2、いい風
ガリガリは、にいちゃんがのりこえていったフェンスの方向へ歩きだした。千香子はおいかけて走った。 このフェンスのむこうにいってみたかったのだ。ぞうき林がゆるいこう配で高くなっている。あの丘にあがると海がみえ
るかもしれない。だってあの方向に千香子たちが住んでいた街があるって、かあさんがいっていたもの。 ガリガリはフェンスの上のはりがねを動かす。とたんにフェンスの一区切りがドアになって開いた。 「すごーい!」 千香子がかんしんすると、ガリガリはじっちゃんと同じ目になってわらった。 フェンスをでると、小さなみぞがあった。みぞをこえると、ぞうき林。しいやくぬぎやいちいの木がつづいていた。あしも
とにやぶささがおおいかぶさってくる。だが人が歩いたあとがちゃんとのこっていて、ガリガリはそこをじょうずにたどって
いった。 千香子はガリガリのあとにつづく。 「ガリガリ……やなかった。あの……おじいさん!」 「ガリガリでいいよ。ちいちゃん」 「うん、ガリガリでいいわな。な、ガリガリ! 基地ってな、ちゃんとかこいもあって、ゆかもあって、天じょうもあって、おう
ちみたいなんやって」 「そうだよ。テーブルもまどもあるよ」 「わー、かんじいいなあ」 「そうかい、そうかい。そんなによろこんでくれるんなら、今日のたたかいはぜったいにかたないとな」 「たたかうの?」 「そうさ、てきにふそくはないわ」 てきってにいちゃんたちのこと? と、千香子は自問する。 (それでも、基地にいきたいな) てきというのは悪者たちのことだろ? (けど、基地にいきたいな) つまり、にいちゃんたちが悪者たちってこと? (けど、やっぱり基地にいきたいな) 千香子はガリガリにいった。 「にいちゃんたちを悪者にするん?」 「そういうことだ。あいつらは悪い。ちいちゃんをおいてきぼりにした」 千香子はにいちゃんの悪いところをいっぱい知っている。だけど、にいちゃんだからがまんをしているのだ。 ちょっと考えてみたら、 1、わたしが勉強しようとしても、そばでテレビをやかましくならす。 1、ねてる時、わたしのおなかをけっとばす。 1、部屋にぬいだ服やカバン、ゲームの品をひろげっぱなしにする。 1、人形の『まりちゃん』をブーメランのようにふりまわす。 1、だまって、えん筆やけしごむをつかって、うしなったりする。 1、えらそうにする。 1、いっしょに遊んでくれない。 このさい、千香子はにいちゃんをてきにすることにきめた。 「わたしもせんそうする」 「そうこなくちゃ! このあたりからてき地だからな。ゆだんするでないぞ」 「うん」 「たたかうぞ」 「うん、たたかうぞ」 千香子はガリガリのまじゅつにかかったようにいせいのいい声をだした。 ガリガリがいった。 「ポケット、あるかい」 「うん、ポケット、ある」 千香子は半ズボンの後ろポケットを右手でさすった。
「ぶきをひろっていくからな」 (ブキっててっぽうとか、ええっと……、刀とかのことなんだろうか) 「ぶきをここでひろうの?」 「てっぽうだまがおちてるはずだ」 「てっぽうだまがおちてるの」 「そうさ」 ガリガリは、「この前に拾っておいたんだ」といって、そのひとつを千香子にわたした。 「なんや、どんぐりや」 林はすぐに急な坂にいきあたった。けわしい坂をあがると、平地になった。しめった土のにおいをかきながらすすむ。と
きどき身をかがめては古いどんぐりをひろった。 千香子のポケットはどんぐりのてっぽうだまでふくれあがった。 「そろそろ基地につくな」
ガリガリの声と同時だった。 パチーッ すぐ目の前の木になにかがあたった。青い実だ。 ガリガリが、 「てきもなかなかなもんじゃ。しんへいきをみつけよった」 千香子は自分がほめられている気がして、にこっとした。 「こらっ、はやく木のかげにかくれろ」 どんどんてっぽうのたまがとんできて、みきや木の葉にあたった。 パチッ シュ、シュ、シュー 千香子は用心しながら、木のかげから下をのぞいた。きついこう配だ。間に板のかこいとトタン屋根がかいま見える。 「あれが基地? 小さいな」 「うんにゃ、けっこう、中はひろいもんだ」 ちらちらとにいちゃんや圭やタグのすがたが動いている。 「ちいちゃんはここでじっとしているんだよ」 ガリガリはかろやかな身のこなしで坂をおりていった。 ガリガリのさけび声があたりにこだました。 「基地をあけわたせ。それはおれがつくったのだ」 返事がない。ときおり小鳥のなき声がした。 「いいかあ、がきども。よおく、きけ! ちいちゃんをあずかってるんだぞお」 千香子は自分の名が出たのでびっくりしたが、ますますわくわくしてきた。 にいちゃんが返事をかえしてきた。 「うそつけえ。千香子は家にいる」 「うそと思うのなら、家にかえってしらべてみろ」 三人は何かごそごそと話しあっている。 下からふきあげる風にのって、「あいつ……」とか「屋根の上……」とかきこ
