第4章 洞窟漫遊 ③

太郎の指が動いて扉があいて、安奈たちは中に入った。
 エレベーターはどんどん下に降りていく。
階を知らせる番号はない。天井もまわりの壁も落ち着いたクリーム色で、あちこりに雪の結晶や水玉模様のように小さな印がちりばめられていた。安奈にはもうわかっていた。あの中のどれかを、太郎はぴゅっと右手の中指で押すのだ。
 思っていた通りに、太郎が押すと、ツーと頭が上にあがる感じが一瞬して、ドアがあいた。
 ほんの数秒のエレベーターの旅だ。
エレベーターをでると、夏の明るい日ざしが身体をつつみ、すがすがしい風が頬をなでた。
目の前にに湖が広がっていた。
平らな石地の船着き場があり、白鳥の形をした白い船が横付けされている。そんなに大きくはないが、もう中には多くの人が乗り込んでいた。
紺碧の湖は遠くまで広がり、周りを緑の木々が囲っている。
 太郎は安奈を急がせた。
「あ、ちょうど出発する所だ。急げ!」
 ふたりは桟橋にはしる。
こちらから船にかけられた橋が今にもはずされそうだ。
 太郎が、「乗りまーす」と大声を出して走っていった。安奈も一緒にぐらぐらと揺れる橋を渡る。若い男の人がひとり立っていたが、何も言わないで、船に乗せてくれた。
太郎が切符を渡しているふうでもない。安奈は気になっていたが、聞く間もなく、船が動き出した。
身体をくらくらさせて、安奈は白鳥の顔の下、甲板にでた。
「わあ、すごいすごい」
 ここへきて何度この言葉を使っただろう。
 遠くに雪を頂いた峰々が連なり、そこからなだらかにくだる緑の草原。壮大で息を飲む美しさだ。岸近くに巨大な岩が、奇妙なコントラストをつくっていた。岩にはぽっかりと穴があいている。安奈たちはあの穴からでてきたのだ。
太陽の光をうけて水面がきらきらを輝き、ふたりを乗せた白鳥の船は進む。
 安奈は船内をみたいと思った。中には5,6組の家族連れと若者と年寄り夫婦が乗っていた。みんな、笑った顔になってしゃべったり、何かを食べたりしていた。
 その中で、安奈が気になる家族があった。お父さんとお母さん。そして中学生ぐらいの女の子と小学生で自分と同じぐらいの女の子、そしてまだ小学校にはあがっていない男の子の家族だ。
「うちの家族と一緒や・・・お父さんとお母さんとおねえちゃんとわたしとたけくん・・・」
 だが、家族のひとりひとりの顔が浮かんでこない。思い出そうとしても、どうしてもだめだった。
―ああ、もうしんきくさい! わたしは今、すごう面白いんやから、これでいい!
 白鳥の船は湖を遊覧して、向こう岸についた。
船着き場から桟橋をこえると小さな門とその先にテントがならんでいる。
太郎が遊園地だと言った。
「ええー、これが?」
安奈がいつも遊ぶ森林公園のほうがりっぱだと思えるほどだ。
丸太を二本並べただけの門。テントも量販店で手に入るものにみえる。
だが安奈は思う、
―ここでは、見ただけで面白くないとは言わないでおこう。
いつも驚かされることが多いのだ。
この時も、門をくぐり一つ目のテントの前で、もう安奈はたちどまってしまった。
何の変哲もない板切れの看板に、「異界洞窟探検テント」と書いてある。
「なに? これ・・・」
「安奈にはなつかしいかもな」
安奈はさっと右手をあげた。
「入りたい!」
「ああ、いいけど・・・」
 太郎が続いて行った。
「お前ひとりで楽しんでこい!」
「太郎は?」
「おれは待ってる」
「ええ、なんでえ?」
「なんで、なんでってうるさいんだ、おまえは! どうしてもだってことだ!」
いつになく苛立った声を出す。
安奈はぷっと口をふくらますと、太郎はぶっきらぼうに言った。
「出てくる頃にはここにもどってる! ここにいるから! はよ、行け!」
ふたりが立ち止まっていると、後ろに人がぞろぞろとやってきた。船でいっしょになった5人連れの家族だ。
「それ!」
太郎に背中をおされ、安奈はその家族の中に入った。
安奈は5人家族と一緒に異界洞窟探検をすることになった。
中は薄暗い。そろりそろりと歩く。
歩いている道が桟橋になっていて、岸に列車のようなボートが待っていた。
安奈はその5人組と一緒に橋を渡り、ボートにのることになった。
ボートは長細く,座席が横に3つ並んで5列つらなっていた。
