鬼日和             

第3章 鬼臣のおばば ②


安奈は砂利の上にあぐらをかいて座った。
白く乾いた砂を両手ですくう。そしてゆっくりと地面にもどした。
ササササー
いい音がする。
サササ
サラサラー
ヒュウウルルルー
「え?」
 砂の音に混じって心地よい澄んだ音が聞こえてきた。
顔をあげると、若者が横笛を吹いている姿がうつる。澄んだ瞳の凛々しい顔の若者だ。黄土色の狩衣をはおり、頭には黒い烏帽子をかぶっている。
沢山の技を披露する者たちの姿は消えていた。
 安奈はあわててあぐらをかいていた足をもどし、立ち上がった。
 横笛を吹く人はそのまま広場の中央に向かっていった。すれちがうようにして、太郎がもどってきた。
「太郎、太郎! この人たち、何なの?」
 安奈は必死な声で太郎に問う。頼れるのは太郎だけだ。
「ねえ、この人たち、どこから来たの? ずっとずっと昔の人?」
「ああ、そうだよ。もう千年以上かな・・・」
「えええー、そんなあ・・・」
 太郎はけろっとした顔で話し続ける。
「二千年、生きている者もいるよ」
「二千年も?」
「そうだよ、安奈。鬼臣のおばばもきっとそれくらいは生きている・・・。ここに居る人はすごい特技を持って生きる優秀な鬼臣だからな。鬼臣の村では特技を持つことで生き続けられるんだよ」
もう騒がしい音も美しい音色も聞こえない。まわりをみわたすと、いつのまにか新しい人と入れ替わっていた。。絵を描いている人、歌を歌っている人、身動きしないでじっと座っている人など、まちまちの姿が目に入った。
太郎は、ひとりひとりの名前を呪文のように並べたてた。
「岩駆け名人」、「絵描き名人」、「水もぐり名人」、「料理名人」、「紐使い名人」、「弓使い名人」、「早口言葉名人」。
誰もが自分の特技を無心になって表現している。そして何よりも目指した目標を達成することに一生懸命なのだ。
「なんか、すごい・・・」
「だろう・・・。もしかしたらだれかが赤い蛍、作り出してるのかもしれないぞ・・・」
 一瞬、安奈は忘れかけていた赤い蛍のことをおもいだした。
「探してみる!」
安奈が歩き出し、太郎もあとについた。
彼らには目にはいっていないし、耳に何も聞こえていないようだ。無心になって自分のいう事を言い、動きたいように動き、技を磨くことを楽しんでいるように見えた。
 ずっとテレビや映画をみているように、つぎからつぎへと、名人たちの動く姿が変わる。
安奈は前になったり、後ろになったりして、広場を歩き回った。
「みんな、すごう楽しそう・・・。わたしの楽しい事って、何やろ? 一輪車? サッカー? 算数? 歌?」
―ああ、わからん!
ふううと大きく息を吸い、息を吐きだした。
とたんに、
「あれ?」
と思うことがでてきた。
―太郎だって鬼臣の住民。いつも偉そうに鬼臣家の鬼臣太郎と言っている。とすると・・・、何かすごい技をもってるんじゃないか? 赤い蛍を知らないと言っても、赤い蛍と関係がなくっても・・・。ああ、見て見たい!
「太郎! 太郎! 太郎も何か特技があるのでしょ!」
 目を細め、大きく首を動かした。
「当ったり前だ。おれは鬼臣村の・・・」
「わかってるって! 鬼臣村の鬼臣家の鬼臣太郎さん! 何が得意なんですか?」
 とたんに、太郎はかがみこむと、右の手の平にすっぽり入る石を拾った。
「みてろよ!」
 太郎は空をみあげる。
 青い空のあちこちに、綿菓子のような雲がいくつも浮かんでいた。
 太郎は石をもっている右手を、肩を軸にしてぐるぐるまわす。
「わああー、すごーい。まるで風車みたい・・・」
 右腕が右肩の上で風車のように回っている。テレビでも映画でもみたこともない特技だ。安奈は言葉もでない。だがそれはほんのはじめの驚きだった。
右腕が空に向かって真っすぐになった時、にぎっていた手の平が開いた。とたんにさっき拾った石がすごい勢いで飛び出したのだ。
石はひとつの丸い綿菓子のような雲にあたった。石は雲に隠れ、出てくると次の雲に隠れ、また出てくる。何度かくりかえしたあと、ちゃんと太郎の足元にポトンと落ちた。
何をしたのだろう?
落ちた石を不思議そうにみていた安奈。
頭の上で、太郎の声がする。
「ほうら、これがおれの特技だ」
顔をあげる。
太郎が空を指さしていた。
「みてくれ! 安奈、おれの特技だあ」
「わあああ・・・」
―どうしてこうなるの?
 青い空に沢山のひまわりの花が咲いている。しっかりとオレンジ色をおびて、輝く大輪のひまわりが大空をおおっていた。
「おれは大空に絵をかけるんだ」
「すごーい」
 安奈はじっと空をみつめる。だんだんとひまわりの花の形がくずれて、それでも日をうけてところどころにオレンジの光線を残していた。
 安奈がこんなに驚き感心しているのに、他の人たちは自分の特技に夢中になっている。
 おばばが近づいてきて言った。
「一段と腕をあげたようだな、太郎!」
「ああ、おれも客人にみせたいからな」
 おばばはこんどは安奈の方をむくと言った。
「探している赤い蛍はいなかったようだな」
「はい。けど・・・、すごう楽しかったです。ありがとうございました!」
 安奈は深くおじぎをした。
 帰る間際、おばばが言った。
「まだまだ鬼臣村は広いからな。そうだ、太郎、洞窟は探してみたかい?」
 太郎は答えていた。
「明日、出かけるつもりです」

