2002 年3月16日 岩崎悦子
エルケーニュ・イシュトヴァーン作『薔薇の展示会』を訳し終えて
・ エルケーニュ・イシュトヴァーンの文体について
粂さんの『薔薇の展示会』の読後感に、「エステルハージの後だと、格闘しなくていいのかなという感じがしないでもありませんでした」という文があった。
まず、1999年にほぼできあがっていて、夏ハンガリーに行く前に、ある出版社に訳稿を預けていき、一年後に断られたのだが、実は、訳しはじめたのは、92年1月。長い中断があったりで、ほぼ10年かけて、やっと本になったわけなのだ。 さて、格闘という言葉を、主に文体という意味で私は受け取ったので、エルケーニュの文体を、彼の文章を紹介しながら、考えてみたいと思う。
エルケ−ニュは、『グロテスクについての対話(Parbeszed
a groteszkrol) 』(1986、Szepirodalmi Konyvkiado)に収録されている「言葉を『節約すること』(
Sporolni" a szavakkal)」(1972)というインタヴューで、「一分間短篇」に関してだが、次のように述べている。「私はいつも日常的なことについてのみ、最も使い古され、最も日常的な、最も陳腐な言葉で語っている。まさに、言いたいことを少し狭くとらえることでのみ、これらの言葉が新たに輝き、新たに生きはじめることを期待している」(397ページ)
たとえば、「どうだい?(Hogy vagy?)」とういう挨拶の言葉について、別のインタヴューで、次のように述べている。「Hogy
vagy? という言葉は、わが国ではほとんど意味をなさない。……さて、このHogyvagy?
を舞台で想像してみることしよう−・ある奥さんが坐っている、彼女は夫を裏切っていて、夫は裏切りに気づいた、こう場面を設定すると、この状況はまったくありきたりである−・夫が帰宅し、背中にピストルを隠し、妻に『どうだい、お前?』と言う。……すると、ピストルの発射する一分前のこの『どうだい?』は、毎日十回、二十回口にする際とまったく違ったふうに響かないだろうか?」(
「履歴についての対話(Eletrajzi be-szelgetesek)」1978、136
〜7 ページ)
また、同書の「グロテスク−・すさまじい我々の自信に対する答え(A
groteszk:valasziszonyu onbizalmunkra)」(1967)というインタヴューで、ある種のことを書くのに飽き飽きしたと述べている。具体的には、人間の顔や服装、そして部屋や景色の描写。なぜならば、いくら作家が眼前の部屋の描写をしても、読者には、部屋という言葉でイメージされる抽象的な部屋があり、無駄な努力であることに気がついたから、と。あるいは、作り出した行為もドラマ性や対比を強化する代わりに、作品の本質をぶち壊してしまうことに気がついた、と。「それ自体の目的を持った行為を掘り起こしはじめた。出来事に誰もが共通に反応するような反響板のみを鼓動させるような描写の方法に到達するように試みた。つまり、叙事詩的に出来事を語らないで、ある種の反響を喚起するように試みている。もしくは、他の人々も反響することを期待しながら、自分自身がこれらの反響板を聞き取る
ことに努めている」(384ページ)
同じインタヴューで、こうも言っている。
「……私は自身を単純に表現する作家だと思っていて、いつもこの複雑な世界を可能なかぎり最も単純に表現しようと努力している。そして、作品の形式的な部分で複雑化に努める作家たちにとても腹を立てている(誰のことかな?−・筆者)。少なくとも作家が明確に表現しようと努めようとしても、世界は充分に複雑で、充分に不可解である。ほとんど主文のみで表現するように試みている」(386ページ)
前述の「履歴についての対話」で、ハンガリーの散文について、パーズマーニから、クルーディ・ジュラ、イーェシュ、フュシュト・ミラーン、デーリまで、例外はあるが、華麗な、バロックの、隠喩にあふれた散文で書かれているとし、これをカジンツィ以来のハンガリー・バロック文体と名付けている。
また、「自分を失いたくないので、(初期の)マーライやコストラーニがインスピレーションを与えた初心に戻る必要があった。つまり、装飾的でない、デカルト流の、削ぎ落とし、剥き出しの主文だけで成り立っている散文へと。それは、たっぷりした水脈の、生命力のあるバロック文体の傍らで、ハンガリー文学のか細い流れとはいえ、命脈は保っているし、少なくとも私の体に合った表現方法である」(135ページ)
そして彼と同時代の作家の多くはこの文体で書いているとし、イレーシュ・エンドレ、モルドヴァ・ジェルジュ、カリンティ・フェレンツ、マーンディ・イヴァーンを例に挙げている。さらに、彼より若い世代の作家には、このタイプは少なく、第三の系列として、部分を重視し、記述的で、ある種饒舌な、様々な…主義で捻ったり、新しい小説にインスピレーションを得た散文作家たちが登場したとし、ヘルナーディ・ジュラ、コンラード・ジェルジュ、シュケジュドュ・ミハーイ、ドバイ・ペーテルなどを挙げている。(134〜5