洞窟の中に川が流れていて、その流れに沿って探検をするようだ。
アナウンスや音楽は聞こえるが誰もまわりにいない。
「早く乗った、乗った!」
 男の子のお父さんがせきたてる。
「すぐに出発だから」
とお母さん。 
 安奈と女の子2人が前の席に並んだ。後ろにはお母さんとお父さんと小さな男の子が乗った。たった6人だけの乗客だ。
おねえちゃんは無口だったが妹のああちゃんはよくしゃべる子だ。「あんた、真ん中にしてやるね」と、安奈に言う。「こわくないからね」と緊張した声で付け足した。
 どんどんとボートは進んでいく。
太鼓の音がなりはじめると、スポットライトが岸を照らした。髪や衣服や靴を、カラフルな花でかざられ女の人たちが陽気に踊っている。
 そのまま静かになってなだらかな川とくだっていった。
と、突然、
「ウオー!」
 大きな虎が二匹、岩かげからとび出した。みるからにぬいぶるみとわかるものたちだ。
安奈もああちゃんもおねえちゃんも身体をくっつけあって「ああああ」と大きな声を出し、「ああああ」がすぐに「あはははは」と笑い声になった。
うしろで男の子が「うわーん」と本当に泣き出した。
「ほんまもんと思ってるんや!」
「あたしら、わかるもんね」
 安奈とああちゃんは顔を見合わせてクククとまた笑った。
どんどんと川の流れが急になっていく。
水のざざーと言う音が大きくなってきた。両側の岸がごつごつとした岩に変わってくる。その岩場にスポットライトが当たる。
『地獄滝注意』
 左に座っているおねえちゃんが、安奈の肩をぎゅっと押して、右に座っているああちゃんに大きな声を出す。
「滝があるんだって!」
 しばらく行くと、またスポットライトが光る。立札に『地獄滝まで500メートル』と書いてある。
「なんて書いてあるの?」
と、ああちゃんが聞く。おねえちゃんが、
「ジゴクダキまで500メートルだって」
と答えた。
「地獄滝! こわーいい」
 叫んでいるああちゃんの目は笑っていた。
 安奈はふたりの間にはさまって、顔をあちこちさせて、一緒に「こわーい!」と言って盛り上がっていた。
 確かにどんどんボートの速さはましている。 
 後の3人は静まりかえっていた。ふりかえると、3人は固まって目をつむっている。
 スポットライトがあたる。
「地獄滝まで100メートル」
 その時、ボートがガクッと言う音と共に一瞬止まった。それからゆっくりと動き出す。今までの速さとの落差に、安奈は先に「地獄滝」があるのだとわかった。
「わあ、滝に落ちる・・・」
 押し殺した声のああちゃん。ああちゃんの見開いた目が真横にあった。水しぶきがあたって線になる。と、ふたつの鼻の穴が大きく開いて、ひーひーと言っている。
安奈の背中をひゅーとつめたいものが走る。そして、安奈もああちゃんと同じ顔になった。
と同時だった。
ドドドドドー
「うわあああああああ」
 6人の悲鳴は地獄滝をとどろきと同じぐらいに響いて、6人を乗せたボートは滝つぼにまっさかさま。
安奈は頭から足のさきまで水浸しだ。それでも座席の前の手すりをはなさなかった。ボートは水平になり、穏やかな動きをとりもどした。
ところが隣で悲鳴をあげていたああちゃんもおねえちゃんもいなくなっている。
後ろを振り返ると乗っていたはずの3人も消えていた。
「わああ、どうしよう!」
―大変だ!
顔から血の気が引いていく。
―みんなはどうなったんや。
 その時、うしろのほうで、ああちゃんやおねえちゃんたちの声がした。
「ほほほーい、楽しかったよー」
「へへへーい、おいらは大丈夫だよ」
「水にはなれてるんだよー」
声のほうをむくと、水しぶきをうけて、滝つぼで遊んでいる子たちがいた。
「あ、あんなとこにいる!」
 さっきの子たちがそろって頭にお皿のようなものをのせていた。
「え。河童?」
 目をこすってよくみようとしたがしぶきにかくれてみえない。
向こうの岩から手をふっているふたりはお父さんとお母さんだ。やっぱり頭が変だ。
もういちど目をこすった時、安奈をのせたボートは洞窟にはいってしまった。入るとすくにボートは止まった。
「ありがとうございました。またのお越しをおまちしております」
アナウンスが流れ、安奈はボートからおりた。
                   (つづく)