第6章 脱鬼(だき)の血
 
ほんのりと明るい雪の道だ。上空は薄気味悪い灰色の雲におおわれている。
雪が小ぶりになった。それでも風は強く、安奈の足元を舞っていく。
 太郎と少し遅れて歩いていた安奈に、後ろから誰かが声をかけてきた。
「あんたも来るかい。羽衣を使えたんだってね。おめでとう」
 甘ったるい匂いと一緒にあっという間に通りすぎた。鬼臣のおばばの御殿で会った舞姫だ。ひらひらと長いスカートをひらつかせ、エスカレーターにでものって歩いているように去っていった。
 舞姫だけではない。
奇妙な格好の人たちが先を争うようにして追い越していく。でっかい顔やひょろ高い人や力士のように太っている人など、鬼臣のおばばの広場で見た人たちだ。
黒いひょうたんが耳にくっついているような髪をした大男もやってきた。
―あ、おばばがいる。
大男の肩にのって、おばばはにこにこ笑っていた。
安奈に手を振って、
「赤い蛍、みつかったかい?」
と言う。返事も聞かないで、あっというまにおばばの真っ白な髪も雪の中に消えてしまった。
横笛を吹いていた烏帽子の若者も、綺麗な音色を残して通り過ぎる。
 太郎が振り返った。
「みんな、速いな。おれも急ぐぞ。早く行って早く家にもどろう! 今日は安奈の祝いだからな」
安奈はとっさに暖かいダイニングのテーブルの上に並ぶ豪華な料理を思い浮かべた。
―今日はきっとすごいごちそうになるにちがいない! みんな、羽衣を使えたことを喜んでくれている! お祝いをしてくれるんだ! きっとわたしは優秀な鬼臣になれるにちがいない!
 二人は身をかがめ、歩くスピードをあげた。
 また雪が激しく降りだした。
新しい雪が行く手の道をかくし、先を歩いた人の足跡を消していく。
あたり一面雪の状態なのに、道と分かるようにところどころにぼーっとした灯がついていた。
安奈はこれもきっと脱鬼が用意をしてくれているのだと思った。だが灯のあたりへ近づくと雪の塊としかみえない。
雪は止むことはなかった。
安奈は白い光に疲れ、目をしょぼつかせた。
―ああ、早く家にかえりたい。どうして今日は帰るのにこんなに時間がかかるんだ?
安奈が太郎に聞こうとした時、急に太郎がたちどまった。
道がふたつにわかれていたからだ。
そして、いきなり言った。
「安奈はそのまま行けばいい」
「え? 太郎は?」
「おれはちょっと寄り道をする」
「わたし、ひとりで帰るの?」
「何かあったら、脱鬼を呼んだらいい。おれは大事な用事があるんだ」
 安奈ははっと気がした。
雪明りの中で、太郎の目のまわりがくろっぽくなっている。太郎は疲れているのだ。こんな時はいつも横道へそれたり、突然いなくなったりする……。
そして太郎はいつも元気になってもどってくる。
安奈はそのことが気になっていたのだ。
―客人の私に何か隠している。
「寄り道って、太郎も館へ行くの? みんなもそうでしょ……。それって、元気になれる何かあるから?」
「ああ」
「そんなら、わたしも行く!」
「おまえはまだ客人だ! 行っても何もできないさ! 邪魔になるだけだ。先に帰った方がいい! かあさんの頼まれごとをすましたら、すぐに帰るから」
「そう……。ああ、わたし、まだ客人なんだ……」
「ふくれるなよ、安奈。おまえも立派に羽衣を操った! おれたちの仲間さ。 だから、今日お祝いするんだろ。大丈夫、脱鬼が道案内をしてくれるから。早く帰れよー」
太郎は、見る間に安奈の視界から消えた。
 消えた先の雪景色の中にほんのり、だが今までよりもはるかに大きい灯がみえる。きっと鬼臣の館からのものだろう。
安奈はじっとみつめながら思った。
―行ってみたい!
安奈は長袖と長パンツ姿で、その上にショールを一枚まいているだけだったが、少しも寒くない。身体中がほこほこしていた。お腹のあたりから元気の源が湧き出してくる。
 安奈は考えた。
―まっすぐ家に帰るのはわたし一人だけだ。なんてつまらないこと! みんな、揃って横道へそれていった。誰も止める者もいない! ああ、行ってみたい! 
 とうとう安奈は決心をする。
―自分は羽衣を操ることもできたのだ。もう立派な鬼臣! みんなの邪魔になどならないはずだよ! 
安奈はあごをあげ、ショールをまきなおした。
ショールにも大粒の雪がかかる。また降り方が強くなったようだ。

