【036 ばいばいまたね】
「ばいばい。またね。」
そう言って大石と別れてから、もう10年になる。
高校を外部受験することにした大石と、高等部にそのまま進学することにした俺。学校が別々になるからと言って別れる必要はなかったし、卒業式当日の朝までは別れるつもりなんか微塵もなくて、その後もそのままの二人でいるつもりだった。学校が別々になったからって、そんなことで壊れる俺達じゃないもんね♪ぐらいに思ってたし。
でも、いざ卒業式が終わって、その後のテニス部の壮行会で大石と対戦したとき、うっかり思っちゃったんだ。『俺、大石から離れた方がいいんじゃねぇ?』って。
何でそんなこと思ったのか。
間違いなく自分で思った事なのに、その理由は今でも良く判らない。ただ、直感を信じていたあのころの俺には、それこそが、二人にとってベストな選択だと確信しちゃったんだ。
だから、試合終了の挨拶で握手を交わすとき、大石の目を見てこう言った。いつもの分かれ道での挨拶と同じ言葉だけど、全く違う意味を込めて。
「ばいばい。またね。」
大石は一瞬だけ目を見開いた後、いつも通りにこう言った。
「ああ、また。」
明日に続きそうな普段どおりの簡単な挨拶で、俺達の3年間はあっけなく幕を閉じた。というか、俺から一方的に終わらせたわけなんだけど、このことについて、大石からは何の糾弾もなかった。勝手な言い分だって判ってるけど、『あー・・・俺の運命の相手だと思ってたのに、大石にとっての俺って所詮この程度だったんだなぁ・・・。』なんて思って、その夜俺は、ちょっぴり泣いたっけ。
懐かしい夢を見ていた俺を、一本の電話がたたき起こした。
『英二、今からうちに帰ってきなさい。』
有無を言わさぬ命令口調の、ちい姉からの電話。相変わらず、こっちの予定などお構いなしだ。
『だってあんた、今日、仕事休みでしょ?』
確かに店は休みですけどね。これでも結構忙しいんですよ。
『でも、この時間に寝てるってことは、忙しくないんじゃない。』
いいからすぐに帰ってこいと言い残し、ぷっつりと電話が切られた。
姉の命令に逆らうとろくな事が無い事を良く理解している俺は、とりあえずシャワーを浴びると急いで実家に帰った。すると菊丸家では、ちょっとしたパーティーが開催されていた。パーティーって言うような大それたもんじゃないんだけど、大兄の嫁さんである孝子さんの出産祝いのため、平日だというのに菊丸家全員が召集されてた。何で平日?と聞いたところ、どうやら俺の仕事の休みに合わせてくれたらしい。これで俺に用事があったらどうすんだよと言ったら、『用事なかったじゃない。』とばっさり。まぁ、結果オーライだけどさ。
俺が中学の頃には賑やかだったこの家も、祖父母が他界し、次兄が独り暮らしをはじめ、姉二人がそれぞれ嫁いでしまうと、それなりに静かになっていった。俺はといえば、勤め先の美容院が実家の最寄り駅と同じ沿線ということもあって、ずっと実家から通ってたんだけど、長兄が結婚するときに実家を二世帯住宅に建て替えるということだったので、それを機に実家を出ることにした。なので現在は、実家から小一時間くらいのところできままな生活を満喫している・・・というと聞こえは良いが、実際のところは、毎日寝に帰るだけの寂しい独り暮らし中ってとこ。
「えいぢ〜!」
そんなわけで、久しぶりににぎやかな菊丸家となっているわけだけど、玄関を開ける音とともに、殊更にぎやかなヤツのけたたましい叫び声が聞えた。すぐ上の姉ちゃんの息子、たかしの声だ。もうすぐ五歳になるやんちゃ坊主で、姉ちゃんや母ちゃんに言わせると、『あんたの子供の頃に、そっくりよ。』だそうだ。俺はあんなに騒がしくなかったと思うんだけどなぁ・・・。まぁ顔だけは、俺と姉ちゃんがそっくりな所為もあるんだろうけど、姉ちゃんの旦那さんの遺伝子はどこへいっちゃったんだ??ってくらい、俺の子供の頃に似てるけど。
「”えいぢ”じゃなく、”英二おじさま”と呼べと言ってるだろがっ!!」
「えー?えいぢ、おじさまってガラじゃないじゃん。」
「この、クソガキっ!俺は、久しぶりの休日で、ゆっくりするのに忙しいんだから、邪魔すんな。」
