【大石受難の夜】
ぴんぽーん。
ぴんぽんぴんぽんぴんぽーん。
時計を見ると、現在、日付変わって午前2時半。 昨夜、学校の先生達でお花見だった英二(俺も誘われていたのだが、急ぎの仕事があったので辞退していた)が、やっとご帰宅だ。少々遅い帰宅だが、明日は学校が休みだから、みんなハメをはずしたんだろう。この分じゃ、英二もそうとう出来上がってそうだなぁ・・・。
ぴんぽんぴんぽんぴぽぴぽぴぽぴぽ・・・・
「あー。こんな時間にそんなに鳴らすなよ、英二!」
玄関に向かって叫びつつ、急いで扉を開けに行った俺の目に映ったのは、案の定、そりゃもうご機嫌に出来上がっている英二だった。
「にゃっほーっ♪ 英二様のおかえりだぞぉぉぉぉ!!」
こんな時間に大声で帰宅を宣言する英二を、いつもの俺ならすぐにでも叱ったのだが、今日は、あまりの驚きに、開いた口がふさがらず、文句すら出なかった。
「おーいっし〜♪」
酒臭い息とともに、こちらに跳んでくる英二をたくみによけつつ、やっと現実に戻った俺は、
「お前・・・どこのおやじだよ・・・・。」
そう呟くのが、やっとだった。今どき、頭にネクタイ巻いてるサラリーマンを目の前で見ることになるとは・・・。
「にゃーーーー!!おーいしがぁぁぁぁ!!おーいしが俺をこばむぅぅぅぅぅ!!!!」
『騒ぐな、英二っ!今何時だと思ってんだ!とにかく中に入れ!』
集合住宅の玄関先で、こんな夜中に叫んでいい音量じゃない英二を小声で怒って、とりあえず玄関の中に引き入れようとした俺の手が、俊敏な動作で避けられた。
「ヤダ」
「ヤダじゃないだろ?ほら、とりあえず中に入ってっ!」
「ヤダヤダヤダヤダヤダっ!!」
・・・・・・どこのコドモだよ。
「ほら英二、ワガママ言わない。ご近所に迷惑だろ?」
酔っ払い相手に正論をかましても、果たして耳に入ってるんだかどうだかと思いつつも、とりあえず、なんとか部屋に入れなければと思い、必死に目の前の大きなコドモに言い聞かせる。
「おーいしは・・・」
「ん、なに?」
少しおとなしくなった英二に気を許し、うつむきがちに何かを呟く英二に、精一杯の猫なで声で続きを促したんだが・・・。
「おーいしはっ!!俺よりご近所さんのほうが、だいじなんだなっ?!!」
「はぁ??」
敵はおとなしくなったのではなく、次の一手への力を蓄えていただけだった。何度同じ手を喰ったか、思い出せよ秀一郎・・・。
「俺のこと、もう、愛してないのかよぉぉぉぉぉ!!!」
・・・えーっと。
草木も眠る丑三つ時、前後不覚の酔っ払いが、集合賃貸住宅一室の玄関前で、俺の愛を疑ってますが・・・?
いや、おちつけ、落ち着くんだ秀一郎。相手はコドモだ、聞き分けの無いコドモなんだ。いくら頭にネクタイを巻いていようが、吐く息がものすごく酒臭かろうが、3歳児を相手にしていると思うんだっ!!
