第四話
        がはは鬼 
                                畑 中 弘 子

        ー作者のつぶやきー
        
多くの哀しみを乗り越えてなお、笑いをもって生きていきたい。  

 母鬼の兄、幸蔵(さちぞう)が近くの洞窟に住むようになったのは太郎が九歳のときだ。 
 太郎の住み家である洞窟は天井も高くて間取りも広く、さらに奥深く、先はどこまで続いているのかわからない。幸蔵の洞窟は入るとすぐに奥の岩がみえるほどにせまかった。

 幸蔵は腕の良いきこりだった。村に広場をつくることになって、村の長老たちが彼をよびよせた。幸蔵が森の木をきりたおすためにやってきた。
 とても強く勇ましい鬼ときいていたので、太郎は出会うのが楽しみだった。
 岩の間に笹百合の花が咲き始め、いいにおいが漂っている。いいにおいをかいでいるというのに、太郎の機嫌はすこぶる悪い。腹がへっていたからだ。上気して真っ赤になった顔。二本のりっぱな角にまで汗がふきでていた。
 太郎の足もとを犬がまとわりつく。茶色の毛、狼のようなりっぱな耳をした太郎の愛犬「クロ」だ。

「ああ、クロも腹がへったな!」
 太郎は洞窟から外にでて、母を待っている。
 母鬼が朝げの前に谷へ洗濯にいった。
 前方に大きな岩が三つ並んでいる。三つの岩の先に小さな洞窟の入り口が見えた。それに幸蔵が住むことになっているという。洞窟の前の道を右手へ行くと森へはいり、左へおれると谷におりる。
 太郎は三つめの岩の上に腰をおろして、あぐらをかく。にらむように谷のほうをみていた。
「ああ、腹減った」
 と、その時だ。
 誰もはいっていないむかえの洞窟から何かがごそごそと動いたのだ。はっとしてみつめると、
「く、く、くしゃーん!」
 大きなくしゃみがきこえた。
 ぽかんと口をあけた太郎に、
「おお、太郎か! 大きくなったのう」
との声。それから、「がははがはは」笑いながら近づいてきた。
 クロはおとなしくその場にねそべっている。はじめての者にはたいていは歯をむきだしてうなり声をあげるのだがまったっくほえない。「がはは」の笑いはあたりに反響して大きい。どんなに大きな男が笑っているのだろうかと思う。クロにもほえられない男鬼ってどんな顔をしてるんだろうと思う。
 身体を硬くして、声の主を待った。
 外にひとりの鬼があらわれた。
「え?」
 とても小柄な年寄り鬼だ。今までみたこともないほどに小さい。どこをさがしてもいないような貧相な男鬼だった。背中もまがっている。
 じろっと太郎をみると、
「幸蔵だ。よろしくな」
と言った。
 太郎は突然、会いたい会いたいと思っていた幸蔵にであうことになった。きみょうな気持ちだ。自分が想像していた鬼とはあまりにもちがっていた。もっとたくましい身体で、目がするどく、頭には太郎の倍もするほどの高さのりっぱな角が二本はえているはずと思っていた。
 幸蔵の頭に太郎の目がいく。とたんに、
「あ、角が一本ない!」
 右の耳の上に角が一本しかないのだ。角はもう片方、左の耳の上にもあるはずなのに。
「何、おどろいてるんだ? おまえの伯父の幸蔵だ。かあさんからきいてないのか?」
「いえ、きいています」と言うと同時に、今度は、「牙がない!」と叫んでいた。
「あるさ。ほれ、二本ともすりへったんだ。年をいくと誰もがこうなる」
というと、何がおかしいのか、「がははがはは!」笑った。わらった口のなかに前歯とみまちがうほどに小さな牙が二本みえる。
 「がはは」わらっていた口が突然とじられた。とたんに口のまわりがひくひくと動きだす。歯と歯をがちがちとならすと、
「ここはなんと寒いところだ。長いパンツがほしいのう」
 まじまじと太郎をみると、
「よくもまあそんなちっちゃなパンツ一枚でやってきよって、寒くないのかのう」
 太郎はなかなか母鬼が言ったように「おじさん、はじめまして。太郎です」という挨拶を言う事ができなかった。
 太郎は口をとがらして、
「寒くないよ」
 幸蔵は丸石のような鼻の穴を大きくひろげると言った。
「わしゃ寒いんじゃ」
 さっさと洞窟に入ってしまった。
 その時太郎ははっきりと心に決めてしまった。幸蔵にはこんりんざい会いたくない、大嫌いだ。「がははがはは」とどうして笑ったのだ? おれのどこがおもしろいんだ? からだつきも気味悪い。どうして角が一本なのだ? どうして牙があんなに小さいんだ? だいたい鬼らしくない筋肉をしている。まるで小枝のような腕や足。胸だって父さんのように厚くはない。
 幸蔵はよれよれになった麻布の長方形の胸当てをつけていた。縞模様のズボンは薄汚れ、そのくせ分厚い新しい靴下をはいている。どのひとつをとっても太郎の想像していた強い鬼ではない。
 母鬼が洗濯から帰ってきた時、最初に言ったこどばが、
「がはは鬼にであった!」
だった。「腹がへった」ではなく。
 母鬼はすぐにわかったらしく、にまにまわらった。顔を太郎のほうにむけて言う。
「幸蔵さんに出会ったんだね。昨夜遅く、到着された。今日からしばらくは食事をとどけることになるんだ。太郎、おまえが一番に幸蔵さんに出会ったんだ。食べ物をもっていっておくれ。むこうで食べるとおっしゃってたから。すぐに朝げにするから」
 太郎はお腹がすいていたことを思い出した。
「腹へった。はようしてくれ!」
 それから地面をどん!とふみならす。
「それと、がはは鬼に食事を運ぶのはいやだね。(あに)さに頼め」
 いつものように全員集まっての朝げがはじまった。
 父鬼を中心に兄三鬼と母鬼と太郎だ。父鬼と母鬼のあいだに丸座ぶとんがおいてあった。ここに幸蔵が坐る予定だったらしい。
 なぜか朝から父鬼は上機嫌だ。森を開墾して太陽の下の広場をつくる。このことを提案したのは父鬼だ。助っ人として森の鬼村の幸蔵がきてくれたからだ。
 朝餉を誰がもっていくかの話になると、
「わしが持っていく。挨拶をしてこよう」
と父鬼が言った。
 長兄鬼が口に運んだ猪肉を喉にのみこむと、
「う? おやじがあさげをもっていくのか」
と言った。
「ああ、一度話がしたかった鬼殿だ。あの方の強さをわけてほしいからのう。こんなに近くにこられてうれしい」
「ふーん」
 太郎も小首をかしげる。おやじは鬼間違いをしてるのじゃないかな? どうしても会いたいと思える相手だとは思えない。幸蔵のどこをみても「強さをわけてほしい」なんて思えない。
 父鬼は膳をもちあげるとその膳の上に幸蔵へもっていく膳をかさねると、洞窟の外にでていった。 
 父鬼は幸蔵のところへ行ったのだ。

