第六話
           強い鬼と弱い鬼
 
                                    畑 中 弘 子

        ー作者のつぶやきー
        
寿命は人の知恵でははかり知れません……。  

 鬼の強蔵(ごうぞう)は父鬼も母鬼も早く死んでひとりぼっちだった。鬼として成人出来たのは、並外れた強い体力のせいだ。幼い時から、村鬼から頼まれたものはどんなことでもやりこなした。子守り、洗濯、掃除、薪割り、食事の準備。大きくなると山に狩りにでかけた。隆々と盛り上がった肩に何度もしとめた獲物をかついて帰った。
 親戚はひとり、大叔父がいたが、めったに出会うこともない。一山こえた谷に住んでいるからだ。

 やがて強蔵はたくましい若者になった。一人前の鬼はりっぱな洞窟に住むものだ。そろそろ自分も大きな洞窟をみつけたい。いや、つくってみたいと思った。
 そんなおり、強蔵はほとんど水の無い沼地をみつけた。沼地の岸に山桃の木が数本立っていて、わんさか実がなっていた。強蔵の大好きな山桃の実がなっているというだけで、
「これはいい! ここに洞窟をつくろう」
 沼地に洞窟をつくろうと考えた。他の鬼ならば考えるはずがない。洞窟は岩に自然にできたものなのだ。沼地に洞窟という考えはおもいうかばない。だが強蔵は並外れた身体能力を持っている。「まあ、岩をもってきたらいいんだから」と考えた。

 思い立った強蔵の働きはすさましい。毎日毎日、山の岩を蹴り上げ、もちあげ、沼地に放り込んだ。沼地が平らになるように、素手で岩を砕いて、並べ、地ならしをする。
「どうだ。もうすぐ沼が半分になるぞ。なまずもふなも目をむいておろうぞ。もうこれくらいにしてやろうか」
 広い洞窟内の敷地分の土地が埋め立てられた。さらに大きな岩を運ぶ、囲いをつくった。平たい岩を上にのせると小さな洞窟ができる。あっちこっちに大小の岩の家をつくっていった。入り口と出口をつなぐと、いくつもの空き天井の洞窟ができた。その上に岩をおく。まるで木をおくように、強蔵はひょいひょいと岩を置いていった。

 洞窟がどんどん仕上っていくにつれ、強蔵は若者らしい夢をみる。 
 心優しい嫁をみつけよう。村の中にはこの娘と思う者はいない。近隣の村々をまわって、いい娘をみつけないといけないと思った。いや、大叔父が教えてくれた人間のきれいな娘を嫁にしてもいいかもしれないなとか、いやいや、あの者には角がないから、なんとも気味がわるいしな、などと考え、重たい仕事も鼻歌まじりになった。 
「これでよし! さあ、上から土をかけよう」
 山の上から、土をいっぱいかきあげ、下にむかってなげつけた。どんどんなげていく。
 大きな音に、村の者たちが何事かとあつまってくる。沼が半分うめつくされて、山がひとつできていた。中にりっぱな洞窟があった。
「これでよし! わしの家の完成だ」
 岩でかこったりっぱな洞窟が完成すると、こんどは中を快適にして住みたい。毎日、あちこちの山や谷におりて、適当な木材をさがす。囲いや棚、台座や椅子をつくっていった。なにもかも、強蔵はひとりでやってのける。休む間もなく動き、腹がすくと川の魚を捕って食べ、山桃の実をもぎとった。