ページ、137 〜8 ページ)
上記の、文体から見た自身の作家としての位置づけからも見てとれるように、彼は、自身のことをハンガリー文学の主流からはずれた、周辺に位置する作家ととらえている。つまり、ヨーカイ・モール、ミクサート・カールマーン、モーリツ・ジグモンドといった、ドラマ性のある物語を描く作家ではないと。それは、たぶん、世代の差とも言えるし、体験した世界の違いとも言える。
「あとがき」にも書いたが、戦争−・彼は、「アウシュビッツ」という言葉でシンボル化している−・で、日常生活が不条理な出来事に変わり、普通の人間が不条理な行動をしてしまう体験をし、彼の世界観、人間観に戦争が大きな影響を及ぼした。 特に、「一分間短篇」において顕著だが、ある生活の断面を切り取って、そこに人間や社会の不条理さを描き出し、人間がいかに生きるべきかを読者とともに考えていく手段として文学をとらえていたのではないかと思う。それも、普通の暮らしを営む普通の人間を読者に設定して。だから、凝った文体や、むずかしい表現は使わずに、むしろ、切り取った断面や、テーマのユニークさに主眼を置いた作品を描くことに努めたのだと言える。その際に、彼のグロテスクという視点、ものごとを逆立ちして見るという視点が軸になっていたのであろう。
『薔薇の展示会』を読むと、彼の作品は通俗小説すれすれの作品、あるいは、大衆小説と言える。しかし、彼の上記の言葉を読むと、それを意識的に目指した作家と言える。
・ エルケーニュの小説における女性
私がエルケーニュに注目したのは、1966年に出版された『イエルサレムの公爵夫人(Jerzsalem
hercegnoje)』に収録されていた中篇「猫ごっこ(Macskajatek)
」である。老人の三角関係が描かれているのだが、『薔薇の展示会』と同様、その中に当時のハンガリー社会のさまざまな問題がこめられていてとてもおもしろかった。母娘の世代間の断絶、住宅問題、老いをどうとらえるか、あるいは、西側に移住し、豊かだが孤独な姉の生き方と、共同借家住宅で主たる借家人の助教授夫妻の夕食をつくりながら、年金生活を送る貧しい主人公である妹の生き方との対比など、実に多層的な作品だと思った。
また、この作品には、多くの女性が登場する。主人公の、かなりエキセントリックだが生き生きし、憎めない女性であるエルジ。恋敵のスノッブで、洗練さを装うパウラ。上品で、冷静な姉のギザ。キャリアアップに励む娘のイルシュ。共同借家住宅で助け合う、おどおどした、離婚女性の鼠ちゃん。エルケーニュは、男性作家の作品によくあるように、決して女性を理想化して描いていない。『薔薇の展示会』でも、亡くなった夫、言語学者ダルヴァシュ・ガーボルの最期を語るアンヌシュ、花卉栽培園で働き、緑内障の母親を扶養しているミコー夫人などが登場する。
アンヌシュの語る夫との最後の十日間が、中年の夫婦関係の実情を物語っている(結婚していない私が言うのはなんなんですが)。もっとも、離婚の多いハンガリーなのに、子どものいないこの夫婦は、なぜ離婚しなかったのだろうとも思う。あるいは、少なくともアンヌシュのほうに誰か好きな人はできなかったのか? 十七年、仕事中毒の夫と家庭内離婚のような結婚生活を生きた彼女は、あまりハンガリー女性的でなく、日本人女性のよ
うだ。
ミコー夫人もまた、耐える女性だが、作者は彼女を共感をもって描いているようだ。やらせとも言える、芸術の理解者を自認する医師が彼女に末期の癌であることをカメラの前で告げる場面で、自意識過剰であがってしまった医師に対し、冷静に応じ、医師の忘れたやりとりまで覚えている腹の坐った態度のミコー夫人が対照的である。これは、インテリと庶民の対比とも言えるが。また、ミコー夫人の母親のしたたかさも、とても現実的な女性像だ。
これも前述の『グロテスクについての対話』の中から、彼の女性観を紹介しておく。
「女性たちについて−・女性たちに対して(Nokro−noknek)
」(1974)と「『第一の性』の
債務(Az elso nem" adossaga)」(1970)
後者では、男性よりも女性のほうを多く描いていることは自分自身にとっても驚くべき発見だったと述べ、その理由を探す過程で、周囲の男性よりもちょっと良質の女性を描いていることにも気づいたと述懐している。ただ、頭半分ほどとびぬけている女性を描き、彼女たちに目を向ける意味があるぐらいの良質さである、とも。それは、意図的なものではないし、個人的な体験からではなく、男性としての自分の中に、なんらかの罪の意識、穏やかな表現では、債務の意識があることを吐露している。
