第四章、魔族の(じゃ)

    

 先頭に大巫女が行く。つづいて、真菜。最後を白采女が歩いた。登り道がつづき、真菜の耳に、後からついてくる白采女の荒い息がきこえてくる。後をふりむいた時、白采女のあしもとをうさぎがとつぜん駆け抜けた。
「あ、うさぎ……」
 真菜はたちどまる。希代や助朗や村の子たちと一緒にうさぎをおっかけた日々がよみがえる。
 真菜は、村の誰にも一言の言葉もかけないででてきた。自分が突然いなくなって、どんなにびっくりしているだろう。こんなにあわてて出立しなくてもよかったのではないかと思う。
 大巫女の声がした。
「先を急ごう!」
 ふたたび三人は山道を駆けるように歩いた。
 木々が密集していて、おおいかぶさるように葉がしげっている。真菜の顔に汗がながれ、わきの下にまでにじんできた。一生懸命、大巫女の背中をみて歩く。
 
 右側一帯が石垣となった。大小の石が上手につまれている。右のほうから、とつぜん聞きおぼえのある声がした。
「あれ? 希代だ」
と、真菜はつぶやく。声のするほうに、身体をよじった。干し草の匂いだ。寝転がって遊んだ時の草の匂い、花の匂いが真菜の頭にむせかえるようにせまってきた。
 異様な胸騒ぎに、真菜は背伸びをして、石垣のむこうをみる。上は広場になっていた。真菜の目にうつったのは、広場で遊んでいる村のこどもたちの姿だった。ふたりの男の子が相撲をとっていて、ぐるりを五、六人がかこんで、わいわい言っている。
「わあ、あんなとこで、相撲している。楽しそう!」
 真菜は相撲も得意だった。ときどきは年長の助朗さえもうちまかすことがあった。
 真菜は大きな声でみんなを呼んだ。
「おーい、おーい」
 ところが真菜にとって考えられないことがおこった。
 誰もふりむかないのだ。
 石垣の上で、
「やれー、やれー」
「もっと、押せー」
 組み合っているのは助朗とさらに年上の子だ。ひょろだかい身体で、顔がこちらをむいている。
「のこった、のこった」
 みるみる顔が真っ赤になっていく。こめかみの動く様子まで、真菜の目にはしっかり見える。
「わー」
 歓声があがった。
「助朗の勝ちー」
 真菜の耳にはむこうの声がはっきりと聞こえる。
 思わず、声をあげる。
「おーい、希代ー、助朗ー、おーい、おーい」
 だが誰もこちらをむかなかった。
(ああ、わたしの声は希代や助朗に届かないのだ……)
 身体中に哀しみがはしる。
「さあ、先をいそぎましょう」
 真菜の左肩に、そっと手がのった。じんわりと暖かさが伝わってくる。白采女の手、かあさまの手だ。
 大巫女が手招きをする。
「この先はもう下りになる。さ、いそぐのじゃ」
 うなずいて、真菜が大巫女のあとを追う。自分には自分しかできない役目があるのだ。役目を果たしたらまたもどってこよう、きっとそうしようと、自分にいいきかす。
 そしてほんの数歩歩いたところだった。後で、ききなれない音がした。
 しゅしゅしゅー
 真菜はたちどまり、またうしろをふりかえる。
 石垣に何か奇妙な物体が動いていた。
 しゅしゅしゅー、しゅしゅしゅー
 目をこらしてみると、石と石の間から、厚みのある三角形の頭がでてきた。つり上がった目がこちらをみている。二つの目はうれたほおずきのように赤かった。
 突然大きな口が開かれ、中から細く長い舌がひゅーととびだした。
 しゅしゅーうーうー
 真菜はたちつくす。
 その音が合図のように、同じ三角頭が石と石の間からせりだしてきた。出てきた頭たちのうしろには長い胴体がつづく。ぶきみな灰色に無数の黒い点々がある。くねくねとくねらせた身体は石垣の上に上にとはいあがっていく。(じゃ)の大群だった。
 前を行く大巫女をよぶ。
「蛇、たくさんの蛇がいます」
 大巫女がひきかえしてきた。真菜をかばうようにしてたつと、耳元でささやいた。
「あれは魔族の変化(へんげ)だ。蛇に変化している」
 白采女がおどろきの声をあげた。
「ああ、蛇は何をねらっているのでしょう?」
 とたんに、真菜の顔がこわばる。石垣の上には村のこどもたちが遊んでいる。みんなをねらっているのだ。希代や助朗たちをおそおうとしている! 襲って、自分たちと同じ姿に変えようとしているのではないか? 魔族にしようとしているのではないか?
 頭の中はただひとつのことでいっぱいになった。
「ああ、きっとそうだ。魔族の餌食になったものは魔族になる。蛇によって倒されたものは蛇に変化する」
 希代や助朗たちを魔族の餌食にさせてなるものか!
「魔族の蛇たち! どこへいく!」
 真菜は叫んでいた。
 上にむかっていた蛇たちが動きをとめる。もちあげたかな首が一斉、何かをさがすように石垣の上の一点をみつめた。その先をみて、真菜は言葉をのむ。太くて長い胴体がどくろをまき、真中から人の頭ほどの顔がこちらをむいていたのだ。大蛇(おろち)だった。 
 大蛇がどすぐろい煙の息をはく。
「はあああー」
 煙は一本の線になって、真菜にむかってとんできた。とたんに左手の甲がかっとあつくなる。頭につきさす痛みが走った。甲に赤い線がつき、とたんに血がどっと流れだす。真菜はその手をひとふりすると、すぐに痛みがひき、傷口も消えた。
 大蛇が太い声で叫んだ。
「わしの傷を消すとは! おまえは久遠のもの、いや、姫久遠だな」
 真菜はこの時、自分の力に驚くことはやめようと思った。なにもかもが自分が姫久遠と告げられた時からはじまっている。真菜はぐっと息をのむと、張りのある声で言い切った。
「そうだ! わたしは姫久遠だ。魔族の蛇よ! 村の子たちをおまえに渡すわけにはいかない」
 真菜の右手が腰のさやを持つ。
 ほかの蛇たちの顔がいっせいに真菜のほうをむいた。
「姫久遠だ!」
「子どもなど放っておけ!」
「こやつらを倒すのだ」
 石垣からでてきた蛇はゆうに十匹はこえていた。くねくねと身体をくねらせ、地面におり、こちらに向かってきた。
 真菜は剣をふりあげた。
 とたんに、久士が真菜と同じように剣をふりあげて出てきたのだ。
「おお! 守護(しゅご)()がいるぞ。気をつけろ!」
 蛇たちの動きが激しくなる。
 久士は、真菜の肩から腰から腕から胸から、あらゆる身体の位置からとびでてきた。赤子ほどの上背の久士である。その数は蛇の数にまさっていた。蛇は激しくしっぽをふって、久士たちをよせつけないようにしたが、久士はすきをみて、すばやく石垣に近づき、蛇の胴体を切っていった。
「ぎゃああ」
「うわわあ」
 悲鳴をあげる蛇たちに、大蛇がげきをとばす。
「ひるむでない。姫久遠を生かしてはならん。われわれの世をつくるために、こやつを消すのだ」
 声はあたりにとどろく。
「今こそ、人間すべてをわれわれの仲間にするのだ。魔力は世界を制する!」
 朗々とうたっているようだ。
「力こそ魔族のほこり
 戦うことこそ魔族のあかし!」 
 大蛇が石垣をとんだ。真菜の目の前にどさっと音を立てて落ちる。大きくあいた口から細い真っ赤な舌をだす。首をあげ、いきなりしっぽが真菜にむかっておりてきた。
 さっと身をかわす真菜。
 ぴしっ!
 しっぽの先が真菜を助けようとした白采女の右足にあたる。
「ううう」
「かあさまー」
 白采女の顔はみるみる青くなっていった。
 大蛇の目が炎のようにひかった。
 じりり、じりりと近寄ってくる大蛇に、真菜はうしろへとさがる。
(ああ、わたしはこの大蛇を退治しなければならない。どうすればいい、どうすれば……)
 おいつめられた真菜の口から、言葉にならない言葉が発せられた。
「 シャー カンデー キイワー イへー
  リィー ノイデー キイワー イへー 」
 はじめは小さく、やがて朗々とあたりにひびきわたった。
 遠い遠い昔にどこかできいた(うた)だった。自分で言葉を言うこともできなかった頃、真菜の耳に強烈にのこっていた節だ。おぼえているはずのない大宮殿できいた言葉が何のまえぶれもなく口からとびだしてきた。
 その言葉をうけて、大蛇は首をはげしくふりはじめた。
「ぐわああー、ぐわあああー、やめろー、やめてくれー」
 のたうちまわりながら石垣へと退く。「姫久遠よー、われらをあなどるでないぞー」と絞るような声を出すと、大蛇は消えた。あれほどいた蛇たちのすがたもない。
 真菜は剣を腰におさめた。と同時に久士もみえなくなった。 石垣のすきまからは青草が顔をだしている。背伸びをすると、石垣のむこうを村のこどもたちが歩いていくのがみえる。何事もなかったように帰っていく。
「希代ー、助朗ー」
 真菜はもう一度だけ呼んでみた。ふりかえることもなく、何の応答もなかった。
 
