『赤土』      
                       
   畑中 弘子


 第三部    赤 土 よ

 第二十三(最終)章  赤土よ

  魔弥は妖道の出口、大いちょうの下にきた。木の横に妖道の神をまつる祭壇があった。
 前方にひろばがつくられていて、そこから「わああ!」という歓声があがった。魔弥をまっていたものたちの声だ。どどっと魔弥をとりかこんだ。
 大きな丸い鼻と目、ずんぐりとした身体にぴったりの茶色の衣。土人形!手には槍や弓矢をもっている。
「赤土!」
「うおおおおおー」
 山からも谷から押し寄せる地鳴りのような叫び声があがった。
 あたり一面、土人形、いや赤土がかっ歩して、雄叫びをあげている。
 魔弥はおもいがけない歓迎に目を大きく見開き、ことばがでてこない。ただしばらくはなりゆきを見守る。
「あおお!」
「うおおおお」
 魔弥がもどってきたことをよろこんでいるのは確かだった。だが、王爪や当帰や竜胆はこの様子をしらないのだろうか。いや、王爪が知らないはずがない。なぜこのように赤土を野放しにしているのだろうか。
 ふと、魔弥が妖道に入る時にきいた王爪の言葉をおもいだした。
「赤土の扉がゆるんできているのだ。私の力ではもはや限界に近い」
 魔弥はとにかく、このうるさい叫びをしずめようと思う。どれほどの妖の術が身についているかはわからない。
 近くにあった木ぎれをとって杖とした。杖をふりあげ、赤土にむかって叫ぶ。
「しずまれ!」
 ただ一言だった。一瞬にしてあたりは水をうったように静かになる。
「誰か、わたしにことのなりゆきを話しなさい」
 前へでてきたのは、あのなつかしい赤土だ。
いつも魔弥の右肩についていねむっていた赤土であった。大きな鼻の先にこぶがついている。背丈が蜘楠蛛の若者と同じ大きさになっている。その分、鼻のこぶもみやすくなっていた。
「魔弥さま。妖の術の完成、おめでとうございます。うれしゅうございます。私たちはあなたの命令にしたがいたくて、ここに集結いたしました」
 赤土は迫る。
「蜘楠蛛の国のゆく末を判断してください。赤土を用いてくださるか、それとも王爪さまのように長下を重用されるか、どちらかをえらんでいただきたいのです」
 赤土は自信満々だった。
 魔弥は赤土と共に石台のある原にむかった。
 
 魔弥は大イチイの木の下にたった。
「月の目」芋の葉が青々と茂っている。ちいさな白い芋があちこちにのぞいていた。
 原にはまるで「秋入り」祭のように、人々があつまってきていた。
 まんなかに大きなやぐらが組んである。うしろに石台。はるかかなたに妖山が嶺嶺がそびえていた。やはり「美隠しの嶺」はかくれていた。
 カンカン
 カンカン
 鐘の音がたからかに鳴っている。
 ウドドン
 ウドドン
 太鼓の音もなりはじめた。
 招集がかかる。
 原には多くの赤土がいて、誰もが口々に叫んでいた。
「戦うしかないではないか!」
「彼らは武装しているかぎり、せめこむしかないではないか!」
  王爪みずからが大イチイの下にやってくる。
 魔弥はかけよった。
 王爪が、
「よくもどってきた」
と、ゆるやかに両手をさしだす。魔弥は強くだくことさえ遠慮するほどに年老いていた。竜胆が王爪をささえるように立って、にこやかに笑っている。以前よりも背や肩幅が広くなった気がする。
 何歩かおくれて、当帰がやってきた。
 魔弥はかけだした。今までこらえていた感情がいっきにふきだす。うれしさ、なつかしさといった単純なものではなかった。がんばったよ、きちんともどってきたよ、心配おかけしましたね、もの人にも助けてもらいましたよ、ありがとう、ありがとう……。口に出すと、温川の湯の花のようにきえてしまいそうだ。
 魔弥は、
「おばさまー、おばさまー」
 やわらかくおおきな胸に顔をうずめると、なみだが堰を切ってあふれだした。
「よくもどってくれました。蜘楠蛛はみてのとおり、いつ争乱がおこってもおかしくない……。ああ、魔弥。わたしたちの手では赤土をしずめることはできなかった」
 目がすっかり悪くなった王爪が泳ぐような格好で魔弥のもとへやってきた。竜胆が王爪の手をとっている。
「魔弥、王爪さまがお話があるとおっしゃっている」
「はい、じじさま」
 王爪が魔弥にしずかな口調で言った。
「赤土たちを鎮めるわけにはいかないか」
 魔弥は王爪の顔を見て、ほんのり笑みをうかべていった。
「赤土を鎮める? じじさま。私は蜘楠蛛の民をまもらないといけないのです。赤土をしずめてしまえが、誰が戦うのですか? 誰が蜘楠蛛を守るのですか」
「赤土の見せた世界を信じるというのか」
「その他に何があるというのです? あのように卑怯な仕打ちをするものたち。自分の利のために何をするかわかりません。戦うのが一番の守りといえるのではありませんか? あのひんぱんにきこえている音は襲撃間近をおもわせます」
 その間にもまた音がする。
「 ウドドン、カンカン
  ウドドン、カンカン    」
 音がかたときも途絶えることがなくなった。
 蜘楠蛛の若者が目をぎらぎらひからせる。
 魔弥は蜘楠蛛の民の意をいたいほど感じていた。久仁族を撃つことこそが、蜘楠蛛の国を平和にすることとしか考えられなくなっていた。
 若い総長、魔弥もまた民の意と同じだった。久仁族をうちのめすだけのあらゆる準備はととのっている。武器もある。赤土も充分に育った。
 妖の術も完璧に駆使できる。
 魔弥は白馬にのった。これはニョロウ小国の民がたんせいこめて育てあげた駿馬だ。ニョロウ小国の長、厚朴はかつての約束どおり、多くの馬と兵士をつれてはせ参じていた。
 