前者では、エルケーニュが読書を始め、世界に目を向けはじめた若い頃、乱暴に言えば女性嫌悪の哲学の潮流が流行だったと述べている。多くの著作を読んだショウペンハウエル、その弟子のオットー・ヴァイニンガー、そして青春時代のもっとも好きだった作家、カリンティ・フリジェシュのどの作品にも、女性への敵対心がうかがえる、と。ただ、人は、読書を通してだけでなく、目で見、体験したもののほうを信じるものだとも語る。「文明化した市民時代において、我々の生活で新しいものを創り出すことができたもの、つまり創造や変化は多くは男性の特性と言えるだろうし、一方、女性の特性はものごとを保持することだから、両性は、実際に質的に対等なものではないことを人生は私に教えてくれた。もちろん、保持すると言う場合、彼女たちが私たちの生命を保持し、彼女たちが人間性を継続するだけでなく、世代を通じて集積されたものは今日でも女性たちの手の中で生きている。まるで、男性のプロメテウスが神々から盗んだ火に生気を与えるのは今までずっと女性たちだと言うかのように」(343〜4
ページ)
「まるで若い頃の罪を贖っているかのように、まるで今、男性よりも女性を多く書くままにしているかのようである。というのも、女性たちは私たちの生活の苦労に耐え、我々よりもずっと多くに耐え、困難や悪に対抗する力は、我々よりもずっと大きいといつも感じていたから」(345ページ)
これを今の私が読むと、エルケーニュという男性作家は、女性嫌悪や女性蔑視という時代からは一歩先に進んでいるが、男性の特性、女性の特性を規定し、「多くは」と断り書きを添えているが、創造的な分野を男性の特性に、その保持を女性の特性に属させることで、逆に女性をある種の型に閉じ込めている。だから、ミコー夫人のような耐える女性は女性の特性を体現している女性として好意的に描いているのだろう。そこに、彼の世代の限界を見る思いだ。ただ、あくまでも文学作品として読む場合、現実にはこういう女性が多いだろうとは思うが……。
・ 次に、およそエルケーニュと文学観や言葉観が対照的なエステルハージ・ペーテルがエルケーニュについて書いている文があるので、紹介する。
ただし、エステルハージ一流の文で、タイトルにエルケーニュという名前があるのに、エルケーニュについては、主として最後のパラグラフで触れられているだけである。
「ある東欧人(エルケーニュ) Egy kelet-europai(Orkeny)"
」(エステルハージ・ペーテル著、A kitomott
hattyu 所収、1988)
1. この20年、すべては可能なかぎり最上だった。
2. 今もすべてはいいのだが、19番のバスだけ本数が少ない
3. 19番のバスの本数を増やすと仮定するならば、未来はもっとよくなる。 (注:増やされる)
エルケーニュ・イシュトヴァーン
・.エルケーニュで思い出したんだが、チェスワフ・ミウォシュが西と東の知識人の間の相違についてそんな何かを言ったので、ゴンブローヴィチの『日記』で、前者は本当には尻を蹴られなかったが、それに対し後者には、と書かれた文章を(ドイツ語で)読む。この警句は−・こうした警句、君のけつの筋肉を蹴り飛ばしてやる−・強圧的な文化(brutalizalt
kultura) の中で暮らしていると、いわゆる、人生に近づけるであろうというのが(我々の独自の価値、力、別な様を認識させようとして、西と続けている隠された闘いにおける)切り札になるだろうという意味である。そして、もちろんミウォシュ自身もこの真実の境を知っている−・それに、我々の威信がこの殴られた体の部分にのみ落ちつくなら、悲しいことでもあるだろう。なぜなら、この殴られた体の部分は正常な状態にある体の部分ではないし、哲学、文学や芸術は、やはり、殴られて歯を折られ、顔を目茶苦茶に殴られ、顎の蝶番もはずれていないような人々が創り出さなければならないのだから。そして、体と心。体の心地よさが心の決意を育て、静かなカーテンの背後、(国の)市民の柔らかい小部屋でガソリン・ポリバケツをタンクに投げ回す人々が夢見もしなかったような覚悟や厳しさが生まれることもありえるから。こんなわけで、この我々の強圧的な文化が役立つ、充分に役立つのは、我々が理解し、捉え、何かが完成され、仕上げられたものになり、真の文化の新しい形態、我々の力が考え尽くされた上で、組織的に導入されること、宇宙的な精神になった時においてのみである。問題は我々にそれが可能かどうか、我々の文学はたとえ一部分でもこのプログラムを達成することができるかどうか、である。
これらを小さな自室でゴンブローヴィチは書き、ダス・デリシアス・ペンションで夕食が待っているので、こう文章を終えねばならない。我が「日記」よ、心の忠犬よ、吠えるな−・ご主人は出かけるが、また帰ってくる−・、とりあえずは幸せに生きよ!
