人恋旅 ―佐々木喜善―
その4 私にはひとつの疑問があった。遠野の地に、どうしてこうまで民衆の物語が残っていたのだろう。発掘した柳田國男や佐々木喜善の力は当然賞賛されることだが、話がある、あった! ということにおどろいていたのだ。 高砂子さんは私に大きなヒントをくださった。 「えっ、今でもですか?」 私はおどろきをかくしきれなくて、 「ほんとにほんとですか?」 ときいていた。 「ほんとです。誰もとめなんだら、酒を飲んで朝までほら話をやってますよ」 いろりをかこんで若い衆が4、5人、自分たちの夢をえんえんと語る。「昔あったずモナア」と、こどもにせがまれてかたるおばあたち。夜なべの麻糸つくりのあいまにかたるおかあたち。かたりべは男たちばかりではなかった。話の内容も山男や山女、狐や狸や河童たち、マヨヒガ、木地屋、オシラサマ伝説などなど多岐にわたる。ここはずっとずっとつづいてきた、ひょうはくきりたちの土地であったのだ。 遠野の土地は凶作の常襲地帯で、人々は餓死と背中あわせだったときく。物語のもっているあの切なく悲しい影はそんな生活の中から生まれたからだろう。人は生まれる土地を国を、父を母を選ぶことはできない。生まれたところでがんばるしかないのだ。私が今でなく昔に、大和でなく東北の地に、日本でなくアフガニスタンに生まれていても、生あるかぎり生き抜かねばならない。過酷な生活状況の中で、遠野の人たちはすばらしい『物語つくりの達人、ひょうはくきり』になっていった。 私に初めて佐々木喜善を紹介してくれた菊池照雄氏は語っている。「ほらふきたちは、小さなみみっちい生活にへばりついている村人たちの、その地上の執着を解き放し、人生はブランコのごとくと、ひょいひょいと黒い影をのりこえて、笑って笑いころげる人生を演じて見せ、村人にやる気をおこさせる」(「山深き遠野の里を物語せよ」) ![]() 童話を書く私もほらふきの端にいる。どうせほらをふくなら、ひょいひょいと黒い影をのりこえて、笑い飛ばせる大ほらをふきたいものだ。だが、高砂子さんがこともなげにいった「夜通しでもしゃべっている」と聞いた時、あっさり脱帽。彼から「一度あそびにきてね」と、ハガキをいただいた。飲めないくせに酒もって、大ほらふきの真髄を聞きにいこうか! 『聴耳草紙』や『遠野物語』のことで、もっと話をしてみたいと思う。だが、それはまたの機会にゆずろう。 次に恋したお方が私を招いて、心あわただしくてしかたがない。 次回からは『役の行者』つまり、『役小角(えんのおづぬ)』をものがたろう。乞うご期待! つづく |