 帰ってきた父鬼は、
「まっこと、強い鬼殿だ」
と感心している。
 それからの朝げは太郎たち兄弟がもっていくことになった。夕げをもっていくのは母鬼の役目である。
 朝、太郎が膳をとどけると、幸蔵は外で運動をしている。運動の仕方はきみょうだ。まるでしゃくとりむしのようにぎくしゃくとした動きで手をあげたりおろしたりしていた。太郎をみると、
「お、太郎! ご苦労だな」
 膳をうけとると、必ず、
「がはは、ありがとよ」
と言う。
 太郎はうなずくと、膳を奥の部屋にもっていく。夕げの膳をとってひきかえす。
 幸蔵は朝げをとると村の鬼たちと一緒に森にはいる。今は木の伐採の手順を教え、森を怒らせないようにていねいに折っていくのだ。

 毎日同じような日がすぎていった。
 朝から遠くのほうで雷の音がしていた。雷がなりだすと、外にでることもない。一日洞窟の中でごろごろとしてすごす。洞窟の中はひろくて、奥へはいるとまだいっていないところも結構あるのだ。兄たちと探検にいくのもおもしろい。
「今日は太郎、おまえが朝げをとどける番だからな」
 また雷の音がする。稲光がしたようにもみえる。
 一番上の兄が、
「ひさしぶりに洞窟探検しようか」
 太郎はその場にピョンピョンとびはねてよろこぶ。
「じいさんの話につきあわないで、すぐにもどってこいよ」
 太郎は一度も幸蔵の話につきあったことはない。幸蔵はいつの時もいそがしそうだった。朝げをうけとると、すぐに食べてでかけていくからだ。
 当番で朝げをもっていくが、三人の兄たちは大雨の日や大風の日にあたったことがある。その時は幸蔵にひきとめられたらしい。
 太郎は朝げの膳をもったまま、長たちにたのんだ。
「まっててくれ! すぐにもどってくるから」
「ああ、はよう帰ってこい。今日は奥の泉までいくつまりだ」
 次の兄鬼が、
「やったー。おれ、もう一度緑の泉がみたかったんだ」
「え? 緑の泉があるの?」
と、太郎。
「そうさ、おれも一回いったことがある」
 一番下の兄鬼が言った。
「わあ、行きたい、行きたい」
 太郎は膳をおいて、話をきこうとした。
 奥から、母鬼の声がした。
「幸蔵さん、もう起きてられる頃よー。はやくいきなさーい」
 太郎はあわてて、外にでた。岩を三つこえるまで、膳の上の汁をこぼさないように用心して持って行く。
 いつものように洞窟の入り口で「朝げをもってきました」と言って、膳を石台におく。幸蔵が「がはは、ごくろう、ごくろう」との声をきくと、奥まで行かないでそのまま帰ってくるつもりだった。