とりあえず、これ以上滅多なことを言う前にと、叫んだ反動で気を抜いている英二を力ずくで玄関の中に引っ張り込み、あわてて玄関の戸を閉めた。
「にゃぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
「お前、何て格好してんだよ・・・・。どんだけ飲んだんだ・・・?」
相手を落ち着かせようと、精一杯の優しい声で問うて見る。
「ぜんぜん飲んでにゃいっ!!」
にゃいって・・・。幾つだよお前は・・・。
はっ!いかんいかん。三歳児、三歳児・・・・。
「そ、そうだな。英二は全然飲んでないよな?でもすごく眠そうだぞ?明日休みだろ、もう寝ような。」
「ヤダ」
・・・・・・・・・・。お、おちつけ・・・俺・・・。
「おーいしと寝るにゃ♪」
そうだ・・・。英二がこうなることは判っていたから、できるだけ酒の席には同席するようにしてるんだが、今回はどうしても仕事が詰まってて。だから渋々ひとりで行かせたってのに、結局コレか・・・。
「俺はまだ仕事が残ってるから、一緒に寝られないんだ。わかるだろう?英二はもう大人なんだから、ひとりでも寝れるよな?」
三歳児、三歳児・・・・って、こんな酒臭い三歳児がいたら、イヤだな・・・。
「おーいしは・・・・」
どうでもいいことをぼんやり考えてしまった俺の耳に、またしても理不尽な英二の叫びが聞えてきた。
「おーいしはっ!!俺よりお仕事さんのほうが、だいじなんだなっ?!」
嗚呼・・・・。
もう、誰かこのコドモをどうにかしてくれ・・・。
「俺のこと、もう、愛してないのかよぉぉぉぉっっ!!!」
こりゃダメだ・・・。
これ以上の会話は不毛だ。この分じゃ英二は、自分の欲求を満たさない限り永遠とゴネ続けるだろう。
とりあえず、一緒に寝るフリをして英二だけ寝かしつけるしかないらしいとふんだ俺は、ぐずる子供をあやすように、玄関先にしゃがんでしまった英二の頭をぽんぽんとたたいて、これ以上はないというくらいに思いっきり優しげな声を出した。
「何言ってんだよ、英二。そんな事あるわけないだろう?」
「だって・・・。」
「ほら、俺も寝るから、な?」
頭にネクタイを巻き、かろうじて両腕にスーツを通してるだけのだらしない格好で玄関先にしゃがみ込みつつ、顔を真っ赤にしながら目を潤ませてこっちを見つめる成人男子相手に、猫なで声で機嫌を取る日が来ようとは・・・・。
「・・・・ほんと?」
「俺が英二に、ウソを言うわけないだろう?」
な?と、酒臭さに顔がゆがまないように注意しながら、英二の顔を覗き込むと・・・・
「・・・・ウソにゃ」
「え・・・?」
とりあえず酔っ払いを寝かしつけようとした魂胆が、バレたのか・・・?
「おーいしは、そうやっていっつも俺との約束破るにゃぁぁぁぁぁっ!!」
いっつも・・・・・って、俺、そんなに英二との約束破ってるか・・・?
「こないだだって、新しいネコが来たから、一緒にペットショップ寄ろうっていってたのに、急にスミレちゃんに用事頼まれたっつって、行けなかったじゃんかよっ!!」
「ペットショップ・・・・?英二、そんな約束してたっけ・・・??」
「約束したことすら忘れてるって、どういうことだよぉぉぉぉ!!!」
「あ、いや、俺、本当に覚えがないんだけど・・・・。」
これには、俺も焦った。本当にそんな約束をした覚えが、まったくない。いくら最近忙しかったとはいえ、英二との約束を忘れてすっぽかすなんてことは、断じてありえない。
「ひっ、ひどいよぅ・・・・・っ。」
「えっえいじっ?!」
ついには泣き出した英二相手に、俺はおろおろするばかりだ。
「ご、ごめん・・・英二。俺、本当に覚えてなくて・・・。いつの約束だったっけ・・・。」
泣いている英二をあやすように髪を撫でながら、俺は心底申し訳ない気持ちで問いかけた。
「・・・・・だよ。」
「ん?」
「こないだ、部活が中止になった時だよっ・・・!」
「部活・・・?」
「そうだよっ!!それなのに、手塚と一緒にスミレちゃんから用事頼まれて、ほいほい行っちゃったじゃんかっ!!!」
「手塚と・・・・?」
え〜っと、それはもしかして、中学の時の話しデスカ・・・・?