そこから浮かび上がるのは、これはゴンブローヴィチという名の実に賢い男だった。 余談−・強圧的な文化(brutalisierte
Kultura) をどううまく訳したらいいだろう?獣的にされた(brutalizalt)
。でも、たぶんこんなハンガリー語の言葉はないだろう、それにそれは言葉の上では見てとれいない。容赦なくされた(krudelissa
tett) 文化。いつものように、人々は信じるはず−・これは冗談。動物化した(elallsitott)
、これは大げさで、誠実な市民はそれだったらこれに何も真実はないと考えるだろう。猛々しい(adaz)、それでは弱すぎる−・猛々しい文化(adaz
kultura)は美しいが、誰か、誰かたち、または何かが猛々しくしたと言う必要があろう。もしくは、野生化した(eldurvult)
と、単純にしようか? 我々の小さな、野生化した文化
(eldurvult kultura)(我々の野性文化−dulturank))娼婦のロマンティカ。ひょっとして、汚い言葉を広めることだということを考えさせられるだろう。その作家たち(そのとは、誰たちの?)がsz…の単語を使わず、読点も打てば、あらゆる種類の国家権力を安心させること。糞ひとつで夏にはならないのに。注意、糞どもの、糞どもの
も……いずれにせよ父に電話をかけよう。せいぜい、私は相関関係を否定し、息子が東欧人であることを哀れな父が心配しないようにしよう。獣的にされた文化。それは、息子よ、相関関係が何かによる。今はそれはどうでもいいんだ、パパ。ああ、親愛なる息子、どうでもいいなんて。文脈! どんな文脈かを伝えた。そうか。手込めにされた(megeroszakolt)
と、父は冷静に言った、それも、考えるだけの時間を置かず素早く。これはハンガリー語だ、手込めにされた文化、何度もかみしめていた、手込めにされた、力ずくの(eroszakos)
、これはハンガリー語だ。電話線がちょっと静かになり、それから二人とも受話器を置いた。
・.宗教の時間の教師がいて、彼はエルケーニュ・イシュトヴァーンという名前だった。私のことをとても好いてくれたと、思うし、私に多くのことを期待していた、ただ、私がサッカーをするのをいいことじゃないと思い、間違いだと見なしていた。お願いだ!と言い、腹を立て、悲しげに頭を振るのだった。そんなことを! とんでもない! エルケーニュ先生、15歳の思春期の我々も彼についてそう話した。ずっと前に亡くなった、まだその当時。−・さて、上記のことを理由のない喜びや悪意で何年も考えた、そして今、雷のように、忘れないように記述した、ピアリシュタ・ギムナジウム! 疑いに切りさいなまれた。何本かの電話−・そして実際、エルケーニュではなく、エルケーニ、イシュトヴァーンではなく、ヤーノシュ。このことは、だったら今ここに書くどんな意味があるのか。
・. 料理の評判がいいと別の文で書き、そうすることがふさわしいので、ちょっと足を遠ざけていたレストランに坐って、当時問題を抱えていた友人と食事をした。今、別の友人と坐りこみ、問題も抱えてなく、つまり問題についてはまさに知らなかった。そう決めていた。これらのことから、我々はこのレストランの常連客であるという間違った結論を引き出すことができるだろう。
でも、規律ある食事平均消費以上にメニューをいじくりまわしたのに、本当に率直にウエイターに謝罪も、待たせた詫びも言わなかったので、多少ともその権利があって、我々のことを不手際な奴だと見なして、「ムッシューたちはものごとに通じているお方々とお見うけします」という呻く声で寛大に許してくれ、そして! そして新鮮で、その日届いたザラの海老を勧めてくれた、本当に、ウイキョウのタレで。 私はこうしたことに興奮する質なので、興奮した。でも友人はザラの監視について理由の有無にかかわらず、よく知っていて、ザラにはもはや海老はいず、公害があるだけで、森を伐採し、オーストリアに木を二束三文で売り、アカシアがすべてを覆い尽くすことになり、廃油が川底にそそぎこんでいる、ザラの海老であるよりも、作家であるほうがいいことを信じてほしいが、このことに、そこで決定を下す、主な風の流れがどうなのかも知らない誰かが関心を持っているなどとは信じないでほしい、この貧弱な海老は、短時間で冷凍した誰かの発育不全の種であることは確かだと、厳しく見解を述べた。