 だがそうはいかなかった。

 膳の上には鶏の足が五本のっている。頭や胴体は男鬼が好んで食べ、女鬼はお腹あたりが好みだ。猪や狸や狐の肉を食べるにも好みの場所がある。太郎は肩のあたりの硬い身が好きだ。きっと年をとると足の身が好きになるのだろうと、膳の上の鶏足をみて思った。
「クワン、クワン」
とクロがものほしそうにないた。クロも一緒についてくる。
 一歩外へ出たときだ。
 ピカッ!
 すぐに、ドドドーンと音がきて、雨がわっとふりだした。ふたつ岩をとびこえるか、ひとつ岩をもどって、家にもどるかどちらかのところだ。膳をもっているし、早くとどけて兄たちと探検にいきたいと太郎は思った。前に進むことにした。
 岩をひとつこえ、もう一つの岩の上にとんだときだ。
 ドッグワーン!
 耳をつんざく音と共に、太郎は幸蔵の洞窟のまえにほおりだされた。わけがわからないままにたちあがろうとしたが、太郎の身体に何かがおおいかぶさった。
「立つな! はってはいれ」
 幸蔵の声だ。
 はうようにして洞窟にはいった。身体中がしびれたように動かない。一緒にいるはずのクロがいない。はっとして、
「クロ、クロ」
 だが激しい雨で、外がみえない。
 やっと雨がこぶりになり、音も遠くへいってしまった。外へでたとき、クロが岩の真下によこたわっているのがみえた。ねむっているようだ。太郎が走りよって、「クロ」と呼ぶ。返事がない。身体をゆすった。反応がない。いくらゆすっても呼んでも目をさまさなかった。太郎のいくところはいつもついてきたクロ。茶色の毛、くりっとした目、先の黒い鼻も、太郎のほうをみていつも動いていた。だが全く動かない。
「雷にやられたんだ」
 太郎が必死でこらえていたが、幸蔵が太郎の肩に手をおいたとき、わっと涙があふれた。大きな口をあけて泣きながら、クロを抱きあげた。 
 その時だ。あろうことか、幸蔵伯父は、「がはは、がはは」と笑ったのだ。太郎は幸蔵をにらんだ。クロがこんな目にあってるというのにわらうなんて!

「笑うな!」
 幸蔵は口を閉じた。
「そうだったな」
と言うと、動かないクロの頭をなでた。
「だがなあ、太郎、おまえは生きておる……」
 口の形だけが、「がはは」と笑っていた。
 クロを家につれてもどり、兄たちといっしょに森の中にうめることにした。布にくるんで、木の根っこをほってうめた。その間中、ずっと幸蔵伯父の「がはは」と笑う顔が頭にあった。もうあの伯父に朝げをはこぶなんてしたくない。どうしてこんなに時に笑えるんだ?
 夕げでみんなが集まった時、太郎は父鬼に言った。
「幸蔵おじさはきらいだ。クロが死んだのに、がはは笑った!」
 父鬼は、
「ほう、がはは笑ったか! やっぱり幸蔵殿だ」
「どうしてだ! クロが死ぬことがうれしいのか」
「バカモノ! その反対だ! 悲しくて悲しくて、だから笑ってがんばるんだ。強い鬼はそうするもんだ」
 母鬼が横から口をだした。
「ああ、もう二十年も前になるかなあ。息子が雷にうたれて死んでしまったんだ。目の前でね。クロが死んだように一瞬で動かなくなった。太郎、おまえと同じ年だった」
 母鬼は目頭をおさえた。
 父鬼が、
「次の年の洪水が幸蔵さんの村をおそったんだ。そのとき今度は娘さんと嫁さんを一度になくされた」
 大きく息をすると、
「こんな時、強い鬼はいつも他の女、子どもを奪ったものだ。村は奪い合いの恐ろしい世界になる。だが幸蔵さんはしなかった! がはは、がははと笑ったんだ」
 太郎はその時はっとした。気にもしなかった幸蔵の口ぐせを思い出したからだ。
「こうして太郎と話をしておる。がはは、がははと笑っておる! 生きておるってことじゃ」

 朝げをもっていく役目がまわってきた。
 洞窟のまえにくると、「がはは、がはは」笑いながら、幸蔵がでてきた。

 太郎はもう「がはは、がはは」の笑い声が苦にならない。

                                     完