『赤土』      
                       
   畑中 弘子


 第三部    赤 土 よ

 第十八章  伝授
 
 魔弥は自分の寝室で目をさました。あたたかい春の星が洞屋(どうや)の天井を飾っている。つい二日前に色をかえたばかりの天空の光が遠い昔の思いをみているようだ。天井のころもがえをどんなにうきうきとした心でやったことだろう。今は何とみじめな自分なのだ。何もかもに、私は敗者ではないか。
 厚朴(こうぼく)のことだけではない。私の国は久仁国(くにこく)によって多くの財や地をうばわれた。父や母や兄の無念さをどうして、じじさまは私につたえなかったのか?
 身体を起こそうとするのだが、だるくて起きあがれない。魔弥には今しないといけないことがあった。
「じじさまに真相をきかなければ……」
 何もはじまらない気がする。
 魔弥が床からおきあがるより先に、当帰(とうき)がはいってきた。盆をもっている。盆の上にはかゆのはいったわんがのっていた。
「魔弥、よくねむったわね」
 うしろから王爪(おうが)が顔をだす。
 当帰が、
「さあ、あったかいうちにめしあがれ」
 そういうと、王爪のほうにむきなおり、しずかな口調でいった。
「私は帰ります。竜菊の荷物の整理ものこっていますので」
「おう、そうだったな。すまなかったね。魔弥のほうはもう大丈夫だ。ありがとう」
 当帰はもういちど、魔弥のほうにむきなおり、黙って魔弥の頬をなでた。やわらかいふんわりとした手だった。
「おばさま、ありがとう」
「うん、うん」とうなずいた当帰の細い目にひかるものがあった。かくすように、当帰はそそくさと魔弥の寝室をあとにする。
 魔弥は起きあがった。
「じじさま。食堂でいただきます」
「ああ」
 丸太椅子の上におかれた盆を、当帰はもった。
 ふたりはいろりの前にすわる。
 王爪も魔弥からの問いを予測していたふうだった。
「いつかは言わないといけないと思っていた。まだ十五年しかたっていない。だが角のない久仁国では百五十年前になる」
 蜘楠蛛の国は肥沃な広大な土地をもち、自然の恵みをうけて、豊かなくらしをしていた。そのうえに、黒金(くろがね)という堅い石をとりだす方法をみつけ、それはまた肥沃な土地をさらに豊かなものにした。
「じじさま。黒金って、武器や機具になるあの黒い石のことですか?」
 王爪は、
「そうだ」
と、いうと、大きなためいきをする。
「久仁国はこのふたつとも、手に入れたかった。豊かな土地と黒金とをじゃ」
 蜘楠蛛の国から貧しい久仁国に毎年たくさんの食料がおくられ、何年も友好関係がつづいていた。少なくとも王爪はそう信じていた。 そしてあの事件が起こる。
 王爪が息子、睡菜葉(すいさいよう)に総長(そうおさ)をゆずって五ヶ月後のことである。久仁族が大軍をひいて、攻め入ってきた。
 何の準備もしていない蜘楠蛛の民は撃たれるままに、妖山の森にはいり、あるものは谷に落ち、あるものは川におぼれ、あるものは、久仁族の兵に殺された。血は川や河原の土を真っ赤にそめた。
 王爪は言う。
「私たちは妖術でかろうじて、逃げおおせた。そしてこうして今、しずかな日をおくっているのだ」
 魔弥はきっと王爪をみすえる。
「じじさま。じじさまは久仁国がにくくないのですか!」
「ああ! にくくないはずがなかろう! 魔弥! その後、何度となく久仁国を襲撃している。が、戦いは戦いをうみだし、うらみの赤土ばかりをふやした! 」
 この時、魔弥ははっきりと知った。
  悪夢とおもっていたことはすべて現実におこったことだった。
 かあさまやとうさまは病気で亡くなったのではない。久仁族の卑怯な襲撃にあって死んだ。かあさまは刀で首をさされ、とうさまは槍で背中をつらぬかれた。真っ赤な血の海の中で息をひきとった。兄さまは馬の足にかかって、とび、頭を打って死んだ。
 どうしようもない怒りが起こる。胸につかえた鉛が身体全部をおおいつくす。重くて、苦しくて、身のおきどころがない。
「ゆるすまい! 久仁族を決してゆるすまいぞ!」
  魔弥はつぶやいていた。
「魔弥、戦いは戦いを生み出す」
というと、王爪は寝室からでていった。
 
