『赤土』      
                       
   畑中 弘子


 第一部    黒い角

 第七章  機具庫
 
「   ヤー、
    もはや夜明けだ
    東が白む
    蜘楠蛛館に
    火がともる
    ヨーイヤ、ヨー  」
 祝詞(のりと)のなかに、男たちの低い声がまじる。
 白いもやのかたまりが闇の中にあらわれた。白色が黄土色へ、黄土色からだいだい色にかわっていった。色の変化と同じように、もやがひとつの形をつくっていく。闇がぐるりをつつんでいるので、いっそう輪郭がはっきりしてきた。
「石台?」
 はっとしてつぶやく。
 炎をあげている石台だ。
「石台がもえている?」
 魔弥は足をはやめた。もっと近くへ行くと、きっとその正体をみることができるにちがいない。
 だいだい色が朱色にかわった。
 と、同時に、はげしい風が魔弥の足下をおそう。
 ビューン、ビューン、ビュウー!
「ひゃあ!」
 その場にしりもちをついて、目を閉じた。
 目を閉じたのはいっしゅんのことだった。だが次のしゅんかん、そこには信じられない光景があらわれたのだ。
 土でかためられた大きな箱の中から炎があがっていた。箱の大きさや形はたしかに石台と同じだ。だが石台は白く、炎などあげていない。目の前にある箱は土色で、真上に高々と炎を舞いあげていた。
 真っ赤な炎は天にむかってたち、めらめらと燃える。生きた巨大な舌だ。舌は天の何を食らおうとしているのだろうか。ますますいきおいをまして四方八方にひろがった。
 その異様な動きと色に、魔弥はあっけにとられる。ことばもでない。うっと息を呑む。
 たちつくしている魔弥の耳に歌声がゆっくりとはいってきた。
「 ヨーイヤ、ヨー 
  ヤー、
  ヨーイヤ、ヨー              
 
    ヤー、
    もはや夜明けだ
    東が白む
    蜘楠蛛館に
    火がともる
    ヨーイヤ、ヨー
    ヤー
    ヨーイヤ、ヨー               」
 さきほどのきみょうな歌だ。
 ウゴゴー、ウゴゴー
 ウゴゴー、ウゴゴー
 歌にまけないほどに、炎の燃える音が高くなる。
 炎の音と、歌声の交錯する中、しっかりとした人の声がしてきた。
「魔弥さま、よくお越しくださいました」
 ぎょっとして、声のほうをむく。
「誰なのっ」
 声の主は炎をかこっている土箱のむこうからあらわれた。
「長下(おさした)ともうします。王爪さまから炎の倉をあずかっているものです。あなたが総長(そうおさ)の娘であることもよく存じています。太陰の神は我々を守ってくれていますから、きっとあなたをここへ導いて下さると信じていました」
「長下……」
 背丈は魔弥とおなじぐらいだ。王爪がいつも着ている上衣をはおり、ずきんをかぶっている。衣もずきんももやを一点に集めた色。灰色、鉛色ともちがう。
 炎がぼわっといぶいた。長下の身体がひかる。とっさに、
「あ、この人は銀の衣を着ている」
 ここちのよいやさしいひびきの声で、
「さあ、ご案内いたします。蜘楠蛛の国をささえている宝をごらんいただきたいのです」
 祝詞が遠くになっていく。こちら側の歌がよくきこえるようになった。なんと哀調のおびた、不思議なふしなのだろう。
 魔弥の首が調子をとって、かすかに動いた。
「仕事歌なんですよ」
と、長下がいう。
 炎の石台は一台だけではなかった。どの石台にも数人の男たちがおどりながらうたっていた。身体をゆっくりとくねらせ、ひらりととんだり、足をはねたり、すこしずつ、箱のまわりをまわっている。
「ああして、ずっとずっと炎の倉を守っているのです」
「炎の倉を守る?」
「そうです。もっと近くによってみましょう」
 近づくと、その土箱のまわりには四人の白装束の人達がおどっていた。
「 ヨーイヤ、ヨー 
  ヤー、
  ヨーイヤ、ヨー          」
 妖女(ようめ)の服装のように、すっぽりと頭からかぶる衣を着、白いずきんをかぶっている。
 とつぜん、そろって地面から柄の長い巨大なしゃもじをとりだした。しゃもじのなかには黒い砂がはいっていた。振りかざし、燃えさかる炎に投げ入れる。
 ドドドー、勢いよくおちていく。
 炎がわっとあがった。
  すべてがひとつの踊りのようにリズミカルに作業されていく。
「何をしているのですか?」
 魔弥はつぶやいた。
「黒金(くろがね)をつくっているのです」
 長下がめりはりのある声で答えた。
「黒金?」
「そうです。黒金ができるのです。黒金からたくさんの機具をつくりあげています。蜘楠蛛の民のなりわいがすすみ、ゆたかの実りが約束されるのです」
「まあ、山や川の幸が豊かなのはこの機具のおかげなのですか? 月の目芋だって、この機具があるからなのかしら」
「そうです、そうです。そのとおりなのです。魔弥さま。蜘楠蛛の民がこうして平和にくらしておられるのもこの黒金からつくった機具のおかげなのです」
  黒金の話がはずんだとき、
「さあ、黒金をみていただきましょう。まずは、どうぞこれを頭におかけになってください」
 真っ白な麻布をわたされた。頭や顔をすっぽりかくし、えりまきのように首にまいた。
 さらに奥へすすむ。
 炎の倉が何基も何基もならんでいる。どの倉の前でも同じように男たちがおどり、うたっていた。
 長下はたちどまることも、話しかけることもなくどんどん先にすすんでいく。炎の色がすこしずつ変わってきた。朱色から蛍粉とよく似た青紫にかわり、やがて炎が消えた。
 長下が消えた倉の前にたつと、
「これが黒金なのです」
 倉全体が真っ黒な小さな石台になっている。手をひろげると一面を抱きかかえることができる。
「この倉が黒金……。これから機具をつくるのですか」
 長下は、
「そのとおりです。魔弥さま、どうぞこちらへ」
 魔弥の背丈をこえる高さとその倍もある広さの石の扉に案内された。真ん中には奇妙な顔の彫刻がしてあった。一目見るなり、その顔は長下そのものだとわかった。目も口も鼻もほおもほほえんでいた。
 扉は長下が両手を大きくひろげただけで、静かにあいた。
 一歩、中にはいった魔弥は、これはどこかと似ているなと思う。
「あ、武器庫だ!」
 竜胆と竜菊と貯蔵庫から奧の道へはいってみつけた武器庫に似ていた。ちがうのは中にあるものがちがっていた。
 広い部屋には機具がぎっしりと並んでいた。木をきりたおしたり、窟外のたてものや窟内の家具などをつくるときに使うのみやおの。狩りの時につかう鏃や刀。漁につかう貝わりや突きや矢。一番多く並んでいるのが月の目芋をたがやす鍬と鋤だった。黒い部分が宝石のようにきらきらひかっている。
 長下が、
「おだやかな日がずっとつづくようにとねがっています。魔弥さま。私たちをどうか、おぼえていてください。おだやかなことはすばらしいことなのです」
 魔弥はしっかりとうなずいた。
  長下はまんぞくそうな顔を魔弥にむける。
 
