六章(せき)(へん)の地

     

 真菜はたちあがり、両手でこぶしをにぎる。宮山をみあげると、黒い影はもうきえていた。あたりは真昼の明るさにもどった。宮山の峰は美しい流線をみせて南へ流れ、今通ってきた山、加茂連山へとつづいていた。
 真菜は胸が痛くなった。魔族が世を支配するとき、あのおだやかな峰峰に黒い集団があらわれ、戦いへと駆り立てていく。なんとしても魔族の進撃をくいとめなければならない。大巫女の射るような目に、しっかりとうなずくと、
「大巫女。急ごう」
と言った。
 と、その時だった。久士のかん高い声があたりにひびく。
「あれは何だあ!」
 天空の一角に小さな黒雲がみえる。そこから細長い奇怪な生きものが飛び出していた。
 遠士がさけぶ。
小竜(こりゅう)だ」
 近づくにつれて、姿がはっきりとしてきた。あけた口から、するどい牙がみえる。目は丸くて赤い。小竜は民家の屋根をこわし、地面に穴をあけ、あばれはじめた。久士が小竜にたちむかっていく。
 真菜が剣をぬくと、ひとりの久士が叫んだ。
「こやつらはわれらにおまかせくだされ。あなたの戦う相手ではない!」
 遠士が荒々しい声を出す。
「小竜を出している魔龍こそ、あなたの戦う相手!」
 真菜は剣をたかくあげると、小竜の現れてくる天空をみあげた。一塊の黒雲から、次から次へと小竜がとびでていた。久士や遠士が迎えうつ。やがて地上だけでなく空中にとびあがり、戦いがくりひろげられた。
 大巫女は真菜の横に立つと天をみあげ、若者のように杖をふりあげて言った。
「魔族の長よ。姿をみせよ!」
 真菜の額から汗がにじみ顔はゆがんでくる。唇はきつくむすばれ、目はまばたきもなく、小竜の生まれる一点をみつめた。塊になった黒雲が宮山の真上、青い空をかくし市を闇につつんでいく。
 真菜はこの闇をつくる正体をあぶりださないといけない。小竜を際限なく送り出す魔龍の正体をみきわめないといけないと思った。
 黒雲に剣をかざし、胸の鏡をむける。胸からわきたつように、真菜の口に呪文がのぼった。
「 シャー カンデー キイワー イへー
  シャー カンデー キイワー イへー」
 はじめて魔族の化身、大蛇と戦った時、真菜をたすけた呪文だ。
 呪文の声を大きくすると、黒雲のかたまりが左右にふくらみはじめた。どんどんふくらむ。ふくらんだまま長くのびはじめた。小竜の何十倍いや何百倍もの巨大な黒い龍の形になった。風が地上にまでまきおこる。
 大巫女は倒れまいと必死でたっている。真菜は久士と遠士に命じて、大巫女を岩場にかくした。
 黒雲の龍が息をはき、大きな口をあけた。
「おまえが姫久遠か! わしを撃って大宮へはいることができると思うのか」
 この地鳴りのようにひびく不気味な声をきいたことがあった。
 いい匂いがあたりをおおい、真菜は女の人の膝の上にいた。しあわせな気持ちだった。その時、この声をきいたのだ。
 激しい恐怖がおそう。声は何度もきこえてきた。
「久遠大宮よ。われらと戦え。この地を魔族の大宮としてみせる!」
 真菜はこぶしを再びぎゅっと握った。
「このものこそ魔族の長。わたしの戦う相手だ!」
 ピカッ
 黒雲の中の一カ所がぱっとあかるくなる。と同時に、得体のしれない怪物の顔がうかびあがった。黒光りする二本の角、長いひげ、鋼のようなうろこ、四本の足にはそれぞれ五本の鋭い爪があった。
 息を吐くたびに、細い閃光が走った。久士が、
