レンジャー帽子

駿(しゅん)がはじめてレンジャーの野球帽を見つけた時、胸がわっとあつくなった。
野球帽と同じ形をしているがちょっと違うのだ。グレーがかった空色帽子。つばの真上に、勇壮なタカの姿の刺?があった。今にも空に飛び立とうとしている。広げた翼の色は金色だった。
「格好いい!」
ほしいほしいと思う。
こんな気分になるのは久しぶりだ。まだ妹が生まれていない頃は何にでも興味がわいて欲しくなった。今は段ボール箱に入って倉庫の奥にしまわれている。奇妙な貝や石ころやボールや紙袋やカードや、車や船のミニチュアや怪獣のフィギアなどなど。思い出すとどうしてあんなに欲しかったのか、どうしてあんなに夢中になったのかわからない。
だが、レンジャー帽子を見た時、一瞬、あの頃に戻った気がした。「一生懸命な気持ち」「ほしくてたまらない気持ち」があふれでてきた。
しつこく頼んで4月の誕生日祝いを前倒しにし、お小遣いも少しへらすことにし、レンジャー帽子を買ってもらった。それから2か月、放課後や家族とどこかへ行く時は必ずかぶっていく。

もうすぐ4年生になる春休みのことだった。
空は青くすみわたり、桜の花びらが勢いよく地面に落ちてくる。ちょっと風があるのも心地よい。駿の心も躍る。
今日は学校のみんなと公園広場で遊ぶことになっていた。仲良しの勇太もくうちゃんも一緒だ。
朝食がすむとすぐに、駿はお気に入りの帽子をかぶって、玄関に向かう。お母さんが追ってきて言った。
「駿、寒くない? その格好!」
 昨日まで着ていた長ズボンを半ズボンにかえたところだ。
「へいき、へいき」
 黒の半ズボンの上はまだ長袖シャツだ。ふわっとした着心地のよいクリーム色のシャツである。
「行ってきまーす」
「お昼にはちゃんと帰ってきてよー。お母さん、未央と出かけるんだから」
「わかってるー」
 家をでると右の方向へ。道を挟んで両側に家が並んでいた。夫々の塀や垣根や玄関口をとおりすぎると、広い道路にでる。横断歩道を渡ると、そのさきが公園になっていた。
向こうの歩道をサッカーボールをもった勇太が歩いていた。
公園の入り口でくうちゃんが手を振っている。
3人はちょうど同じように公園に着いた。
 勇太がサッカーボールをもってきていたので、3人でけりあっていたが、直ぐにあきてしまった。
みんながきたら、もっと面白い何かが出来るはずだ。
勇太が大きな声を出した。
「みんな、おっせえなあ」
そしてちらっと駿の方を向く。駿がちょうど帽子の向きをかえたから、りっぱなタカの刺?が目にはいった。勇太は、
「おまえ、格好ええ帽子かぶってるやん」
と言う。
「レンジャー帽子なんや」
「へえー、レンジャーかあ。ちょっと貸してくれ」
 駿はほんの少しだけ、たじろいだ。貸してあげた大事なおもちゃをうしなったり、よごしたりしたことを思い出したからだ。
―この帽子を汚されたら……、いややなあ……。
その一瞬のすきに、勇太の左手がレンジャー帽子のつばをとった。
突然のことで、駿はびっくりして目を白黒させる。とりもどそうとしたが、その時にはもう帽子は勇太の右手にうつっていた。
「返せよ」
「ちょっとみせてくれてもいいやろ」
 勇太は帽子をひらひらさせながら走り出した。駿が追いつき、もう少しで取り戻される時だった。
「そーれ、空へとんでいけー」
 駿の頭を越えて、帽子が舞い上がった。
「あ」
何ということだ!
翼を広げたタカのレンジャー帽子が空の中に消えてしまった。いや、ベンチの横の花壇を越えて先の歩道に飛んでいった。
「なに、するんやあ」
「タカになってとんでいったわ!」
「こらあ! おまえ、とってこい」
「お前の帽子やろ。おまえがとりにいけばいい」
「ほんま、怒るぞ、勇太!」
「大事な大事なレンジャー帽子、レンジャー帽子、レンジャー帽子」
 はやしたてるような言い方に、駿はかっとする。
「とってこい言うてるやろ!」
駿が勇太をにらみつける。
そばにいたくうちゃんが、「ケンカ、だめだよ! あたし、とってくるよ」と、言った。とたんに、駿はもっといやな気分になった。自分でもわからないが、くうちゃんをにらみつけて言う。
「あかん! 勇太にとってこさすんや!」
駿の勢いにくうちゃんが目を大きく見開いてうなずいた。
駿は言う。
「勇太! はよ、行け!」
 ちょうどその時、約束していた仲間たちが公園にはいってきたのだ。とたんに、勇太はその方向に脱兎のごとく走っていった。くうちゃんも続けて駆けて行ってしまった。
駿がひとり残される。
「なんでやあ! 勇太のあほー。もう遊ばん!」
駿はみんなとは反対の公園の入り口へ向かう。顔がかっとかっか、赤くなってくる。横断歩道を渡ると、家に続く歩道を走るように歩いた。手を後ろにして口をとがらしてどんどん歩いた。もうすぐ、駿の家につく所まで着て、駿ははっと気がついた。
---帽子、どうなった?
 心臓がドック。
---おれのレンジャー帽子! 大事な大事なレンジャー帽子! あいつにとってこさせるはずやった!
 ドック、ドックと心臓の音が追っかけてくる。
「ああ、みんな、あいつのせいや!」
 頭の中は勇太への腹立たしさでいっぱいだ。
---あいつ、平気な顔でみんなの所へ行ってしもうた。くうちゃんもいっしょに行ってしまうやなんて……。おれはゆるさん!
とたん、何の前触れもなく駿の足がもつれて倒れそうになった。あわてて両手をついたが左の膝小僧が地面にあたった。
「痛い!」
じわっと血がにじむ。
顔をあげると、ぶぶぶーんとあぶが目のまわりを飛ぶ。
「うるさーい!」
 立ち上がると、勢いよくあぶをおいはらい、駿は考えた。
---もう公園には行かないからな。誰が誘いにきても行かないから。 
 そして、もっといやなことを想像した。
---もしかしたら、勇太とくうちゃん、おれと一緒に遊ぶのいやなのかも……。だから……、おれの大事な帽子を取って捨てたのかもしれない……。
 駿の目がどんどん大きくなる。目の中に湿っぽいものが溢れそうになった。
 ブルン、ブルン、ブルルーン
駿のぼやけてきた視界の中、二車線道路の向こうに、一台のトラックがとまった。運転席から、いつもみかける宅急便のおにいさんがでてくる。荷台の方に荷物を取りに駆けていった。
その時だった。

