『赤土』      
                       
   畑中 弘子


 第二部    糸 遊 (いとゆう)

 第十一章  「もの人」たちの物語

 大鹿の事件のあとも蜘楠蛛(くくも)の国あげてのなりわいの業はつづいた。女たちは月の目芋を収穫し、男たちは狩りにせいをだした。   
 狩りと収穫の大きな業がおわると、蜘楠蛛の人たちにのんびりとした日常がもどってくる。かけ足でやってくる冬将軍の顔色をうかがいながら、若者たちは野や林をかけまわる。
 しずかに冬を越し、芽吹く春がやってくると、蜘楠蛛の若者にも恋が芽生える。におうように美しくなった竜菊を、魔弥はときめきながらみつめてしまうのだが、自分の恋はまだまだ先のことのように思える。魔弥にはみたいこと、学びたいことがいっぱいなのだ。
 やがて夏になり、魚とり場での貝や魚取り、月の川の中州での泳ぎのけいこなどがすすむ。
 あたりにせみの声も一段とさわがしくなり、あかとんぼのとびかう季節になった。
 あと二ヶ月もすれば「秋入り」の祭りがやったくる。
 
 魔弥たち女子ばかりが浅い森にはいって、ジュズダマ草をみつけ、くびかざりをつくるのに夢中だった。
 「なりわいの業」の先達、当帰が男子といっしょにやってきて、みんなをよびあつめた。 いきなり、
「これからイユルの森へいってみましょう」
 魔弥は驚きとうれしさで胸が痛くなった。ほとんだできあがっていた首飾りを落としてしまい、ジュズダマをばらばらにしてしまったほどだ。
 何度となく森のかなたをみつめ、もの人たちの話をきき、あこがれつづけていた場所だ。
「うれしいこと」
「ひさしぶりだわ」
「でも、ちょっとこわい」
 場所はそんなに遠くはない。浅い森、つまりここから西へのぼっていく。だんだんにに高い木が多くなり、突然岩か塀のように密集しているところとなる。深い森である。
 さらに進んで、太陽や太陰の光を遮断しているところがイユルの森だった。闇の奧にどんな世界があるのか、魔弥はのぞいてみたくてしかたがなかったのだ。
「ひとかたまりになって、すすみます。蛍粉はもっていますか?」
 当帰が闇に入る前に確認した。
 どのあたりから、イユルの森になっているのか全く見当がつかない。ただ誰もが蛍粉の手を大きくひろげ、そろそろと歩くようになっていた。当帰までも歩調をゆるめている。目がなれて、まわりの大きな高い木の幹がみえるようになった。だが歩調のゆるさはかわらない。
 木々のざわめき、不気味さ、うっそうとしたしげみ、何かがひそんでとびかかってきてもわからない。 
 魔弥はもっと速く歩きたかった。どうしてみんなゆっくり歩くのだろうと思う。
 当帰がたちどまった。
「やっぱり木々に印をつけておいたほうがいいでしょう。ここに入るものはきちんと帰ることを考えないといけません」
 魔弥にとってはきみょうな発言だった。
「おばさま、どうして木々に印をつけないといけないのですか」
「もどってこられなくなるでしょう」
「どうしてもどってこられないのでしょう」
「魔弥、あなた、印がなくてももどってこれるというの?」
「風の道をとおればいいのだから……」
 あたりが一瞬しずかになった。
 風が木々の間をぬって吹き、笹や草や木のの葉をゆらしていく。魔弥はその風によって生まれるにおいをかぎわけることができた。ひとつの木にはひとつのかおりしかでない。その草や木や花のにおいをおぼえておけばいいのだ。
 当帰は驚きの声をあげた。
「魔弥は風の道をよめる……。もしや、妖の術……」
 そのひょうしに、右肩にくっついている赤土がきっと目を開いた。あたりのようすをうかがうと、ふたたび目をとじた。
 当帰が、
「たいしたものです。なりわいの業でもここまではなかなか習得できません。魔弥といっしょにいるとめったなことでは迷子にはならない。魔弥、先頭にたっておくれ」
 