「魔族の長の化身、魔龍だ!」
と言い、遠士が、
「いよいよ、本性をあらわした!」
とうわずった声をだす。 
 魔龍は大きく息をはく。なまぐさい匂いがあたりをおおう。かっとみひらかれた目は赤黒い。魔龍は身体をくねらせ、こちらにむかって降りてきた。助朗や希代たちを襲った蛇の数十倍もある。真菜の真上でとまる。大きく開けた口の中に、きりたった岩のような牙がみえた。
 真菜はうしろへさがりそうになるのをぐっとふんばった。かかげた剣が肩に重くのしかかる。
「ひるむわけにはいかない」
 戦う相手はこのものだ。
 真菜は大きく息をすい、剣を持つ右手を高く、鏡の入っている胸を天にむけた。
 真菜の姿勢がぴんと伸びる。
「魔族の長、退け!」
「まさしく久遠の娘、姫久遠! おまえを討てば、久遠の大宮はたちあがれまい」
「わたしは負けない」
「あははは。おまえのその小さな身体で、わしを退かせるというのか! あははは」
 真菜の胸のあたりがかっと燃える。目がらんらんとひかりはじめ、身体がどんどん内からふくらんでいく思いだ。耳があつくなり、口が大きくさけはじめ、頭がむずがゆくなった。まるで鹿の角のようなじょうぶな角が二本、枝分かれした大木のようにはえてくる。天をみあげ、両足で地をけった。とたんに、真菜は天にむかってのぼりはじめたのだ。その姿は巨大な白龍であった。
「わたしは大宮を継ぐ者だ。魔龍! おまえを退けよう!」
 白龍の目は輝く碧玉。銀色のうろこが全身をおおい、神々しいまでにかがやいていた。
 魔龍の目は赤。くねらすからだは茶褐色だ。きらりきらりと金色にうろこがひかる。
 白龍も魔龍も同じように鼻がもりあがり、両方の穴からおおきな息がもれる。口からはげしく強い息をはきだし自分の強さをみせつける。
 ふたつの龍は天空でおたがいの息をうかがい、動きをとめていた。
 あたりは黒い雲におおわれ、夜のようだ。
 グワワー
 魔龍が黒雲をつきやぶって、高みにつける。
 ギャアア
 追っていく白龍に、魔龍はくみついた。胴体と胴体のぶつかりあいがつづく。白龍は魔龍の頭を鋭いしっぽで打った。
 カアア!
 炎が魔龍の口からあふれて、白龍のしっぽをやきつくそうとする。すかさずかわした白龍は、鋭い爪で魔龍の首をねらう。首をかわした魔龍は五本の爪をたかだかとあげて、天空で棒立ちになった。白龍もまっすぐにたつと爪をふりあげた。組みつき、また胴体と胴体とのはげしいぶつかり合いになった。
 シュルル、シュウシュウー
 ガアアアー
 音と光と生ぐさい匂いがまわりをうめていく。
 突然、魔龍が動きをとめた。白龍のするどい爪が魔龍の片目をひきさいたからだ。
「うおおおー」
 地鳴りのような声をあげると、魔龍は天空から地上へとまっしぐらに降りていく。
 白龍はそのあとを追った。白龍には魔龍の行き先はわかっている。久遠の大宮のすむ御殿にむかっているのだ。都の西にそびえている高い塔が目印。片目があいている間に、大宮殿にむかうつもりなのだ。
「うおおおー、うわおー、おおおー」
 激しい声をあげながら、片目の龍は大宮殿の方向にとんでいく。 魔龍は大宮殿の白壁をとび、中庭の池にはいった。もうもうと水しぶきをあげて水面を滑走していく。すぐあとを、白龍が巨大な身体をうねらせて追っていった。
 広い池の上に立派な二階建ての建物が建っている。一階は柱だけのふきぬけ。太い赤い柱が何本もならんでいた。まわりに紅葉した木々が錦絵のようにうつっている。