コロロン
コロロン
突然、頭の上から奇妙な音が聞こえてきたのだ。
コロロン
コロロン
今までに聞いたことのない音。
首をまわして、上を見上げると、
「う?」
街路樹の木の枝に男の子が腰をかけて、駿を見下ろしている。
両足をぶらぶらさせていた。駿の目に奇妙な靴がとびこんでくる。先のとがっ緑色の長靴だった。
「なんで? 誰なんや?」
目をぱちくりさせる。
その子が大きく口を開ける。
「ココロン、ココロン、ココロン」
 いきなり木からとびおり、目の前に立った。
背丈は駿の胸当たりしかない。緑色のとんがり帽子をかぶっている。両側に長くとんがった耳とその後ろに象牙の飾りのような丸まった角があった。大きなキラキラ光る黒い瞳。半ズボンに白いわたげのようなえりをつけた半袖シャツ。中央についた7個の丸いボタンがかわいらしい。
「おまえ、誰や!」
「おれはオニロン!」
 だが、駿の耳には鈴を鳴らしたような響きしか聞こえてこない。
ココロン
ココロン
その子はまるい目を三日月にして、また口を動かした。
「おお! おれに気がついた!」
ココロン
ココロン
駿は、
「へんなヤツ! おれは今、おまえとかかわりたくないんや」
とつぶやくと、オニロンの横を通り過ぎた。
駿の後ろ姿を追って、オニロンは一生懸命、魔法の唄をうたう。
「
ココロン
ココロン
輝く大空
煌めく星
ここに
ここに

ココロン
ココロン
広がる大地
深い海
ここに
ここに

ココロン
ココロン
喜び踊り
楽しみ唄い
ここに
ここに

ココロン
ココロン
君は愛されている
君を愛している
ココロン
ココロン
             」
子守歌のような優しい響きが後ろからきこえてくる。ふっと、さい時からいつも一緒に遊んできたふたりのことを思い出した。
---勇太もくうちゃんもどうしてるかな……、レンジャー帽子、取りに戻ろかな……。おれ、こんなに怒らんでもいいのかな?
 ココロン
 ココロン……
 音色が小さくなっていった。

 ブルブルブルー!
 エンジンをふかす音だ。向こうの道にとまっていた宅配便の車からだ。
おにいさんが運転席にもどってきていた。すぐに車は動きだした。あちこちから騒がしい音が駿の耳に入ってくる。
 はっとしてあたりを見回した。木の前にも木の上にももう小さな子はいない。道の両側にも誰もとおっていなかった。
駿はつぶやいた。
「帽子をとりにいってみようかな……。勇太や、くうちゃん、おれのくるの待ってるかな……」
 駿は元来た道を公園広場にむかって駆け出した。
レンジャー帽子は垣の中にも、道路側にもなかった。
勇太のサッカーボールと一緒に、公園の水飲み場の横に置いてあった。
「駿、はよう、はよう!」
勇太が手をふっていた。
「駿くーん、こっちこっち」
くうちゃんが手招きをしている。
駿はレンジャー帽子をかぶると、みんなのほうに勢いよく駆け出していった。