姉ちゃんが俺のことを『英二』って呼ぶから、こいつも真似して『えいぢ』って呼ぶようになっちゃってんだよ。しかも、どうしても”えいじ”じゃなくて”えいぢ”に聞えるのが、なんか嫌なんだよな・・・。
「なぁなぁ、えいぢっ!!オレさっき、こーえんで、うんめいのひとにであった〜っ!」
「だから、人の話を聞けって・・・・・え?」
「だからぁ、オレのうんめいのひとがいたっ!!」
「はぁ?お前、意味解って言ってんの?」
「うん。」
5歳のガキの言うことだ。姉ちゃんと一緒になって見ているドラマかなんかの受け売りで、本当の意味なんか解っちゃいないんだろう。このくらいの子供って、覚えたての言葉を使ってみたがるもんだしな。
「へぇ〜。で、どんな子だった?」
「うんとぉ・・・はく・・・はく・・・・はんもっく・・・?」
「いや、ハンモック?って聞かれても・・・。」
たかしの運命の人とやらは、人外だったようだ。っつか、もはやそれは運命の”人”じゃねぇぞ・・・。
「んと・・・ちがくて・・・・かあちゃ〜ん!あれ、なんていうんだっけぇ〜?」
たかしは、キッチンの方で女同士の話に花を咲かせている母親に向かって、何事かを確認するために走って行った。まったく、あの元気はどこから湧いてくるんだ?俺は日々の激務で疲れてるんだから、ちょっとはゆっくり休ませてくれ。
自分でなってみてから知ったんだけど、美容師ってほとんど休みが無いんだよ。まぁ、店にもよるんだろうけど。
うちの店は、よくあるように毎週火曜日が定休日なんだけど、この休みの日って、やれどこそこでカット講習会があるとか新しい技術の講習会があるとかコンテストがあるとかで、定休日とは言え、完全休日にならない時がほとんど。勿論、講習会なんかは希望者だけが参加する形式なんだけど、やっぱ出ておかないとさ。技術は常に、日進月歩なワケですよ。だから身体が許す限りは参加しちゃって、今日みたいに完全フリーになる休日なんて年に数回有るか無いか。
母親の元で、あーでもない、こーでもないと言っているたかしの声をききながら、こりゃしばらくは開放されると思った俺は、リビングのソファに寝転がって、ゆっくり休むべく目を閉じようとした。いくら長兄の出産祝いだからって、久しぶりの完全休日、ちょっとくらいぐだぐだしたってバチは当たらないだろうと踏んだんだが、そうは問屋が卸さなかった。
「えいぢっ!はくもくれんっ!!」
「ぐはっ・・・・。」
予想より早く答えを持ってきてしまったたかしが、ソファで横になっている俺目掛けて容赦なくダイブしてくる。神様、俺に安息日は必要ないってことですか・・・。
「えいぢっ!はくもくれんだってばっ!!」
「わ、わかった・・・解ったから、どいてくれ・・・。」
俺の話を聞く気がないのか、たかしのヤツは『やだ〜♪』とかいいながら、何が楽しいのか俺の腹の上でどしどし飛び跳ねる。お前は楽しいだろうが、俺はさっき食ったものをもれなく逆流させそうだからっ!!
5歳児の容赦ない攻撃に、これなら普通のバチが当たったほうがなんぼかマシだったよと、遠い目をしてしまう俺だ・・・。
「たかしっ!英二いじめんじゃないのよ!」
「えー?いじめてないよ〜!!」
あそんでんだよな?と、たかしが俺の目を覗き込んで確認してくるが、遊んでる気になってんのはお前だけだからっ!!と思いつつも、変なプライドが邪魔して、素直にそうも言えず、
「そ、そうだよな・・・遊んでるだけ・・・だよな。」
涙目になりつつ、こう言い返すのが精一杯。
「・・・で?何だって?」
やっとの思いでたかしをひっぱがし、なんとか逆流させずにすんだ胃の中の物をなだめつつ起き上がる。
「なにが〜?」
つい今しがた、大興奮でしていた話をすっかり忘れてしまっている。我が甥っ子ながら、バカすぎる・・・。
「お前が公園で会ったっつってたろ?運命の人に。」
「あっ!」
俺の言葉を聞いて思い出したのか、何故か得意げに話し出す、鶏頭のたかし。
「うん。であった〜!」
こいつ、ひょっとして『出会った〜』って言いたいだけなんじゃねぇか?