 二階は薄い絹布が柱をおおい、部屋、部屋をかくしている。風をうけるたびにひらひらゆれる。その後ろに木組みの高い塔が見えた。
 二階の建物には回廊がある。長いひさしには大屋根とおなじ瓦がかかっていた。その回廊に黒い影があらわれた。
 黒い鎧甲に身をつつんだ男である。剣をたかだかとあげ、その手が小刻みに揺れている。右の目に大きなほうの葉がはりつけられ、どすぐろい顔半分をかくしていた。左の目はするどく池のほうをみつめていた。
 池に水しぶきがあがる。と、回廊に白い影がたった。もとのすがたになった真菜である。剣を高くあげ、
「魔族よ、退け!」
と叫ぶ。とたんに男が跳んで、ふたたび魔龍となった。白龍となった真菜ははあっけなくしっぽで炎をけし、魔龍の胴を蹴り上げた。鋭い爪が首をひきさく。
「ギュワーー」
 魔龍は池の上をはうように泳ぎ、やがて林の木々をなぎたおして消えていった。
 廊下にはまだもうもうと灰色の煙がたちこめ、きなくさい。
 真菜はもとの姿にもどった。まだ魔龍をうった時の感触が残っていた。はげしい息づかいのまま、真菜は魔龍の去った林をみつめた。風にのって、うなり声がきこえる。
「久遠の娘よ。今は退くが、いつか魔族大宮になってみせる。いつか、きっとー」
 真菜の耳から魔龍の声が遠のいていく。立っているのが苦しい。
 額には血がにじみ、結い上げていた髪がほどけ、首すじにかき傷が生々しく残っていた。衣があちこちひきさかれ、焼けこげた跡があった。
 膝ががくっとゆれると、真菜はそのまま床に倒れ込んだ。

 目をつむると、真菜はかぐわしい匂いがただよってくるのを感じた。この匂いは何だろう? 今目をあければ見ることができるのだ。真菜はまぶたをゆっくりと開いた。
 あたり一面にもやがたちこめている。ゆるゆると溶け始めたもやのなかに青い笹の色がうきでた。
「あ、ここは笹百合の咲く地」
 もやが消え、うつむきかげんに咲く笹百合が現れる。
 真菜は自分は夢をみているのだと思った。みわたすがきりに咲く笹百合。このような地をみたことがない。野上村にいた頃、笹百合をみつけたところはいつも茂みのなかのせまい場所だった。
 笹百合の間をぬって、女の人がこちらにやってくる。起き上がろうとしたが、肩が痛い。右手で肩をおさえ、左手で地面をついて立ち上がる。すぐに膝に激しい痛みをおぼえ、また倒れ込んだ。
 女の人はまるで宙を飛んだ速さで、真菜のもとにかけよった。髪の毛の白さ、衣の白さ、顔や手の白さから、真菜はまるで異世界の人のように思えた。その人は真菜の身体の痛いところをそっとなでていく。
 まわりがまたもやでおおわれはじめる。あっというまに笹百合も白い顔の女の人ももやの中にかくれてしまった。

「姫久遠さま、姫久遠さま」
 耳元で聞き覚えのある声がする。目をあけると、あごの張った日焼けした老女の顔があった。
「あ、大巫女」
 起き上がろうとする真菜に、大巫女が言った。
「さすがは姫久遠! もう傷が癒えています」
 真菜ははっと気がついた。頭も顔も手も足もどこにも痛みがない。それでももしやと思い、そろりと身体をおこしてくる。
 すっくと立つことができた。消えている傷。今出来上がったばかりのように新しい衣。真菜は不思議な気持ちになった。この戦いで、確かに自分で癒やすことができないほどに傷ついた。それなのにどうして?
