9、サッサからの風
「今日はおもしろかったやろ」
「ああ、おもしろかった」
ガリガリはみやげのうちわで顔をあおぎながらいった。 「あのな、ちいちゃん」
もそもそと口をうごかす。
「どうしたん?」
「ちいちゃん、わし、やっぱりサッサへ引っこすことにしたんだ」
「サッサへ……」
ひんやりとした風が千香子のかわいた口をなでていった。
「あっ、そうか! いい風のふいてるとこやろ」
「そう! サッサにはいつもいい風がふいてるんだったな……」
ガリガリは千香子の手をちょっと強くにぎった。
みあげると、ガリガリの目は千香子の頭の上をとおりこして、かせつの正面入り口を見ていた。深いやみのなかに、ほっ、ほっと、しせつのあかりがみえた。
「なんや、ほたるみたいだね」
「ほんまや」
いきなり千香子はうたいだした。
「 ほーほー、
ほーたるこい
あっちの水はにーがいぞ 」
ガリガリもうたいだした。
「 こっちの水はあーまいぞ
ほーほー、
ほーたるこい 」
うたがとぎれると、千香子は一度きいてみたいとおもっていたことを口にした。
「ね、ガリガリ、ユーちゃんって、わたしににてた?」
ガリガリはたちどまった。
「うう、そうだな」
しばらくしてから、
「ちいちゃんとようにて、ようわらう、ようしゃべる元気な子だった……うたもじょうずだった……」
その先のことを、千香子はきかなかった。もうよくわかっている。きっとその子はじしんの時に死んだのだ。きっとこうしていっしょにうたをうたった子なのだ。
「ガリガリ、さみしいね……」
「ああ……」
ガリガリの返事はそれだけだった。
すぐに千香子の家についた。
千香子は大きく手をふって、
「またね。バイバーイ!」
とせいいっぱい、げんきなこえをだした。
二、三日後、かあさんの仕事休みの日だった。
朝、ガリガリとガリガリによくにた女の人がやってきた。
女の人がかあさんに何度もおじぎをしている。
「父がたいへんお世話になりました」
ガリガリはしんさい前、この人たちと住んでいたという。しんさい後、彼女たちは九州にいき、おちついたのでガリガリをむかえにきたのだ。
かあさんもおじぎをする。
「こどもたちとよく遊んでいただいて、サッサだとかへつれていってもらったそうですよ」
女の人の顔がぱっとあかるくなった。
「ま、サッサですか! おとうさんたらみんなにまでそんなでたらめを! カナダのいいとこどりをしてるんですよ。そういえば、このあたりはちょっとカナダのふんいきがありますね。父はわかいころ、カナダではたらいていましてね、あちこち、ツーリングしてたようです。それに……、むすめの有子とふたりでカナダのすきなところをえらんでりょこうしてるんです。なくなる前の夏……」
それからとぎれとぎれに、
「じっちゃん、じっちゃんって、よく父に……なついていて、あの……、その子がこのしんさいでなくなりましてねえ、小学三年でした」
といって、女の人はないた。
「……」
かあさんの声はきこえない。
千香子のはずんだ声があたりにひびく。ともだちにならった早口ことばをガリガリに教えているところだった。
ガリガリは「できん、できん」と手をふっている。
「そのかわり……、ちいちゃんがきれいっていってた、あのアサガオをあげよう!」
千香子は目をまるくした。
「ええー、あのまほうのアサガオ、あたしに!」
「すぐに花がさきだすからね」
ガリガリは「時間がなくてもってこれなくてごめんよ」とつけくわえた。
「それから」
ボストンバックの前ポケットから小さなかぎをだした。
「これ、にいちゃんにあげてくれ。あいつらがねらってた……、ほれ、ひみつの部屋のかぎだ」
千香子は両手でかぎをうけとった。手の中でピカピカひかっている。
かあさんと話していた人が、
「おとうさん、もういきますよ」
といった。
ガリガリは正面入り口からでていった。外にタクシーがまっていた。
にいちゃんがほんの数分のちがいでかえってきた。
かぎをみるなり、
「やったあ!」
と、大よろこびだ。