 魔弥ははじめて自分から赤土をさがした。というのに、右肩にはりついていない。
「赤土! どこにいるの」
 即座に返事がかえってきた。
「はい! わたしはあなたがよばれるとすぐにやってきます」
 魔弥とまむかうようにして、天井にはりついていた。まるでもの人のようだ。魔弥たち、蜘楠蛛の民には理解できない能力をそなえている。
「赤土! 時がきたら、きっと久仁族を撃つ」
 赤土が、
「うおおお」
と、異様な声をだした。魔弥にはそれはよろこびの声なのだと直感した。
 
 春、竜菊は厚朴のもとへ嫁いでいった。
 竜胆とも以前のように話をすることもなくなった。というのも、魔弥は王爪にかわってしないといけないことがたくさんでてきた。新しく蜘楠蛛の民になったものたちに蛍粉のつくりかたを教えたり、月の目芋の茎や葉や花をとり、乾燥し、薬草に調合したり、相談事をひきうけたり、川の水量を予測し、どれだけの水をせきとめておくかを指示したり、次の芋まきの手順や日をきめたりする。さらに各小国の長への連絡などもある。
 竜菊に女の赤ちゃんがうまれたときいた日、魔弥は原にでた。遠くには咲き出したばかりの月の目芋の花が銀色の星のようにひかっている。太陽のひかりがあたりをあたたかくつつみ、蜘楠蛛の民はしずかななりわいの業をこなしていた。
 そんなおだやかな日々のなかでも、ときどき、ウードド、カンカンという、不気味は音はきこえた。
 蜘楠蛛の民はささやきあった。
「赤土が窟の中からでてきたのをみた」
「イユルの森のほうへいった」
「もう宇の谷を越えたかもしれない」
「宇の谷をわたると、久仁国だからな」
「そうそう、久仁国の兵も宇の谷をていさつしているっていうじゃないか」
「そうさ、ほら、このごろよくきこえるだろ」
「ウドドン、カンカン
 ウドドン、カンカン  」
 
  蒸し暑い日だった。
 魔弥は窟の中、風通りのよい食堂入り口にいながら、めずらしく汗をふいていた。窟の中は季節を問わず、適温がふつうだ。今年はいような暑さといえた。
 妖山から、冬入りの谷をこえ、石台や草原をわたってくる風も熱い。熱い上に、せわしげな蝉の声もまじっていた。
 ジージージージー
 そのさわがしい声にまじって、するどい声がひびく。
「魔弥ーっ、魔弥ーっ」
 浅い森の方角からだ。竜胆の声のような気がして、外へとびだした。
「魔弥ー」
 入り口から左へ五、六十歩もいくと、きのこ群生地へむかう道がある。そのあたりに竜胆と王爪がいた。左手をあげて、合図をしているのが竜胆。右手で王爪をだきかかえている。王爪はささえなれながら、杖をつき、やっと歩いているという感じだ。青白く目の光のとぼしい王爪を、魔弥はこれまでみたことがなかった。
 竜胆はまた叫んだ。
「魔弥ー、湯をたのむー」
 とびこむように食堂にはいると、ゆうげのしたくのなべをおろし、湯鍋をかける。
 王爪たちがもどってきた。
「こちらにおねがいします」
 魔弥は寝室洞屋に案内した。
  その時、はじめて王爪のふとももをみる。
「ひー!」
 魔弥は悲鳴をあげた。王爪のふとももから、血がはげしくながれでていたからだ。
 ふっと気がとおくなる。と、耳のそばできんとひびく声。
「魔弥さま! 早くお湯を!」
 赤土だった。
「しっかりしてください。王爪さまはめったなことで冬入りなどされません! はやく、はやく! ああ、やはり、やはり、私がおそれていたことがおこった。ああ、なんということを、ああ、ああ……」
 赤土が耳元でさけびつづける。
 魔弥は食堂から湯をはこんできた。
 王爪はすでに寝室にねかされ、竜胆が月の目芋の乾燥葉で止血している。まわりをていねいに湯であらい、綿布で包帯をする。
「竜胆! 何があったというのです」
「王爪さまがきのこ群生地でたおれておられたのです。おっしゃるにはいのししにおそわれたと……」
「え? じじさまが」
 魔弥はとっさに顔をくもらせる。
「そんなはずはありません……。いのししごときを妖でたおせないじじさまではないもの」
「わたしもそう思いました」
 竜胆の手は動く。布を熱いお湯につけ、こんどはどろのついた王爪の足をふいていく。それでも王爪は目をあけなかった。細い枝のような足にふと、王爪の老いを感じた魔弥は目をそらした。
「お湯をかえてきます」
「ああ」
 王爪がいびきをかきはじめ、竜胆は一旦帰ることになった。
「王爪さまにもし何かがあれば、赤土を知らせによこしてください」
 赤土が右肩の上でとびはねている。
「竜胆にも赤土がみえるの?」
「なぜか、このごろみえるのです……」
「もしかして、じじさまのように妖が使える?」
「それは無理です。私は太陰の神にえらばれていませんから」
 ふと、厚朴のことばを思い出した。
「いつも太陰の神があなたを守っているのです……」
 太陰の神に選ばれる、選ばれないって、どうしてわかるのだろう。それもまた太陰の神まかせだとういうのだろうか。
 魔弥には自分がみた秋入りの儀式の折やイユルの森での出来事が魔弥だけにみせられたとは思っていなかった。誰もがみるもの、みようとすればみれるものと思っていた。
 だが、ちがうというのだろうか。正に太陰の神に選ばれた者だけが見るまぼろしだったのだろうか。
「魔弥、王爪さまをおねがいする。目をさまされたら、熱いお湯に月の目薬をいれて、のんでもらってください。あとはあつい芋がゆがいいと思います」
「ありがとう、竜胆」
 竜胆は大股で寝室からでていった。
 