 馬にのった魔弥はゆっくりと原にむかっておりていった。
 歓声があがる。
「蜘楠蛛、万歳」
「魔弥総長、万歳」
 魔弥は声におされるように窟の石の扉を全部開いた。赤土をひとりのこらず連れ出すためだ。入り口はイユルの森につながっている。
「わああ」
「出番だ」
「出陣だ」
「さあさあ」
「ようよう」
 赤土兵士は深い森の木々をなぎたおし、浅い森の花々をふみつけ、ぞくぞくと原に集まってきた。
 もの人たちもまた地や空や窟から身体をだして奇声をあげる。
 原をうめつくした赤土たちは、
「月の川をこえようぞ。宇の谷をわたろうぞ」
と叫ぶ。
  魔弥は彼らを久仁国への入り口へみちびいた。今まで誰も越えていくことができなかった宇の谷。深い闇の底が不気味によこたわっている。
 魔弥は手をあげ、「糸遊」の呪文を唱える。 
  もやが張った。もやの中にいっぽんの橋がかかった。そのなかを赤土兵たちが行進していく。
 一番のうしろから魔弥と竜胆が宇の谷の橋を越えた。
 全軍は川向こうの森にひそんだ。そこはもう久仁国である。
  魔弥は久仁国をみおろせる高台にたった。
 眼下に、広大な土地がひろかっている。魔弥は自分にいいきかす。
「あの地は我々の祖先、いえじじさまやおじさまたちが住んでいた地。やつらはすべてを奪い取った! 奪い返すのが当然なのだ!」
 強烈な糸遊をはっている今、すぐ近くまできているというに、丘の下の久仁族の兵士たちに騒ぐ様子は全くなかった。
 
