「ハンガリーのロックオペラ「国王イシュトバーン」の中に見られるハンガリー人の民族意識の変化について」　発表者　渡邊智紀　01.7.14

目的と問題意識

　本稿においては文化政策の面から、1956年のハンガリー動乱以降の社会主義政権時代のハンガリーを分析し、それを背景として生まれきた作品に、どのようなメッセージが込められているかを読み解くことを目的とする。具体例として1983年にハンガリーで制作されたロックオペラ「国王イシュトバーン」を挙げることとする。　そして当時の反体制ロック歌手達によって作られたロックオペラから読み取ることのできる、ハンガリー人の民族意識の変化について考察する。

章別構成

序文

1.1945年の第二次大戦終結からから1983年に至るハンガリーの社会についての概略

1.1　ハンガリーにおける社会主義政権の誕生とその帰結

　ハンガリーを始めとする中･東欧諸国における人民民主主義を掲げる社会主義政権が誕生し、1956年のハンガリー動乱を転機とするカーダール･ヤーノシュ(Kadar Janos)の穏健的政策への転換、そしてその後、社会主義圏随一とまで言われた自由と豊かさを実現した経緯についての概略。

1･1･1　1945年の第二次世界大戦終結後の、中･東欧各国における社会主義政権の誕生

　ハンガリーにおける共産党による政権獲得のプロセス

　　まず内務大臣の職を得て警察権力を掌握し、対立する勢力を徹底的に弾圧する

　　次に議会を停会させ、共和国を人民共和国へと改称する

　　A.V.O 国家保安局(Allamvedlmi Osztaly)の設立

1･1･2　1956年までのスターリン主義に基づいた恐怖政治について

　スターリンの存命中

　ラーコシら四人組による粛正の嵐はライク･ラースローを始めとする党幹部にまで及んだ

　スターリンの死後

　ナジ･イムレ(Nagy Imre)、カーダール･ヤーノシュら改革派への期待が高まる

1･1･3　ハンガリー動乱による混乱とカーダール政権の誕生
ナジ･イムレ

　ハンガリーの社会主義陣営からの脱退を模索する（1955年のオーストリアからのソビエト軍の撤退に影響されていた）

カーダール･ヤーノシュ

　現実的路線を掲げ、社会主義陣営の中での改革にのみ注力すべきだと考える

　結果的にカーダールは1956年11月4日、臨時労農革命政府を設立し、ソビエトに介入を要請する

1.2　カーダール政権下における構造改革について

ラーコシの時代「敵がいなければ敵を見つけ出せ」か

カーダールの時代「敵でないものは味方である」への変更　

国家保安局(Allamvedlmi Osztaly)は再建されなかった

1962年の第八回党大会

　ハンガリーにおける社会主義体制の完成を宣言し、政治犯への恩赦や、前述の発言に基づいた柔軟な姿勢を開始する。

　農業集団化の完成（1962)　「ヤーノシュおじさん」の愛称

ただし外交面では徹底的なソビエト追随策をとった

2.　1983年当時のハンガリー政府の文化政策、取り分け映画部門についての評価について

2･1当時の映画、音楽の制作現場の実状についての概略

　映画を撮影するときは国営の映画会社に企画書を提出し、完成後も試写をして公開できるかどうか審議する体制をとる。ただし企画書と内容が多少違う場合は「芸術的必要性」を理由にすることが認められていた。