太郎たちの進んだ道を五,六十歩、歩いた時だった。
ワオオオオー
ウワオオオー
突然、後ろに、人の異様な叫び声。
 ―なに?
はっとして振り返る。
「え? どうして?」
雪景色が消えていた。
目の前に広がっていたのは、山と山とにかこまれた谷あいの田んぼだ。
「うわあ……」
言葉がでてこない。
左右に雑木林があって、その両側に10人あまりの人々が集まっている。夫々、上からすぽっとかぶるだけの服を着ている。棒をふりあげている腕は筋肉がもりあがっていた。太い棒の先に、丸い石がくくり付けられている。
両者とも異様な雄叫びをあげていた。
ウギャオオオー
ワオオオオー
右の林から、
「わしらの田を守るんだああ」
「一歩もいれてはいかん」
「ここはわしらの土地だあ」
左の林から、
「我らは優秀な鬼臣だあ!」
「この地は我らのものよー」
「鬼臣の勇士よ! いけええー」
「いけええー」
すさましいときの声を上げ、両方から突進してきた。田んぼの真ん中で、すさましい戦いが始まった。棒の先の石にあたって倒れ、顔や胸から血を流し、地面にうつぶして動かなくなっていく。
 ギャアアアア
 ウワアアア
安奈はもう見ることができない。両手で顔をおおってかがみこんだ。。
見ないようにしても、怒声や罵声やそれに倒れる音や武器のぶつかる音がする。
そして生臭いにおいがあたりをおおった。
安奈の身体はふるえだし、胸が悪くなり、内にあるものを全部はきだしたくなった。
―どうしよう、どうしよう……、なんでこんなことになったの?
「太郎、太郎―」
太郎の名を呼んだ時、安奈ははっと気がつく。
困ったときは脱鬼を呼べと、太郎が言っていた。
「脱鬼―、脱鬼―、助けてー」

 数秒もたたないうちに、安奈はもとの雪の中に立っていた。
「ほう……」
冷たい風を頬にうけて、もとの自分をとりもどす。とりもどしたとたんに、安奈の考えも元にもどっていた。
―鬼臣の館へ行ってみたい!
安奈の目に、なだらかな屋根と太い丸い柱が見えてきた。鬼臣の館だ。
「太郎や舞姫たちはあの館へいったのだ!」
安奈は足を速める。
と、また突然、
ウヒヒヒーン
後で馬のいななきがした。
驚いてふりかえる。
「え?」
あたりの雪景色が消えている。
安奈は広い草原を見下ろしていた。草原の広場を右と左に分かれて異様な集団が向かい合っていた。両方ともに先頭に馬に乗った人たちが整然と並んでいた。頭には金色の兜が燦然と輝やき、腰に刀をつけている。長い槍を持った者もいる。馬に乗っていない歩兵たちも並んでいた。同じように鎧兜に身をかためている。
安奈の目はまるで空から見る鷹のようにはっきりと見ることができた。
ドドドーン
ドドドーン
雷のような太鼓と同時だった。
両軍が一斉に動き出し、激突する。
わああああ
ぎゃあああ
激しいいななきと人々の雄叫びや怒声などがとびかい、数分もすると、落馬をするもの、槍でつかれるものたちのうめきが聞こえた。
安奈は両手で顔を抑える。激しい物音は耳を直撃する。今度は耳を抑え、そして目をとじた。
だが、生臭いあの匂いがやってくる。安奈の胸ははりさけそうだ。
「脱鬼、脱鬼―、助けてえ」
 


                   (つづく)