 それは突然のことだった。
 ふたりが機具のならんだ部屋をでようとした時、
「ウドドン カンカン
 ウドドン カンカン  」
 激しい音とともに、
「ああ、魔弥さま
 ああ、魔弥さま」
と叫ぶ声がおしよせてきたのだ。
 長下はあわてて魔弥の前にたちはだかった。魔弥をうしろへかばう。
 声は前方から、近づいてくる。
「長下よー。我々も魔弥さまのこられるのをおまちしていたのだ。さあ、魔弥様をこちらへ」
 その声はどこかできいたことがあった。どすのきいた地鳴りのような低い声。
「あ!」
 魔弥の胸が激しくなる。
「赤土だ」
 魔弥と長下のぐるりを赤土たちがとりかこんだ。背丈は魔弥の腰あたりしかない。衣をきているのだが、色が身体と同じ褐色だったもので、赤土人形のようである。
 さきほどから大きな声をだしている者だけが魔弥の胸ほどの背丈だった。
「われわれも魔弥さまを館に案内したい。いや、どうしてもつれていくのだ。我々とて、多くの黒金をつくって、多くの武器をつくって、準備している。さあ、魔弥さま。ごいっしょに」
 長下は魔弥を後へかくし、
「おまえは王爪様からおゆるしをもらっていないのに、どうしてここへ!」
 赤土は叫ぶ。
「長下よ。あの久仁族の仕打ちをもうわすれたのか! うらみかさなるあの久仁族をやっつけるのが、わが蜘楠蛛大国の願いなのだ! 王爪さまはまちがっておられる。王爪さまにはわれわれの苦しみがわからないのだ」
  長下をおしのけ、魔弥の手をとろうとする。
「あの無念さをわすれたのか! うらみをわすれたというのか! さあ、魔弥さま。あなたはわたしたちの無念をしらなけれがなりません。王爪さまではなく、あなたこそわたしたちの心をわかってくださるお方なのです」
 魔弥の顔は青く、身体がわなわなとふるえる。
 どんどんぶきみな音も近づいてくる。
「 ウドドン カンカン
  ウドドン カンカン       」
 長下の声がする。
「扉の内にもどりなさい。王爪さまがおゆるしになっていません。扉のうちに……」
 魔弥の意識はだんだん、とおのいていった。
 
 ききおぼえのある祝詞がきこえはじめる。 どんどんおおきくなってきた。
「 おおひかりなる
  太陰の神
  慕いまつる御名
  謳いまつる月名
  おおいたまえ       
    なりわいの業
    ようように 
    ようように           」
 
 王爪の大きな杖が魔弥の目にうつった。
「じじさま……」
「おお、気がついたか! ずいぶんと旅をしたもんだ」
「わたしは助かったのですね」
「ああ。おまえはもどってきたのだ」
 王爪はそれだけしかいわなかった。
 「秋入り」儀式はすんだ。
 新成人は多くの人やもの人たちから祝福をうけ、おそくまで祝いの宴がつづいていた。
 
 その夜、ぐっすりねむっていた魔弥は胸にはげしい痛みを感じて目をさます。右手で胸をさすってみた。粘土のようなまるいものがくっついてきた。寝たまま、それをかざしてみる。
「ひー」
 魔弥は悲鳴をあげる。
「おまえは……」
 手からふりはらい、とびおきた。
 ひょうしに目の前の床におちる。
「赤土!」
 たしかにそれは赤土だった。
 手の平にのるほどの小さな赤土がえらそうに仁王立ちをしている。特徴のあるだんご鼻の上にまたまるいこぶがひとつのっかっていた。
 だが次の朝、魔弥はそれが現実だったのか、夢だったのかわからなかった。 
 どこにも赤土はみあたらない。
    つづく