裁判』(明二十九刊)を処女作とし、『白すみれ』(明三十)、『行路  心』(明三十二)など美文調の感傷的作風を特色とした。出世作は「読売新聞   」連載の『夢の夢』(明三三)で、その才筆が認められ、ついで『錦木』(  明三四)によって声名をあげ、紅葉門下四天王のひとりとして文壇的地位を固  めた。

     小栗風葉 明治八―大正一五(一八七五―一九二六)愛知県生まれ。二四年  尾崎紅葉主催の「千紫万紅」に処女作『水の流』を投じ、掲載された。  こ  れが契機となって同年の晩秋初めて紅葉をたずね、『色是魔』(明二五)の   発表後、紅葉に入門した。・・・二八年ようやく紅葉宅の玄関番として紅葉の  親身の指導を受けることとなった。翌二九年『世話女房』『寝白粉』『亀甲鶴  』と相次いで悲惨小説ふうの問題作を出し・・・。

小栗風葉『青春』について

登場人物

関欣哉―東京の文科大学に在学。尾張津島の産。十三歳で関家(三河豊     橋)の養子になる。秀才で詩人肌。

 園枝―香浦家の令嬢。成女大学学生、のち卒業。 

   繁―成女大学学生、のち研究生。園枝の学友。才色兼備。姓は小野。     水戸の出身。独身主義を主張。

  速男―園枝の兄。青年軍人で無骨一遍の男。

  香浦尚徳―香浦家の当主。速男、園枝の父。欽哉の保証人。ある県の       知事から実業界に転進。元は三河豊橋の出身。

 関松尾―欽哉の養母。旧藩士の後家。亡夫と香浦尚徳とは吉田藩の親      しい同僚。欽哉を後とりにして家の再興を計画。

 房(お房)―松尾の娘。欽哉の許嫁。控えめでうぶ。

  佐藤福太郎(ふくさ)―欽哉の幼馴染で遠縁。二、三年前に別れる。

 北小路安比古―子爵家の当主で法学士。東京の某公爵が叔父、京都の         某伯爵が叔母。京都大学を出て上京、大学院へ。

 綾子―安比古の妹。宇治の叔母(花山院の系統が誇り)に引き取られる。
  古風な娘で古今集を暗記、香を聞く暮らし。

 二宮―成女大学の寄宿舎舎監。元京都の寺侍の娘。母は北小路家の乳人。
   安比古とは乳兄妹。     

『青春』


 構成―全体を「春之巻」(十六節)「夏之巻」(十七節)「秋之巻」(十六節」の三巻に分ける長編小説。初め、「読売新聞」(明治三八―三九)に連載小説として発表されたもの。

「春之巻」

 [一] 大学生欽哉は香浦家で自作の新体詩「顕世」(うつしよ)を朗読、令嬢園枝、
    その兄速男、園枝の友人繁を魅了。

[二] 速男が繁の独身主義を非難、欽哉はそれを女性の進歩として擁護。

[三] 園枝と繁が神経衰弱で入院中の欽哉を見舞うと欽哉は学校を辞めたいと言
    い、学問や哲学への懐疑を披瀝。

 [四] 速男も病院へ見舞いに来たが、帰り道欽哉の独身論を批評して二人に同意
    を求める。

 [五] 欽哉は繁を呼び出し、「顕世」に曲をつけ演奏する計画があることを伝え、
    原稿の清書を依頼。

[六] 郷里の養母が許嫁房を伴って病院を訪れ、学校を辞めたいという欽哉に異
    議を唱え、欽哉はこれを了承。

[七] 養母松尾は房と香浦邸を訪問、尚徳に欽哉を呼びつけて退学をしないよう
    に説得してくれと依頼。

 [八] 音楽学校の演奏会で「顕世」が独唱され成功、繁は心から感動し、欽哉を
    ますます敬慕。

 九] 終演後、欽哉は繁と洋食店に入り、恋愛を論じ、また外に出てから繁の
    独身主義の理由を聞き、賛同。

[十] 植木屋の離屋に住む繁を園枝が訪問、兄からのプレゼント「香水」を渡し、
    銚子の別荘行きを誘う。

[十一]銚子海岸の朝、園枝と繁は、許嫁房が旧式の人間で詩人的な欽哉とは釣り
    合わないと談じる。

 [十二]欽哉は園枝と繁を誘って灯台に出かけ、頂上の点火室で旧友佐藤に出会い、
    ひとしきり昔話。

[十三]欽哉の求めに応じ、繁は雑木林の中へ分け入り、海岸の松林の端で欽哉か
    ら愛の告白を受け、受諾。

[十四]別荘では園枝が二人を探しに出かけ、戻ってきたところへ兄からの電報に
    より園枝は急いで東京へ帰宅。

[十五]香浦尚徳は園枝を呼び戻し、今回の行動を不品行として責め、園枝は兄に
    繁のことを諦めるように助言。

[十六]欽哉は繁を氷川神社で待ち受け、月光の下互いに永遠の愛を誓い、俗悪な
    形式主義、常識主義と戦うことを宣言。   

  (続く)

