人恋旅 ―鬼三、こちら―


第二章  水の女

その14  海から

 ここにきてなかなか筆が進まない。というのも日本にはなんと「鬼」が多いのだろう。このおもしろいモノをどうのように伝えていけばいいのか? 自分の鬼としてか? もっと史実をみつめてか? 
 第一章で扱った吉備のウラや今回登場してもらう酒呑童子など数多く、鬼そのものが存在する。それにまつわる伝説や神社や山や湖や谷や海……。鬼と名のつくところとなるともう無尽蔵の感がある。
 鬼の世界に興味があるだけで、鬼そのものに無知であった私はふたつのことを自分に課せて動き出した。
 今、少しなりにも、文献や資料や、地域へ出向いての学びを楽しむうちに、はじめに決めたことは正解だった! と思い始めている。もし決めていなければ、どんな世界へとんでいっているかわからないから……。
 はじめに決めた、ふたつのこと。
 ひとつは火と、水と、木に関連づけて、鬼を描こう、
 もうひとつは鬼そのものや伝説や地名を描くだけではなく、鬼になったいきさつを想像していこう、
ということであった。
 そうなのだ。大江の鬼は水と関連があったから選んだのだ。その鬼になっていく過程を想像していくのだった。

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          大江の里
 
 さて、
 大江といえば、酒呑童子なのであるが、ここには少なくとも三つの鬼伝説が残っている。
 陸耳御笠(くがみみのみかさ)鬼伝説、英胡(えいこ)軽足(かるあし)土熊(つちぐま)鬼伝説、酒呑童子鬼伝説。どのものがたりもおもしろいので、おいおいに話していきたいとは思うが、これらの鬼たちはいったいどこから、どのようにして住みついたのだろうと考えて、あれこれ読んでいると、こんな一文にであった。
「最近この物語が持つ日本史の謎の部分を想像するというロマンに支えられて、……日本海岸へ漂着したヨーロッパ人だとか……」
 なるほどと思う。
 「海からきた鬼」とは何とおもしろ発想だろう。いや、そうであったかもしれない。
 私のうまれそだった町は奈良県の南部。奈良県というのはまわりを山でかこまれている。海のない県なのだ。だから海にたいするあこがれは大きい。神戸で住むようになって一番うれしかったのは海が見えるということだった。はるかとおくに淡路島、天気のよい日には四国までくっきりと見える。もっと先に太平洋がつづいているのだ。そんなでっかい海に、私はのりだしていきたかった。留学が私の夢だったのはもしかしたら、海へのあこがれからきていたのかもしれない。
 私と同じように海にあこがれ、私とちがって実際海にこぎだしていった若者がいた。もとの港にもどることができなくて、何日も何日も漂流し、やった漂着したところが日本だった。彼はあきらかに姿形がちがっていた。鼻がわしのようにとがって高く、ちぢんだ赤い毛をし、何よりも身体が大きかった。言葉もつうじない。悲鳴をあげて逃げていく人々からのがれて、山に入った。生きていくために山裾の農家のにわとりをとって食べた……。それが数人であったばあいは、山にひとつの部落が出来ることになる。男ばかりの世界ではどうしても女が必要だ。村の若い娘をひっさらってきた。村の人々はおそれ、
「あの山にはおそろしい鬼が住んでいる」
 こうして彼らは鬼になっていったのだろうか。

 人は「生に執着するようにつくられている」。それなのに「生をコントロールすることはできない」
 このことは納得のいくことである。
 だが納得のいかないことがある。鬼のものがたりを読んだり聞いたりしていると、この納得のいかないことが人を鬼にしていく。人を人でなくしていく気がしてくるのだ。
 第二次大戦中、輸送船にのっていた父の友人が撃沈され、八日間の漂流の後生還した。漂流している間の苦しみは大きい。だが生還してからの苦悩は、もっとすさましいものだった……。

 つづく