 大巫女の後ろに、女の人がたっていた。真菜は一瞬にして、自分の身体の回復のわけを知った。この方が力をくださったのだ。もしかしたら……。
 大巫女が声をつまらせる。自分の胸に両手をあてて言った。
「このかたがあなたの母君、久遠大宮さまです」
 久遠大宮は長い衣を床にすりながら、真菜にちかづく。
「ずっと待っていました。あなたがここにもどってくれますことを」
 声はすこしかすれぎみだったが、やさしさにあふれていた。
 すきとおるように白い肌。たかだかとゆいあげられている真っ白い髪。なんと美しく優しさにみちた人なのだろう。胸元にかざられた数珠も衣も裳もすべては白色だった。少しずつ、濃さや薄さや色加減がちがって美しく神々しい。
 真菜はなつかしい気持ちでいっぱいになった。「わたしはこの方の娘なのだ」との思いが胸をつきあげるようにしてでてくる。
 久遠大宮はぼんやり立っている真菜をだきかかえた。いい匂いがした。真菜はこの匂いが笹百合をいとおしくなつかしく大好きに思わせていたのだとはじめて思う。
 久遠大宮は言った。
「わたくしはずいぶん、年をとりました。あなたがここにとどまってくれますね」
 いきなりの言葉だった。だが、言葉をきいたとたん、自分はこの人と共にいなければいけない、いや、この人と共にいたいと思う。久遠大宮にであうまでは、自分の役目がすむと、村へかえるのだ、かあさまやみんなと一緒にくらすものだと信じていたというのに。
 ただどうしても気になることがあった。怪我をしたかあさま、白采女はどうしているだろう。助朗と希代は楽しくしているだろうか? 村の人たちはきちんとくらしをたてているだろうか? 豪氏さまや役久さまたちはどうされているだろう? 都の市はもとのようににぎわっているだろうか?

 それから真菜は久遠大宮にみちびかれて、高宮にのぼる。高宮というのは塔の上につくられた御殿である。真菜が野上村に住んでいたおり、舞をまった部屋とよくにていた。まわりに本御殿と同じように回廊がある。そこから四方をみわたすことができた。
 久遠大宮がゆっくりとした口調で言った。
「あなたの鏡にはあなたのみたいものが写るはずです。東の方向に野上村があります。ごらんなさい」
 いわれるままに、胸から鏡をとりだした。遠士はもうでてこなかった。久士の影もない。
 東のほうに鏡をかざしてみると、しっかりと村が見えた。森や林をこえて、まるで空をとぶ鳥のように、真菜の目には野上村が一望のもとに見えた。近づいてみることも、遠のいてみることもできる。以前とかわりなく、子供達が稲田のうねをかけている。大人達は実った稲を刈っている。
 真菜が以前住んでいた家をみたいと思って、鏡を動かすと、白采女とトクの姿があった。ふたりはせっせと柿の皮むきをしていた。はっとしたように空をみあげる。ふたりの髪がさわさわとゆれる。おやっというふうに、同時に空をみあげる。しばらく目を細めて真っ青な空をみあげていたが、また柿の皮をむきだした。
 真菜は加茂連山をみた。宮山にかけて、どこにも黒い兵士の集団はみられない。横に並んで前進する騎馬隊もみえない。
「あなたが大宮殿に住まう限り、魔族の世界にはなりませぬ」
 大巫女がでっかい鼻をぴくりと動かして言った。それからゆっくりと回廊を西にむかって歩いていく。とすぐに、「わああああー」と大きな声をあげて、真菜たちのところへ駆けもどってきた。
「どうしたのです?」
と、久遠大宮が問う。
 大巫女の目のまわりも頬にも数え切れないほどの皺がよっていたが、目がまるで若者のように輝いていた。両手をひらひらさせると、さっと勢いをつけて西の空をさす。
(せき)(へん)、せきへんです! (みどり)の輪ができています!」
 三人は西の空をみた。澄み切った山の一角に、今正に太陽がしずもうとしていた。その太陽の縁に、美しい碧の輪ができている。
 大巫女のはずんだ声がつづく。
(せき)(へん)は穏やかな世を(あらわ)すといわれています。ああ、わたくしが生きているうちに、こんなにもはっきりとみることができるとは……。ああ、何とうれしいことでしょう」
 大巫女は何度も何度もくりかえした。
 野上村の母、白采女や助朗や希代や仲間たち、豪氏さまや役久さまや村の人たちは今すこやかにくらしているのだ。
 神秘的な輝きをみつめながら、真菜は自分にいいきかす。
「わたしは久遠の娘なのだ。穏やかな世であるように祈り続けよう。いつまでも」

 祈りの宮「大宮殿」がどこにあったのか、今も存在するかなどはわかっていない
                              完