 一週間もすると、王爪はもとのようになった。ゆっくりと堂々とした歩き方も、血色のよい顔ももどってきた。魔弥はほっとした。ほっとすると、魔弥は一番しりたかったことを問うてみた。
「じじさま。どうしていのししごときものにこんな目にあわされたですか」
「油断よ。わしも年をとったうえに、油断しておった」
 それ以上の返事をきくことはできなかった。
 だが魔弥には納得のいくものではなかった。
 その夜のことである。
 王爪が魔弥を窟の外へつれだした。太陰は草原の草を大海原の波のようにうつしだしていた。
「月が満ちたということよ」
 王爪はひとりごとのようにつぶやき、魔弥にむかって言った。
「魔弥、わたしの妖の術を渡す時がきた。ただ……」
 王爪は深いため息にをついた。
「ただ、おまえがいやというのなら、それはそれでよい。太陰の神はまた新たに人を選ぶだろう。魔弥が妖の術に何の興味もないのなら、そうはっきりといいなさい」
 魔弥には何のためらいもなかった。今までに何と多くのわからないことがあったことだろう。妖の術を会得して、解決していきたい。久仁国のことをもっと知って、かならずやうらみをはらしてみようではないか。
「じじさま、つつしんでお受けいたします。わたくしに妖の術を教えてください」
  うっすらと汗をにじませた眉間にしわをよせ、
「私のあとをついでくれるというのだな」
「はい」
 魔弥はしっかりとした返事を返した。
 王爪はほっとしたおももちで、
「私についてきなさい」
といった。
 秋入りには一ヶ月も早い。こうこうと照る満月のもと、王爪が案内していった先は石台下の太陰の神本殿だった。
 どのような方法で伝令がとんだのか、本殿前には当帰と他の妖女たちがすでに待っていた。
 さらに各小国の長たちがぞくぞくと集まってきた。
 「ニョロウ小国」の新長、厚朴もいる。魔弥をみるとやさしいまなざしでおじぎをした。頭には淡い青色の角がりんとたっている。今はただなつかしい思いだ。魔弥もほほえんで会釈をする。
 誰もの目が王爪ではなく、魔弥にむけられていた。
 儀式は「秋入り」と同じ順序でおこなわれた。
 王爪が杖をかかげ、魔弥の右肩をうつ。
「討つがよい。
 討つがよい。
 憎しみを槍に、恨みを刀に。
 我は赤土の神なり」
 地の底からひびいてくるおどおどしい調子ののりとが唱和された。まわりを赤土たちが陽気におどっているのが、魔弥にはよくみえた。
 つづいて王爪の杖は魔弥の左肩を打った。
「討つがよい。
 討つがよい。
 哀しみを鍬に、苦しみを鋤に。
 我は長下の神なり」
  同じ長たちの声とは思えないほどにやわらかくやさしい響きが伝わってきた。まわりを長下(おさした)がにこやかにおどっている。
 それから明け方まで、赤土と長下の舞がつづいた。
 赤土は武装した姿で、長下は民の姿をしての舞である。
      つづく