経理 転職


 爽やかな朝だ。
 冬の、凛とした透明感のある朝も好きだが、春の、このちょっと霞がかったような暖かな日差しには、知らず頬が緩む。
 「あー。すっかり春だよなぁ。桜も満開で。」
 誰にというわけではなく、つい独り言がでてしまう、春の通勤時間帯。まだ春休み中なのだが、先だっての英二と約束を守るべく、テニス部の練習を見る為、青学のテニスコートに向かっているところだ。
 今年は桜の開花がものすごく早く、入学式シーズンまで持ちそうも無いと言われていたが、開花直後からの寒の戻りのおかげか、なんとか持ちそうだ。

 毎年この時期になると、自分が青学に入学したときを思い出す。

 あの時は丁度桜が満開を過ぎた頃で、春のちょっと強い風が吹く中、桜吹雪がとても綺麗だった。その桜舞う姿をぼんやり見ていた俺の視界に、子猫のように、桜の花びらを嬉しそうに追いかける少年がいたんだ。それが英二。『随分楽しそうだなぁ。』と、こっちまで嬉しくなるような、笑顔の可愛かった英二・・・。

 そう、ほんとに可愛かったんだよ・・・。それが今じゃ・・・。

 「ちょっ・・・お、大石・・・ふくぶちょー・・・?!!」
 だから、その呼び方はやめろと言ってるのに・・・って、今日ばかりは、いつものように彼を責めるわけには、行かないんだろうなぁ・・・。
 「・・・やぁ、桃。おはよう・・・。」
 「お、おはようござ・・・・っぶっ!!」
 嗚呼・・・。
 朝からひとの顔を見るなりふきだす桃を、誰が咎める事ができようか。昔の俺を知っている人なら、今の俺を見たら、そりゃ笑うだろうさ。俺だって、これが他人事だったら、思わず笑うだろうさ。他人事ならな・・・。

 こうなるのが嫌だったから、今日はいつもより早く出勤してきたというのに。現実逃避と言われようが、春の日差しを感じて爽やかに出勤する朝を演出してみたと言うのに・・・。そんなことしても、やはり現実は現実。おいそれと変わるもんじゃない。
 「どーしたんですか?その頭。」
 どーしたもこーしたも。
 「ものすごい懐かしいですねぇ〜。いや、俺、一瞬タイムスリップでもしたかと思いましたよ!」
 そんな桃の発言にも、苦笑いを返すのが精一杯な俺だった。

 そう。
 先日、英二から謂れの無い疑いをかけられた俺はと言えば、『今の大石はヤダっ!!俺の知ってる大石に戻すっ!!』とかいうわけの分からない宣言の末、中学時代の髪型にされてしまったんだ。まぁ、それで英二の気が治まるならと思って、仕方なく床屋に行ったというのに、英二の機嫌は相変わらず超低空飛行のままだ。一体何のために髪型を変えたんだという、俺の切ない気持ちだけが置き去りだ。

 「いや〜、ほんと。その髪型してると、『大石副部長』って感じですよ!しかも、10年以上も経ってるってのに、まったく変わってないっすね〜。」
 喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか。他人事を楽しむ桃を前に、何も言えない。
 「あ、あれっすか?英二先輩に、なんかしたんすか??」
 俺は何もしてないよ・・・。というか、何故有無を言わさず、俺が何かしたって考えに行き着くんだよ・・・。
 「しっかし、英二先輩もやりますねぇ〜♪」
 ・・・どういう意味だよ。
 「・・・菊丸に言われて床屋へ行った確立、100%」
 「あ、乾先輩!おはようございます〜!」
 「おはよう、桃。相変わらず元気だな。」
 春のうららかな日差しを背にうけて、まるでその奥の表情を覚らせないように眼鏡を光らせ、乾がやってきた。そういえば、桃や乾こそ、ガタイは立派になったとはいえ、中学時代から変わらない髪形じゃないか。
 「いや〜。朝からすっごいモノ見て、テンション上がりましたよ!」
 すっごいモノって、いくらなんでも失礼だろう、桃・・・。というか、俺のこの髪型は、すっごいモノなのか?!
 「まぁなぁ。似合ってるとはいえ、俺も一瞬びっくりさせてもらったよ、大石。今度は何をして、菊丸を怒らせたんだ?」
 「今度はって、乾・・・。俺、そんなにいつも、英二を怒らせてるつもりは無いんだけど・・・。じゃなくて、今回も、俺は悪くないぞ?」
 そうだよ。俺は何にもしてないんだよ!濡れ衣もいいとこなのに、この仕打ち・・・。この髪型は気に入ってたけど、学生時代ならともかく、一応この歳で坊主もないだろう?
 「まぁ、英二先輩は、昔から独特の思考回路の持ち主っすからね〜。」
 「大石がそのつもりがなくても、菊丸の怒りのスイッチを押してるんだろうな。」
 「・・・・・ソウデスカ。」
 俺の味方は、ここにも居ないのか・・・。
 「しかし、ちょっと懐かしすぎるな、それは。是非海堂にも知らせないと・・・。」
 不穏なことをいいつつ、乾が携帯でメールを打ち始めた。
 「んじゃ俺も!越前のやつ、まだこっちにいるから、呼んでみますよ。あいつ、喜ぶぞ〜♪何気に大石副部長のこと、母として慕ってましたからね♪」
 つられて桃まで、携帯を操作し始める。っつか、母ってなんだよ、母って!
 「ちょっ、待てよっ!!余計なことするなよ!」
 「落ち着きなよ、大石。手塚には、僕から連絡入れておいたからね。もうすぐ来ると思うよ。」
 二人を止めようとする俺の後ろから、今最も会いたくない人物の声が聞こえてきた。しかも、ものすごい楽しそうだ・・・。振り返らなくても分かる。この声は・・・。
 「不二先輩?!おはようございますって、どうしたんですか?こんな時間に。」
 「おはよう、みんな。英二からメール貰って、『懐かしいものが見れるから、今日の朝、青学までおいでよっ』って言われたから来てみたんだけど。確かに懐かしいよね、その髪型。」
 嗚呼・・・。
 わざわざ不二にまでメールして呼びつけるとは、英二の怒りは静かに続行中なのか・・・。
 「おはよう不二。しかし、手塚も来るというんだったら、どうせならプチ同窓会にするか。」
 「あ、それはいいね。タカさんも今日店休みだし、出てこられるんじゃない?」
 「じゃ俺、タカさんに電話してみます!」
 えぇぇぇぇえっぇぇぇ?!!冗談じゃない!みんなには会いたいけど、自分が肴になるのが分かっていて、その計画に賛同できるわけがないっ!!
 「ちょ、ちょっと待てよ!みんな忙しいだろう?わざわざ呼び出さなくても・・・。」
 「海堂は来れるとのことだが?」
 「タカさんもOKだそうです!」
 「手塚もすぐ来るし。」
 「あ、越前からメール返信。・・・っと、すっとんで来るって言ってます!」
 
 ああああああああああああああああああああ。
 
 


 いいテンションだ!