第三話
 海の草原 
                                畑 中 弘 子

         ー作者のつぶやきー
        親の愛を受けて子どもは巣立つ。  
                               

 カイの頭のてっぺんにはりっぱな角がある。日の光りにあたると銀色に輝き、まるで海原の波のような模様をつくる。
 十歳になった日、かあさんはカイの美しい角をみつめて言った。
「なんとりっぱな角なんだ。とうさんとそっくりになってきた。それなのに……」
 かなしげな目をする。カイにもそのわけがわかっていた。ひとつは、とうさんがまだカイが四歳の時に海にでたままもどらなかったことを思い出しているのだ。
 もうひとつはカイ自身のことである。
 この村では毎年、秋のはじめに競争馬の大会がおこなわれた。そこで優勝することは名誉なことだ。優勝できなくても、この村で生きていくためには馬をのりこなさないといけない。なにせ隣村へ行くのにも草原を一日駆けてやっと到着する。
 四歳の頃から、この村の鬼たちは馬乗りのけいこをはじめる。 馬上のとうさんの前座に乗るのがけいこのはじまりだ。けれどカイにはそれができなかった。四歳になった日、海にでかけたまま、とうさんがもどってこなかったからだ。

 他の人と一緒には乗りたくないカイはとうさんの帰りを待った。数日たっても、数ヶ月してもとうさんがもどらなかった。カイは馬に乗らなかった。一番はじめはとうさんと一緒でないといけないのだ。周りの鬼たちが上手に馬にのるようになっていく。
 かあさんもじいさんもばあさんも、
「おまえのとうさんは馬乗りの名人。さあ、乗ってみろ」
と馬上から手をさしだし、自分の前に乗せようとした。がいつも首を横に振った。
 一年たっても、カイはなかなか馬に乗ろうとしなかった。
 カイは馬がきらいだと思うようになった。やわらかい毛並みも、つぶらなかわいい目も、お日さまのにおいのする背も、カイにとってはうれしいものではない。
 馬のほうもきらわれていることがわかるのか、カイに近づこうとしないし、たまに近くになると、馬は身体をわざともりあげて、岩になったように動かなかったり、いきなりとびはねて驚かせたりした。ますますカイは馬に乗るのをいやになった。
 かあさんは額にしわをよせて、
「どうしたもんだろう。あんたはほんとはきっと強い子なんだよ。とうさんと同じりっぱな角があるんだから。牙も、ほれ、誰よりもするどくとがっているじゃないか」
 五歳になり、とうさんのたくましい顔ややさしい声がぼんやりかすんできはじめて、カイもときどき他のみんなと一緒に馬に乗って走ってみたいと思うようになった。だが、馬にやっと近づくことができてもなかなか乗ることができなかった。
 かあさんは、そんなカイをみて、しかりはしなかった。何年も同じ言葉をくりかえす。
「そうだよね、小さい時はとうさんも泣き虫だったんだ。あたしのほうが強かった。馬乗りだって、あたしのほうが先に、ひとり乗りができるようになったんだから」
 カイは年をかさねるごとに、かあさんは自分をなぐさめているけれど、きっととうさんのようにりっぱな馬の乗り手になってほしいと願っているのだと感じるようになった。いつもかあさんは最後に付け加えたからだ。 
「とうさんはお前と馬乗り競争をするのを楽しみにしていたんだよ」

 来年には村の若者の競争馬へも参加できる。
 カイと同じ年の子たちはいつも競争馬の話をしていた。誰が一番になるだろう、優勝の旗をもらうのは誰だろう。そして自分こそが優勝の旗を家の前に飾るのだと夢みていた。貧相な掘っ立て小屋も、入り口に旗がたなびくと、豪邸のように華やかになった。

 さわがしい蝉の鳴き声がする昼下がり、夕暮れからの馬乗りに備えて、多くの鬼たちは昼寝をしていた。
 その日の朝、かあさんはカイを近くのでっぱり岩にさそった。
 カイとかあさんは村のはずれのきりたった尾根の上にたっていた。
 はるかに海がみえる。
 かあさんは海にむかってぶつぶつ、ひとりごとをいう。
「どうしてなんだろう。どうしたらこの子を馬に乗れるようにできるかしら。ああ、あの人が生きていてくれたら」
 気丈にカイを育ててきたかあさん鬼はこまりはてていた。海が夏の日を浴びてちかちかまばゆくひかっている。
「あれ、どうしたのかな」
 まばゆい光をみたかあさんは、
「そうだ!」
 張りのある声をあげた。
「カイ! とうさんの大好きな海にいこう」
「え、海にいくの」
 海に行こうと、かあさんが誘うなど、考えもしなかった。いつだってとうさんを思いだすからと海にいくのをいやがったのだ。
 谷を駆けると、海はすぐ目のまえになる。ごつごつとした岩がつづく。ふたりはしょっぱいしぶきが顔にあたるほどの近くまで駆け寄った。
「とうさんはこの海へいったままもどらなかったんだろ?」
「そうだよ。かあさんはまだどこかでとうさんが生きているような気がするの」
「ぼくもとうさんにあいたいな」
 かあさんからの答はなかった。
「むこうの岩にあがってくるよ」
「あんまり遠くまでいかないで。夕暮れまでにはもどらないといけないからね」