「・・・そりゃ、さっき聞いたから。で、どんな子だったんだよ。」
ガキと上手く付き合うには、彼女と付き合うよりも更に寛容な心と忍耐が必要であると、俺はコイツから教わった。
「はくもくれんみたいなこだった!」
「え?何みたい?」
「はーくーもーくーれーんーっ!」
「”はーくーもーくーれーんー”って、花の?あの、白いやつ?」
「うん。しろいやつー!」
って、白木蓮を見た事あんのか?こいつ。
「姉ちゃーん!たかしが言ってるのって、白木蓮のことー?」
小姉ちゃんに確認したほうが早そうだったので、まだキッチンにいると思って大声で叫んで聞いてみると、思いのほか近くにいたらしく『うるさいっ!!』と怒鳴られた。なんで俺が怒鳴られなきゃなんないんだよ・・・。
「そうよ、白木蓮。この子、なんでかあの花が大好きなのよね。」
「へぇ〜。随分渋好みだなぁ、たかし。」
「うん!しぶごのみー!」
たかしは、意味もわからず俺が言ったことばをくりかえす。
「ってことは、お前の運命の人って、渋い人なのか。」
「??」
意味が解らないといった風に、首を横に傾ける。
「んー、その公園で会った子って、お前のかぁちゃんより年上なのか?」
「ちがうよ〜。オレと同じくらいの子だよ〜?」
5歳児に対する形容が白木蓮って、どうよ・・・。
「じゃぁ、何でその子が白木蓮みたいな子なんだ?」
「かれんなんだ!」
「ぶっ!!」
「なんでわらうんだよっ!!」
顔を真っ赤にして怒るたかしには悪いが、こいつの口から”可憐”って言葉が出るとは思わなかった。たかしの一番身近にいる女性である小姉ちゃんは、おおよそ可憐という言葉が似合うキャラじゃねぇし。
「お前さ〜、”可憐”って意味、知ってんのかよ?」
「しってるもんっ!!」
「じゃぁ、言ってみろよ。」
「やだ。」
「やだって、本当は知らないんだろ?」
「しってるけど、やだ。えいぢ、なにいったって、わかんないんだもん。」
「解んないって・・・。」
「だから、えいぢにみせてやるっ!!」
オレについてこいっ!!と言って、一人玄関へと走って行くたかし。どこのオトコマエだよお前は・・・。
「えいぢー!はーやーくーしーろー!!」
俺は、久しぶりの休みだから、ゆっくりしたいんだよぉ・・・。
「あ、英二。出かけるんなら、ついでにオムツ買ってきてよ。赤ちゃんの。」
「えぇっ?!なんで俺がっ・・・。」
「あたしたち、今、手が離せないのよ。いいじゃない、どうせ出かけるんだから、ついででしょ?」
思えば昔から、この姉達には勝てたためしがない。同じような理由で、何度となく生理用品を買いにいかされた苦い思い出がよみがえる。
「えーいーぢーっ!!!」
「わかったから!今行くから、もうちょっとまってろっ!!」
どうせ何を言ったって、俺がオムツを買ってこなきゃならない事には代わり無いので、これ以上姉に文句をつけることをあきらめ、素直にたかしと出かけることにした。
「はやくはやくっ!!」
「わかったから、そんなに引っ張るな。」
急いで行かないと、たかしの言うところの『白木蓮のような可憐な子』が消えてしまうとでも言わんばかりに、俺の手をぐいぐいひっぱる。まぁ引っ張られても、大人と子供の歩幅の違いがあるから、俺としては普通に歩くペースなんだけどね。
「だって、はやく行かないと、あの子いなくなっちゃうかもしれないじゃんかっ!!」
今日会ったばかりだろうに、えらいご執心なこった。俺がたかしくらいの歳には、運命の人はおろか、色恋事なんて全く知らなかったんだけどな〜。時代の差かね。
「わかったけど、公園に行く前に、駅前のクロネコドラッグが先だからな。」
「えーっ?!!なんでっ?!そんなの、かえりでいいじゃん!!」
「面倒な事は、先に済ませたいんだよ。」
