第4章 洞窟漫遊 ②

エレベーターのドアが開いた先に、まっすぐな廊下が現れた。
安奈の部屋からホールまでの廊下とちがって、数倍も明るい。目を細めないと歩けない。だんだん目がなれてきた。
右側の壁がガラス張りになって、外は白くもやっている。
左側の壁は明るい淡いブルーの水玉模様で覆われている。
太郎が、「おお、このあたりの外は、まだ雪があるんだな」と言った。
 廊下は、ふたりが並んで歩くのに十分な広さだ。
右側の壁のもやったガラスのむこうで何かが動いた。
安奈がたちどまる。
「わ、白ウサギ!」
安奈は窓ガラスにへばりついた。
太郎も安奈の所へよってきた。
安奈が指さしたガラスの向こうに、うさぎが二匹、楽しそうに追っかけ合いをしている。水族館で泳ぐ魚をみるようだ。
だがすぐに安奈は歩かないといけなかった。太郎がどんどん先にいくからだ。
歩くたびに、少しずつ緑が見えるようになった。ガラス戸の外で雪解けがはじまっているのだ。
先を行く太郎が立ち止まった。
「春になってきたなあ」
 安奈も足を止める。
 さっき見た二匹の白ウサギが安奈たちを追ってきていた。二匹ともすこし身体が薄茶色がかっている。
「わ、衣替えするんや!」
「そうだよ。みてごらん。どんどん茶色になっていく」
 そのとおりだった。早回しの画像のように二匹はどんどん毛を茶色にしていった。
雪が解け地肌がしっかりと見え、あちこちに草の新芽があらわれ、木々に若葉がつき、空が青くなっていく。
二匹はさかんに新芽をかじっている。その間にも背中の白い部分が茶色になり身体全体が茶色になった。
「わあ、この子! チャチャだあ」
 安奈は突然思い出した。
チャチャというのは、安奈が小さい時に大事にしていたぬいぐるみのうさぎである。
小学生になって、ある時、そのぬいぐるみは何処かに行ってしまった。
最近になって、チャチャの行った先がわかった。お母さんが武史のおもちゃをゴミ袋にいれているのをみたからだ。あの大事なチャチャもきっと同じ運命になったんだ。お母さんに泣きながら抗議した日のことが、一瞬よみがえる。
安奈はドキドキしながら、ガラスのむこうの茶色のうさぎに話しかけた。
「チャチャ。よかったあ! こんなところにいたんだ!」
ガラスの向こうのうさぎが安奈たちのほうにかけてきた。ものすごい勢いで走ってきて、何かにあたってひっくりかえっている。
また立ち上がり、そろりと顔を近づけた。
「あ」
その目がきらきらと赤く光っている。
「赤い蛍?」
だが安奈の見た赤ではない。
 安奈は思った
―こんな色やない。もっと全部が真っ赤やった。
 後からまた太郎が安奈をせきたてる。
「行くぞ! 洞窟は広いんだ。いちいちたちどまっていたら、今日中にもどってこれないぞ!」
「太郎! この先に何があるの?」
「楽しいところ」
「楽しいところ?」
「おまえが楽しいって思うところさ?」
「わたしが?」
「そうさ。おまえはおれの客人だからな。楽しいと思う所へつれていってやりたいのさ」
「そう・・・、遊園地がいい! けど、ここって洞窟だよ・・・」
太郎は右手を大きく振って、ついてくるようにと合図をする。安奈は後から追っかけた。
 廊下の中は何時の時もまるで春の野をあるいているような爽やかな風がふいている。
いくらガラスの向こうが雪であってもかわらない。ときどき風を感じるひゅうーという音や匂いが安奈の耳を楽しませた。

 安奈はいいい匂いを感じて、その方向をみた。
―わあ、レンゲ畑にでたあ。
右側のガラス窓の外にずっとレンゲ畑が広がっている。
もう安奈は驚かない。この景色を映して、客人の安奈を喜ばせようとしているのだ。
 太郎がにっこりと笑う。
「そうさ! 安奈はおれの客人なんだから。なにせおれは・・・、鬼臣村の鬼臣家の鬼臣太郎!」
「・・・キヂンムラのキシンケのキシンタロウ!」
安奈も上手に唱和していた。
 ガラスの向こうのレンゲ畑に人の気配がする。柔らかな日差しの中、花に埋もれるようにしてすわっているふたりの女の子がいた。
「ああちゃん、おねえちゃんと同じようにするんよ」