えた。千香子を屋根の上にのこしてきたことを気にしているふうだ。 にいちゃんたちの動きにへんかがあった。かせつ住宅のおもて入り口方向に走っていく。あっさりと基地をあけわたし
たのだ。三つのすがたが木立にきえてしまった 千香子は基地までおりていった。ガリガリはガッツポーズをつくってうれしそうだ。 「ちいちゃんのおかげで、たたかわないでとりかえせたってわけだ。さあ、中にはいってお茶でものもうや」 千香子は、「お茶でものもうや」と口まねをしてから、白い歯をみせてわらった。 「ガリガリって、じっちゃんみたい」 「うん、そうだな、わしにもじっちゃんていってくれる子がいたんだけどな」 それからちょっとだけだまった。ガリガリはおなかをぽんとたたくと、 「はらへったな、ちいちゃん。おいしいスープのもうか。わし、まだお昼たべてないんだ」 ふたりはすだれをくぐって、基地にはいった。二、三じょうぐらいの広さがある。板でかこまれた中に木のテーブルがひ
とつ、木の根っこがひとつ。根っこのむこうにしゃれた白いカーテンがゆれていた。 風がとおりぬけていく。 ガリガリがドアのノブにひっかけてあったリュックサックをおろした。あとにがんじょうそうなじょう前があらわれた。 千香子はどきんとした。 (もしかしたら、にいちゃんのいうひみつの部屋へ行くドアかもしれない……) ガリガリはリュックサックからコップとインスタントスープをとりだした。ポットから湯をそそぎ、あっというまにコーンスー
プができあがった。あせをかきかき、ふたりはスープをすすった。 千香子は学校やいえの人の話を元気に話したが、なかなかひみつの部屋のことをいいだせなかった。 ガリガリはてぎわよく、うつわをかたづけると、 「さ、かえろ。みんな心配するから」 といった。 「ええー、もうかえるの。もっといててもいいで」 ひみつの部屋のことをききたいからではない。こうしてテーブルをかこんで話していると、千香子はなんだか落ち着い
た気分になった。以前にもこんなときがあった気がする。目の前のガリガリはきっとかあさんだったとおもう。テーブルを
はさんでおやつをたべ、ミルクをのんで、おしゃべりをした。今はなかなかそんな時間がない。かあさんはとてもいそがし
いのだ。はく息までいそがしそうで、ときどき千香子は自分のゆっくりした息をどこへはきだしたらいいのか、わからなく
なった。 「わしもここがすきなんだ。ほら、いい風がふいてくるだろ」 「風?」 千香子はあごをつきだした。ガリガリもあごをだす。ごまのひげがおどって、 「そうだよ。いい気持ちだ。ここではいい風がふくんだ……」 「いい風がふくんやね」 「いい風がふくとうれしくなるんだ……」 「うん、うれしくなるんやね」 「わしはいい風のふくところが大すきだ」 「わたしも大すき」 ちょうが千香子の人まねをからかうように、鼻をかすめてとんでいった。 「じゃ、こんどつれていってやろう。サッサへ……。サッサは今もきっといい風がふいてるだろうな」 ガリガリはちょうを目でおいながら、しずかな口調でいった。 千香子たちはかせつ住宅にもどった。 正面入り口のすぐ左手に集会所があった。住宅は南北に一号とうから九号とうへならんでいる。千香子は六号とうの
真ん中に、ガリガリは九号とうの一番おくに住んでいた。 「じゃあな」 ガリガリはそのまままっすぐにかえっていった。千香子は右におれた。千香子の家の前ににいちゃんと圭とタグがたっ
ていた。 千香子は手をふって、大きな声をだした。 「にいちゃんたちの基地、みつけたよお」 三人はかけよってきた。くるなり、めいめいにしゃべりだす。 「おまえ、ガリガリにゆうかいされたとおもうたぞ」 「なあ、ガリガリってどんなやつや」 「こわかったやろ」 千香子は首を横にふった。 「こわくなんかないで。いっしょにスープをのんだんや」 「スープ? おまえ、はらいたおこしてもしらんぞ」 「あの基地はね、風がいいんだって」 「カゼ? なんじゃ」 「いい風がいっぱいふくんや」 「いい風が? おまえ、やっぱあ、いかれてかえってきたんやな。ほらっ、いい風がふいったあ!」 にいちゃんは千香子の頭をたたくと、住宅のうら出入り口のほうに走っていった。あとから圭もタグとついていく。 千香子はおっかけなかった。今日ははやくかあさんがもどってくるのだ。 千香子は家に入った。 それからしばらくは基地にいけなかった。にいちゃんは学校の行事とかさなったからだが、千香子の方はねつがでた
からだ。 かせつにひっこしてきてからはよくねつがでる。 「わるいなあ、千香子。ひとりにさせて」 かあさんはやっぱり仕事に出かけていった。 (つづく)
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