『赤土』      
                       
   畑中 弘子


 第二部    糸 遊 (いとゆう)

 第九章  おだやかな日々の学び

 当帰(とうき)の先達(せrんだつ)で、なりわいの業の学びはつづいた。「月の芽」芋の収穫がおわり、どんよりとした曇り空の日が多くなる。草原が雪でおおわれ、魔弥たちは窟の中での生活が多くなる。やがて山菜とり場につばきの花がさきはじめ、なまあたたかい風がふき、原には緑の草が息をふきかえす。季節はくりかえされていった。
 妖山のきりたった嶺嶺にも雪どけの季節がやってきた。だが最高峰「美隠しの嶺」ばかりはかたくなに厚い雲でおおわれ、先端をかくしている。蜘楠蛛(くくも)の民はもう雲にかくれた形でしか妖山を思い浮かべることができなかった。
 魔弥たちはまた窟の外での学びが多くなった。
 魔弥はなりわいの業を一生懸命に学んだ。
 その間、あのおそろしい音や悪夢に悩むことはない。「秋入り」前後の出来事がまるでうそかまぼろしであったように思えてくる。ただそうでないこととして、赤土が魔弥の肩についていた。染料で色づけされた模様のように、いつも右肩の衣の上にのっていた。衣をかえると、また新しい衣にくっついている。だが、いつもねむっているふうだ。のっているという重さやぬくもりさえも感じない。
「ああ、何もおこらないんだ。やみくもに恐れていただけだった。わたしの取り越し苦労だったのだ」
 
 魔弥の毎日はおだやかにくれていく。
 なりわいの業は学べば学ぶほどに、やりたいこと、見たいこと、教えてもらいたいことが増えていった。  
 朝、窟のなかにほっとひかりがもれるとき、そのひかりにむかってとびおきる。
 食堂の蛍粉が外からの日の光といっしょになってかがやいた。
 明るい今日の光に、魔弥の心は期待でいっぱいになる。これからはじまる一日はどのようになるのだろう。昨日よりもっと楽しくうきうきすることがおこるにちがいない。
 口からでることばが歌になった。
「 太陰(たいいん)さまー、
  ありがとうー、
  魔弥はげんき、げんき、げんきー」
 温水で顔を洗うと、
「 あったかい水、
  ありがとうー、
  魔弥はげんき、げんき、げんきー  」
 そして、食堂へむかう。あさげのなりわいの業のはじまりだ。このごろ、じじさまから汁のつくりかたを学んでいる。魔弥ははじめ、じじさまにおそわらなくてもわかっているといってつくってみた。が、大失敗だった。からくて食べられない。具はたくさんでも、塩はほんのひとつまみでないといけないのだ。
 きのうは今日のあさげのために竜菊たちと山菜とりにいった。
 わらび、ぜんまい、うど、山ふきと、かごいっぱいに収穫してきた。山ふきとうどは塩漬けにし、ぜんまいとわらびは温川に浸して、あく抜きをしている。きのうのうちにわらびとぜんまいを少しひきあげてきた。当帰がはまぐりをもってきてくれたので、それをだしにする。
「じじさま、わたし、今日はぜったいにおいしい汁をつくりますよ」
 だがそういうわけにはいかなかった。こんどは味がうすくて、なにかものたりない。
「まちがいなど絶対にないはずよ」
 じじさまのいうとおりに一生懸命つくったのだから。
「あとは魔弥の心だな。おいしくなれ、おいしくなれって、心に思うんだな」
「え、おいしくなれーって心に思うの。それって、じじさま、呪文だったりして」
「ハハハ、そうだな。なりわいの呪文ってとこかな」
 なりわいを学ぶために呪文をかけるということなど、魔弥はきいたことがなかった。なりわいの業は決して呪文やまじないや迷信にまどわされないこと。先達のいうことをまっすぐにきく。まっすぐにまねることが一番の近道だと、強く教えられた。
 魔弥は思い出していう。
「じじさま。じじさまの心をまっすぐまねてみせますからね」
 王爪(おうが)が目をほそめ、白い豊かな眉毛をなでた。
 おそくなったあさげをすまし、魔弥は外にとびだす。
 今日も竜胆と竜菊や他の仲間たちといっしょに当帰からなりわいの業をおしえてもらうのだ。
 もやが石台からクリ・クルミ林にかけてかかっていた。そのほうこうからこちらにやってくるふたつの人影があった。
 蜘楠蛛の国では朝にかかるもやは歓迎され、なぜか午後にかかるもやはいみきらわれる。魔弥はふとはじめてなりわいの業の学びででかけた日のことを思い出した。クリわりの仕事がまだまだ残っていたというのに、もやがでて中止になった。午後に出るもやを糸遊という。だが糸遊がかかるから、草の原の草はいつもいきいきとしているというではないか。どうして糸遊が忌み嫌われるのだろう。
 魔弥にはわからないことがいっぱいだった。
 もやのなかから竜胆と竜菊があらわれた。魔弥をみつけて、走ってくる。
 息をはずませながら、竜菊がいった。
「ねえ、まったあ? 」
「ぜーんぜん。あれ、おばさまは?」
「きませんよ。三人でね、このかごいっぱいの山菜をつむと今日の学びは終わり!」
「おばさまはどうされたの?」
 竜胆がすっかり大人の声で、
「おやじの具合が悪くなったんだ」
 竜菊が、
「二、三日もしたら、また元気になると思う。ね、それより、摘みおわったら、もの人たちをよばない?」
 魔弥はその場にとびあがった。
「ええ! いっしょに遊ぶってこと?」
 魔弥にとってはずっとあこがれていたことだった。だがもの人たちは勝手にやってくるが、こちらからよぶということはできないと思いこんでいた。
「そうだよ」
と、魔弥。
「どうしてもの人たちに声をかけるの?」
「おれにまかしてくれ!」
 竜胆が分厚い胸をどんとたたいた。竜菊がにまにまと意味ありげな顔でわらった。
 三人は急いで山菜とり場まで行く。なんといってもわらびが一番とりやすい。あとの処理も簡単だ。温川であくをぬいて、太陽か太陰にあてればいいのだ。太陰では日数がかかるが、太陽なら短くてすむ。岩の上だとたったの二日で乾燥わらびのできあがりだ。
「岩にならべようね。楽だもの」
「でも雨がふりだしらどうする?」
「いつだったか、夕立で全部の山菜をだめにしたことがあったって、かあさんがいってたよ」
「ま、どっちにしてもはやく、とってしまいましょう」
「そ、はやくはやく」
  わらびにはわらびのなりわいの場があるという。月や日のよく当たる場所でしだの葉がしげるところ。竜菊はとおくからでもみつけることができた。竜菊のおかげであっというまに、かごはわらびとぜんまいでいっぱいになった。
 魔弥はうれしくてたまらない。かごを近くの木の下にならべながら、
「ルールルー、ルー
 ルールルー、ルー」
 自然にはなうたをうたっていた。 
 