 その日は竹を調達するために、竹藪にはいったのだった。目の前を何かが動いた。まるで川をながれるさらし布のようにふわふわとした感じである。たちどまってじっとみると、白い布を背にまとった女だ。どうしてこんなところに? と思ったとたんだった。女が地面にくずれおちた。
「どうしたー」
 強蔵はひとっとびすると、白い布の前にきた。布を枕にして、若い娘がたおれている。強蔵はただ倒れている娘をみただけなのに、頭から足までを雷がつきぬけたような衝撃をうけた。
「なんと美しい娘だろう
……
 今までみかけたことがない。村の者でないことはたしかだ。
 まるみのある白い頬、とじられた長いまつげが涙のせいかしっとりとうるんでいる。胸におかれた右手の指に海辺でとれる薄紅色の貝にもおとらぬきれいな爪がひかっていた。
「もしかしたら、人間
……いや、そんなことはない」
 ほっとあいた半開きの口からは二本のきばが出ている。
 髪にかかっている布をそっとのけると、角が二本ある。だが
……
「何と情けない角だ」
 今までみたこともない貧弱な角だった。
「おい!」
 強蔵は声をかけた。
 目をあけた娘は驚く様子もなく、じっと強蔵をみつける。今の状況がわからないようだ。
「しっかりするんだ!」
 すっかり身体の弱っているものを放っておくわけにはいかない。どうも道にまよって何日もさまよっていたようだ。
 娘は強蔵の嫁になった。
 嫁になってからも頭に布をかけることをやめなかった。布をとると、中から細いすきとおった白い角があらわれた。
「こんなに美しい角なんだから、堂々と見せればいいのじゃ
……
「日にあたると、皮がむけてしまいますから」
 たけのこのように皮がむけてしまうというのだろうかと、強蔵は目を丸くした。顔を真っ赤にして、                  
「それは困る! 角がなくなってしまう」
 強蔵はますます妻を大事にしないといけないと考えた。
 幸いなことに、りっぱな洞窟を作り上げたところだ。
 強蔵は妻のために、家のことをなんでもこなす村の女鬼にきてもらう。あらっぽい仕事はその鬼が担当した。川から釣ってきた魚だけではなく、山から捕ってきたうさぎやキジをさばくのは女鬼の役目。妻は洞窟のなかで煮炊きをする。夕食の準備だけで1日がおわってしまうこともある。
 疲れて横になることが多い。たまに外にでるときはいつもしっかりと帽子をかぶった。
 強蔵は出かける時、時には横になったままで「いってらっしゃい」という妻である。戻ってきたときに、夕食の用意ができていなくても、どんなにお腹がすいていても、そこに妻がいるだけでうれしかった。
 洞窟を囲うように山桃の木にいっぱいの実がなり、やがて真夏をむかえた。妻の食欲がどんどん細くなっていく。強蔵は自分と同じようにもりもり食べてほしかった。
強蔵はいいことを思いついた。
「そうだ。とってもおいしい水が大叔父の家の近くにわいているんだ。おれ、ひとっ走りいってもらってくる」
 かめいっぱいに清水をいれてもどってきた。妻はおいしそうにごくんごくんとのんだのだ。それからは三日に一回は山越えだ。
「おまえさん、そんなに何度も行かなくてもいい。わたしの村の井戸で充分だよ」
「なあに、わしは強いんだから」
 秋がすぎ、冬になると、強蔵は狩りにせいを出す。冬の寒さがこたえるだろうと、妻のためにくまの皮を手にいれたいと思った。
 一年がすぎ、二年がすぎても、妻は弱い鬼のままだ。そんな妻なので、子どももうまれてもすぐに流産になってしまった。
「なあに、また授かるもんだ。おまえの身体が大事大事」
 強蔵は妻のために前にも増して働いた。
 妻をむかえて、7年の年月がすぎた。妻は変わりなく、誰もが見入ってしまうほどに美しい。そして弱々しい。
 強蔵にはずっと気になることがあった。頭にあるふたつの角がふたつとも少しずつ小さくなっている気がする。これまで角が直接に太陽にあたることはなかった。出かける時はきちんとずきんをかぶり、洞窟の中でも、昼間は薄い布を頭にかけて後でむすんでいた。その姿も可憐で、7年たった今頃でも、強蔵はぼーとみとれたりする。
 少しずつ弱ってきていると思うとたまらなかった。たまに大叔父のところへ寄っていた鬼蔵はあるとき、耳寄りな話をきいた。「水垢離」ということだった。
「滝にうられてのう、一心に念じてみるとどんな願いも叶えられるという。冬の滝にうたれるなんぞ、なかなか出来ることじゃない」
「わしなら出来る! わしは並外れの強い鬼だ」
「そうやすやすと出来るものじゃない」
「いや、強いわしなら、大丈夫。わしは妻を元気にしたい! これからもずっとずっと生きてほしい」
「無理をするでない。おまえももうそんなに若くはない」
「大叔父の年まで生きるとしたら、あと五十年も大丈夫だ!」

 強蔵は冬の滝に打たれ、一心に妻の身体のことを祈った。
 大叔父が心配したとおり、水垢離をした強蔵は肺炎になった。     
 寝込んでしまった強蔵は妻に言う。
「心配するな。おれは強い鬼だ」
 熱はなかなか下がらなかった。
 枕元の妻をみつめると、強蔵は笑って彼女に言った。
「おう、今日は身体の具合がよさそうだな」
 妻の赤みをさした頬をなでると、ふーと大きなあくびをひとつした。そのまま目をとじ、二度と目を開けることはなかった。
 それからの妻は弱い身体のまま長く長く生き続けたという。