2･2制作者達と政府との関係について

　著作権は著作権管理団体ARTISJUSが一括して管理する

　映画会社は国営で基本的にスタッフは公務員扱いとなる

　上級職は共産党員であることが望ましいとされた

2･3　1983年当時における制作者、観客、政府三者の暗黙の了解について

　ソビエトを始めとする同盟諸国を批判することは避けねばならないが。国内の共産党の実務面における批判は極力自由とする。

3.反体制ロック作品としての「国王イシュトバーン」(Istvan a Kilaly)について

3･1社会主義政権下におけるハンガリーでの反体制ロックの定義について

　本稿での「反体制ロック」と銘打たれるものの定義

　規制を行う者を責めるのではなく、規制を行わざるをえない現状に対する不満を表現すること

3.2「国王イシュトバーン」(Istvan a Kilaly)の上演について

　1983年に「国王イシュトバーン」の上演について期間、場所、当時の反応など、

　最初の上演

1983年8月20日ブダペストの市民公園にて（同名映画の撮影兼上演）

圧倒的人気を誇り、急遽アンコールが行われ、翌年にもセゲドで再演される

当時のハンガリーの音楽界の総力を結集したもの

作曲:ロックバンドイッレーシュ(Illes)のメンバーであるセレーニ･レヴェンテ(Szerenyi Levente)

作詞:ブローディ･ヤーノシュ(Brody Janos)

　1973年の「もしも私がバラならば」(Ha en rozsa volnek)が発禁処分を受けた1

3.3ハンガリーにおける反体制ロックの総決算としての「国王イシュトバーン」という作品の内容について

国民意識に対する肯定的解釈を行って見せている（これまでのハンガリーにおいては自主規制されてきた）

　例-国王の戴冠式の場面で後ろ一面の横断幕として使われる現代のハンガリー国旗、カルパチア山脈の輪の中（盆地）で栄えるハンガリー人を謳い上げるなど

3.4「国王イシュトバーン」におけるメッセージ性についての総括

　上記の断片的なモチーフと合わせてストーリー全体を通して描かれているメッセージを読み解く。同じものを目指すもの同士が信念の違いから争う悲劇であったハンガリー動乱を、ハンガリー史における最初の出来事である建国史というものの中に重ね合わせ、民族と部族を守るためには強者と妥協せざるをえなかったという作者のメッセージについて。

3.5作品内における建国史とハンガリー動乱の相似性について

　1000年の国王戴冠と1956年のハンガリー動乱をあえてダブらせて描いた理由について

3.6作品としての「国王イシュトバーン」の同時代の作品との関連について

　この作品が制作当時のハンガリー社会にたいしてアピールした事柄と、1976年に公開された「ジーザス･クライスト･スーパースター」等との関連など影響を与えたと思われる他の作品との比較からこの「国王イシュトバーン」が作品としてどのような位置にあるかを論ずる。1994年3月にブローディ･ヤーノシュ自身に対して行われたインタビューにおいて本人が述べた証言より考察する。

4.ハンガリーにとっての少数民族問題について

　　ハンガリーが第一次大戦以降悩まされることとなった。国境外のハンガリー人の問題について。とりわけルーマニアに併合されたトランシルバニア地方の問題とハンガリー側の対策の変化について。国民的作家イッイェーシュ＝ジュラ(Illes Gyula)による1977年12月25日の新聞への投稿。1989年の欧州安全保障会議へのハンガリーの直訴に見られる少数民族政策の転換について。

5.　当時のハンガリー人の感情を写し取った作品としての「国王イシュトバーン」

　このような民族問題に対する1983年当時のハンガリー人の感情を写し取った作品としての「国王イシュトバーン」を見直してみる。制作者の意図した結果と、観客の反応に見られる、国境外ハンガリー人問題に対する当時のハンガリー人の意識を分析する。

結論

　このように社会主義圏の中では比較的「表現の自由」というものが保証されていた1983年当時のハンガリーで、この「国王イシュトバーン」に見られるハンガリー人の民族意識というものがどのような経緯で発露されるに至ったのか、当時深刻化しつつあったトランシルバニア問題などと重なり合う点があるのかどうか。また、この作品は1990年以降のハンガリーのみならず、中･東欧諸国の民族主義への傾斜の予兆を示した作品であるのか。あるいはそれにいちはやく警鐘を鳴らした作品であるのかを判断する。