 イユルの森にはめずらしい場所がいっぱいだ。
 一番最初の家は森婆。魔弥たちの声をきいた森婆は家からとびでてきた。おどろきようといったらない。
 森婆は身体を家の中においてきて、あわててとりにもどった。
 それからトヨサの座敷、嫁の橋、ほおずきの下、アンド塚、木の流れ、迷い琴などなど。それぞれにひとり、または一組のもの人が住んでいた。彼らの住まいはいろいろだ。わらぶきの家、枯れ草や水たまり、沼や沢の中。橋の下や大木の根っこ、家なしで空中をふらふらしているものもいる。中には御殿とよばれるりっぱな高床住居にすむ者もいた。
 そして、もの人たちは誰もが自分のものがたりをもっていた。魔弥たち蜘楠蛛の民には想像できないものがたりだ。そのものがたりを持っているからこそ、自由でうれしいイユルの森に住むことができるのだと、彼らは言った。
 好奇心旺盛な魔弥たちは物語をききたくてしかたがなかった。
「ねえ、話してよ。どこからきたの? どうして、そんなに首がながくなったの?」
「どうして、そんなにおしゃべりなの?」
「どうして目が三つもついているの?」
 だが誰もがにこにこ笑ってうなずくだけで、話そうとしない。となると、ますます話をききたくなる。
 
 当帰がいっしょにきたのは最初の一日だけだった。
 魔弥たちは自由な時間ができるとイユルの森にはいった。
 イユルの森は窟の内でも、窟の外でもない、ちがった世界をつくっている。
 ある日、ひとしきり、すもうをとったり、かくれんぼをしたり、子どもにもどった遊びをくりかえし、帰ろうとしたときだった。
 切り株の森婆が、
「わしのものがたりはみんなにはおもしろいかのう」なんていいながら、ものがたりだした。魔弥の「秋入り」祭の時、首と胴とをはずしておろおろしていたあのもの人だ。
 森婆のまわりに魔弥や竜胆や竜菊や仲間たちがあつまった。
 魔弥にとって、いや蜘楠蛛の若者たちがはじめて聞く「もの人のものがたり」だった。
 
「なんでイユルにきたかってことをものがたろうね。それはわしの首がこんなにながーく伸びるようになったからだよ。さて、話すとしようか……。あるところにそれは気立てのいい娘がおったのさ。せがまれて、隣村の長男の嫁になった。はじめはよかったけれど、だんだんと姑は嫁にいじわるをはじめた。よくあることさ。実家にもどろうとしても、そのころには実家の弟に嫁をもらい、もうもどっても娘の顔をしておれない状態だ。とうさん、かあさんも理不尽な仕打ちを聞き、娘がかわいそうだとは思った。だが、世間への対面とか、弟夫婦への手前から、もどってこいとはいえない。やむなく、嫁ぎ先の家へ押し返すのさ。『がまんしてくれな。おまえさえ辛抱してくれだら両方の家が助かるからよ』と、かあさんはいつもいう。『嫁になると娘ではなくなるんだ』と。その娘は重い足をひきずってとぼとばと帰るんじゃ。はいったらいけないようになあ、婚家に身をちぢめて、そっとはいっていった。と、嫁の帰ってきたことに気づいて、さらにとげとげしくなったひとびとの顔が囲炉裏の火に照らされる。娘はひざをつき、『申しわけありませんでした。これからは心を入れかえてつとめます。どうか許してください』。姑はこわい顔で冷たくいうんだな。『勝手に出て行き、勝手に帰るなんて、アブかハチみたいだ。そんな嫁はいらないね。どこかまた、とんで行ってくれ』。頼みの夫はだまったまま、火ばしで灰をかきまわしているだけさ。嫁は針のむしろにたえて、何日かはいたが、ついにいびりだされて実家に帰る。このくりかえしが六回も続いてね。七度目に実家を出た娘は山道の桑の枝に帯をかけ、首をつったのさ。ながーいながーい首の森婆はこうしてできあがったというわけさ」
 
 話が終わるとイユルの森の住民、トヨサも嫁子もほおずきもアンドもキジヤも迷い琴も、みんな「うん、うん」とうなずいた。
 魔弥はこのもの人たちに「ものがたって、ものがたって」と気軽にいえない気がしてきた。もの人のもっている特徴や特技はたくさんの哀しみの心がより集まってできている気がしてならない。
 