 年上の女の顔がレンゲの花を二本持っている。一本の茎をもう一本の花の下にくるりとまわしてくくりつけた。また花を摘むと、さっきかさなった花の下にくるりとくくりつけた。花が3つ、4つと重なっていく。
「わ!すごい! あたしも、あたしも」といった妹の女の子。なかなか花の下に茎をまわせない。やっとまわしても、ゆるくて重なっていかない。
「どっして?」
「おねえちゃんがつくってやるから、お花を摘んで」
「いや! あたしがつくるの」
姉のつくった花の輪をとろうとして、妹が手をのばす。
「あかん、あかん。そんなんしたら、首飾りできないやろ?」
「あたしがするの!」
 その時、小さな女の子の首のあたりに何かがとまった。
「あ、ああちゃん! じっとしとくの。虫や」
 おねえちゃんが持っていた花束でをおっぱらう。
「あ!」
 記憶の中に、このような情景があったように思う。
―ああ、そうや。おばあちゃんとこへいった時やった。おねえちゃん、虫、やっつけてくれた! 
 安奈がおねえちゃんのことを思い出したのも一瞬だった。 
太郎にせかされ、安奈はレンゲソウのいいにおいのする廊下をあっというまに通り抜けた。

右側の窓からちかちかと太陽が肌に感じるようになった。
ちらっと見ると、あたりはひまわり畑に変わっていた。
「わあ、すごーい。もう夏になってる」
 あたりいっぱい、ひまわりが咲いていた。
横目でひまわりをみながら、安奈は太郎を追っていく。
と、右側から声が聞こえた。やっぱりガラスの向こうからだ。
「おねええちゃーん」
 声がうらがえっている。
まだ幼稚園に通っているぐらいの女の子だ。
足を止める。
太郎は安奈をおいたまま、すたすた廊下をあるいていく。
みるみるうちに太郎が廊下をまわっていってしまった。が、女の子は泣いている。背丈以上のでっかいひまわりの中に女の子はひとりぼっちだ。
安奈もまた鼻がひっつくほどに窓ガラスに近づいた。
「どうしたの?」
 相手には全く聞こえていないようだ。
「おねえちゃーん」
 身体をぐっと反対側の水玉模様の壁に近づけてみた。全体像が手に取るようにみえる。
―この女の子はひまわり畑の「ひまわり迷路」の中に入っているのだ・・・。
「わあ、えらいことや! この子迷子になったんやあ」
 女の子の額にてかてかと汗がひかっている。もうすぐ泣きそうだ。
安奈はその場からはなれられなくなった。
―どうなるんやろう?・・・。
 安奈は女の子をじっと見る。
―あの子は一生懸命、出口を捜したんだ。いくら曲がってもみつからない。自分は一生ここからでられないかもしれないと思ってるだろうな・・・。
 心臓の鼓動がはげしくなった。
安奈もずっと小さかった時こうして、ひまわり畑でかくれんぼをした気がする。みんなとはぐれてしまって、大泣きをしたように思う。お父さんが安奈を「大丈夫、大丈夫」と言って抱いてくれた。ちくちくとしたひげの感触が懐かしく思い出される。お父さんのあのひげ、ちっともいやだと思わなかったなあ・・・。
その時、髭をはやした人が泳ぐようにして歩いてくる。
「きっとお父さんだ」
 だが男の人もまるで迷子になったように違う道を歩く。ひまわりの群生に隠れて、ふたりにはわからないようだ。
「ああ! 絶対にあの人はお父さんだ」
 安奈は鏡に顔をおしつけて、
「そっちじゃないってえー」
 もっと鼻がひしゃげるほどに押し付けて、
「ああー、なにやってんの」
とつぶやくと、目も唇も鏡にくっつけた。と、顔がいきなりゼリー状の中にはいったようになった。ずるずるっと引き込まれる感じがして、目を開けておれなくなった。
 安奈ははっとした。この暑さにもこの日差しにもこのにおいにも覚えがある。ここはもしかしたら、自分のかつて経験したところ、思い出の場所かもしれないと思った。
あの子に教えないといけない。おとうさんと合わせてやらないといけない。お父さん、あんたを一生懸命さがしている。
あがくようにして先に進もうとした時、突然聞き覚えのある声がした。
「安奈! 何やってんだ! はよ、手を出せ!」
 声は後ろからだ。
ふりかえると、ガラスのむこうに太郎がたっている。
右手がガラスをつきやぶって、こちらにでていた!