気分がのって、ドナウ・ベントもかつてよりもきれいになる、と私は言った。でも、どうしてかつてよりもきれいになければならないのだ? テレビで言っていた。何を? 今もきれいだが、創造力の駆使した後では、もっときれいになる、かつてよりもきれいになるほどきれいになる、と。ウエイターはちょっと待っていたが、その後で−・ウエイターたちは確かにそうした人種なので−・我々の肩から国家的悩みをおろしてくれた。聞いてください、豚の背骨のスープ!、黄鹿のペルケルト!、ショムローの!、ガルシュカ!、赤ワイン!と、ばっちり注文した。我々は完全に同意した。男たちの間では、言葉とはこういうものだ。私が軟弱なグルメになろうと計画したのは別の問題だ。でも、たとえば家で真向かいの工場から運ばれた前払いを消化する子どもたちよりも、私のほうが未だに状況はいい。自分たちに誠実でなくなったという怒りと良心の呵責を感じながら、チップをはずんだ。
テーブルから離れ、クロークの傍らで、友人は誰かに長々と電話していた。意図して盗み聞きしたわけではないと言える。誰と話しているか当ててみるから、言わないように。女性、それは確実。女性、それも若い女性じゃない。私の叔母さんのどれかのような、上品な老婦人と話していただろう。つまり厳しい人間と。賢く、厳しく、上品な存在と。うなずいた。それで、言葉を続けた、心の技師、君は明らかに粗削りだった、もしくは、その人はそう考えるとわかっている、その人の言い分が正しくないのを確信しているのに、謝罪の類を求める、未だにそうするほうがうまくいく、ただそれがうまくいかなかったとして?!
次は最初から始めることができる、たださらにむずかしい条件で! 友人はため息をついた。彼が電話をした(透けてみえる)薄暗闇が誰の存在を隠しているか、私は当ててみせた、エルケーニュだった。個人的に彼とはこの程度の関係しかなかった。
・.あれこれ苦悩に苛まれた悲しい人、こう、いつも彼のことを考えていた。同時代人であること。東欧人であること、それゆえ多くのことを知っている。皺の刻まれた、気難しそうな、笑い顔にそれが見てとれた。その東欧の知識とはどういった類のものかということも見てとれた。主として、わずかだといった類のものだと、最近思う。充分でないと。我々は決して充分に知っていないと、考えられていると。我々は互いの、言ってみれば、間違いから学んでいない理由もあって、たぶん、そうした状況なのであろう。私の間違いからも決して学ばれることはない。たとえば私たちは、恐れとは何かを、何通りも、何通りも知っている。すべて飲み込むにはなんと多くの釣針なのだろう。その的への釣針はあるし、なくなりもしない。知識と体験したことは別。
にもかかわらず、時折、エルケーニュとおしゃべりがしたいと思う(本当のところ−・<誰とでも!>)、文学についてのおしゃべりなどでなく、むしろ私があれこれ質問し、素知らぬ振りで彼が知っていることすべてを知りたいし、あらゆる体験を所有したいし、放蕩者、それらをどんなふうに語ってくれるかを知りたいから。でも、オスカルは知っていても言わない。紅茶は確かに完璧だろう、それにケーキは軽め。軽め。我々は何度も視線を落とすであろう、おしゃべりが終わることもなしに。ただザラの海老はほくそ笑む、どこかで、そのためだけでも。