 その時、大巫女のかん高い声があたりの空気をふるわせた。
「白采女―、しっかりするのです!」
 ふりかえると、白采女がたちあがろうともがいていた。足当てのはずれた、むきだしの足がはれあがっている。
 大巫女は背負っていた袋から、葉にくるまれた薬をとりだした。足に丹念にぬる。はれはそれ以上大きくならなかった。はれている傷口に、真菜はそっと手をおいた。傷口は消え、はれはなくなった。
 大巫女がやさしいまなざしを白采女にむける。 
「あなたの役目はここまでで充分。野上村にもどりなさい」
 ごつごつとした手が白采女の柔らかな手をにぎる。
「わたくしが姫久遠さまと共に大宮殿に入る。久士も遠士もお守りするはずだから、心配はいりません」
 白采女は静かにうなずいた。真菜は白采女に言う。
「かあさま、役目を果たしたら、きっと野上村にもどってきます」
 白采女はきびしい表情になると、
「いえ、あなたは姫久遠さま。久遠大宮となられるお方! さ、早く、お行きなさい。またどんな魔族の襲撃があるかもしれません」
「はい、かあさま」
 真菜の目に白采女の顔がぼやけてみえた。くっと息をのむといっきに言った。
「村の人たちに『ありがとう』とお伝えください。希代や助朗に『毎日とても楽しかった』と言って下さい」
「わかりました。さ、はやく。大巫女さまにおくれますよ」
 あわてて前をむくと、大巫女はもう視野からきえるほど先を歩いていた。飛ぶように、真菜はかけだした。額に汗がふきだす。汗にまじって、涙があふれる。
(かあさまとも村の子たちともお別れなのだ)
 楽しかった日々が脳裏をかすめる。春の菜つみや夏の川あそび、秋には栗とりや稲穂つみ、冬は集会所にあつまって細工づくりをした日々。永遠につづくと思っていた。かあさまはいつもどんな時も一緒だと思っていた。
 真菜はぎゅっと唇をかむ。唇が痛くなって、こんどはきっと歯をかみしめる。こぶしをにぎると、さらに足をはやめた。大巫女の大きな肩が近くなった。
                      つづく