第五話
        宝もの 
                                畑 中 弘 子

    ー作者のつぶやきー
 
    同じ素晴らしい宝物も、手に入れた人によって使い道もいろいろ、値打も
     かわってくる。いえ宝物自体、人それぞれの解釈があるのかもしれません。
  

 

海辺の村に嫁いだ鬼の鬼無子(きなし)は四十年ぶりに古里の奥山村を訪ねることにした。
 夫や夫の両親に仕え、七人の子どもたちを育てた鬼無子は遠い故郷へなかなか帰れなかった。自分の両親がなくなったことも風のたよりできいたほどだ。
やがて子どもたちも家族をもち家を出ていった。夫鬼もつい先日なくなった。ひとりになって、ふと奥山のことを思い出したのだ。
 それにはきっかけがあった。浜でみた大サメである。
 鬼たちの住む場所は荒波のうちつける高い岩と岩にできた洞窟の中だった。ごつごつとした岩と岩の間に時々、小さな砂地があった。ふたりが手をつなぐと岩と岩に届くほどである。
 鬼無子はわかめをとりに行った帰り、ある砂地できみょうな光景をみたのだ。

 大きなサメが横たわっていた。若鬼のふたりが大サメの腹がきりさき、中から褐色の塊をとりだした。ちょうど通りかかった鬼無子に得意げに見せて言った。
「わしがいとめた!」
「これは大サメの胆だ。干して薬になるしろものだ」
 豪快に笑う若者の口に二本のきばが日に輝いている。
 鬼無子はたちどまった。若者の中にかつての自分をみた思いになったからだ。
 鬼の鬼無子は幼い時から身体が大きくて、男勝りだった。海に大サメがいるように、山に大熊がいる。普段は、鬼も熊もそれぞれの食べ物をわけあっていきていた。だが真冬、たまに冬眠をしない熊がいて、それがお腹をすかして凶暴になった。鬼無子は十五歳の時にはじめて冬熊と出会い戦って勝った。それ以来何度も戦いに勝ち、熊の胆を手にいれる。胆はあらゆる病気にきいた。不老の薬とされた貴重なものだった。
 鬼無子は熊の肝を十個も持って嫁いできた。けれど夫や子どもたちに飲ませ、とっくになくなってしまった。自分のためにとっていたものも姑が病にたおれ、その最期に飲ませた。それからずっと熊の肝を思い出すこともなかった。

 だが大サメの胆にであった時、むしょうに古里が恋しくなった。はるかとおくにそびえたつ山をみつめた。あの山の奥の奥の奥に奥山村がある。
 四十年もこの海辺でくらしている。もぐることも泳ぐことも魚のようになっていた。山奥まで駆け上がっていけるだろうか心配だ。だが誰もが親になっている子どもたちが「行ってこい」と後押しでをする。

 鬼無子は海村をあとにして、四十年ぶりに奥山村にむかった。
 鬼無子の足は衰えていなかった。新緑の森をいくつもこえて、数日のうちに奥山についた。

 奥山村は以前と変わりなく、大きな岩と洞窟とほんの少しの木々があった。いい気候だというのに誰もあたりにいない。
 鬼無子は大きく口を開けている洞窟の前にたった。洞窟の入り口にりっぱな石の門があることから、長の家にちがいない。ちゃんと挨拶をしていこうと思う。
「ごめんくださーい」
 中から真っ白な髭にりっぱな一本角の老鬼があらわれた。鬼無子のあでやかな胸当てとパンツにおどろいたようにたちどまる。ゆっくりと近づくと、まじまじとみつめて言った。
「おまえは……もしや、鬼無子?」
「おまえは鬼丸か!」
 ふたりは言葉もでない。
 鬼無子の胸に、鬼丸と競い合っていた日々が昨日のようによみがえる。
 鬼無子は女鬼、鬼丸は男鬼。熊をしとめる一番をいつもきそっていた仲だ。お腹をすかしたどう猛な冬熊は子どもの鬼をさらっていく。
 あたりが雪におおわれると、鬼たちは熊狩りにでかける。冬眠をしていない熊と素手で戦い討ち取る。貴重な熊の胆嚢を取った。干して黄金色になった胆嚢は万能薬だ。その胆嚢をどれだけもっているかが鬼の強さを表し、尊敬を集めた。
 鬼丸が目を輝かせて言った。
「おまえに見せたかったよ! 私が村一番の勇者の印をな、願いがかなったというものだ」