「お前はいーーーーーーっつも、結局最後は、手塚を優先するんだぁぁぁぁぁっ!!!」
わーんと言って、ついにはつっぷして泣き始めた英二を目の前に、遠い目をしてしまった俺を、誰が責めることができようか・・・。10年以上前の約束のことで、こんなにゴネられる俺って・・・・。
ほうけている俺をヨソにつっぷした英二は、次々と過去の俺の所業について延々ゴネはじめた。もうこれは、全て吐き出させるまではダメだろうと覚悟を決め、英二の愚痴に付き合うことにしたのだが、まさか一時間以上も愚痴を言われようとは、その時の俺には想像できなかった・・・。

散々言うだけ言って満足したのか、がっくりと項垂れる俺を置き去りに、英二はそのまま玄関先で寝る体勢に入りそうになる。
「・・・英二。こんなところで寝たら風邪ひくから、ほら、ベッド行って。」
この流れのまま、おとなしくベッドで寝てくれれば、俺もやっと仕事の続きができる!!と、折角収まってきた英二を刺激しないように、これ以上は無いってくらいに優しい声色で寝室へ促す。
「・・・・・・・」
俺の声を聞いて、今までつっぷしていた英二が顔を上げ、酒で濁った目を凝らして俺を見つめる。
「な?ちゃんとベッドで寝よう?」
「・・・・・・・こ」
「ん?ほら、行こう?」
「だっこ♪」
・・・・・・おい。一体何を言い出すんだ、このコドモはっ!!
「だっこして連れてってくれたら、寝るにゃ♪」
言ってることはコドモだが、自分の体格を考えて発言しろよと思っても、所詮相手は酔っ払い・・・。
「・・・・・・・・無理だから。」
力なく首を横に振っても、許されるだろう・・・?
「じゃ寝にゃい。」
「英二・・・。いい加減にしないか。」
仕事が気になるのと、延々と聞かされた愚痴に、俺の忍耐もそろそろ限界だ。コドモのようなことを言っても、相手もいい大人だ。今夜一晩くらい玄関に放っておいても問題ないだろう・・・。
「・・・そんなにイヤなら、寝なくてもいいから。そこで大人しくしてるんだな。」
しかし、敵も然るもの。そういって仕事を再開するために、英二を置き去りにして部屋に戻ろうとした俺を、だまって行かせる英二ではなかった。
「いやにゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!」
「はっ、離せ!!」
酔っ払いとは思えぬ反射神経で、その場から立ち去ろうとしていた俺の脚をむんずと掴み、英二が叫び続ける。
「だっこぉぉぉぉぉっ!!ぅわーーーーん!!!!」
どこのコドモだお前はっっ!!!
「英二っ!!」
たまらず声を荒げた俺を見上げ、これでもかというくらいにすがりつく。
「おこっちゃイヤにゃぁぁぁぁぁぁっ!!!」
勘弁してくれ・・・泣きたいのはこっちの方だよ・・・・。
しかし、ここで慰めに入っても、どうせさっきのように延々くり返しになることは分かりきっている。
俺は二度目の覚悟を決めて、脚にぶら下がっている英二ごと部屋へ戻ることに決めた。だが、酔っ払ってぐずる英二は思いのほか重く、部屋に着く頃には、肩で息をしなければならないほどだった。
しつこくわめき続ける英二をぶら下げたまま、とりあえず椅子に腰掛けて、仕事を再開・・・・しようとしたが、うるさくて仕事にならない。英二にこれ以上何か言っても無駄なので、手近にあった携帯音楽プレイヤーのイヤホンを耳に突っ込み、難聴になるんじゃぁと言うくらいの大音量で音楽を再生しながら、仕事をすることにした。

「なんとか終わった・・・。」
ようやく仕事が終わったところで時計を見ると、既に朝の8時だった。あとはこのまま、原稿を担当にメールで送信すればいいだけなので、約束の10時には、きっちり間に合う。とりあえずメールを送信して、コーヒーでも飲もうかと立ち上がろうとしたところで、足元にうずくまる物体の存在を思い出した。あれだけ騒いでいた英二は、まるで本物のネコのように俺の足元にぐるりと丸まり、スースー寝息を立てている。その顔をよく見ると、昨夜泣きすぎたためか、目の周りがうっすらと赤く腫れてしまっている。このまま寝かせておいてやりたいが、いかんせん、俺がこのままではこまる。
