【093 ごめんね】
夏に外部受験を決めた俺は、最近では閉館時間ギリギリまで図書館で勉強していることが多い。
近頃では吐く息がすっかり白くなってきたが、今日も俺はここ最近の習い通りに、図書館で独り参考書片手に受験勉強をしている。
そんな俺のもとに、受験勉強など関係ないと思われる元チームメイトがやってきて、唐突にこう切り出した。
「ねえ、英二が『別れよう』って言ったら、君、どうするの?」
相手を確認するまでもなかったが、何を突然言い出すのかとちらりと声がした方を見たが、言った本人の顔には、『勿論、分かれないって答えるんでしょ?』と書いてあるのが見えた。
手を休めるまでもないと判断した俺は参考書に視線を戻し、先ほどまで見ていた箇所を見つつ、こう応えた。
「別れるよ。」
「え?まだ耳が遠くなるような歳じゃないんだけど、僕の聞き間違いかな。別れるって聞えたけど・・・?」
「ああ、そう言ったからね。不二の聞き間違いじゃないよ。」
「僕の聞き間違いじゃないとしたら、何の冗談かな。」
声に不穏な響きを感じ取って声の主の方に目をやると、普段は何を考えているのか判らないようないつも微笑んでいる不二の目が、少しも考えることなく返事をした俺の言葉を聞いて開眼してしまっている。俺の口から、まさかそんな応えが返ってくるとは少しも考えていなかったようだ。
こんな不二の顔、滅多にお目にかかれない。『卒業前に面白いものが見れた』などと口に出そうものなら末代まで呪われること必至であるので、勿論口に出したりはしなかったが。
不二は開眼したまま、口元だけいつもの笑みをたたえて、俺に再度確認する。
「僕は、本気で聞いてるんだけど?」
「俺も本気で答えてるよ。」
そう。
間違いなく、これが俺の本心。
「・・・どういう事?」
「どういう事も何も、不二が俺に聞いたんだろう?英二が俺に『別れよう』って言ったらどうするのかって。だから『別れるよ』って答えたんだけど?」
「君が・・・、君達が別れられるわけ?」
信じられないというよりは、何を言っているんだコイツは?という雰囲気で聞いてくる。まあ、普段の俺達を見ている不二には、俺の返答がふざけているように聞えるのかもしれないが。
「ああ、簡単な事だよ。」
俺の言葉を聞いた不二は、口元にわずかに残っていた微笑すら消して無表情になる。怒っているというよりは、呆れてモノも言えないといった感じか。
「・・・・そう。君がそう言ってたって、英二に伝えてもいいのかな。」
「かまわないよ。」
俺の答えがお気に召さなかったのか、足音も高らかに去っていく。
静かな図書館に、不二の足音が殊更に響いた。
そう、簡単な事だ。
”英二”が”俺”に『別れよう』と言うのなら、俺に考える余地は無い。
英二は、あの普段のキャラクターから、あまり物事を深く考えずに口にしていると思われがちだが、決してそんなことはない。まあ、全くそうでないと言い切れない部分も多々あるが、こと、この手の話に関しては、思いつきで口にするようなことはない。
例えばこれが他の誰かだったら、『別れる』という切り札を持ち出して俺の気持ちを試しているのか?とも思うかもしれないが、英二に限って言えば、そんな事はありえない。搦め手で人の心を推し量るようなことは、しないからだ。
そんな英二が『別れよう』というのなら、彼が色々と考えて導き出した答えなのだ。答えを出した彼に対し、俺かが言えることは何も無い。
英二が俺に『別れよう』と言うのならば、”俺が”英二と別れる事は、とても簡単な事だ。
俺のこんな考えは不二には理解できないだろうが、英二には判っているだろう。
だからこそ、”英二が”『別れよう』というのなら、それは俺達にとっては『話し合いを始めるための言葉』なのではなく、単なる『決定事項の確認のための言葉』でしかない。
ああ、そうだ。
そんな英二に対して、俺が言えることがただ一つだけある。
「ごめんね。」
俺の怪我の所為で、色々な苦労をかけてしまって、ごめん。
いつも、俺の我が侭で振り回して、ごめん。
泣かせて、ごめん。
ずっと一緒にテニスをしようと言ったのに、ごめん。
そして。
英二に答えを出させて、ごめん。
END