「安奈! おまえ! 一生、迷子になるきかあ!」
 安奈は無意識のうちに、太郎の手をにぎっていた。とたんに身体がまたゼリーの中をこえて、あっというまに、通路にもどったのだ。
 何もなかったように、ガラスのむこうにひまわりがさいている。ほんの一瞬と思ったが、むこうの景色はかわっていた。
 女の子がお父さんと手をつないで、ひまわり迷路の出口をでていくところだった。
「ああ、よかったあ」
 太郎は安奈をにらんでいる。
「おまえなあ、人のことよりおまえが危なかったんだぞ。あんなとこで迷子になったら、一生、もどってこれないぞ!」
安奈はけろっとしていた。あまりにも一瞬のことで、実際にあのガラスを越えて向こうへ行ったとは思えない。だが、背中に汗をびっしょりかいて、シャツが身体にくっついている。スニーカーには泥のあとがあった。
安奈は太郎に言った。
「このガラスって、どうなってんの? なんで、むこうに通じてるん? これって窓? 鏡? 外とこことはどうなってんの?」
「言ってるだろう。おれには優秀な脱鬼がついているんだって。こんな廊下をつくってくれたんだ。安奈が気にいってくれることばかり、考えてるってことだ!」
と怒ったように言った。何の答にもなっていない。
太郎は何かわからないことがあると、みんな脱鬼のせいにする。
 安奈が太郎と話をしている間に、背中の汗もひき、スニーカーの底についた土も綺麗に落ちた。
ガラスの向こうのことが夢のように薄れていく。
だがまた安奈の頭に「脱鬼」という言葉が残った。
―いったいなにものなのだろう。
食堂で世話をしてくれていたやさしいおねえさん脱鬼や、鬼臣のおばばの御殿で働いていた脱鬼たち。あの人たち以外にも、たくさんの脱鬼が働いていることは確かだ。
 不満気な安里に、太郎はつぶやいた。
「もうおじいさんのおじいさんのそのまたおじいさんの時代からいるんだから・・・」
そう言うと、声の調子をかえて、威勢の良い声をだした。廊下の先にエレベーターが
見えた。
「もうすぐ湖に出るぞ」
「湖? 洞窟の中に湖があるの?」
「あるよ。地上にあるものはたいてい地下にもある。地下にあるものは地上にもあるってことさ。安奈、おまえは何をみても、何を聞いても不思議がる。すばらしい鬼臣の客人だ! きっと優秀な鬼臣村の住人になれるよ」
「どうも! です!」
 きゅっとあごをつきだし、気取って返事をした。
安奈はなぜか嬉しくなった。
―わたしはこの村にあっているのかもしれない。太郎も親切だし、何時だってわたしのいうことをきいてくれる・・・。
 安奈はすっかり太郎に頼っている自分を感じて、苦笑した。

                   (つづく)