 案内された洞窟の中にはたくさんの肝がぶらさがっていた。
 鬼無子はあんぐりと口をあけたまま、何も言えなかった。
「なんと見事な熊の胆だこと!」
 つややかに黒光りをする胆だ。
「さあ、おまえの宝物をみせてくれ」
「熊の胆のことか」
「ああ」
「熊の胆はない」
「なんと! 全部ないというのか?」
「ああ」
 鬼丸は鬼無子がうそをついていると思った。競い合った勇ましい鬼無子のことだ。きっとどこかにかくしているのだと考えた。鬼無子は困惑顔の鬼丸の家をあとにした。


 次の日、鬼無子は自分の生まれ育った洞窟へむかった。洞窟の前にはうっそうと雑草が茂ってもう中に入ることさえままならない。入り口のふさがれた洞窟があちこちにあった。
 同じように岩をかけめぐって遊んだ鬼たちはどこにもいない。幾人かの鬼にであったが、誰も鬼無子をよびとめるものもない。鬼無子も全くしらない顔ばかりだ。
 鬼無子はすぐに奥山をあとにしようと思った。長く留まっていたいと思わない。
 最後に鬼丸のところに別れを告げにいくと、
「鬼無子、おまえに見せたいものがある」

と言う。
 鬼丸は鬼無子を奥へと導いた。
 何個もの横洞をとおりぬけ、一番おくまった洞窟に案内された。部屋一面にしかれた白い敷物の上をみて、
「なんと!」
 鬼無子は目をまるくする。
 そこには数えきれない熊の胆がおかれていた。
「さあ、どうだ! おまえはどれほど集められたか?
わしに教えてもいいだろう」
 鬼丸はこれだけ宝をみせればきっと鬼無子もかくしもっている宝のことを話すだろうと考えた。 けれど、鬼無子は鬼丸に言った言葉は、
「鬼丸、すばらしい。これだけあると、村の人たちも安心だね」
「安心? どういうことだ?」

と、鬼丸がききかえした。
「薬がたくさんとれるから、病気になっても充分に使えるということでしょう」
 鬼丸はしばらく考えた後、驚いたように言った。
「これを薬にして使うんだって!」
 太い一本角を大きく揺らして、
「それは出来ないよ!」
と言った。
「出来ないって? どうして? わたしは子どもや夫やじじやばばに飲ませたよ。おかげでみんな病しらずだった」
「おお、なんと! わしはこの宝があったからこうして、りっぱに生きてこられたんだ。この村の誰からも大事にされた。となりの奥森村の者たちからも、一目置かれ、尊敬されておるのだ。これは薬ではない。お宝なのだ。おまえはお宝をみんなにあげたというのか! ああ、なんということだ。鬼無子はもっともっと宝を蓄えて、尊敬されているとおもっていた」

「そんなこと、思ってもみなかったことですよ
 鬼丸は憐れむまなざしで鬼無子をみつめた。
「鬼無子、負け惜しみをいうでない。おまえはひとつでもほしいと思うだろうが、悪いがそれはできない。わしの宝だからな。長としてあがめられているのも、この宝があるからなのだ」
「熊の胆って、そんなに大事なものだったんだ」
 鬼無子はりっぱな長になった鬼丸をまぶしいものをみるようにみつめ直した。

 帰りの道々、鬼無子は考える。
「熊の肝が薬でもなく、使うものでもなく、かざっておかねばならない宝物。宝物をいっぱいもっていると、みんなから大事にされるというわけだ」
 鬼無子は宝物を全部使ってしまったことを後悔した。もっとたくさん熊の胆を持って嫁にいけばよかった。いや、使わなかったほうがよかったのだろうか? もっと豊かな生活になったかもしれない。残念な気持ちが身体中を包む。今までの毎日の中で宝物など考えもしなかった。私には宝物がないのだという。足取りがおもくなった。それに自分が大事にされるとか、自分が尊敬されるとか考えたこともなかった。
「そんな時間も余裕もなかったなあ……」
 
鬼丸の憐れむような目を思い出す。足が地面にめいこむように重たくなった。
 それでも鬼無子は子や孫のまつ海村へ足をひきずるようにしてもどっていった。
 やがて眼下に大海が見えはじめた。

「ああ、海村だ」
 とたんに鬼無子の心が浮き立った。
 
子や孫たちに会えると思うと、お腹のそこから喜びがわきあがった。
 鬼無子ははたと手をたたく。
「おお、そうだ。わしにはちゃんと宝物があるではないか! 動き回りわしを忙しくさせるあの者たちがいるではないか!」

 ついさっきまでの思いはふっとんで、もうすぐうまれる初孫は女だろうか男だろうかと考えている。鬼無子の足が早足になった。                          
                                    (完)