「おまえもひみつの部屋へいくか?」
「うん、いく」
いってから、なぜかガリガリの顔が頭にうかぶ。
(ガリガリののったタクシー、もう駅についたかな……)
にいちゃんは圭とタグに電話した。
「さきにいってるぞー」
千香子とにいちゃんは基地にむかった。フェンスをとびこえ、林をかけあがり、かけおりた。基地の中はいつもとかわりなく、木のテーブルが真ん中にあり、そのまわりにかぶのいす、白いカーテンが風にゆれていた。
にいちゃんは一番にひみつの部屋の前にたった。板戸のドアはもってきたかぎですぐにあいた。
ドアのむこうは丸太ばかりでできている。床も囲いも大小さまざまな丸太だ。
先にはいったにいちゃんがはずんだ声をだした。
「ちかこー、目がくらむぞお」
にいちゃんは部屋のつきでた場所にいた。すき間から見える真下は深い谷だ。白い色のがけにへばりついている。つたやささや木までもはえている。はるか下に青い水がひかっていた。にいちゃんは口では「おっそろし」とか「デンジャラス」とかさけんでいるが、少しもこわそうでない。
部屋の広さは基地の半分ぐらいだ。まんなかにみかん箱大の木箱が一こおいてあった。
そのときうしろで、圭とタグのにぎやかなこえがした。
「おまたせえ」
「ほんまに部屋があいてるぞー」
四人は木箱をこちらのへやへひきずってきた。
「この箱の中になにがはいってるんやろ」
「あけてみようや」
「ガリガリのもんやろ」
「けど、かぎをくれたってことは、これもおれらにくれたことや」
と、にいちゃんがじしんたっぷりにいった。
木の箱のふたはぐるりをくぎでうちつけてあった。四人はガリガリがつかっていたリュックから工具箱をさがしだした。てこやかなづちで板をつつきまわり、釘をはずした。
ふたがあいた。
「わおお」
「すっげえ」
「ヤッホー」
中をのぞいたにいちゃんたちはおおはじゃきだ。
バーベキューにつかった道具一式がでてきたのだ。サッサの旅で、にいちゃんがいちばんほしいとおもっていたものだ。はんごう、かいちゅう電灯(でんとう)、ぬののグローブ、フィールドクッカー、ほうちょうセット、ステンレスのクックウエアセット、マグカップ、それに木炭やホワイトガソリンなどがぎっしりつまっている。
あたりいっぱいにたからものをひろげる。 足のおきばもなくなったとき、タグがぼそっといった。
「ひみつのへやからやったら、海がみえるはずや」
にいちゃんがすぐにはんのうした。せんとうでへやにはいる。タグのいうとおりだった。
四人はからだをくっつけたまま、丸太のゆかの上にすわった。
明石大橋のイルミネーションがチカッ、チカッとひかっている。おきにヨットやふねが、そのさきに淡路島も四国もぼんやりかすんでみえた。海と空が銀色にかがやいている。
にいちゃんがポツンといった。
「おれ、きっとサッサへいくぞ!」
千香子はどきんとした。もうにいちゃんはサッサのことなどわすれている。ガリガリと自分だけのひみつだと思っていたからだ。
圭もタグも、
「おれもいく」
「いく、いく」
といった。
千香子のサッサもにいちゃんたちのサッサも今はどこにあるのかわからない。もしかしたらじしんがおこるところかもしれない。
けれど海からふきあげてくる風をうけて、千香子は思った。
サッサにはとてもいい風がふいているのだ。心をうきうきさせるいい風がいつもふいている。きっとふいているのだ。
「あたしもお、サッサへいくう」
あまえた声をだしながら、千香子はちがうことを考えていた。
(ガリガリはもうサッサについたやろか)
このころ、千香子たちのようにかせつ生活をよぎなくされていた家族は神戸市内で29、178世帯。そのすべてがなくなったのは1999年の12月20日である。しんさいから実に6年もたっていた。
ゆうゆう村はそんなことなどまるでなかったように、今日も颯颯(サツサツ)とした風がふいている。
おわり
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