第九話
     匂い鏡 
                            畑 中 弘 子

   ー作者のつぶやきー
   人は自分の顔を見ることが出来ないように、持ってうまれた自分の才を
   きちんと見極めることは難しいのかもしれません。  
                              




 燻鬼(くんき)はそんなにたくましい男鬼でもなかった。頭にごく普通の角が一本。牙もとびぬけて鋭いとは思えない。褐色の体つきも並外れて大きいわけでもない。黄色に黒の横縞模様のパンツをはいていた。ただぬっと出ている足と、裸の上半身は若者らしい張りのある筋肉である。
 そんな燻鬼だったが、とびぬけてよく利く鼻をもっていた。どんなにかすかなにおいでもかぎわける。そして年齢を重ねるごとに、一鬼、一鬼がちがう匂いをもっていることを知るようになった。同時に、自分の匂いがどんなものなのかを考えるようになったが、どうしても自分の持っている匂いがわからない。
 ある日、燻鬼は自分の匂い探しの旅にでた。いくつもの村を巡り、自分の匂いをさがした。
 ある村に着いた時、今までに匂ったことのない強烈な生臭い匂いがしてきた。
「ああ、何ときつい匂いだろう。この村で、私の匂いをみつけられるかもしれない」
 ごつごつと連なる岩の先に、大きく口をあけている洞窟。そのうしろに深い森がつづいている。
 とにもかくにも洞窟で声をかけてみようと思った。
 洞窟の入り口はつたがしだれ桜のように赤く色づき美しく飾っている。まわりにはまだ青草も残っている頃だった。

 その村の鬼たちはは争いばかりの日々をすごしていた。
 彼らの住まいは洞窟だ。秋になると毎年、洞窟の奪い合いが頻繁になる。
 洞窟は無数のくぼみをもち、あちこちに道があり、川や沼までもあった。
 その中で、寝間はもちろん、遊び場や食事処や客用の部屋もとれる。
 洞窟の数は少なく、洞窟をめぐっての争いはたえない。
 鬼が一人前になって、一番にすることはすばらしい洞窟をみつけることだ。たまたま自分の親戚がいい洞窟を持っていて、それを譲り受けることがある。譲り受けるのはたいていは長子だったから、弟たちは自分で洞窟をみつけてこないといけなかった。
 鬼は洞窟を見つけると中に入る。たまたま先にはいっているものがいると、
「ここはわしの住み家だ」
「いや、わしこそがこの家の主にふさわしい」
 何人もが洞窟にあつまって、争うことになる。争って勝った者はそこに住み着いて、負けた者は村をでていくことになる。村に残っても岩と岩の隙間に身体をよせて、暮らすことになった。その鬼たちは荒々しく、時には村鬼を襲って、食べ物を略奪したり、怪我をさせたりした。鬼でありながら、鬼の角や牙をおそれるものさえでてきた。
 夏にはよく、あらくれ鬼に追われた若い娘鬼が滝壺に落ちて命を落とした。それですまなくて、娘の父鬼とがあらくれ鬼たちと争い、滝壺に落ちた。
 秋がふかまると、冬の蓄えのために、きつねやたぬきやきじやうさぎの取り合いになる。ついこの前も、まだ若い鬼がたった一匹のうさぎの争奪戦で命を落とした。
 日毎に村の状況は悪くなり、鬼の気性もさらに荒くなった。
 このままではどんどん村の鬼数がへって、ほろびてしまうかもしれない。
 これではいけない、どうしたらいいものかと、村の長が声をあげ、長老たちと一緒に考え始めたやさき、燻鬼がやってきたのだ。

 燻鬼が洞窟の主に声をかけようとしたとき、中から大きな鉄の棒をもった大鬼がとびだしてきた。続いて青鬼と赤鬼もとびでてきた。三鬼が、
 ドドドドー!
 音と一緒に、燻鬼の前でとまった。
 あまりにも急に止まったので後にひっくりかえりそうになる。
「ひゃー」
「わおー」
「ううー」
 一応に、燻鬼の前に膝をおったのだ。
「これはたまげた!」
「なんていい匂いなんだ!」
「ああ、この鬼からか?」
「そうだな、この鬼からだ」
 三鬼は、ぼんやりたちつくしている燻鬼に矢継ぎ早に問いかける
「おまえ、何をした?」
「何かもっているのか?」
「何のにおいだ?」
 燻鬼はその問いに大きく首をふった。
 今までの村々で言ったと同じように、
「わたしの匂いではない」
と言った。
「なんだと? だがすごくいい匂いがする……」
「それはおまえたちのにおいなのだ!」
「おれたちの匂いだと?」
 三鬼は燻鬼をとりかこむようにして立った。燻鬼は目の前の鬼を順々に指をさして、
「おまえは笹のにおい」
「おまえは土のにおい」
 そして、
「おまえはこの洞窟のにおいがする。ここに住むのはおまえなんだ
と、凛とした声で言った。三鬼は驚いたように目を丸くする。
 洞窟に入れないと言われた二鬼は何かおもいあたるように深くうなずく。笹細工の大好きな鬼と土器作りの名人鬼だったからだ。
 燻鬼には相手の匂いがしっかりと見分けられた。まるで匂い鏡になったように、匂いを受け止め、さらに元の場所へと反射していく。そしてまた燻鬼のところへもどってくる。どんどん匂いの違いがしっかりくっきりわかる。わかると、どうしても言わざるとえない。燻鬼は三鬼に、それぞれの匂いをつたえたというわけだ。
「私の身体には匂い鏡があるのだ。だから、おまえたちの匂いをかぎわけることが出来るのさ」
 燻鬼は相手に得意げに話しながら、それと同時に、自分の匂いはますますわからなくなっていくと感じていた。
 二鬼はそれぞれの親元の洞窟にもどっていった。しばらくは親の元でくらす。お互いに傷つけ合わないで、洞窟の主を決めたのは、村で初めてのことだった。