『青春』に見る結婚観
                

文科大学生関欽哉は、豊橋の養家に許嫁お房を残したまま、東京の成女大学小野繁と恋愛、妊娠させ、堕胎罪で投獄もされるが、遂に結婚しなかった。
 欽哉は繁に恋愛哲学を熱く語ったが、結婚否定論も説いた。その概要はー一旦結婚した以上、夫婦の間に愛がなくなろうとも生涯添い遂げねばならないというのは不自然な話で、「結婚は恋愛の堕落ばかりぢゃ無い、人間其者の堕落」だーというものであった。夫婦は必ずどちらかを犠牲にし、人格や才能を亡ぼすもの、永遠の恋人関係が理想だと言った。
 一方、繁は当初二人の姉の結婚生活を見て、結婚に意義が見出せず、独身主義を唱えていたが、大学の舎監二宮先生に独身主義を批判され、心底に結婚願望を胚胎させた。先生はー「独身生活の最も痛切なる不幸の感」として、第一に「孤独の寂しさ」、第二に「生活の困難」、第三に「老後の心細さ」を挙げー結婚必要論を説いた。「老嬢」(オールドミス)と冷笑される立場にあった先生の、極めて現実的な結婚論であった。
 ところで、欽哉と繁共通の友人香浦園枝の場合はどうであったか。父や兄の強制で「自分の意志でも無い形式的の結婚」をし、「愛の無い結婚」に煩悶した園枝だが、子爵兼法学士北小路安比古との間に子をなし、今では兄の受け売りである「自由の服従」に甘んじる良妻賢母になっていた。そして、繁に向かって言う。
 「それは家庭の主婦なんてものは、何うしても自由を束縛され勝で窮屈なものには違 無  いけれど、でも又、自分の責任や義務を感じて見ると、家庭の為めに殉じやうと 云ふ  氣も發つて、其の不自由な中に弥張慰藉も有るわ!えゝ、希望だつて有るわ!」
 おそらく、これが自由と自我に目覚めた知識階級の女たちの、結婚に対する最終的な意味づけであったろう。しかし、この「家庭の為に自己を殺す」という思想は、女の自立を阻み、容易に国家主義の下支えに転化する性質のものであった。
 また、欽哉の許嫁お房は、欽哉との結婚の夢を断たれ、財産目当てに婿入りを企んだ佐藤との婚礼の晩、入水自殺を遂げた。「家」制度の犠牲者の典型といってもよかろう。
 こうしてみると、結婚には挫折したが、満州で教師となり、「独身」で生きようと決意した繁が、一番自立する女、来るべき「新しい女」に近づいていたように思われる。

『恋慕ながし』雑感

『恋慕ながし』について、何か書こうとして苦慮していた時、風葉の弟子の岡本霊華がこんなことを書いているのを目にした。

  「青春」が知識階級の青年を描いたのに対して、この「恋慕ながし」が、当時の  下級の世態人情を活写してゐることは、面白い対照である。(「風葉篇解説)

妙に納得した。
 風葉が『恋慕ながし』で描いたのは、どうも前近代的社会の、それも「下層階級の世態人情」だったようである。近代的な青年たちを描いた『青春』の世界とは、全く違うのである。私はそういう作品を、いわゆる近代小説の概念で捉えようとして、扱いかねていたらしい。そこで、今は次の三点について思うところを述べてみたい。

(第一)人物描写。                               数多くの登場人物の書き分けは見事である。しかし、その内容は、主として容姿・境遇・性格の説明から成り、人間的魅力に乏しいと言わねばならない。主人公の秦純之助を始め、十人を越える人物一人ひとりの外形、輪郭は描かれているが、生きた人間が描かれていないように思われる。

(第二)物語の展開。                             粗筋は複雑巧妙である。その中心は、尺八の名手純之助と女学生五十棲葉子との恋に始まり、二人の零落、五十棲家の崩壊、葉子の死で終わるというものであるが、その間にバラバラになった純之助、葉子、その父賢道、母庸等の話が別々に進行し、合流し、意外な展開が繰り広げられる。とりわけ、一八賭博の胴元銀次と葉子との縁や抜き差しならぬ関係などは、別に一篇の物語を読むような面白さがある。

(第三)場面の描写。                              これは、風葉の至芸である。冒頭の音楽会の場では、純之助が精魂を込めて尺八を吹く姿が描かれるが、精妙である。二人が落魄の身を投じた木賃宿の描写は、数行読めばその凄惨さがわかる。不忍池の辺りを尺八と胡弓で流す二人の姿は、哀切である。闇の世界を出没する女たちも、獣のように描かれて社会の最下層をよく映し出している。

『恋慕ながし』は、確かに「当時の下層階級の世帯人情を活写」した作品であった。しかし、一方では権威主義の「師」に背く純之助や恋のために封建的な「家」を捨てた葉子を描いている。そこに近代小説の萌芽を見ることは出来ないだろうか。『青春』はその六、七年後に書かれるのだが。




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