 その年の「秋入り」祭りもおわった。
 魔弥は十三才になった。
 草原のすすきの穂がすっかりひらいたころ、王爪がひさしぶりに窟外にでていた。
 入り口の岩に椅子をもちだして、太陽に身体をあてている。風はつめたくなっていたが、陽気はまださわやかである。
 二、三人のもの人がうれしそうにやってくる。その姿を、魔弥は食堂をでて、貯蔵庫にむかうところで垣間見た。干し魚二匹、かごに入れてもどってきたが、その時にはもう四、五人のもの人が王爪のまわりにすわっていた。
「あれ、まあ。じじさまがあんなに人気があるとはおもわなかったわ」
 魔弥は干し魚をくしにさし、いろりのまわりにおくとすぐに窟の外へでてきた。
  ちょうどトヨサというもの人が口を開いたところだった。イユルの森で、唯一、岩穴に住んでいる。
「さあ、トヨサ。話してみなさい」
 王爪がうながした。
「ああ、王爪さま。わたしはね、あの暗い土の中、おそろしい墓から生き返ったものなのです。いくら生き返っても、一度は死んでお葬式までしてもらった者。いろんなことを考えると、どうしても家にかえるわけにはいかなくてね。山の奥に住んでいたんです。ほら、あの石台の北のように絶壁があって、なかほどに滝ができていた……。滝の近くにおおきな岩場があって、そこに岩穴をみつけたんです。わたしはそこに住むことにきめました。川の幸、山の幸にめぐまれましてね、なんとか生き延びることができました。そりゃ、何度も村へかえろうと思いましたよ。けど、貧しい家のくらしです。兄に嫁の話もあったものですからね。死んだものが墓からぬけでてきたなんて、気味悪がって、嫁もにげかえるかもしれません。だものでわしは岩穴でくらすことにきめたんです。だんだんなれてくると、滝壺をながめてぼんやりしていることもできるようになりました。ある日、岩に腰をかけ、日向ぼっこをしていたのです。洗い立ての長い髪をていねいにすいたり、まあ、ゆったりしていたんです。その時、狩りにやってきた男がわたしをみつけたのです。面白半分に槍をとばしました。たった一本の槍が私の胸をつらぬきました。ああ、わたしはたおれました。男はあわてて、深い谷底にくだり、岩の上まで上がってきましたが、もうわたしの息はたえてましたさ。私はこんな岩の上で死にたくはなかったなあ。おかあさんやみんなに『ようもどってきた』っていってほしかった」
 話おわると、トヨサは、
「あれ? 王爪様! わたしの髪の毛はどこへいったんで?」
 きいていたみんなはにまにまとわらう。
「トヨサの髪はここへきたときから短かったよ」
「なんで?」
 ひょうきんな顔のトヨサにみんなはどっとわらった。
  誰もトヨサの見事な髪がどこへいったのか、知らない。ただ妖術者の王爪にはわかっているのかもしれなかった。
 
「もうこんなくりごとは話してはいかんかな?」
「木の流れ」に住むキジヤが言った。
「なんの遠慮がいるというのか。ここはイユルの森のある蜘楠蛛だよ」
 王爪に背中をたたかれれ、キジヤはぽつりぽつりと話しはじめた。
「長い長い間、おれらはそれはきれいな木の器をつくってきたのです。こんど持ってきます。土や黒金作りの器とちがって、まろやかなあたたかみがあるんです。軽く、暑いものを入れてもさ、熱さが木目にすいとられ保温し続けるんです。王爪様、おれらの一族はずっとずっと山で器をつくっていたんです。ずっとずっとですよ。わけがありましてねえ。どうんわけがあるか、ききたいでしょう。きいておどろかないでくださいよ。ええ、太陰の神様じゃないのですがね。おれらの祖先はその窟の外にかがやく太陽神なのです。太陽神につながる王だったんですよ。ところが王の繁栄をやっかむものがいて、そやつが王を殺してしまった。子どもは忠臣に守られて、山ににげたわけです。その子孫がわれわれ『木の流れ』なのです。ああ、話をすると、身体がしゃんとしてきます。またいつか王にもどらないといけませんからね。ああ背筋をちゃんとしないと……」
 背筋がそりかえって、まるで人間の太鼓橋になった。彼の得意技は身体が太鼓橋になることである。
 いつのまにか集まってきた「迷い琴」「妖の滝」「天の浴衣」「地獄谷」といった名前のもの人たちがやんやの拍手喝采を送る。彼らもまたそれぞれに技をもち、ものがたりをもっているという。 
 
 それからも蜘楠蛛の国はおだやかに暮れていった。
        つづく