その日、ふたりがまっすぐ家に帰ったのではなかった。
長い廊下から木々の間を抜け、エレベーターに入る前のことだ。エレベーターをはさむようにして3,4個の岩があった。そのほんの数十センチの岩と岩との隙間の前で、太郎が立ち止まった。そして安奈に言った。
「おれ、ちょっと寄り道する・・・」
さっきから無口になっていて、その上何となく歩く速度が遅くなっていた。
安奈はとっさに言う。
「え? まだ寄り道するの?」
早く家に帰って休めばいいのにと思っていたからだ。
さっきも、「特技をするとエネルギーを使うんだ・・・」とつぶやいていた太郎である。
安奈だって一生懸命、漢字をおぼえたり、運動会や音楽会でがんばるとすごく疲れた。
そんな時は早く家に帰ってリラックスしたいものだ。
「はよ、家に帰ろうよ」
「いや、ちょっと寄り道して、元気をもらってくる」
「どういうこと? わたしも行くの?」
「あは! それは無理だな。おまえにはついてこれない」
「ええー」
 太郎はもう岩の隙間にもぐりこんでしまった。
ついてこれないといってもついていくしかない。帰る道がわからないのだから。
安奈は同じように身体を岩肌にごつごつこすりながら隙間をくぐりぬけた。
 ほんの5,6歩進むと、隙間をとおりぬけて広場に出た。
道が二手にわかれている。
右のほうは岩間の細い道だ。
太郎が左を指さして、
「そうだな。むこうでまっとけ。すぐにもどってくる」
と言うと、あっというまに岩間に消えてしまった。
いろんな色と匂いのする原っぱが目の前にあった。
スミレやタンポポやつくしなどが安奈のくるぶしを越えない高さでずっとつづいている。
一回、ねっころがって空をみ、タンポポを5,6本摘んだ。
たったそれだけで、もう後から太郎の声がした。
「帰るぞー」
 安奈は不服そうな顔をする。
だが、太郎のほうは、さっきとはまるで違う生き生きとして、顔は生気に溢れ輝いている。そしておかしなことに口回りが、女の人が口紅をまちがえてつけたように赤い。
「何? それ」
 太郎は舌を出してぺろぺろなめると、すぐに太郎の口に戻った。
「急ぐぞ。腹がへってきたからな」
と言ってきびすをかえし、また狭い洞を通り、見覚えのあるエレベーターに乗った。
 家に戻ると、すぐに夕食になった。
奥まった部屋の食堂の大きなテーブルの席に着いた時、安奈は、自分が今まで何も食べていないことに初めて気がついた。そして空腹を感じることなく、元気に動けていたことが不思議でたまらない。
横の席の太郎が答える。
「そりゃそうだよ。一日のエネルギーを計算してくれているんだ」
「あの脱鬼が?」
「ああ、この家のいっさいの世話をまかしているのさ。すごいだろ!」
今日のディナーはまるでフランス料理のフルコースだ。
安奈は慣れているお箸を使ってどんどんたいらげていく。安奈は食べながら、さっきの野原でもっと居たかったのにと言うと、太郎があっけらかんと言う。
「なんだ、あんなちっぽけな野原がそんなにいいっていうんか? 明日行く洞窟にはもっといっぱい、花畑があるぞ」
「え! もっとたくさんお花が咲いている所があるっていうん?」
 太郎は得意げにあごをつきだし、「そうさ。ここは鬼臣村だからな」と言った。

 安奈は豪華な夕食をとり、自分の部屋に戻った。今、自分の部屋としているのは、鬼の掛け軸の部屋だけではない。洋間もあり、寝心地の良いベッドといい匂いのする勉強机もあった。どこか懐かしい気がするが、もう安奈にはそこがどこに似ているのかは思い出せない。
 自分の家もお父さんもお母さんも姉や弟も安奈の頭にはもう浮かんでこなかった。
 安奈はベッドにもぐりこむと、すぐに深い眠りについた。

                                (つづく)