 魔弥は初めてみる光景だった。
 黄土色の草が原をうめつくしていた。あれがわれわれからうばいとった稲というものだろう。
 ところどころに広場をつくって、その中に人々が集まっている。
「ウントト カンカン
 ウントトン カンカン  」
 間のぬけた音がする。音にあわせて何かうたっている。女もこどもも大きな口をあけてわらっている。からだをくねらせたり、手拍子をうったり、とんぼがえりをしたり、何がそんなにうれしいのかカラカラとわらう声がまじった。
 今撃って出て行くとしたら、確実に蜘楠蛛の勝利だ。
 魔弥はもっと久仁族のようすをみたくて、さらにしっかりとした糸遊をはった。
 妖の呪文をかけると、魔弥の目は千里眼のように遠くのものもよくみえた。
 無防備そのものの久仁国の日常が魔弥の目に鮮明にうつってきた。
 父や母、子や孫、そのしんせきたちなのだろう、たくさんの久仁族が語らい、笑い、酒をくみかわしている。おどっているものも奏でている者も、みんな目を細め、からだをうごかしている。陽気な雰囲気が熱い熱風のように伝わってくる。
「なかなかおもしろいものだ……」
 だがいつまでも見ているわけにはいかない。
 たたかいのために、魔弥は王爪からひきついた杖をたかだかとあげた。
 その杖がおりるとき、兵士たちはうってでる。 
 だが魔弥は手をおろそうとした瞬間だった。女のひとりがこちらをむいたのだ。千里眼をとじようとした魔弥の目とであってしまった。ほんの一瞬、こちらをむくのがおそかったならば、その女をみることもなかっただろう。
 だが、魔弥はみてしまった。
「あ、あの人は……」
 日だまりの湖で遊んでいた女の人ではないか。
「妖山へのお参りのかえりなのですよ」
 やさしい声までがよみがえってきた。
 魔弥は手をあげたまま、さげることができなくなった。この手をおろしてしまえば、この女の人はどうなるだろう。
  たじろぐ魔弥の目にさらにおもいもかけない姿がうつった。
 楽しむ宴の真中に王爪がいたのだ。
「う! あれはじじさま!」
 どうして、久仁族の中にじじさまがいるのか!
 何と言うこと!
 魔弥は驚嘆した。
 次から次に目に映る光景は蜘楠蛛のなりわいのすがたと同じではないか!
 魔弥がなかなか杖をおろさないので、赤土たちがさわぎだした。
「総長、どうされたのです!」
「今こそ、戦いの時なのです」
「何をまよっておられるのです。うちのめすのは今しかない」
「この期をなくしたら、何時また討つことができるのだ」
「みせかけのあのやさしさに負けてはなりませぬ」
「あの後にはほれ、黒い角をもった兵があんなにもいるではありませんか」
「あの黒い角がせめてきたら、ひとたまりもありません」
 事実、久仁族の兵士が丘の下の国境に集結しはじめていた。
「さあ、戦いにふみきるのです」
 だが魔弥はまよっていた。妖の術の使えない竜胆や他の民や、もちろん赤土にみえるはずがなかったが、千里眼となった魔弥にはしっかりとみえるのだ。
「ああ、厚朴さまも……。赤ちゃんをあやしている竜菊も。横にいるはずの竜胆までもが楽しそうにおどっているではないか!」
 かあさまもとうさまも兄様もわらっていらっしゃる。私さえもうたっている……。
 ただちがうのは、だれもが角をつけていない。
 あやつらは私をだましているのだろうか。もっとすごい術をつかってごまかしているのだろうか?
「 ウイドン、
  ウイドン、
   ドドーン、
  ドドーン!      」
  魔弥の迷いを払拭するように蜘楠蛛の戦いの合図の音がなりひびく。
 魔弥の顔は苦悩でゆがむ。竜胆が叫ぶ。
「魔弥さま。時は今。総長のあなたご自身が蜘楠蛛の将来をお決めになるのです。どうぞご決断を!」
 自分が決めるということは何とつらいことだろう。
 父母や兄、あの数千の赤土たちのうらみをはらしたい。
 だがもし怨みの杖がふりおろされたなら、即座にこちらからすさましい数の槍がとび、矢がはなたれるだろう。
 あの者達はどうなるというのだ!
  幼い日の悪夢がよみがえってきた。
「この私が黒い角の悪魔となるというのか!」
 
「ああ、私には出来ない!」
 
 魔弥はふりおろしす杖の先を赤土に向けた。
 赤土が驚きと困惑で、恐ろしい形相となっる。
「まさか、わたくしどもを……」
 一気におろされたのは赤土にむかってだった。
「何を、何をなさいます!」
「魔弥さま、おやめください!」
「ああ、なんということを」
「私たちはあなたさまの味方なのです」
 魔弥は赤土の声を妖の呪文でおさえた。すこし小さくなったとき、魔弥はすかさず、
「赤土よ! おまえたちに命じる。即座に扉の内にもどりなさい! 」
 赤土が叫ぶ
「ああ、こんなにも多くの怨みを封じこめようとなさるのですか!」
「蜘楠蛛を救うものを!」
「なぜに……」
「ああ、どうして……」
「あなたはきっと後悔なさいます」
 激しい抗議の言葉をはきながら、赤土はだんだん声と身体を小さくしていく。赤い土にもどっていく。
 魔弥は窟の中のそれぞれの石の扉の内におさまるまで、杖の力をゆるめることがなかった。
 魔弥は丘の上にひきあげた。宇の谷をひとっとび。蜘楠蛛の原にもどった。
 原にもどると、王爪が石台の前でまっていた。横にまるでふたごとみまちがう長下がたっている。
 石台の中から、うたがきこえる。
「 ヨーイヤ、ヨー 
  ヨーイヤ、ヨー              
 
    ヤー、
    もはや夜明けだ
    東が白む
    蜘楠蛛館に
    火がともる
    ヨーイヤ、ヨー
    ヤー
    ヨーイヤ、ヨー               」
  やさしくおだやかなうた声である。長下の仲間たちが白装束に身をまとい、おどりながらうたっているのだ。
 それはまたなりわいの日々をたたえる歌でもある。
 
 次の朝、妖山の高嶺をかくしていた厚い雲が解かれた。朝日にかがやく「美隠しの嶺」は黄金の一本角の形をしている。
 王爪が「冬入り」したのはそのすぐあとだった。 
 ( 完 )