 カイははじめて見る景色に胸がおどる。岩を三つ越えると砂浜に出た。足にあたる感触が心地よい。砂浜の先に大きな岩がもりあがるように現れた。中に洞窟ができている。ぽっかり口をあけて、カイを招いていた。
「ようし、はいってみよう」
 だが、暗闇の洞窟だ。もどろうとしたときに遠くに目の玉のような白いものがみえる。そろりそろりと歩くうちに、白い目の玉がおおきくなる。目の玉の四方に明るいひかりがもれる。
「むこうへでられるんだ!」
 カイはまがたきを五,六回するほどの時間で、洞窟を通り抜けてしまった。
 わっと視界がひろがった。
「あっ」
 カイはたちつくした。
 吐く息があぶくになってふくふくと舞い上がり、しゃぼん玉になってきえていく……。
 外はみわたすかぎりの草原。カイの友だちたちが馬のけいこをしている草原とそっくりだ。だがどこにも馬に乗って駆けるともだちはいない。
「どうしたのかなあ? おれの村じゃないのかな?」
 はるかかなたから、二頭の馬が駆けてきた。ごま粒のようにみえた姿がみるみるうちに大きくなって、カイに近づいた。
 一頭には、りっぱな一本角の男の鬼がのっている。もう一頭は少し小さい馬が誰ものせないでやってきた。
 大きな馬の背から、男鬼がおみろして言った。
「君、どうしたんだ。道に迷ったのかい」
カイはあわてて首をふった。
「びっくりしてるんだ」
「どうして?」
「こんなところにおれの村があったから」
「ほう、おまえの村はどこだっていうんだ?」
「ここがぜーんぶ、おれの村だよ」
 カイは腕をのばして、大きく弧を描いた。
「それじゃ、わたしのほうが迷ってきたのかな?」
 馬のたてがみをそろりとなでると、男の人は言った。
「君の村を走ってもいいかい」
「いいよ」
 もう一頭の馬のほうにあごをむけ、
「君ものんなよ」
「けど……。おれ……とおさんと一緒にのりたかったから……」
「ハハハ、それは無理だな。おまえのとおさんは海にいってもどってこないんだろ?」
 カイは胸が急に苦しくなって、いやなことを思い出させる男をにらんだ。こわい顔のカイに、
「いいかい、君。馬は丘じゃない、岩じゃない。よおく見てごらん。笑っているだろ。君にのってもらいたくって笑っているんだ」
 それから、たづなをもどし、男はとびおりると、またゆっくり、馬にのった。もういちどおりると、
「みていてやるから、乗ってみな」
 横の馬がカイに背中をみせた。馬は高い丘でも岩でもなかった。足をむこうにまわし首についたたづなを持った。
「そうら、少しも恐くは無いだろう」
「うん」
 カイは返事をしてから、どうして今まで馬の背に乗るのがいやだったのか不思議におもえた。
「そうか、そうか! 君はこのわたしと乗るまで、待っていてくれたのだな」
 上機嫌で言うと、
「たづなをはなさないようにな」
と叫んだ。
 ふたりを乗せた馬は草原を風のように走った。
 ちょっとゆるやかな歩きになった時、カイは聞いてみた。
「おじさん、迷子なんだろ。もう家にかえらないといけないよ」
「わたしの村はここだよ」
 あたりをみわたしす。カイの村にそっくりだった。どこまでも続く草原。ところどころに掘っ立て小屋が建ち、近くに何本かの木が植わっている。全く同じ村の風景をみて、カイは、
「ここはぼくの村だよ」
と言い切った。
「よくにているけれど、ちょっとちがうんだな」
「ええ?」
「ほうら、よおく目をこらしてみてごらん」 
 男の指さす方向に、カイは首をまわした。
「あ!」
 目の前を動いているのは魚たちではないか。黄色い魚が男の角張った肩をこえていく。やもじゃもじゃの毛や一本角のまわりを青色の魚の群がとおりすぎた。
「わっ」
 肩のうちそから今度は丸いふとった魚が顔をだす。
「おいおい、これぐらいでおどろいていたら、馬からおっこちるぞ」
 青や黄やコバルト色の魚、大きいのやちいさいものがゆうゆうと泳いでいく。身体をくねらすたびに、おなかが銀色にひかった。
「ほんとだ。おれの村にはこんなのいない」
「そうだろう、いないだろう、ははは」
といって、男はわらった。わらった口の中に小指ほどの魚がまよいこんだ。
「わ、これは失敬!」
 男が息をはきだし、小魚もとびでた。 カイの目の前が銀色になる。同じ種類の魚が何千、何万とぐるーぷを組んで、目の前を移動中だ。
 草原の緑が玉虫色に輝いている。
 銀色の集団がすぎると、あたりはゆっくりと朱色に染まり始めた。海の草原に夕焼けがはじまったのだ。
「あ、夕暮れまでに帰らないといけないんだ」
 男は洞窟までおくってくれた。
「ぼうや、いいかい。もうきてはだめだよ。ぼうやはしっかり馬にのれるようになったんだからな。競馬にもでるんだぞ」
 カイはしっかりとうなずいた。

 もとの岩場に、かあさんが夕焼けの海をみて、たっていた。
「とうさんはこの海にかえったの」
 カイははっとした。
―あの人はとうさんだ! あんなにおれのことを知っていたんだから、とうさんにちがいない。
 カイはかあさんと同じように、海をかなとをみつめながら言った。
「とうさんにであったよ」
 かあさんはカイの顔をじっとみると、深くうなずいた。カイの身体にとおさんの潮のにおいがしっかりついていたから。
 もどってきたカイは、誰もがもう、とうさんと一緒に乗っていないことに気がついた。 カイも秋の競馬大会に出場する。まだまだ上手ではないけれど、いつかきっととうさんのように名騎手になってみたいと思う。

カイは馬に乗って駆け回っているとき、ときどき潮のにおいをかぐ。とうさんと一緒にいるようで、歩をゆるめる。