「英二。ほら、ちょっと起きて。」
肩をゆすって起こしにかかるものの、『うーん・・・』と言ったきり、まったく起きる気配がない。どうしたものかと思っていると、机の上の携帯が鳴り出した。先ほど送信したメールを見た担当が電話をかけてきたと言うには、いささか早すぎる。誰だろう?と思いつつ着信者の名前を見ると、乾からだった。
「もしもし?」
『ああ、おはよう、大石。朝早くに悪いな。』
「いや、起きてたからいいんだけど、乾こそどうしたんだ?こんなに早く。今日、学校休みだろう?」
『学校は休みなんだが、ちょっとやりたい実験があってな。これから学校に行くところなんだが・・・。』
休みの日まで実験とは、乾の実験好きは相変わらずだ。しかし、そんな乾がこんな時間に電話をかけてくるなんて・・・と思った俺の耳に、以外なセリフが聞えてきた。
『菊丸の様子はどうだ?』
「え?」
『昨夜は相当飲んでいたから、どうしたかと思って。』
「あ、ああ・・・」
そうか。中等部と高等部、合同の花見だったから、乾も一緒だったのか。
『花見の席でもすごかったから、家に帰ってからも大石に絡みまくったんじゃないかと思ってな。』
「花見の席でもすごかったって、あいつ、そんなにすごかったのか?」
『ああ。あれは見ものだったぞ。』
「見ものって・・・」
『お前がいつも手塚優先だと言って、桃相手にずーっと愚痴を言っていた。』
えーーーーーいーーーーーじーーーーーーっ!!!
『まぁ、ほかの先生方がいらっしゃった時は普通だったから、その点は心配無用だ。』
「おまっ・・・何で止めてくれなかったんだよ!」
『だって、面白いじゃないか。』
乾・・・・・・。そりゃ、ハタから見てる分には、面白いだろうけどさ・・・。
『しかし、菊丸があんなに手塚を気にしていたとはなぁ・・・。もう10年以上前のことなのに、相当悔しかったと見える。』
いや待てよ、秀一郎。あの乾が、ただ黙って見ていただけのはずはないぞっ?!!
「・・・お前ら、面白がって英二に酒を飲ませたなっ?!!」
間違いない。桃と一緒に、英二が欲しがるだけ飲ませたんだろう。案の定、旗色が悪くなったとみえた乾は、不穏な一言を残して電話を切ろうとしだした。
『おっと。そろそろ出かけなくては。一応昨日、菊丸と約束したから、このことは手塚にも報告しとくから。それじゃあ、また。』
「ちょっ・・・乾?!手塚に報告って・・・?!おいっ、乾っ?!!」
何度相手の名を呼んで見ても、時既に遅し。部屋には俺の声だけがむなしく響き、携帯からは無常にも機械音しか聞こえてこない。
一体俺が何をしたと言うのか。
そりゃ、花見ができる時期は、一年のうちでほんの数日だ。だけど、仕事の締め切りとかち合ってしまったんだから、社会人として仕事を優先するのが当然だろ?おかげで期日までに、しっかり仕事を終えることができた。論文の翻訳なんて、俺以外にもできる人なんかゴマンと居る。質のいい仕事をすることは勿論、与えられた期日までに仕上げてこそ、こうやって仕事をもらえるってもんだ。なのに・・・仕事をきちんとこなした俺に与えられた仕打ちがこれかっっ?!真面目に生きてきた俺がいけないのかぁぁぁぁっっ?!!!!
「うーん・・・・。もう食えない・・・・。」
憤る俺とは対極にいるであろう足元の物体からは、シアワセそうな寝言が聞こえてくる・・・・。
「起きろっ!!英二っ!!!」
英二が絡まっている足を無理やり引っこ抜いて、激しく揺さぶってたたき起こす。
「えっ?!何?なにっ?!!」
何事かとびっくりした様子でようやく起きた英二に向かって、俺が言えることはたったひとつ。
「英二・・・頼むから、金輪際、俺が見ていないところで酒を飲まないでくれ・・・。」
END