 燻鬼は新しい洞窟の主に招かれ、入り口近くのくぼみに住むようになった。
 村鬼と一緒に野山をかけ、獣をとり、共にくらしを続けた。その間にもますます相手の匂いをかぎわける。この頃では獣の匂いもすこしずつわかるようになった。狩りに行く時も、「どちらの方向にいこうか」と聞いてくる。その方向へいったものは熊な猪や鹿に出会う。燻鬼はますます神経をとがらせて、匂いをかぐ。一生懸命匂いをかぐのに、自分の匂いはどんななのかわからない。
  親しくなった鬼たちに聞いてみると、どの鬼も「笹の匂いだ」「魚の匂いだ」「葉のにおいだ」と教えてくれる。「燻鬼、おまえの匂いはすばらしい。滝に飛び込んで感じる澄んだ水の匂いだよ」「いや雑草の中でかぐ青草の匂いなど」と気取って言うものなど様々だ。だが、教えてくれたどの匂いも、言った本人の匂いだと、燻鬼はわかってしまう。燻鬼はだんだん問うことをしなくなった。

 みわたすかぎりは雪の季節がやってきた。森の木々も岩も砂地も雪で覆われている。森の一角がガサガサとおおゆれすると、ドドドーっと大鬼の三鬼がなだれおちてきた。洞窟の入り口の小さな広場にどさっとおかれたものがある。大鬼の倍はあるみごとな熊だ。静まりかえっていた雪景色が一変して、一気に雪解けがはじまったようにあたりに湯気が立つ。岩にくっつくようにたった橙鬼、紫鬼、茶鬼。まんなかに、熊のどす黒い身体が岩のかたまりになってよこたわっていた。そこからの湯気がまわりの雪を溶かしていく。熊をとりかこんで、大きな橙鬼と紫鬼と茶鬼がにらみあう。
 茶鬼が言った。
「これはわしが一番にみつけて、この鉄棒でやっつけたもんだ」
「何を言う! わしがこの手でたおしたのだ」
と、橙鬼。
「おれがかついでここまでもってきたんだ。わしのものだ」
 今にもつかみそうになったとき、三鬼の鼻に強烈ないい匂いがした。熊肉よりももっとおいしそうだ。ふりむくと、そこに燻鬼がたっていた。
 燻鬼は茶鬼を指さして叫んだ。
「茶鬼! 熊肉のにおいがする。鼻をつくしぶいにおいだ」
 茶鬼はその場にとびあがった。
「そうか、そうか! わしが熊肉のにおいの鬼か!」
 目や髪は黒いが、身体が茶色の大鬼だ。勢いよくしこをふんだ。腰にまきつけた熊の革があやうくはずれるところだ。両手でおさえると、うれしそうに言った。
「熊肉の匂いがするのはこのわしだ。みんな、よくきけ! この熊はわしのものだ。燻鬼が嗅ぎ分けたではないか」
 燻鬼のりんとした声に、誰もさからうものはいない。争うことなく、熊を手にいれた茶鬼だ。茶色の目を大きく見開いて二鬼に言った。
「わしはうれしい! さあ、わしの家にきてくれ。村のみんなも呼んで宴会をしよう」
「わかった。村の者にしらせてくる」
 橙鬼と紫鬼は雪をかぶった岩間がぬって駆けていった。
「燻鬼も一緒に楽しんでくれ」

  燻鬼はまた旅立たないといけないと思うようになった。多くの人たちから慕われるようになったというのに、ますます自分の匂いがわからない。
  村長は燻鬼の肩にそっと手を置くと、
「あんたがきて、この村もかわった気がする。ここに住み着いてくれまいか」
と言った。
「そうはいかないのです。私はますます、自分の匂いがわからなくなってきました。自分の匂いをみつけたくて、こうして旅をつづけているのです。次の村では、みつかるかもしれませんから……」
 しばらく黙って、燻鬼をみつめた後に、長は言った。
「あんたのその、『匂いの鏡』とやらを一度、外したらどうだろう? 自分の匂いがわかるのではないか……」
 燻鬼ははっとして、長の顔をみる。はじめてきく言葉だった。だれもがうらやむ自分の特技をこの長は「はずせ」という。はずすということは、自分の特技がなくなってしまう。みんなからどのように思われるだろう。きっとここに住むことなど出来ない。
 村長鬼の鋭い目に訴える。
「そんなこと、私にできるだろうか?」
 長の目は優しい。
「一度、この村でためしてみなされ」

 こうして燻鬼はその村に住むようになった。
                                 完