 それから、魔弥にとってはじめての経験がまっていた。
 竜胆が近くの雑草をぴゅっとつまむ。卵形をした薄い葉だった。
「もの人たちをよぶからな」
といって、口にあてた。
 ヒュー、
 ヒュルルルー
 ヒュー、
 ヒュルルルー
 魔弥の鼻歌のような陽気な曲がながれる。
「わああ! 竜胆、どうしてそんなにことができるの?」
 魔弥が驚きの目で竜胆をみていると、こんどは竜菊が低い木の枝から葉を一枚もぎとる。くるくるとまるめて、口にあてた。
 ピイイイイイー、
 ピルルルルー
 ピイイイイイー、
 ピルルルルー
 澄んだ音が単調な曲になって森の中にきえていった。
 この笛の音が気にいったもの人はイユルの森をで、浅い森をぬけて、きっとここまでやってくるのだという。
「わあ、すごーい!」
 だがもの人はあらわれなかった。
 魔弥はもの人がやってこなくてもいっこうにかまわなかった。草が音をだすことに、魔弥の心はうきうきしている。
「わたしにも教えて、教えて」
  魔弥は草笛を習った。
 葉をそのままに使ってならす方法とまるく筒状にしてならす方法がある。どちらかというと女はまるくして、ふくことを好むようだった。魔弥はあっというまに竜胆と竜菊の草笛をまねることができた。
 魔弥のふく笛の音はやさしかった。おだやかな川の流れのようにしずかだった。人の心をいやす調べが流れていく。竜胆と竜菊は感心したように、魔弥の吹く草笛にききいった。
 森の中が急にさわがしくなった。  
もの人たちが出てきたのだ。何人も、何人も、魔弥のまわりをかこんできいていた。
 もの人たちは魔弥たち、蜘楠蛛の民にはまねのできない特技をもっていた。 
 力持ち、石あて名人、宙返り、はては空中を飛んだり、川底深くもぐったりできる。そんな能力をもっているからこそ、腕が大木のようだったり、首がのびたり、目がみっつだったり、魔弥たちの外形とちがうところがあった。
 草笛はもの人を呼ぶときにつかうのだということを、この日、魔弥ははじめて知った。三人はゆうぐれちかくまで、もの人たちと遊んだ。かくれんぼや草とびやかけっこやすもう。蜘楠蛛の一人前のものたちも、もの人と一緒だとこどもにもどって遊んでしまう。
 