「やだ!さきにこうえん行く!!」
俺だって、わざわざ駅前までオムツなんか買いに行きたかねぇよ・・・。
「お前のかあちゃんから頼まれた、お使いなんだけどな〜。」
「・・・じゃぁ、しかたねぇな。」
「だろ?」
「・・・うん。」
たかしがいくらやんちゃ坊主だと言っても、所詮母親には逆らえない。というか、あの姉に逆らったらどうなるか、5歳児のたかしにだって解っているってのが怖いよな・・・。
「じゃぁ、はやくクロネコいこー!」
「おー・・・。」
無事にオムツを買い終えると、たかしの『はやくはやく』攻撃が再開した。
「あんまりちょろちょろすんな。危ねぇぞ。」
両手にオムツを下げているため、今度は手を引っ張ることができなくなってしまったたかしは、俺の少し前を行ったり来たりと忙しい。そんなことをしばらくやっていたが、不意にたかしが一目散に駆け出した。どうやらお目当ての子がいたという公園が、もうすぐそこにあるらしい。やっと目的の公園に着くと、入り口のあたりで『はやくーっ!!』と手を振るたかしが見えた。
この公園は、数年前にできたばかりの新しい公園で、俺がここに来るのは初めてだった。最近の公園には、昔は良くあった遊具類がかなり減っている。事故が多いんだかなんだかしらないけど、ブランコと砂場、滑り台くらいしかない公園には、それでもかなりの人数の親子連れがいた。
俺たちが立っている所から一番遠い位置にある砂場に、女の子とその父親らしき人物が、仲良く砂遊びをしているのが見えた。父親・・・だと思うんだけど、しゃがんだ後姿しか見えないから、もしかしたら歳の離れた兄妹なのかも知れない。まぁ、普通に考えれば父親なんだろうけど、平日の真昼間に娘と一緒に砂遊びとは・・・。しかもあの髪型。あんな長髪だったら、普通のサラリーマンじゃねぇよな。あ、あれか。本人はバンドかなんかやってて、奥さんがフルタイムで働いてて、日中は旦那の方が主夫してるってやつか?
「えいぢ!!あの子だよ!」
本人にしてみれば余計なお世話だろうって事をつらつら考えていた俺の上着の裾を、たかしがぐいぐい引っ張る。
「おまっ・・・これ、ニットだから伸びるって。」
「ゆきちゃーん!!」
たかしは、俺の話なぞ全く聞く気がないようで、さっき俺が見ていた砂場の親子めがけて走って行く。親子っつか、女の子の方めがけてんのか。ってことは、あの子がたかしの『運命の人』か。
たかしの呼びかけに気づいたのか、それまで俯き加減で砂をいじっていた女の子が、立ち上がってたかしに手を振った。にっこり笑いながら手を振る女の子をよく見てみると、確かにあと10年もしたら、白木蓮のような可憐な女性になりそうな、そんな女の子だ。たかしのやつ、相当なメンクイだな。しかも、既に名前まで聞いているとは、何て手の早い・・・。
無事にゆきちゃんのもとへとたどり着いたたかしは、そばにいる父親らしき人物に挨拶することも忘れない。なんてソツのないやつだ。どこでそんな技を仕入れてきてるんだか、甥っ子の男としての成長を垣間見た瞬間だ。しかし、5歳児がきちんと挨拶しているのに、いい歳した大人の俺がぼーっと突っ立ってるわけにも行くまい。これは、俺も彼女の父親に挨拶しておいたほうがいいんだろうか・・・そう思って砂場の方へ足を一歩踏み出したところで、たかしに何事かを言われた父親が不意にこちらを振り返ると、俺の顔を見てびっくりしたように立ち上がった。
「英二・・・。」
ドラマなら、ここで主題歌が流れてきそうな劇的なシチュエーションかもしれないが、現実には、スコップを片手に持った長髪男と両手に紙オムツを携えて片足を一歩踏み出したままの男が見詰め合うという、間抜けな空間だけが存在していた。
to be continued