  ゆうげのとき、魔弥は目をかがやかせて草笛のことを王爪につたえた。
「ほう、たくさんのもの人がやってきたのか。きっととても上手にふいたのだろうな。こんどきかせてもろおうかな」
「じじさまもきっと草笛を上手に吹くのでしょう」
 ふうと大きく息をすると、王爪はいった。「そうだよ。だが、わしも少し年をとってしまった。魔弥ほどにうまく吹けなくなった気がするよ」
 魔弥にとって、王爪はいつも背筋をしゃんと延ばし、威厳に満ちた妖の術者、蜘楠蛛の総長(そうおさ)であった。弱気ともとれる王爪の言葉を、魔弥はふしぎな気持ちできいていた。
 
 草原には蝶が舞い、蜂が飛び、毛虫がはう。かえるやかたつむりもみんなの遊び相手になった。
 魔弥の毎日はますますいそがしくにぎやかにすぎていく。
 春真っ盛り、竜胆が熊ん蜂に額をさされた。顔中がおでこになって、二日間外へでてこなかったという事件があったが、それ以外は楽しくて有意義な、なりわいの業の学びが順調にすすんでいった。
 食べられる植物はどれか、どの草が薬になるとか、栄養が高いとか、毒をもっているとかを学んだ。どうしておけば、おいしく食べられるか、保存をきかすことができるかもなりわいの勉強のひとつだ。
 林や浅い森では道に迷うことがないから、歌をうたったりおしゃべりしたりして歩く。 深い森やイユルの森となると、それなりの礼儀をもって森の中を歩かねばならなかった。
 次から次へとなりわいの業の学びはでてきた。
 ある時、魔弥は当帰にきいてみた。
「おばさま。いちばん難しいなりわいの業は何なのでしょう?」
「そうねえ。みんなといっしょに遊ぶことかしら」
 魔弥は目をまるくする。
「まあ! わたしは一番難しい業が一番大好きです」
  魔弥は心おどらせ、また業にはげんだ。どんどん日常が快適になり、おだやかな日々がつづいた。
 
 蜘楠蛛の国は日々おだやかにすぎていく。
 魔弥はいつも夢や希望にあふれていた。何をしても、だれもがうれしそうに魔弥をみつめ、うなずき、ほほえみかけてくる。自分こそが中心の世界だった。
 たくさんのことをおぼえ、たくさんの経験をしていく充実した日々の中では、遠い昔にきいた、あのおそろしい音「ウドドン、カンカン」やそれにともなう映像はまぼろしだった。たとえ、今現れても、恐ろしいなどとは思わないだろうと、魔弥は考えた。その証拠に、今もなお魔弥の右肩にぺったりとくっついている赤土のことをすっかり忘れている。
 山菜取りの春のなりわいも一段落し、月の川にイワナやヤマベ、沢ガニをとりにでかける夏のなりわいの季節がやってきた。
 山菜とり場の北のはしから五、六分、森へ入ると、浅瀬の川岸にでる。そこが魚とり場だ。魚や貝のとりかた、食べ方、食べたあとのかたづけなども大事ななりわいの業だった。ときには半月州へわたっての月見をしたり、泳いだりすることもあった。
 指導者は当帰ではなく、「ニョロウ小国」からきた若者、小豆(しょうず)にかわっていた。というのも、魚とり場を東にいくと、「ニョロウ小国」だった。
 小豆ははなぜか魔弥をみると、自分たちの小国をみにこないかと誘った。だが、魔弥には自分の住んでいる、この「オニ小国」でさえ、知らないことが多いのだ。他の土地へいってみる気にはなれなかったので、全く関心をよせなかった。
 「オニ小国」が、蜘楠蛛国の範をみせている最も大きな理由がふたつある。ひとつはイユルの森を有していること、その先に妖術をきわめるために必ず通らねばならない道、「妖道」があることだった。
 イユルの森へいくには浅い森と深い森をとおる。浅い森と深い森はまったくちがっていた。浅い森には光が森床にまでじゅうぶんあふれ、雨の日でさえも明るい。だが深い森はまるで緑の城壁のようにたちはだかり、中にはいっても、光があたることはない。
 その先にイユルの森があった。蜘楠蛛の大人でさえ、めったにでかけることをしない。
 魔弥は幼い時から、イユルの森で遊んでみたいと思っていた。
 「秋入り」をすましたからといって、すぐにイユルの森へ入るわけにはいかない。山菜やクルミをとるために入る林とはちがう。それなりの覚悟が必要だった。入ったままもどってこられなかった民もいる。
 魔弥はイユルの森に入る日が何時なのか、わくわくしながら待っていた。
 そんな時、魔弥にとって衝撃の事件がおこった。
     つづく